鳳朝偽書伝

八島唯

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第1章 歴史への旅

黄伯氏の回想

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 玄関には誰もいない。
 ゆっくりと廊下を歩み、明かりがこぼれている部屋の扉に手をかける。
 すうっと、扉を開ける灰簾カイレン
 暗い部屋には行灯が灯され、真ん中の長い椅子に女性が横たわっていた。
「......賊か」
 その女性が面倒くさそうに、体を起き上がらせながらそうつぶやく。
「戸締まりはきちんとしていたはずだが――大したものはないぞ」
「いえ、違います!お話を聞きたくて――」
 灰簾カイレンの姿をじっと見つめる女性。年の頃は四十そこそこだろうか。それなりに老けてはいたが、品の良さを感じさせる婦人であった。
「女官の格好をした――子どもか。どうした。この時分に逃げてでもきたか。それとも、後宮に売られそうになったか」
「これを見てください」
 灰簾カイレンは一冊の本を取り出す。それは『黄伯氏日記』。先ほど翔極(ショウゴク)が送ってくれたものだ。
 この世界では亜理斯アリスの業を通じて様々な事が可能なのだ。
 本のタイトルを見つめる女性。そこに自分の名前が書いてあることに少し驚くが、すぐ合点する。
「なるほど。亜理斯アリスの業の誘われし術者か。だとすれば、私に聞きたいことがあるのだろう。まあ座るが良い」
 黄伯氏はそう言うと立ち上がり、椅子をすすめる。
「飲み物でも振る舞いたいが、酒しかない。水でもよいか」
 そう言いながら水差しから坏に水を注ぐ。
 長い髪がすうっと流れるように、机の上に広がる。
 年こそ取っているとはいえその美貌はまだ、衰えてはいない。むしろ熟成した魅力を女性である灰簾カイレンが感じるほどだった。
 しかし何か、表情に影が差し込んでいる。生気、というものがあまり感じられない女性であった。
「私は、皇后陛下が小さい時――そう、お前くらいのときから仕えていた。センさまにな。私の家は代々、学者の家で私自身も学問を好んで色々本などを学んでいた。後宮には男性は入れぬ。宦官と皇帝陛下以外はな。どの世界から来たかはわからんが、その程度のことは知っておろう」
 まるで教師のような黄伯氏の説明。要を得て、簡である。
センさまの家庭教師ということだ。楽しかった、あの頃が、一番。センさま、正直それほど学問ができたというわけではないが、とにかく心が美しい方であった。あのような階級に属する方で、下々のものの気持ちを理解できる。それだけで何者にも代えがたい資質というべきだろう」
 貴族の中には民衆を動物扱いするものもいる。そういった意味で黄伯氏の話は説得力があるものだった。
「結婚自体は幼児のときにすでに定められていた。そして、十六歳を迎えた日、皇后陛下はセン皇后として皇帝陛下に迎えられることとなる。皇帝陛下も聡明な方で、皇后陛下を大事にしてくださった。しかし――そんな良い時間は長続きしなかったのだ――」
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