うたたねは君のとなりで

レエ

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4章

15 夕暮れの川辺

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 わがままを言ってしまった。
 タロウは図書館で本を読みながら、深く溜息をついた。
(ちょっと本が最後まで読めなかったくらいで……)
 詩季が悩んでいたのは、タロウが彼の勘違いを正さなかったせいなのに。
 それに以前詩季は、紫がタロウに似ていると言っていた。タロウが考えている以上に感情移入しているのかもしれない。

 日差しが傾いてきた。目元に届く光が眩しい。
(……僕も思い入れがあったんだな。あの映画)
 季節の移ろいと、緩やかに表情を変えていく二人の主人公。
 確定したことを何も言わず、景色のように流れる時間が、タロウには心地良かった。
 詩季と二人で観た映画。
(別のものを見ていたのかな)
 あの時も感想を言い合ったのに、詩季との違いに気づかなかった。
(でも……、楽しかった)
 多分僕はあの日に帰れるとしたら……、何度でもただ楽しんでしまう。
 だって詩季が隣にいて遊んでくれるのだから。


 スマートフォンを気にしていると、通知が入った。
 グループメッセージに詩季が写真をあげている。
(唐橋かな)
 ジョギングコースにある大きな橋だ。広い川原だが、水量が少なく歩いて渡れる日も多い。その川原から見上げている写真。橋の向こうは夕焼けしていた。
(ジョギングしたんだ)
 詩季の予定を乱したわけではないようで、少しほっとする。
 なんと反応しようか色々考えたあげく、きらきらしたスタンプを送っただけになった。



 次の日も図書館で過ごした。本を読む時間は落ち着く。
 お茶にしようと談話室に入ったら、夏休みのためか他にも学生が何組かいた。友だちと机を囲んでいて、少し羨ましい。
(詩季と会えるのは、明後日)
 友だちや恋人とはどのくらい会うものなのだろうか。生活圏が重なる相手なら、もっと誘っていいのだろうか。
 会いたいけれど、なんとなく先延ばしにしている。


 空が黄味をおびてきた頃、いつもより早くバスに乗った。
 川沿いを走り、しばらくして降車ボタンを押す。
 初めて降りる停留所。
 詩季が写真に撮っていた橋のすぐそばだった。

 川原に降りて、詩季が撮影したポイントを探す。
(……色と雲の形が違う)
 当たり前のことに気づいたが、それでもタロウは詩季がいたことを感じたかった。
 少し背伸びして、手もやや上に構えて、詩季の手の高さを想像する。
 一枚撮っては確認し、少しでも近づけたくて何度も撮り直す。

 せせらぎの向こうから、砂利を鳴らす音が聞こえた。
「変な撮り方」
「響」
 ラフな格好の響がいる。そういえば家、このあたりか。行ったことはないけれど。
「すれ違った近所の人が噂してた。見ない顔の高校生が、一人で川原をうろうろしているって」
「うろうろ……」
 少し撮影ポイントと角度にこだわりすぎたか。
「……それだけで来たの?」
「夏城が昨日写真上げていたから、お前かと思った」
「なっ、また詩季かもしれないだろ」
「夏城ならイケメンという情報が出てくる」
「ううっ」
 たしかに詩季の格好良さはこの距離でも伝わるだろう。
「また夏城と何かあったのか」
「また?」
「急に仲良くなって、そうかと思えば避けたり、こそこそ行動を真似たり」
(こそこそ……)
 否定できない。


 響とタロウは川辺を歩きながら話した。
「僕って変かな」
「別に友だちしていられないくらい変なとこはないよ」
 交差する川筋。乾いた部分を選んで歩く。歩いたり、飛び移ったり。同じ岸から離れたと思ったら、先の方で繋がっていたり。
「響はどうしてゆらりんと付き合いたいと思ったの」
「ゆらから訊いていないのか」
「そこまで筒抜けじゃないよ」
「……言いたくない」
「そっか」
 言いたくないなら仕方ない。
「じゃあ、告白したりされて、困ったことある?」
「別に実際にされて困ったことはないけど」
 橋の影で立ち止まった。暑さが緩和される。
「友だちにそういう空気出されると、面倒に感じることはあった」
 面倒か……。
 それは詩季に対しては感じていない気がする。それともこの、困惑する気持ちがそれなのだろうか。
「響、そういう経験あったんだ」
「いや、俺の勘違いだったっぽい」
「そう」
 ここにも勘違い。やっぱり分かりにくいのかな、恋って。
「……悩みがあるなら聞くぞ、一応」
「珍しい」
 いつも素っ気ないのに。
「うるさい。今言わないなら聞かない」
 一瞬にもほどがある優しさだ。

 タロウは頭を巡らせる。
(詩季との問題なんだよな)
 響に訊いても仕方ない気がする。詩季に直接言わないと。詩季に……、何を言えばいいのだろう。
(このまま詩季に会って大丈夫かな……)
 彼の優しい笑顔が曇るのを、もう見たくない。傷つけたくない。


 ――まだ僕は、詩季の中で恋人?
 ――恋人とか、友だちとか考えずに会いたい

 詩季が保留にしてくれて、少し気持ちが楽になった。

 ――……映画の最後、結ばれなかったから……

 あの言葉が、悲しくなった。
 悲しいということは、僕は詩季と結ばれたがっているのだろうか。

 ――友だちじゃなかったの……?

 でも、告白された時は、体が冷たくなった。あんなに一緒にいて楽しい友だちは初めてだったのに、その繋がりが消えてしまったような気がしたのだ。
 そして、

 ――恋人とか、友だちとか考えずに会いたい

 今はどっちつかずの状態だ。


 ぐるぐると考えがまとまらず、立ち尽くす。
「タロウ、今じゃなくても別に」
「恋をする人の」
 譲歩しようとする響の言葉を遮った。響は沈黙して静かに先を待ってくれた。
「……恋をする人の側にいるには……、恋するしかないの?」
 タロウは独り言のように呟いた。
「恋って、僕にはよく分からない」
 よく分からないというのは真綿に包んだ表現だ。本当は……、空想にみえる。


 友情もよく分からないといえば分からない。ただ、一緒にいて居心地良ければ友だちと、生きていく中でなんとなく実感してきた。
 詩季は、初めてタロウのための時間をくれる人だった。最初は戸惑ったが、嬉しくて楽しくて、これが親友というものなのかとさえ思った。

 ――けれど告白されて、詩季から伸ばされた手が、恋の相手へのものだと知った。
 自分の居場所だと思えなくなった。

 あの時、紫のように構わず自分自身を表すべきだったのだろうか。
 二人で過ごした時間そのものが大切なのだと。

 タロウは、離れないことだけを選んだ。
 詩季の想いと同じものを持っている振りをして、詩季の顔色をうかがって、そして――。


「恋していないの、バレたんだ」
 響は意外そうな顔をする。
「お前、夏城のこと好きに見えたんだけど、それは友だちとしてってことか」
「……多分」
「恋愛って別にドラマチックじゃなくていいんだぞ」
「そんなライン自分では分からなくって、ただ詩季が喜んでくれたらいいと思っていた。……でもバレたんだ。詩季は、友だちだと駄目みたい」
 ちゃんと隠しておけなかった。
「……僕が、友だちになりたいせいでバレた」
 僕の望みを。

 幻として忘れられなかった。
 友だちの”特別”に、心の底から囚われてしまった。



 夕陽が遠くなり、橋の影が薄くなっていく。雲の隙間の藤色の空が綺麗だった。
 そろそろ道路に戻らないと、足場が見えなくなる。穏やかだった風が、音を立てだした。
「夏城にそう言え。友だちでいたいって」
「……詩季はそういうの考えないでいいって言ってくれた」
「何も知らないからだろ。好きなやつに我慢させたいわけじゃないぞ、きっと」
「我慢なんかしていない」
「しているだろ」
「今のままでいい」
「じゃあなんで一人でここに来た。夏城に会いたいけど顔合わせづらいんだろ」
「……っ、違う!」
「友だちとして会いたいって、いつかは言わないといけなくなる」
「無理……」
「あのな……」
「だって、言わなければ一緒にいられるのに……」

 ――ああ……。
 自分の心の奥で渦巻いていたものが、ようやく見えてきた。
 打算だらけで嫌になる、純粋な気持ち。

「詩季がずっとずっと僕の隣にいないと嫌だ!」
 空っぽの仮面だろうと、絡みつく蔓だろうと、何を利用しても、――離れたくない。

 響が驚いた顔をした。その顔はこちらではなく横に向けられていた。
「……?」
 タロウもそちらを見て、息を飲む。
「詩季――」
「タロウ、えっと……」
 詩季が立っていた。その頬が、徐々に赤くなっていく。
「ごめん。二人を見掛けて、喧嘩しているように見えたから……」
 そうだ。この橋は日課のジョギングコースだった。

 今のひどいわがままを、詩季に聞かれた。
「か、帰る」
 混乱したタロウはそれしか言えなかった。
「タロウ?」
 名を呼ぶ声を振り払い、走ろうとして、
「水持っていないか!」
 唐突な詩季の言葉に立ち止まった。
「え……」
「喉が渇いて死にそうなんだ」
「! 大丈夫っ?」
 走り寄って、バッグから水筒を取り出し、コップを渡す。
 受け取った詩季は嬉しそうに笑った。
(あれ……?)
 水を注ぐと、
「ありがとう」
 と言ってゆっくりと飲んでいる。脱水症状でも起こしたかと思ったが、そんな深刻そうな様子はない。顔色は少し熱り気味だろうか。
「俺、帰るな」
「えっ、響……」
 二人きりは困る。
(でも水筒、蓋を置いていくのは変だし、もし本当に体調良くなかったら……)
 タロウは焦ったが、詩季が飲み終わるのを待つしかない。
 響はそのまま歩き進み、詩季とすれ違う。
「格好悪い」
「うるさい」
 二人は小声で何か言葉を交わしたようだった。
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