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第1章 荘園の再興にむけて

錬金術師と『魔女の土』

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 舗装もされていない道、畑のあぜ道をゆく二人。馬の蹄の足音が、不規則に響く。
 馬上から、我が荘園を見渡すハルトウィン。オストリーバ神聖帝国の東方に位置するこの荘園は、気候も寒冷であり、当然主要な生産物、大麦の生産量もあまり振るわない。
 手綱を制して、ハルトウィンは地面に降り立つ。
 それを見計らうように、カレルも。カレルがその手綱を受取る。
 身をかがめ、畑の土にそっと手をやるハルトウィン。黒い塊となった土が、白い細い指の上で踊る。
「呪われた土。この土がある限り、わが領土は豊かにならない」 
 『魔女の土』。西の民からはそのように呼ばれている土壌である。肥沃な割にはあまり大麦が育つことはなく、種籾に対してせいぜい三倍程度しか収穫がない。
「かつて、この地域を荒らし回った魔女が勇者に成敗されたときに、この土壌に呪いをかけたと。結果、この土地から豊作がもたらされることはなくなったという話ですね」
 カレルの答えにハルトウィンはすっと、立ち上がり、手を払う。
「――しかしそれも、過去の話となる」
 遠くに見える、農民の姿。領主の姿を認め、農具を地面に置き、膝をついてうやうやしく礼をする老夫婦。
「待っていてくれ、もう少し待ってもらえば我が領民も豊かに生活することができるぞ」
 ハルトウィンの言葉に、傍らのカレルはただうなずく。
(ハルトウィンは間違ったことを言ったことは一度もなかった。たとえ間違っていたとしても私はあなたに絶対的な忠誠を誓います)
 カレルがそう心のなかでつぶやく。
 再びひらりと、馬に飛び乗るハルトウィン。銀の長い髪が空に舞う。凛々しいその姿は、この辺境の荘園にはそぐわない優美さを持っていた。
 馬が駆ける。
 農地を抜け、小高い丘の上にある石造りの大きな家――というよりは倉庫と言った雰囲気のある建物に二人は行き着く。大きな鉄の扉。もしかしたら城の門よりも大層な代物かもしれない。
 ハルトウィンはその前に立つと、目を閉じ右手の指輪を扉に掲げる。
 そして詠唱。
 帝国語ではない、古の言葉。
 それに応えるように、重々しい扉がゆっくりと開く。
 無言で家に足を踏み入れるハルトウィン。その後をカレルが追う。床は石造り――というか独特の灰色の石材に覆われている。こつりこつりと、二人の鋲の打たれた革靴の音が響き渡る。かなり広い部屋らしい。
 中は暗い。
 ハルトウィンはすっと息を吸うと、大きな声で問う。
「ゼーバルト辺境伯ハルトウィンである。突然の訪問失礼いたす。本日は”先生”にお会いしたく参上した。如何に」
 少しの沈黙。そして、暗い部屋が一気に明るくなる。
 思わず目を覆うハルトウィン。カレルが腰の剣の柄に手をかける。
 明るさにも慣れてきた頃合い、ハルトウィンは自分の前に人影を見る。
 身長の高い――若い男性の姿を。
「これはこれは、辺境伯様。このような汚いところに――」
 うやうやしく礼をする男性。無精髭が伸び放題で、髪もボサボサである。
 彼こそは――この帝国でも屈指の錬金術師と呼ばれる、『ザハール=アルセーニエフ』その人であった。かつては帝都オスト=ペシュトで皇帝の庇護のもとに、名声を恣にした大錬金術師。しかし、ある時忽然とその姿を消していた。
 一説には皇帝の忌避をかい暗殺されたとか、悪魔に魂を売り何処かで不老不死の研究をしているとか――様々な噂が流れていた。
 真実は、この辺境の地でハルトウィンの元である研究を行っていたのだった。
 それは、金を作るよりも、そして不老不死の薬を作るよりもアルセーニエフには魅力的なものであった。
「いい感じで出来ておりますぞ、辺境伯様。どうぞこちらに――」
 三年に渡る稀代の錬金術師の研究が、今披露されようとしていた――
 こつこつと階段をのぼる三人。螺旋状の階段で、それはどこまでも伸びていくような感じがした。さきほどこの屋敷を見たときは、そんなに高い屋根とは思えなかったのだが。
「こちらの部屋へどうぞ」
 階段の突き当りの一室をすすめられるハルトウィンとカレル。ハルトウィンは目でカレルに合図を贈り、ドアの取っ手に手をかける。ゆっくりと開くドア。匂いがする。それは土の匂い。そして――春の草原の爽やかな草の匂い――
 どこまでも、目の前に草原が続くような錯覚。これもザハールの魔法による錯覚なのだろうか。狭いはずの部屋が、まるで無限の広がりを持っているようにさえ見えた。
「どうぞ、お確かめを」
 地面を手で指ししめすザハール。先程と同じように、エルトウィンは土の地面の上に膝をつく。
「いい土だ。栄養も豊富そうだ」
  先程の『魔女の土』とはちがい、一面にびっしりと低い丈の草が密生していた。剣の先で、その草を掘り返す。中から出てくる土壌は――黒い土、『魔女の土』である。
「『魔女の土』自体は、農業に決して悪い土壌ではない」
 ハルトウィンはそうつぶやく。無言でそれにザハールはうなずく。長い髪とひげを揺らしながら。
「ただ決定的に足りないものがあるのだ――それは――」
 ザハールは空を指差す。それは――『窒素』。
 ハルトウィンの中世の帝国には『魔法』はあるが『科学』は存在しない。すべての不可思議な現象は『魔法』によって説明のつく世界であった。
 しかし、彼女の家には『科学』が伝わっていた。いつからなのか。それは城の奥深い書物室の中書物として納められていたのだ。
 そこに書かれていたのは『空中窒素固定法』。空気から、最も重要な化学肥料である『窒素』を取り出す方法である。
 その本によれば古代のある学者がこの方法を発表し、同面積の農地での生産性が十倍近く、アップしたということが記されていた。
 ならば――彼女は決断する。『科学』でなし得たことを『魔法』で再現してみせようと。
「私自身は、あくまでも”錬金術師”。魔法使いとしてのスキルは高いものではありません。そんな私でもようやく、実用レベルでの『窒素(シュティクシュトフ)』の生成に成功しました。辺境伯様にその可能性を教えていただいてから、三年近くかかってしまいましたが――」
 首を振るハルトウィン。
「いやいや、類まれな才能の錬金術師であるアルセーニエフ教授なればこその、功績だ――なれば実際に私自身の魔法術でその『窒素(シュティクシュトフ)』の生成を試させてほしいのだが」
 懐から、羊皮紙を取り出しザハールはそれをうやうやしくハルトウィンに手渡す。そこには古代ラテラン文字で記された詠唱――
 彼女の魔法術による『窒素(シュティクシュトフ)』の生成がここに、始まる――
 ザハールより手渡された羊皮紙をそっと開く。中にはびっしりと古代ラテラン文字と、数字が羅列されていた。
 目を閉じまぶたの残像に残った、詠唱を唱え始める。
 程なく地面からゆっくりと湯気が上がる。その湯気にいくつもの小さな稲妻が走る。ハルトウィンの詠唱する魔法による結果であった。それにザハールが金属の杖をそっと差し出す。
(......いわゆる電気分解だ......結果生み出されるのは『水素(ハイドロジェン)』。これを空中の『窒素』と反応させる)
 三人の目の前にゆっくりと火球が生じる。炎魔法による反応。金属の杖を巻き込み、それはどんどん大きくなっていく。
「高圧、高熱......魔法力の二次作用により、新たな物質が生み出されます。このような方法があるとは、錬金術を極めた私でも思いも付きませんでした」
 ザハールの独り言に、ハルトウィンはうなづく。それもそうだろう。これは『魔法』ではない。『科学』の力である。本に書いてあったとおりである。『魔法』ではなしえないことを、『科学』が実現しようとしていた。
 火球はゆっくりと収縮し、最後に大きな光を放ち消滅する。
 またハルトウィンの詠唱。その光を水の渦が覆いこむ。その水はザハールが手にしていた瓶の中に吸い込まれていった。
「この水が『魔女の土』を浄化させてくれます。この水を加工して乾燥させ土にまけば、それまで不毛の土地だったのが、これこの通り緑生い茂る大地に生まれ変わる――まさに錬土術ですな!」
 そう草原を両手を広げザハールは示す。
 ハルトウィンはそっと草を摘む。青々しい匂い。
 今はこの荘園、五〇〇人の口をなんとか間に合わす程度の大麦の生産力しかないが、それが一〇倍となる。少なく見積もっても、三〇〇〇人の人口を養うことが可能となるのだ。
 ハルトウィンはカレルから、羊皮紙を受け取りそれに署名する。最後には指輪による、封蝋。
「ゼーバルト辺境伯およびリーグニッツ荘園領主として、命ずる。偉大なる錬金術師ザハール=アルセーニエフを本荘園の農業代官に命ずる。その報酬は得られる農業生産物の二割。これを終身に渡って受け取れるものとする」
 破格の待遇。もし、一〇倍の生産が可能となれば、一〇〇〇人分の大麦を受け取ることができるのだ。
「今はこれが精一杯だ。よろしく頼む」
 それに対して、満足そうにハザールは頭を垂れる。
 これで、生産に関してはまずクリアできた。
 問題は――この周辺の状況である。いつ攻め込んでくるかわからない異民族、そしておなじ帝国の領邦でありながら虎視眈々と領土を狙う周辺の荘園――
 軍事面での改革が始まろうとしていた――
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