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第2章 桃園の誓い

リニーの戦い

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「で、町から歩いてきたと」
 ジャージに着替え、バスタオルでごしごしと頭を拭きながら、墨子はその質問にうなずく。
「いやー、まいっちゃったよ。ちょっと目を離したすきにバス出ちまうんだもん」
 バスは野生の動物みたいなものなのかな、という疑問が自然と奈穂の脳裏に浮かぶ。
「久しぶりに、いいトレーニングなってよかったけど」
「トレーニングって……バスで二時間だよ!歩いたら……」
「走ればすぐさ」
 にっ、と歯を見せて微笑む墨子。
(二時間×時速平均二十キロメートルとして……いかん、頭がおかしくなりそうだ……)
 その思考に割り込む、重々しい鐘の音。時間はもう、正午をまわろうとしていた。
はあとため息をつく奈穂。明日は入学式だ。面倒なことは明日にまわして寝ようかな、と思った次の瞬間。
「墨子さん、聞いたことあるわ。例の『選抜』選手だよね。中学の『ヘルト』級」
 『選抜』『ヘルト』。知恵の発する聞きなれない単語に、戸惑う奈穂。
 一方墨子は、その言葉に薄ら笑みをもらす。
「あんたもな、『参謀長』」
 混乱する奈穂。何やら中二病的な単語の応酬に悩ましいものを感じながら。
「一つ、入学前にお手合わせいただけますか?せっかく同室になったということもありますし。奈穂さんに、この学校の醍醐味を伝えたいところもありますし」
 墨子は無言でうなずく。
(えっ?寝るんじゃないの?っていうか私何も了承してないんだけど)
 二人はすっと立ち上がり、ドアのほうへ向かう。いつの間にか、ロックが自動ではずれドアが重々しい音とともに勝手に開く。
「早く、手ぶらでいいから」
 呆然としていた奈穂が手をつかまれ促される。まるで引っ張られるように寮の階段を登っていく。こつこつと夜の寮内に響く足音。
「あのさ……夜は寝たほうが……その、消灯時間だし」
「さっき、端末で許可を取った。入学前に『自習』したいと。管理AIからは『勉強熱心でよろしい』という、お褒めの言葉をいただいたよ。もちろん、宍戸さんの許可もとってあるから安心してね」
 しゃあしゃあと知恵が答える。
(『とってあるから』じゃないよね!相談して!)
 しかし、奈穂がその感情を言葉にする前に、知恵は歩みを止めた。
大きな扉の前にたたずむ、三名の未来の女子高生。恰好は寝巻とジャージの、何とも言えない姿であったが。
 軽く手首を、扉にタッチする知恵。瞬時に静脈生体認証がパスされ、扉が内向きに開く。
『自習室』という、非電源液晶札の名称が扉の上に見えた。
 部屋に入る三人。真っ暗な空間。
情報携帯端末を操作する知恵。次の瞬間、部屋の照明が一気に立ち上がる。
「……自習室なんで、ちょっと規模は小さいけど。まあ力試しってことで……いいかな」
 広大な空間。バレーコートなら、二面くらいはとれそうだった。
真ん中に置いているいかめしい機器が起動音を発する。
「望むところだ」
 墨子が奥のコンソールに移動する。それを見届けた知恵は逆側のコンソールに。奈穂はただその場に突っ立ったままで。
(おい!説明しろよ!この状況!)
「歴史対戦シミュレータアリストテレス=システム『イブン・ハルドゥーンVER3.5』ちょっと旧式だけど、二人くらいの対戦だったら、これで十分すぎるくらいだ。準備は?」
 無言で、親指を突き出す墨子。うん、と知恵はうなずく。
 呆然として事のなり行きを見守る奈穂に、画面越しに知恵は話しかける。
「この学校の教育の根幹となるシステム、『アリストテレス=システム』の真髄を見せてあげるね」
 そう言い放つか否か、まばゆいほどの光が目の前にあふれる。
 そして、戦いがはじまった——
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