この婚姻は誰のため?

ひろか

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「くそ!」

 インク壺が転がり絨毯に黒い染みを作った。
 王妃への報告会から数日後、あの日以来、弟の、クリスト殿下の行動に目が付くようになったのだろう、マティアスとは違い、政務も公務も当たり前のことを当たり前にこなす姿と評価に。
 カルラドからしたらやっと気づいたか、というところだが。

「マティアス様、お、落ち着いてください!」

 マリンは怯えフリスの後ろに隠れている。原因がシルク工房のことだと分かっているからか、涙目でマティアスから距離を取っていた。
「わ、私だって、シルクの勉強、がんばっていたのに……」


「カルラドどこに行っていたんだよ!」
 カルラドが政務室に入るとレナルドが縋って来た。
 男に縋られる状況に引き、片眉を上げる。

「なんだ、マティアス様はまだ荒れてるのか」
「見ればわかるだろ! 何とかしてくれよ」
 第一王子の"知"の言葉に大きくため息が漏れた。

「マティアス様、落ち着いてください」
「落ち着けるわけがないだろう! あのシルク工房は代々王妃が権限を持っていたのだぞ! それを、クリフトの!」
「それが何だというのですか?」

 マティアスは恐ろしい形相で振り返った。

「なんだと?」
「ですから、それが何だというのです?」
「お前……」

 胸倉を掴もうと伸ばした手をカルラドは掴み続ける。

「マティアス様、シルク工房は確かに王妃の管理のもと運営されてきました。しかし管理運営には王妃だけではなくこれまでも王女や、王弟婦人・・・・も関わってきています」

「そ、う、なのか」

 手から力が抜けた。

「ええ」
 にっこりといつもの笑みで、

「それにシルク工房は王家の、王となられる方・・・・・・・のものです。シルヴィア嬢が繁殖場に口を出したからと言って何だというのです」

「ふ……、そうか、そうだな」
「はい」

 告げたのは事実であり、それを都合よく解釈したのはマティアス自身。

 レナルドとフリスが大きく息をついた。

「ほら、マティアス様」
 慰めて下さいよ、とマリンに視線を送り、マティアスは、泣きそうな顔で大きなフリスの後ろに隠れていたマリンに手を広げた。

「マリン、すまなかった」
「マティアス様ぁ……」

 カルラドは抱き合うマティアスとマリンの姿に笑みを深くした。

「はー、助かったよ、カルラド」
「説得はお前の領分だろ、レナルド」
「いや、ボクはペンより重いものを持たないからね、荒れるマティアス様を抑えるなんて無理だよ」

 第一王子の“知”レナルドは、黙って机にかじりつき、黙々と書類を捌くことを好み、口は立たないため、外交や交渉事には向かない性分だ。
 常に第一王子の後ろに控え、自分の意見を言うことも通すこともないが、自分の思いを曲げない頑なところもある。
 マリンへの想いを抑え込み、マティアスを立てているが、マティアスよりもマリンを重視していることにもカルラドは気づいていた。






「カルラド、私はアンシェルを妃に迎えることにした」

 それはシルク工房の一件を納得したはずの、第一王子マティアスの言葉だった。

「……ど、いう、い、……ことでしょうか」
 動揺し、反応が遅れた。

「母上は、アンシェルが妻なら間違いなく立太子できると言うのだ」

 ギリと奥歯が鳴る。
 まだ諦めていなかったか、と歯噛みする。視察の報告会で王妃はシルヴィア嬢の出した資料がアンシェルのものと気づき、カルラドに視線を投げてきたのだ。

「マリンを、どうなさるのですか……」
「立太子と同時に側妃に上げる、安心しろ、愛しているのはマリンだけだからな。子はマリンに産んでもらう」

 固く握った爪が手のひらに食い込む。

「カルラドにはアンシェルを引き取らせたが、もう夫役から解放させてやろう」
「……」
「あぁ、婚姻の記録は白紙に戻すから、傷はない状態になる。しかし、まぁ、仮にも夫婦だったのだから、万が一、子が出来ていたら、魔術師の素質があるのならお前が引き取ればいいだろう?」
「……」
「なぁ、カルラド?」

「そうですね」
 カルラドはいつもの笑みを張り付け心を隠した。

「では、アンシェルはどこに迎え入れますか?」
「あぁ、そうだな、王宮の離れにでも入れてくれ」

「招致しました。準備ができ次第こちらへ向かわせます」
「頼むぞ」

 深く臣下の礼をとった。
 ゆっくりと顔を上げたカルラドはマティアスの背に向かって息を吐く。



 もう遠慮する必要はないな、この男には降りてもらおうか……。



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