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第2章 クリューガー公国との戦い

ラディム公太子

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 城塞都市『ドレスタン』への道。しかし、主力部隊はその手前でまた森の中に入り、宿営を開始する。そして、その森の先を進むのはたった三人である。
 ハルトウィンとカレル、そして商人の姿のままのイェルド。
 これはイェルドの示した策の一つである。
「......クリューガー公爵家はなかなか難しいお家事情にあります」
 この時代、家庭円満な貴族などそうそうはないだろう。特に名門の大貴族となればなおさらのこと。そこには財産や領地、名誉などありとあらゆる欲望が渦巻いているのだから。ハルトウィンは少なくとも自分がそういういさかいのない家庭に生まれたことを感謝しながら、イェルドの話を聞く。
「現当主、アロイジウス公爵は御年六〇歳。老いたりとはいえ、まだまだ血気盛んな方です。いろいろな意味で」
 イェルドの含みをもたせた言い方でハルトウィンはなんとなく察する。そういえば昨年くらいにクリューガー公国より結婚の知らせなどという、どうでもいい使者を迎えたことを思い出した。
「これで四度目の結婚になりますでしょうか。相手はお若い貴族の令嬢です。さて――実は二番めの奥方に男のお子がございまして――年は一四歳。お名前はラディム=フォン=クリューガー様と申します。公太子の位を頂いており、本来であればクリューガー家を継ぐべきお方なのですが」
 しかしよくある話だな、とハルトウィンはうんざりする。洋の東西、過去未来を問わず跡継ぎ問題のなんと陳腐なことか。
「つまり新しい奥方が、前妻の子を疎ましく思っていると」
 無言でうなずくイェルド。
「結果として本来ならば公爵家を継ぐはずの公太子、ラディム殿は辺地に追いやられてしまいます。あわれ......花と噴水の都ミュットフルトを遠く離れた、城塞都市ドレスタンへと。もっとも言い訳は立ちます。若き公太子に軍事的な経験を積ませるために、そのような土地に派遣したと。田舎とはいえ、軍事の要衝。公国の東部軍の本拠地でもありますからな」
 ざわざわと森の茂みをかき分けながら、進む三人。カレルはイェルドが先頭であることに、甚だ不満のようだった。
「まあ、そのあたりが、つけこむ隙もあるということで」
「ルーマン殿は、色々お詳しいことだ」
 ハルトウィンが剣でくさをはらいながらそうつぶやく。
「イェルドで結構。この戦いが終わったら家臣にでもしてもらいましょう。商人というものはとかく、世情の噂にうるさくなるもので......」
 ふと、足を止めるイェルド。右手で二人を牽制する。唇に左の人差し指を添えながら。
「......情報通りですな。ちょうど、『蜜の時』。公太子ラディム様の狩りのお時間です」
 目の前に広がる丘のような草原。狩りをするにはうってつけの地形である。
 その丘の上には三人の馬に乗った人物がいた。
 二人は屈強な兵士。
 もう一人はどう見ても少年であるが、風体から貴人であることがうかがい知れる。
「『マズーロ神』のご加護、ありがたく」
 イェルドがそう言いながら、右手を宙に切る。
 その少年、それはまさにラディム=フォン=クリューガー公太子――その人であった――
 ラディム公太子がゆっくりと弓をとりまわす。
 いつもの日課。体を鍛えるためにいつもこの時間に、この場所で狩りをしているらしい。それもすべてイェルドの情報であった。
 二名の騎士が年若い主君の周りを、ゆっくりと周回する。
 隙のない警護。少なくとも通常の弓矢や銃の射程距離には、誰も立ち入らせないという風である。
 しかし、ハルトウィンの側には彼らの知らない『魔弾』が存在する。
 魔法の結界も多分、張っているのだろうがそんなのはお構いなしである。『科学』の力は『魔法』とは別次元であるのだから。
 ハルトウィンが頷くと、銀色の長い髪が揺れる。
 それを確認したカレルが、茂みの中から細長い重心の銃を構える。眼帯をかけているのは別な目で、細長い筒をのぞき込む。幾重ものガラスの組み合わせと、直前に込められた火魔法術の効果で、三人がまるで目の前に見えるように近くとらえることができた。これもまた太古の『科学』の術である。
『私の策の肝は、ラディム=フォン=クリューガー公太子を生け捕りにするということ。彼の存在をうまく利用して、城塞都市ドレスタンを閣下の手に入れてしまうというものです。身柄さえ確保してしまえばあとは、いかようにでも......』
 薄気味悪いイェルドの含み笑いに、少なからず嫌悪感を抱いたものの、悪くないとハルトウィンは決断する。うまい具合に都市を手に入れられれば、いろんな意味で今後の展開が楽になることであろう。
 そのためにもまずは、護衛役の騎士を片付けなければならない。
 カレルはじっとその時を待つ。
 どうすれば、逃げられることなく公太子の身柄をおさえることができるのか。
 しばしの沈黙。
 それを破るのは銃声。そして、銃から魔法術の余波である、煙がたなびく。それが途切れた一瞬の後――
 まず一発が公太子の馬の太ももに直撃する。暴れる馬の上からバランスを失い倒れこむ、公太子。
 続けざまにもう一発。これで弾倉内の『魔弾』はすべて打ち尽くしたことになる。
 たった一発の銃弾が、手前の騎士の眉間を打ち抜き、そして奥の騎士の胸を貫く。イェルドの計画を聞いてから、カレルはこの練習を寝ずに練習していた。
 三人が倒れたことを確認して、ハルトウィンが馬を走らせる。すべてがうまくいっていたはずだった――
 しかし、胸を打ち抜かれた騎士がゆっくりと立ち上がる。そして腰の剣を抜き、あろうことか、その剣をゆっくりと引き上げ、垂直に公太子――ラディムの上に振り下ろそうと――
 剣戟。
 その音に、気絶していたラディムが目を覚ます。その顔のすぐ上には騎士の剣。それを必死で支えるのは――ハルトウィンの剣であった。
「主君を殺そうとするとは――なぜに!」
 とっさにハルトウィンがラディムをかばい、騎士の剣を受け止める。意外な展開ではあったが、まずは公太子には無傷でいてくれないと、今後の計画に差しさわりがあった。
「公太子殿!早く逃げよ!」
 ハルトウィンの大声にも、ラディムは反応しない。何が起こっているのかもいまいち、理解できないのかもしれない。
 地面に何度か騎士の剣を叩き落とす、ハルトウィン。かなりの使い手らしい。急所を外れているとはいえ、胸を『魔弾』が貫通して、なおこれまで戦えるとは。
 何度か剣を合わせる。ややハルトウィンの方が押されている感じもある。
 その次の瞬間、騎士の右手に鋭い弾丸が着弾する。『魔弾』ではない、カレルの放った通常の弾丸であった。貫通こそしないものの、右手の金属製の手甲に激しい震えが起きる。
 それを見たハルトウィン詠唱を唱えつつ、跳ねる。ハルトウィンの剣に宿る、火魔法術の力。
 そして、大上段から、騎士を袈裟に切り下す。
 火魔法術によって高温に熱せられた、鋼の剣は騎士の鎧ごとその体を切り裂いた。
 少しの沈黙の後、大きな金属音とともに騎士が地面に倒れこむ。
 ハルトウィンの詠唱。水魔法術により剣のほてりをさますと、すっと鞘にその剣を収める。銀の髪が広がる。まるでマントのように。
 それをじっと見ていたラディム。それに気づいたハルトウィンはすっと、腰を落とし挨拶をする。
「これは――クリューガー公太子殿。余計なお世話かもしれませんが、お助け申し上げました」
「そなたは――?」
 無邪気なラディムの顔。思わずほっとした感情があふれ出る。
「私は――私はゼ―バルト辺境伯ハルトウィン=ゼーバルトと申します、公太子。以後お見知りおきを――」

 
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