上 下
22 / 24
第一章

第22話 痴話げんか

しおりを挟む
 ◆◆◆


 職員室のある管理棟を離れて寮に向かうと、部屋にはすでに《シルビア》がいた。

「ただいま」
「あ、おかえりー……じゃなくて!」

 俺の発した「ただいま」を聞いた瞬間、ぷんすかと怒りながらやってくる彼女。
 今は弟たちもいないようだ。カナとも一緒じゃないのか……当たり前か。
 俺はそんな師匠などそっちのけで、ここに帰ってきたことを改めて実感していた。


 この大学には、Sクラスの生徒で、希望者には少し広い個室の寮が与えられるという規則がある。希望者というのは、生徒の中には自宅から通う者もいるという意味だ。

 庶民派な貴族ならともかく、この世界の貴族は基本的にリッチな生活を好むのだ。誰が言ったのかは忘れたが、寮生活など、言葉からして見窄らしいとさえ言っていた。

 俺も家を持っていないわけではないが、学校の寮にいるかぎり補償されるものが多い。おかげで俺は入学して一年も経っていないが、こうして素晴らしい環境で学生生活を過ごしていた。

「弟子くん? どうして逃げたのかな?」
「まあまあ。荷解きが終わったら聞きますから」

 師匠は「……もう」とふてくされてしまった。

 無理矢理会話を終えたところで、俺の寮室を軽く紹介しよう。

 まず、玄関の右手には浴室とトイレがある。
 バロックに大きな噴水があるように、この国は水道の技術に優れていて、簡易的なシャワーもある。浴槽はなかったので、手頃な木を切ってそれっぽい風呂を作ってみた。檜風呂というやつだ。


 浴室の少し奥に行って左側、そこは仕事部屋だ。

 この部屋に少し広い木製の机と革張りのイス。そして、壁の三分の一ほどの面積を占拠する大きな本棚。その三つが、この部屋を構成している要素だ。
 それでも空きスペースの多い本棚には、歴史本、魔導書グリモワール、レポートなどがまとめられている。

 本棚以外の物は自分で買った。
 学校の用意するものは派手な装飾が多かったので気に入らなかったのである。まったく、いくら貴族向けの学校といえど、王室顔負けの金ピカな椅子になんぞ座るものか。
 

 部屋を出て短い廊下を真っ直ぐいくと、正面と右側に、ドアが二つ設置されている。
 右の部屋は寝室兼武器庫だ。
 ドアを開ければ、無視できない存在感を放つキングサイズベッドが構えている。

 武器庫、というのは文字通りの意味だ。
 大きいクローゼットには、俺の愛用する冒険者やボスとしての装備──主に太刀や打ち刀、拳銃、スナイパーライフルなど、俺の趣向に合う装備品が多岐にわたって収納されている。

 西洋剣は嫌いなのだ。ああいうは刺す武器だから、フィクションのファンタジーのようにモンスターをばったばったと斬り伏せることができない。

 この世界の剣も大概エストックやらレイピアやらが多いし、ただの鉄板に取っ手をつけたもので、叩いて攻撃するものもある。それを魔力で覆って強化し、無理やり斬ることが剣術だと言い張る流派もあるそうだ。

 その点、刀は好きだ。刀は自分で作っている。
 無駄のない設計で実用的。作り方を知る者もいないので市場に卸せば高く売れる。俺でも使いこなせる。

 何より美しい。

 ……ああ、冒険者稼業については、必要があれば語るかもしれない。かれこれ11年以上、冒険者として日銭を稼いでいたからな。


 正面の部屋はリビングだ。
 大きめなテーブルと、ベッドの代わりにもなりうるサイズのソファ。……ダイニングキッチンではあるものの、他にはこれといって特徴もない、ただただ広いだけの普通のリビングである。

 イメージで言うと、2LDKのマンションのような間取りだ。

 ……よし、部屋が荒らされた形跡はない。
 さすが俺の弟たち。言いつけをしっかり守ってくれたようだ。

 もちろん、俺の部屋を荒らそうとするのは弟妹ではない。

 この学校の生徒はたいてい俺のことを嫌っている。
 理由はいろいろあるが、大方、特別なスキルはおろかまともな力も持っていないくせに、この学年のトップにふんぞり返っている俺が気に食わないのだろう。


 そのため、俺はよくされるのだ。

 闇討ちはおよそ月に二回は行われる。割とオープンないじめもあるし、それらは今後も続くのだろう。先程、あの貴族が呟いていた「歓迎」はソレだ。きっと今夜にも俺の歓迎パーティーが開かれる。

 一度だけ侵入を許してしまい、この世界についての研究のデータを盗まれたことがあったのだ。さほど重要な資料でもなかったのでよかったが。
 カナや将馬も巻き込まれたことがあった。たった一度でそれ以降はないが、あのときは俺も本気で怒っていたと思う。

 ともかく、俺の周りにいる人間は大抵巻き込まれてしまう。

 変なことに巻き込まれていないだろうか。
 受験勉強は邪魔されていないだろうか…………勉強もあまり見てやれなかったのに、俺のせいで落ちてしまったら……二人の兄である資格がない……。
 なんでもいい、何か二人のために出来ることはないだろうか。勉強だけではない、生活や精神的なサポートが、もっとあるはずだ。

 思い浮かぶのは、一緒に俺の元へ走り寄ってくる弟たちと──それを遠くから見守る両親。


 ああ、分かっているとも。
 俺の事情も、二人の受験も関係ない。


 両親のことだけは伝えなければならない。


 ……両親のことも、できる限りのことをしよう。
 俺を拾ってくれた、大切な恩人だ。

 カナ曰く、俺は高純度のブラコンとシスコンを4:6でブレンドした廃人──ブシコンらしい。ちょっとシスコンに寄っているようだ。

 もちろんブシコンとはカナの造語である。彼女のワードセンスを独特だと感じるのは俺だけではないはず。

 そこまで結論づけた俺は、リビングにあるソファにかけて荷物を整理していた。


「……で、なんだっけ?」

 俺は横目で師匠を見ながら、かなり遅いが返答した。
 帰ってくるなり、師匠は何か言いたげな態度だった気がする。
 気のせいだろうか。気のせいであってほしいが。

「『なんだっけ?』じゃないってば。なんであのタイミングで逃げたのかってことだよ」

 ……どうやら気のせいではなかったようだ。
 さすが俺、きちんと覚えていたね!

 そして。

「いやぁ……あ、串焼き食べます?」

 堂々と話題と視線を手元の串焼きに誘導すると。

「いいの? やった! ありがとう、弟子くん!」

 ……彼女は文脈を忘れて串焼きを受け取った。

「いえ、大した用件じゃなくてよかったです」
「……せっかく私が不問にしてあげようと思ったのに」
「あ、そうなんですか」

 いずれにせよ、もう終わったことだ。
 とりあえず《シルビア》にはメイド服を着てもらって、弟子くんからご主人さまに呼び方を変えてもらわねば。


「それと弟子くん? これは何かな?」

 ……顔が怖いよ《シルビア》さん。
 俺が何をしたって言うんだ………………あ。

「メイド服です」

 ……あれ、ちょっとスカートが短くないか? いや、見る側としては気になるほどじゃないんだが、本人がどう思うか……。

 ──いや、これがいい。これを着て給仕する彼女を想像してみろ、日々のストレス解消にもってこいじゃないか。

 コピーは即答だった。
 いや、まあ……確かに。
 そうだな。もうたまらないものがある。ありがとう、よくやった俺。

 
「誰の?」

「師匠の♪」


 次の瞬間、師匠が顔を赤く涙目になりながら何かを俺に投擲した!

 無垢な乙女の殺意がこめられたそれは、俺の頬をかすめ、ソファの背もたれに突き刺さった。


「ぜっ、ぜったい着ないからね!?」
 飛んできたのは、師匠が食べていた串だった。
しおりを挟む

処理中です...