ビスマルクの残光

八島唯

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第2章 バイエルンの夜の霧

皇太子という存在

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 ミュンヘンの街に夜がやってくる。ナージは洗いたての髪を乾かしながら、テーブルの上のパスポートを見つめていた。『セドラーク王国レニエ=アダーシェク年齢十五歳。男。住所――』
 はあとため息が漏れる。正直、あまりできの良い偽造パスポートではない。しょうがない、時間がなかったのだ。あの皇太子が単身コンパートメントに忍び込んでくるとは――予想もつかない出来事であったのだから。
 現在その皇太子は峻一朗と一緒に隣室にいた。
「殿下――」
「なにか?」
 こほんと峻一朗は咳払いをする。
「この件に関しましては我々が対応しますので、どうか殿下におかれてはセドラークにお戻りあっていただけますように――」
「ふーん」
 手元の紅茶のカップをいじりながら、皇太子リドールは不満そうにそううなずく。
 困り顔の峻一朗。正直足手まとい以外の何者でもない。なんとかごまかして領事館の息の掛かったホテルに逗留しているが、このことが明るみになれば国際問題にもなりかねない状況である。
「国王陛下もさぞご心配されておられることでしょう」
 セドラーク国王ジョルジェ二世。当然皇太子リドールの父親である。本国ではさぞ大騒ぎになっているだろう。
「.......そうではないと思うよ」
 それまでのテンションとは違うリドールの一言。
「僕は本来いない存在だから。いまさらいなくなっても何も問題ない」
 下をうつむくリドール。峻一朗は無言でその言葉を受け止める。
(セドラーク王家にもいろいろ仔細がありそうだな......)
 そもそも、『皇太子』の存在自体が秘密にされていたセドラーク王家である。そしてその皇太子が単身、王国を逃れてヴァイマール共和国にいる――
 そこに潜む謎を解き明かすことが、今回の事件にも関わっているように峻一朗には思われた。
「分かりました。では皇太子には一緒にベルリンへと来ていただきましょう」
 自分の目の届くところに置いておくのが一番安全、という峻一朗の判断。
 その一言に最初はぽかんとしていたセドールであったが、意味を理解すると今までにないような無邪気な表情をあらわした。
 峻一朗は計画を巡らす。
 これからどのように動くべきか。
 ヴァイマール共和国とソ連の関係を、そしてセドラーク王国の『オルガン』の行方をどのように調べていけばよいのか。
「ナージ」
 しばしの後、峻一朗は隣室のナージの名を呼ぶ。
 次なる策を実行するために――
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