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第2章 クリューガー公国との戦い

野営にて

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「お疲れのようですね。夜具をご用意いたしますか?」
 カレルの声で”私”は目を覚ます。
 目を開くと、カレルが心配そうな顔でこちらを見ている。なりこそ、女性だが実際には男性。ハルトウィンの一番の信頼のおける家臣であった。
 ハルトウィンはどうやら椅子に身を預けたまま、夢を見ていたらしい。
 あまり良くない悪夢は、この椅子があまりにも硬すぎたからなのかもしれない。
 しょうがない、とハルトウィンはため息をつく。今彼らがいるのは、リーグニッツの城内ではなく、それを離れること四〇ファスト、街道を外れた森の中であった。

 先日訪れた、巡察使のユストゥス=ケーグル子爵。帝国の権威をかさにきつつも、実際は公爵の意をくむものであることは明らかであった。落ち目のゼーバルト辺境伯領を併合せんとする意図である。
 それを看破したハルトウィン。ユストゥスは返り討ちに合う。
 しかし――彼がクリューガー公のもとに戻らなければ――結局同じことだ。ハルトウィンに消されたことが明るみとなり、領土への直接侵攻を考えるに違いない。
 先手を打つしかないか――
 ハルトウィンの決断。動かせる兵はせいぜい百名程度である。しかし、ひと冬の厳しい軍事訓練と類まれなる新軍事技術によって、運用方法によっては十分以上に、クリューガーの常備兵と戦える状況になっていた。
 春一番の大麦の収穫を待ち、ハルトウィンは隠密に進軍を開始する。城門を閉じ、数名の守備兵のみを残し、あえて街道を避けてクリューガー公国領内への侵入を果たす。
 兵糧がそれほど豊かなわけではない。少ない攻撃で、もっとも効果的な戦い方を考えなければならない。本来ならばそれをこそ、出陣前に決定しないといけないのだが、それだけの余裕もなかったのが事実であった。
 森の中に結界を張り、兵たちを野営させる。
 ここで方針を決め、クリューガー公国と一戦し、相手の戦意をくじく必要があった。
 内政には優れた才能を持つハルトウィンであったが、こと軍事となると話は違う。特に純戦術的な内容になると専門教育は全く受けていないのである。
 カレルは前線指揮官としては有能であるが、作戦を考えるまでの段階にはまだ達していない。
 はあ、とため息をつくハルトウィン。
 とりあえずいま考えた作戦は、クリューガー公国一番の商業都市であるハレンスブルクを攻撃し、強力な武力を背景に降伏を迫り、占領の後に講和をクリューガー公に求めるというものであった。
 悪くはない、しかしこれがベストかと言われると......。
 ハルトウィンの悪癖が見え隠れする。
 自分が苦手と感じることに対して、決断を欠くという癖である。自覚はしているのだが、なかなか直せるものでもない性分である。
「なにか!」
 カレルの大声。腰のものに手をかけ警戒する。
 二人の天幕に――予期せぬ来訪者の告げがくだる――
「これは、夜遅くに失礼します」
 慇懃な声。その声に聞き覚えがあったカレルは、腰の剣をゆっくりとおさめる。
「ルーマン殿。深夜に何用か」
 ハルトウィンの気のない返事。敵ではないとはいえ、あまり会いたくない相手であった。
「いえいえ、スポンサーとしては借り主の動向は気になるもの。さらにそれに私の人生の成否もかかっているとあれば......」
 慇懃な態度をとる、小さな女性。年の頃は――若いのだろうが、いまいちはっきりとしない。服装から兵士でないことは明らかだった。
 彼女の名前はイェルド=ルーマン。ゼーバルト家出入りの商人である。ハルトマンが結構小さい頃から見知った間柄であるが、全く年を取らないのは不思議だった。人外、という話も聞いたことはない。
「どうかご心配なく。この戦いが終われば、お借りしたものは全額お返しできるだろうから」
 ハルトウィンはなるべく平静を装って、そう答える。先祖代々の品物や、亡くなった母のドレスまで売り払ったハルトウィンであったが、それでも遠征費には足りなかった。やむを得ず、彼女イェルド=ルーマンに借金を申し出たのだった。
 荘園の農地を担保に、かなり高い利息を覚悟していたのだが女商人イェルドはそれは求めず、ある一つのことだけを提案する。
『私を行軍に同行させてください。秘密は厳守します。身の安全の保証もなくて結構。捕虜扱いでも一向に構いません』
 あまりに大胆な提案。遊郭の付け馬ならわからないでもないが、行く先は戦場である。いかに自分の財産の行く末がかかっているとはいえ、思い切った話であった。
 最初は当然のごとく断るハルトウィンだったが、最終的には金主には逆らえず折れることとなる。
 イェルド=ルーマンは商人であるとともに、ちょっとした魔法術の持ち主でもあった。全く護衛をつけずに、この物騒な帝国内を行商して歩けたのもその能力があったからに違いない。
 そもそも、この世界は比較的女性の地位が高い。それは女性に魔法術の素養の持ち主が多いことに起因しているかもしれなかった。
 いざとなったときには、イェルドもゼーバルト軍の兵士として参加する、という証書を取ることによってイェルドの申し出を認めることとなった。カレルなどは最後まで不満そうであったが。
「お悩みのようですね。辺境伯閣下」
 下からじっとハルトウィンを見つめるイェルド。
「閣下はやめてくれ。大丈夫。勝てる算段は――」
「ハレンスブルクの攻略ですか?悪くはないですが、それでは絶対勝てないと思いますよ」
 声がでないハルトウィン。この女商人は、自分の脳内を読める魔法術を持っているのかと驚く。
「人間の考えていることは、表面化します。その人の行動だけではなく、周囲の人そしてその人の持っているもの、吐く空気の中にすら」
 机の上の書類を指差すイェルド。それは、ハルトウィンが殴り書いたメモである。ごちゃごちゃしていて、家宰であるカレルにも内容の判別がつかない代物であった。
「何度も書いては、消している。この図を見れば一発です」
 すっとハルトウィンは立ち上がる。左手の拳銃の中に込められている『魔弾』に魔法力を込めながら。
「その言葉、捨て置けないな。いかに見知りの、世話になっているルーマン殿とはいえ。説明を求めたい」
 並々ならぬハルトウィンの態度に、イェルドはうやうやしく礼をしてハルトウィンを見つめる。
 予想外の野営の夜の講義が始まろうとしていた――
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