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第2章 クリューガー公国との戦い

戦い終わりて、日が暮れて

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 日が沈む。野営には糧食のかまどの煙がいくつも立ち上る。
 城壁の外から見えるのは普段とは違い、真っ暗な首都ミュットフルトの様子である。大きな城門を固く閉ざし、城壁の上には疲れ切った護衛の兵の姿も見える。
 それを横目に、公太子連合軍はささやかな宴を催していた。流石に酒は禁止されていたが、それは正式に首都を陥落させた後という確約で、肉やパンなど普段よりも質の良い暖かな食事が提供されていた。
 その食事に手を付けないものもいる。
 本陣の帷幕の一室。広く、会議もできるくらいのスペースである。真ん中の大きな机にはごちそうが並ぶが、全く手がつけられていなかった。
「公太子殿下――お気分でも」
 帷幕の入り口をくぐり抜け、銀の長い髪が舞う。戦場ということもあり、いまだ鎧姿の女性――ハルトウィン辺境伯であった。先程長い首脳会議をここで終え、その後解散したのだが、レムケ卿からの注進により舞い戻ったハルトウィンであった。
「食事を召し上がらないという話を聞きまして。なにかご心配事でも」
 はあ、とため息をつくラディム。
「二人きりなのですか?」
 ああ、と間の抜けた返事をハルトウィンはする。咳払いを一つ。約束を思い出す。
「......ラディム」
「なんでありましょう、おねえさま」
「何か、心配事でも。その、あれだ。相談したいことがあればな」
「父上のことです」
 ラディムが腕を組みながら、そうつぶやく。
 明日の朝を持って正式な使者を城内に派遣する予定である。もはや首都ミュットフルトにはまともに戦える戦力はない。このまま城壁を堅持しても、兵糧の限界がせいぜい一ヶ月というところであろう。華やかなる首都ミュットフルトが、飢えと流行病により、生き地獄となるのは目に見えていた。
 その際、問題となるのはラディムの父アロイジウス公爵の処遇である。
 ラディムを新たな公爵にする以上、その地位を剥奪することは絶対条件である。まあ、ゆるやかに禅定の形をとってもよい。問題は、その後アロイジウス公爵を含め、公妃などをどう扱うかである。
「冷たいようですが、当主アロイジウス公爵には死んでいただくしかないでしょうね。さすがに処刑、というわけにもいかないでしょうが。自裁をおすすめするというあたりが穏当なのでは。公妃もそれに準ずる形で」
 先程の会議でイェルドがそう提案した。戦略的にも常識的にしごくもっともな意見であった。それを無表情でラディムはただ聞いていた。
「父上にそれほど未練があるわけではありません。私自身も、恨みがないわけではありません。しかし――ここで肉親を簡単に処分できるようなふんぎりをつけてしまうことが――こわい。将来、信頼しているものが裏切った時に同様のことを感情に任せてしてしまうのではないかと」
 すっと頬を涙が伝う。そっと、鎧の内側から小さな包帯の布を取り出しその涙を拭くハルトウィン。頭に右手を乗せ。
「ならば――帝国法に従われればよろしいのでは。完全に死文化している内容ではありますが。
『城を明け渡す際に、降伏した主君は五十人の護衛の兵士及び帯剣と槍。十頭の騎馬。そして、三輌の馬車をもって城外に出ることができる。財産はその馬車に詰める限り持てるものとする。ただし、城門の鍵及び魔法術関係の護符はその例外とする』
 そのような内容があります。これでよろしいのでは」
「総参謀殿が納得するでしょうか?」
「あくまでも、申し出だ。それを決めるのは会議の結果だ。私からの提案ということで話させていただく。これからはラディムが主君だ。主君は自ら意見を言うものではない。最後に決定する、その権力だけをもつべきなのだから」
「立憲君主、でしたでしょうかおねえさま」
 うん、とハルトウィンはうなずく。
「ラディムがそれを目指すならばそれも良い。無理に私の理想に殉じる必要はない」
 激しく首を横にふるラディム。
「いえ......!わたしは目指したいです。おねえさまの理想のものを。おねえさまが私を支えてくれる限り!」
 その言葉を最後に、ラディムは声にならない嗚咽で涙を流し続けた。

 明日の朝に再び、公太子連合軍首脳会議が開かれた。ハルトウィンの帝国法に基づいた提案がなされ、全会一致でそれは承認される。イェルドがすこし苦笑いを浮かべながら。
「連合軍総大将として、その提案を承認する」
 公太子の印璽でレムケ卿が手早くしたためた、降伏文書に印を押した。
 昼に正式な使者が城内に派遣される。
 そして、程なくしてその使者は五体満足で、ラディムのもとに舞い戻った。
「お伝えいたします。公太子殿下の申し出にクリューガー公爵は配慮痛みいるとのことでした。全面的にその申し出を受諾すると――」
 立ち並ぶ諸将が歓喜の声を上げる。
 ここに完全に公太子とクリューガー公の内戦は終了する事となった――
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