最弱で最強な人形使いの異世界譚

大樹寺(だいじゅうじ) ひばごん

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一八二話

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SIDE 子ワーウルフ

 群れの集落を大きく移動するのだと、その子はそう父から聞かされた。
 理由は知らない。だが、父がそう言うのなら従うだけだ。
 その子の父は群れの長だった。
 長の決定は絶対だ。それが群れの習わしであり、唯一にして不変のルールだった。
 だから、何も考えず、何も疑わず、皆で今まで住み慣れた集落を後にした。
 新たな新天地を求めて……

 それから沢山の太陽が昇り、沢山の月が沈んでいった。
 その子は多くは数えられなかったので、三を超えたらすべてが“沢山”になった。
 そんな沢山が過ぎたある日、その子は森の中で宙をひらひらと舞う何かを見つけた。
 最近は碌に遊ぶことも、ましてや美味しい物も食べられず、移動ばかりでつまらない日々が続いていた。
 誰もが口数少なく、ただ黙々と森の中を移動する、そんな日々。

 そんな中で、そのひらひらはその子の目を惹きつけてやまなかった。
 右に行ってはひらひら、ひらひら。
 左に行ってはひらひら、ひらひら。
 時には上に、時には下に。
 その子は夢中でひらひらを追いかけた。追いかけて、追いかけて……
 気付いた時には、周りから誰もいないくなっていた。
 
 急に不安になり、心細くなり、怖くなった。
 あおん、と一声、父を呼ぶが、返事は何処からもしなかった。
 あおん、と二声、母を呼ぶが、返事は何処からもしなかった。

 じっとしてると何かよく分からないものに押し潰されそうだったから、とにかく歩くことにした。
 多分、通ったであろう道を行く。
 が、歩けども歩けども誰に会うでもなく、同じような風景がただただ繰り返されるばかりであった。
 やがては歩き疲れ、その子は森の中で一人、いつの間にか眠りに落ちていた。

 気付けば、群れからはぐれてから沢山の日が過ぎていた。
 喉の渇きは普段は口にしないような泥水を啜り、飢えはよく分からない何かを口にしながら、どうにか凌いで来たが、それも限界に近づいていた。

 碌に生き方も知らず、狩りも出来ないような幼子が一人。何も無い森の中に取り残されていれば、それも然もありなんであった。
 しかし。
 幸か不幸か、そんな幼子の前に人族の一団が通りかかった。スグミとセリカが捕らえた賊の一団である。
 その一団が自分を見て、何か話しているのは幼子にも分かったが、生憎と人の言葉を知らなかったので何を話しているかまではわからなかった。
 何にしても、幼子からしたら見知らぬ部族の者達だ。
 父からは、一族以外の部族のことは信用してはいけないと、そう常々教えられてきた。 
 特に、人間は絶対に信用してはいけないと。

 だから、幼子もその者達を追い払おうと牙を剥き懸命に威嚇をするが、既に立ち上がることすら儘ならぬ体では、碌に抗うことすら出来ずに捕らわれの身となってしまった。
 そして、臭く汚い袋に詰められ、何処とも知れない所と連れて行かれたのだった。

 ただ日に一度、本当にクズのような肉片と僅かな水を与えられたのは幸運だったといえるだろう。
 これは別に、賊共の善意などではなく、単に死んだら腐って持ち運びが困難になるため、死なない程度に生かしていた、というだけのことである。
 だが、それで幼子が命を繋ぎとめることが出来たのは間違いないことではあった。
 
 攫われた最初の内こそ、暴れたり吠えたりもしていたが、次第に意識が遠のく時間が増えて行った。
 普段なら耐えられない様な酷い揺れの中にあっても、ふと気付くと意識を失っていることが多々あった。
 幼子は死という概念を理解していたわけではなかったが、それでも、なんとなく……
 もう一族の者達とは会えないような、そんな気がしていた。
 しかし、幼子は諦めなかった。
 幾度も意識を失いながら、それでもたまに朦朧としながらも意識が覚醒した時には、それを手放すまいと必死に抗った。

 そして、ふと何かを感じた。それは、濡れているような感覚だった。
 主に口周りの毛が水分を含み、少しひんやりする。
 雨にでも打たれているのかと思った。だが、どうにも違うようだった。
 何故なら、濡れているのは口の周りだけだったからだ。
 僅かに口の中に流れ込むそれが、舌の上を伝うと、微かに甘いような、だが少ししょっぱいような、そんな不思議な味が口の中に広がって行った。
 するとどういうわけか、何故か今までまったく力が入らなかった体に不思議と少しだけ力が湧いて来た。
 今度は偶然ではなく、自力で口の周りを舐めとる。
 またしても口の中に広がる不思議な味。しかし、決してマズイわけではない。
 一口、二口と舐めとる度に、体から湧き上がる力が次第に強く大きくなっていくように感じた。
 
 そして、今まで重く開けられなかった瞼を、ゆっくりと開く。
 初めは視界がかすみ、何も見えなかったが次第にもやが晴れると、そこには自分を攫った者の姿があった。

 実際に幼子が目にしたのはセリカの姿だったのだが、人間族の区別などつかない幼子にとって、それは大した違いではなかった。
 幼子は、力の限りを振り絞り立ち上がると、近づくな、と牙を剥き威嚇する。
 しかし、それに臆することなく攻撃・・をしようとしてきたので、幼子は全力で噛みついてやることにした。

 しかし、その小さな牙では相手の厚い皮を穿つことは出来ないようで、何度噛みついても一向に怯む様子がなかった。
 それでも諦めずに、何度も何度も牙に力を込める。

 男なら、何があっても諦めるな、というのが父からの教えだった。だから、父の教えを守り、子ワーウルフは何度も噛みついてやった。

 その甲斐あってか、ようやく敵が手を引いた……と思いきや、またしても攻撃をして来たので、また噛みついてやった。
 するとどうだ、不思議と先ほどのような硬さはなく、むしろ柔らかい何かに牙が食い込む感触が顎に伝わって来た。

 これなら牙が通る、と幼子は必死になって敵に牙を突き立てる。
 ガジガジ、ガジガジ、ガジガジ、と。
  
 するとどうだ、ふと、口の中にえも言えぬ不思議な味が、口の中いっぱいに広がっているのを幼子は感じた。
 驚き、つい牙を敵から離してしまう。
 何か変な物でも口に入れたかと思い、舌に意識を集中し、口の中を舐め回す。
 それは、今までに口にしたことがないような味がした。だが、肉であることはなんとなく理解した。
 今まで自分が口にして来た肉とは、似ても似つかない味ではあったが、それでも不思議と肉だということは何故か分かったのだ。
 その中に、懐かしい乳の味が少しと、乳に似た何か……

 それは決して不味いということはなく、むしろもう一度食べたくなるような味がした。
 ……要は、とても美味しかったのだ。

 幼子は、特に動くでもなく、ただただこちらに手を向けている敵を見る。
 正直、あまり近づきたいとは思わない。だが、今、口にした物が何なのか、それを確かめたいという欲求もあった。

 幼子は恐る恐る敵へと近づくと、その手の匂いをすんすんと嗅いだ。
 口の中からの匂いと同じ匂いが、目の前からもした。
 たまらずガブリっと、幼子は敵へと噛みついた。途端、口の中に広がるあの不思議な味。
 口の中に入った何かを、モチャモチャと転がし、ごくんっと嚥下する。
 
 それで幼子は確信した。目の前のこの獲物・・は美味しいのだと。
 おいしいのなら仕留めなければならない。
 それが本能というものなのか、気付けば幼子は獲物を狩るために全力で飛び掛かっていた。
 幼子の中では、最早、目の前にいるのは自分を襲う敵などではなくなっていた。仕留めるべき獲物なのだ。
 とても美味しいのだ。

 獲物が自分を引き剥がそうとするが、しがみ付いてそれに耐える。
 が、体格差は如何ともし難いものがあり、あっけなく幼子は得物から剥がされ地面へと降ろされる。
 幼子がもう一度襲い掛かろと身構えると、獲物が自分の目の前に何かを置いた。
 一応の警戒はしつつ、置かれた物の正体を探ろと、鼻を近づける。と、目の前の何かから、先ほどの“美味しい”の匂いが漂って来た。

 長いこと碌な食べ物を食べていなかったこと、そして耐えがたい空腹も相まって、一も二もなく幼子はその何かに飛びつき、親の仇のように貪るように食い散らかした。
 
 そんな勢いで食べていれば、当然大した大きさでもない塊は、瞬く間に幼子の腹に収まり消えてなくなってしまった。
 残るは堅い器のみ。舐めても何の味もしない。全然、全然足りていない。

 視線を上げると、そこにはあの美味しい獲物がこちらを見ていた。
 下を向けば、カラとなった器が一つ。
 
 獲物を襲ったら、美味しいが出て来た。
 故に幼子は、この美味しいが、相手から自分への降伏の品であると、そう考えた。
 つまりそれは……自分が敵との戦いに勝ったということだ。

 戦いに勝った者は、敗者からご飯を奪える。父から聞いた話だ。
 父はそうして力を示して、一族の長になったことを幼子は知っていた。

 強さこそが絶対の理なのだと、それがこの世の摂理である、というのが彼らの常識だった。
 俺はお前より上! お前は俺より下!
 幼子は、セリカとの関係をそう理解した。だから……
 もっとよこせと、また襲ったのだった。自分の力を誇示するために、そしてお腹を満たすために。
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