この婚姻は誰のため?

ひろか

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「ね……、ジェンダ、あれから、カルラド様に会った?」
「んーん、棟も階も違うし、王宮じゃ会うことなんてないわよ?」
 見えても豆粒よ? にアンシェルは少し笑った。

「そう、よね」

 フォークを持つ手が止まる。

「あー、殿下たちってシルク工房の視察行ったらしいから、後処理で忙しい時でしょ? ほら王妃様への報告に」
「そんな時期だったわね」
 思い出すように呟き、カトラリーから手が離れた。

「ねぇ、ジェンダ、私、カルラド様と別れた方がいいと思うの」

 きた。
 その考えを内に秘めていたのは気づいていた。いつかは言い出すと思っていたからジェンダに動揺はなかった。

「今はダメよ」

 どうして、と顔を上げたアンシェルは、反対されるとは思っていなかったようだ。

「あなたのお父様、もともとこの婚姻に反対してたのは分かってるよね」

 こくりと頷く。
 
「王妃様もね」

 しばらく視線が揺れ、ゆっくりと頷いた。

「今、離縁すれば、ううん、したいってだけでも知られたら、あなたのお父様と王妃様はこの婚姻自体を白紙に戻すでしょうね。何もなかったことにして、そしてアンシェル、あなたは次期王妃として王宮に上がることになるわ。そうなると、お腹の子もどうなるか分からない」

 アンシェルにしては、そこまで考えが及ばなかったのか、息をのんだ。

「だから、もう少し、もう少しだけ待ってほしいの」

 アンシェルの瞳にまた潤むものが溜まっていく。
 妃教育から表情を抑えることを学んだはずなのに、カルラドと一緒になって感情のままにと、随分表情豊かになったものだと、涙を拭いてやる。

「この屋敷では私と母様があなたを守るわ、知ってるでしょ? うちの母様が強いの」
「うん、前魔術副団長だったね」
「バリバリ現役よ、ここにいれば必ず守るから」
「うん」

 笑ったアンシェルに安堵し、ジェンダは先ほどから気になっていたモノを指差した。

「ねぇ、アンシェル、あなたニンジン、食べれるようになったって言ってなかった?」

 そっと目をそらすアンシェル。

「カルラド様の前では、ちゃんと食べてたわ……」

 頬を膨らませる姿は少女のようで、皆が憧れる淑女とはほど遠い。
 そんなアンシェルの頬を指で潰してやる。

「ぶっ、もうっ」

 くすくすと笑い合う。

「食べな」

 しゅんと眉を下げたアンシェルにまたジェンダは笑いが止まらなかった。

 カルラドがしようとしていることは、今はまだ言えないから、言えることは『待って』と、だけ。




「見て見て! コレなんてどう?」
「マリンによく似合ってるよ」
「この色の方が似合うんじゃないか?」 

 こうして店に立ち寄るのは五件目。

「マリン、もう行こう」
 珍しく第一王子、マティアスが声をかける。

「えぇー」

 ぷくりと頬を膨らませるマリンにカルラドが声を上げる。

「どうしたのですか、マティアス様、視察が終わったのですから、ゆっくりさせたらいいじゃないですか」

 カルラドの腕に抱き着きそうだそうだと、こくこく頷くマリン。

「いや、早く戻って、報告書を書かねばならないだろう」

 珍しい言葉にレナルドが瞬きを繰り返す。

「報告書なら、オレとレナルドで用意しますから、マティアス様ももう少しゆっくりしてください」
「しかし……」
「マティアス様、ね!いきましょうよ!」

 マリンに腕を引かれ、店へと入るマティアス殿下を見送り、「珍しいな、マティアス様が、仕事の心配なんて」と、護衛騎士、脳筋フリスには気づけなかったようだが、今回の視察で、第二王子クリフト殿下とシルヴィア嬢に対する領主、領民の態度に気づくものがあったのだろう。


 だが、もう、遅い。


 カルラドはいつもの笑みを貼り付け、マティアスの後ろ姿を見つめた。

 視察からの帰路は、観光と買い物で行きの五倍の時間をかけての帰途となった。




 そして、王妃へのシルク工房の視察報告会は、マリンがレナルドとカルラドの作った資料をそのまま読み上げ、前回と同様、蚕の繁殖率、ホワイトシルク、パールシルクの生産を上げ、上期と比較し増加したことを伝えた。

「そう、虹色蚕が1割も増えたことは素晴らしいわ」

 王妃の言葉に第一王子マティアスにマリンも、自分の功績でもないことだというのに満足そうに頷いた。

「では、シルヴィア」
「はい、こちらをご覧ください」

「なっ」

 王妃へと渡された視察結果は、マリンに用意された資料の三倍もの量に思わず声が出るマティアス。
 王妃はちらりとカルラドに視線を向け、シルヴィアの資料を手にした。

「こちらは、藍蚕の餌である青イチゴの葉についてですが、昨年になって藍色の濃度に影響が出たのは、北から輸入された餌である可能性があることが分かりました。昨年は二割、今年は三割、北から青イチゴの葉は輸入されています。餌は自領のものと同じ蔵で保管されていましたが、北の餌だけを与えたと思われる養殖場が一件。こちらが、その藍蚕のシルクです」

 木箱から取り出されたのは、美しい光沢を持つ真っ青なハンカチだった。

「お、おぉ、これは……」

 王妃が腰を浮かせた。
 シルヴィアの説明が続く中、王妃はハンカチの手触りを確かめ、光にかざし、シルヴィアの言葉に満足げに何度も頷いていた。

「──ですから、まだ濃度の安定には改良が必要とのことですが、来年は輸入餌を増やすことと共に、北と国内の青イチゴ品種の違いについても調査を行っていくことが決まっております」

 そう締めくくり、シルヴィアが美しい礼を取り第二王子クリフトの隣へと下がった。
 満足げな顔のクリフト殿下と、拳を震わせるマティアス殿下。

「ふっ、ふふふ、シルヴィア、そなたがアンシェルの後を継ぐというのね、ふふ、いいわ! わたくしの工房はシルヴィアに任せましょう」

「そんな!」
「お待ちください! どうしてですかっ! シルク工房は代々王妃が引き継いできたものですよ!」

 マティアスとマリンを無視し、王妃は告げる。

「シルヴィア、そなたの手で王家の藍、ロイヤルブルーの復活を叶えなさい」

 シルヴィアは深く腰を折り王妃の言葉を受けた。

「お任せ下さいませ」





「ねぇ、ボクのシルヴィアは優秀だろう?」

 シルク工房の報告会の翌日、カルラドに声をかけたのは第二王子クリフトだった。
 周囲に視線を巡らせるカルラドに側の部屋を指差す。

「君がくれた姉様の手記、あー、はいはい、笑顔でおっもい魔力漏らさないでよ、息苦しいから。そうだね、もう姉様じゃなかったね」

 ごめんごめんって~と手を振るクリフト殿下。

「アンシェルの資料役に立ったよ、特に走り書きのメモがさ。彼女、とっくに餌の違いに気づいていたんだねぇ……、ねぇ、いいの? 兄上を裏切って、あぁ、違うよね、君は初めから兄上のことを利用してたんだったね!」

 面白そうに笑うクリフト殿下にカルラドは跪く。

「私は妻の残したものを無駄にしたくないのです」
「ふふ、いいよいいよ、ボクのシルヴィアがアンシェルの意思を継ごう」
「ありがとうございます」

 カルラドは深く、頭を下げた。

「──私、カルラド・クインディルは、クリフト殿下の盾となり、生涯の忠誠を、誓います」

 誓い言葉は呪となり第二王子クリフトとカルラドを繋げる。
 これはカルラド自身の命を懸けた制約。



「許すよ。ボクの盾、これからはよろしくね」



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