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幼少期 - 霧の国の二人の家 -

出会い

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 アッシュとの出会いは、アリエルが五歳の時。
 霧の国ミスティア。その王都の自宅でのことだった。

 アリエルの父は国王付きの騎士。母は王妃付きの騎士だ。
 二人は城の自室で寝起きしていて、城下の高級アパートメントにある自宅へ帰ることは稀である。

 自宅には一人息子のアリエルだけが住んでいた。





 その日、アリエルが窓辺で星を見上げていると、旅がらすの祖父ハニアスタが久しぶりに帰ってきた。
 彼は一人の少年を連れていた。

「お前と同い齢だ」
 少年は褐色の肌と、灰色の髪色をしている。
 白い肌と焦げ茶色の髪のアリエルと真逆の色が目を引いた。
 少年は目に何も映していないかのような無表情で、整った顔立ちも相まって人形めいていた。

「使用人が通いになったっていうから、代わりを連れてきたぞ」
「おじい様が?」
 ハニアスタが家のことに気を回すところを初めて見た。

「それとアリエル、これを飲め」
 直径一センチほどの丸薬を渡される。
「魔法薬?」
「ああ」
 ハニアスタの実験台にされることはよくあるので、アリエルは素直に従う。


 ハニアスタは付与魔法の研究をしている魔法使いだ。
 人気の魔法道具を次々に生み出している天才である。
 茶髪に少し白髪が混じった五十五歳。
 知り合いの大人が言うには、鑑賞する分にはいい男らしい。

 彼はミスティア生まれだが、今は魔法の国リリアンクに籍を移している。
 ちなみに、そこここで問題を起こしているので、ミスティア城には終生立ち入り禁止だそうだ。



「んん」
 丸薬は子供には飲みにくいサイズだった。ぐっと丸薬を飲み込んでから、テーブルにあった水を飲み干す。

 ハニアスタは褐色の少年に指示した。
「呪印の位置は額……いや、見えないところの方が面倒がないか。おい、上を脱げ」
 少年は無気力な顔で従う。
 アリエルはグラスを置いて、キラキラとした目で露わになった濃い色の肌に見入った。

「アリエル、この辺りに手を当てろ」
(触っていいんだっ)
 うきうきと近づく。
「こう?」
 アリエルの白い手が、少年の胸の上辺りに置かれる。
 温かい体温と、微かな鼓動。
(わあぁ)
 少年は人形ではなく生きた人間だった。アリエルのテンションはもっと上がる。

「よし、そのまま」
 ハニアスタの魔力が練られていく。
「《凍れる言の葉よ。溶けて再び流れだせ》」
 ハニアスタが詠唱した。
 すると薬を飲み込んだアリエルの胸と、少年に触れた手のひらが熱くなる。
 手のひらの下で、何かの光が漏れている。

 数秒の後、熱が引いていった。
「もう手を離していいぞ」
 手をどけた下。
 少年の肌には肌より少し濃い焼印のような紋様が浮かびあがっていた。
(なんだろう)
 綺麗な紋様だけど、無い方が綺麗な肌だったのに。

「これでこいつはアリエルの奴隷になった。もう雇い直しの面倒はいらないし、当然住み込みだ」
「住み込みっ。一緒に住む人?」
「そうだ」
「奴隷ってなぁに?」
「奴隷はいつもお前の側にいて世話をする者だよ」
「世話をするもの……」
 じっと少年を見て、アリエルは笑顔になった。
(僕、こんな可愛い子のお世話をできるんだ!)
 アリエルは自分がこの子の世話をする方だと勘違いした。

「はじめましてっ」
 わくわくと話しかける。
「…………」
「僕はアリエルだよ。君の名前は?」
「…………」
 少年はふっと部屋の中を見渡す。温かそうな光が揺れる暖炉に目をやる。

「アッシュ」
 教えてくれた。少しかすれているけれど、可愛らしい声だ。
「アッシュ。灰って意味の? 灰色の髪だから?」
 彼はコクンと頷いた。
「似合ってるね」
 アッシュは興味がないかのように反応を示さなかった。
 だが、ぬいぐるみに話しかけることが日常のアリエルは、反応が返る時もある、というだけで感激した。


 ハニアスタとアッシュは遠い場所から旅をしてきたようだ。
 とりあえずジュースで喉を潤してもらう。
 アッシュは一口飲んでから、ちょっと目を見開いて、ゴクゴクと勢いよく飲みだした。
 とても可愛い。

 ひと心地ついたようなので、次は旅の埃を落とす。
 アッシュを連れて、アリエルも一緒に風呂に入る。
「わあ……、綺麗。灰色じゃなくて銀色なんだね」
 アッシュの髪がプラチナの輝きを放ちだして、アリエルはうっとりした。

 ふかふかのタオルで体を拭いて、アリエルの貸した服にアッシュが袖を通す。
「これが服……? さらさら」
 と不思議そうに手足を動かしていた。
 動き、可愛い……。


 アリエルは夕食にも気合を入れる。
 とはいえ急な訪問だったので、使用人は帰宅した後。
 子供一人分の食事の用意しかない。
「どうしようかな」
 アリエルはキッチンで踏み台に登る。
 まずは用意されている一人分を三人分に分けた。
 そしてハニアスタの旅路の食料を分け、後は保存のきく硬いパン、干し肉を出す。
「んー、硬いかな」
 ジュースを必死に飲んでいたアッシュを思い浮かべる。
 慌てて食べてしまった時のために、ミルクに浸けて柔らかくした。
 水分が沁み込むのを待っている間、
(お腹空いていないかな)
 とキッチンから居間の方をそわそわ覗く。
 アッシュは五歳とは思えないくらい静かにしている。

 充分に時間が経った頃合いで、
「おじい様、運んでー」
「おう」
 とハニアスタを呼んだ。
 ダイニングには六人掛けテーブル。
 その隣に、二人掛けの子供が使いやすい高さのテーブルがある。
 普段はくまのぬいぐるみのメイプルと向かい合って食べるが、今日はアッシュが座ってくれた。
 メイプルは大人のテーブルで、ハニアスタと向かい合っている。
「召しあがれ」
 声を掛けられたとたん、アッシュは脇目も振らず頬張った。可愛い。


「アッシュ、一緒に寝よう」
 夜も更けて、アリエルは自分のベッドにアッシュを誘った。

 他のベッドは両親の主寝室だけで、ハニアスタはそこは使わず、いつも通り居間のソファで寝た。
 アッシュもハニアスタにならって、もう一つあるソファで寝ようとしていた。
 そこに声を掛けたのだ。
 アリエルのベッドは大人用をそのまま使っているので、子供が二人寝ても十分広い。

 並んで横になり、肩までしっかり毛布を掛けた。
「寒くない?」
「うん」
 アッシュの体温がある分、毛布の中はいつもより早く温かくなった。
「ふふ。おやすみ……」
「…………」
 暗くて広い部屋に息づく、自分以外の気配。
 アリエルは幸せな夢の中に誘われた。





 翌日。
 秋深まる、ひんやりとした朝。
 起きることが苦手なアリエルだが、今日は毛布よりも大切な子がいるので気合で起きる。

「……アッシュー……」
 重い体を起こして部屋を見回す。
 シルクの寝巻姿のアッシュが、窓の側に立って外を見ていた。
 アリエルはふらふらと近づく。

「どうしたのー……」
「真っ白」
 窓の外は朝霧に包まれていた。
 向かいには同じ高さの建物があるはずなのだが、道幅に余裕のある地区とはいえ、ほとんど見えない。
「二時間もすれば消えるよー。そしたら家事をしてくれるメグさんが来るから紹介するね」
「…………」

 外を眺め続けるアッシュ。
 アリエルは構ってほしくて、その細い手を握った。
 するとアッシュも握り返してきた。
「!」
「霧、ちゃんと消える?」
「う、うん! 大丈夫だよ」
 表情は変わらないけれど、もしかして不安なのだろうか。
 アッシュの方からくっついてきてくれて、体中がぽかぽかする。
「そっか。アッシュにとっては知らない場所だもんね。大丈夫だよ。アッシュは僕の奴隷だから、僕が側についてるからね」
 アッシュはこくんと頷く。なんて可愛い。
(お世話係なんだから、不安にさせないようにしなくっちゃ!)
 アリエルは興奮ですっかり目が覚めた。

「アッシュはどこの国からきたの?」
 日に当たる船乗りや農家より濃い肌色だから、南の方だろうか。
 アッシュはアリエルの顔をじっと見る。そして目を逸らして、
「……覚えてない」
 と答えた。
「そっか」
 アリエルは後で祖父に訊くことにした。


 朝の支度を始める。
 顔を洗ったり、キッチンからダイニングへ作り置きの朝食を運んだり。
 アッシュはアリエルのすることをぼーっと眺めていたけれど、声を掛けるとたどたどしくも自分でしてみせる。
「ゆっくり覚えればいいからね」
 アッシュに色々と教えることが楽しくて、アリエルはハニアスタに訊こうと思っていたことを、すっかり忘れてしまった。



 滞在中のハニアスタはアッシュを観察し、何か質問をしているようだった。

 そして三日後、
「もういいや」
 と出ていった。
「いってらっしゃーい」
 アリエルの明るい声に対して返事はなく、扉と鍵が閉まる音だけが聞こえた。
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