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第一章

第20話 《ヒットマン》の日常①

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 ◆◆◆


 二人の喧嘩はあれだけには収まりそうになかったので、半ば強引に引き分けという形で終わらせた。

 あのあとカナの退院許可があっさり下りたので、一度《シルビア》の家で一晩明かし、早朝からスキル大学へ移動を開始した。

 道中、運良く同じ国へ向かう馬車の一行を発見した。国境を越えるため少し高い駄賃を払うことになったが、この足で丸一日歩くのは流石に厳しい。

 ……結局、大金貨5枚が消えていった。日本円にしておよそ5万円である。
 
 ちなみに金には様々な種類があり、もちろん国によって異なる。
 日本の円に換算すると、大抵の国では大金貨が一万円、小金貨が五千円。大銀貨が一千円で、中銀貨は五百円、小銀貨は百円。大銅貨が十円、小銅貨が五円ほどの価値を持つ。

 初めて知ったときはもっと大まかな金額設定かと思っていたので驚いた。貨幣の偽造も、その場凌ぎか本気で頑張らない限りはほぼ不可能だと感じた。
 付け加えると、ダイル王国では金の単位が1ディールと表記される。


 ……と、まあそんなわけで、俺たちは予定の到着時間を大幅に短縮できた。


 現在、昼の13時。ここはオフィーリア王国という、大陸の面積のおよそ四割を国土とする大国。そしてその首都バロックだ。

 まだスキル大学のあるフリードまではあと七キロほど離れているが、この分なら遅くとも14時には着くだろう。


 バロックは大国の首都にふさわしい街である。
 街の住民は活気づき、昼間はほぼ毎日、少し大きな広場のあるところで耳触りのいいクラシックやらジャズやらが聞こえてくる。

 街の景観も素晴らしい。
 この国の住民は芸術センスに富んでいるらしく、ゴシック建築の様式になんとなく似た教会や、それこそバロック建築のような教会などがある。

 貴族のものと思おぼしき庭園や噴水も、民間人が自由に……まあ入場料などはそれなりの額を取るが、空間に静止する美しい噴水を楽しむこともできる。
 その光景はまさしくバロック彫刻さながらであり、初めて来たときは日が暮れるまでずっと眺めていた。

 何度もしつこいと思うが、バロックの名に恥じぬ、素晴らしい都市だ。
 よく授業を抜けて散歩に出かけたものである。

 芸術の街、バロック。
 俺がスキル大学に通い続けているのも、ある意味この街が近いからと言える。


 …………だというのに。

 俺はそれらの感動に胸を震わせることもなく──挙げ句の果てには、ため息を一つ。

 原因も一つだ。そして、二つ目のため息が肺のなかで着々と製作を進めている。

「まったく。……師匠もカナも、もう少し仲良くできないものだろうか……」

 俺が半分呆れながらそう言うと。

「君は難しいことを言うね」「ボクにはちょっと難しいな」

 ほぼ同時に答える二人。
 ……息はピッタリなのだが。

 俺は師匠に白い目を向けて言った。

「二人の人間関係にとやかく言うのもおかしいけどさ……少なくとも《シルビア》は仕事だろ? 最低限の働きはしてもらわないと困るぞ……」

「仕事が終わっても通わせてくれる約束でしょ?」

 さらりと言ってのける師匠。
 ……同時に第三者からの視線が殺気を帯びる。

「伊吹ー? ボクそんな話聞いてないんだけど?」

 割と低めなトーンでゆっくり言われると、そのボーイッシュな外見も相まって、ちょっと言葉の圧が変わってくる。

「あれ……言ってなかった、ですかね?」
「ですよ?」
「すみませんでした……」

 カナの射殺さんばかりのプレッシャーを乗せた相槌に、俺はただ一言謝ることしかできなかった。


「…………」

 ひたすらに沈黙。
 空は快晴、人も生き生きとしているのに、俺たち三人の周りだけ負のオーラ的な何かが渦巻いている。

 ……ちょっと頭が痒くなってきた。
 ポリポリと頭を掻く。

「なあ、二人とも」
「「ん?」」

 息苦しくなった俺は二人にある提案をした。

「俺、ちょっと雑用片付けてくるから。二人で自由に遊んできてくれ」

「「へ?」」


 俺は義足であることも忘れ、本気も本気で走り出した。


 ◆◆◆


 バロックの街を歩く。
 久しぶりにここに来たので、今日はいつもの散歩コースを回ろうと思う。

「こんにちはー」

 近くにある果物の露店に来た。
 店を構えるおばさんに挨拶し、商品を見比べる。

 この店にはよく通うのだ。品質が高い。

 こういう場所は、使命も役職も、全部忘れて素直に楽しむことができる。俺にとっては、数少ない憩いの時間とも言えるだろう。

「こんにちは、ヴィル。旬のりんごでも食べるかい?」

 まとめて置かれたりんごに目をやると、確かに旬という感じがして、とてもおいしそうだった。

「うん。じゃあ……五つください」
「まいど。すっかり常連さんだ、安くしとくよ」

 中銀貨を一枚渡し、さっそく一つかじってみる。

「シャクッ……(シャリ、シャリ、ゴクン)……ああ、おいしいよ。ありがとう」

 端的に率直な感想を伝える。

「そうかい。目の前でおいしいって言われちゃ、あたしも仕入れた甲斐があったってもんだよ」

 残りの四つをカバンにしまい、もう二口ほど食べ進めてから、俺はここを去ることにした。

「また来る」
「ヴィルヘルムくん、大学も頑張ってね!」

 愛称もなれないが、こうしてフルネームで言われると、なんだかくすぐったい気持ちになる。

「おー、ヴィルヘルムか!」

 いい匂いにつられてやってきたのは、精肉店の露店だった。

「久しぶり、おっちゃん。その串焼き二本くれ」
「まいどあり!」

 そう。この「ヴィルヘルム」という名前が、俺がこの世界の育て親から授かった名前だ。

 大学でも他のことでも、本体俺の表の名前は基本ヴィルヘルムで統一している。

 こそばゆい感情とともに、俺の中にこの名前を大切にしたい、という感情も芽生える。もちろん悪い気はしない。

 そんな気分すらも味わうために、口の中でりんごを噛み砕いた。


 ◆◆◆


 散歩コースも中盤に差し掛かり、俺は人気ひとけの少ない路地裏に入った。

 整備こそされているものの、苔の生えた水路。日の当たらない場所にも関わらず洗濯物がかけられており、細い道の傍わきには壊れた家具やゴミが散乱している。

 こういう顔を見せるのも、俺はバロックの魅力の一つだと感じている。


 だが、俺がここに来る目的はそれではない。


 そのまま薄暗い路地を歩いていくと、折れて背もたれのない椅子に座る、四人の青年がいた。

「おい、ガキ」

 当然だが友人では無い。
 顔見知りでもない、初めましてだ。

「なんですか?」

 青年らの目的はわかっているが、素知らぬふりをして対話に応じる。
 なぜなら、俺の目的も同じだからだ。

 四人の中で一番座り方が野蛮な男が、俺の元へ少しだけ近寄って言った。

「いいモン着てんじゃねえか。俺ら今寒いんだよ、全部脱いで置いていけ」

 まあ、そういうことだ。


「おっ、剥いちゃう~?」
「いいねー」

 周りの連中も口々に同調する。
 要するに、チンピラである。

 ……誤解を招きかねないので断っておくと、チンピラに剥かれるために来たわけではない。むしろそんな上級者ド変態がいてたまるか。

 そして、俺もこんなチンピラ如きにまともに対応してやるはずもない。

「ほう? 誰が誰を剥くって?」

 そう言って俺は、着ていた長袖の裾を捲った。
 チンピラたちはそれを見て、この後の展開を予想できたらしい。

「見ろよあのガキ! 俺ら四人相手して喧嘩ふっかけようとしてやがる!」
「ギャハハハ! バカじゃねえの!?」

 大義そうに椅子から立ち上がり、残る三人がじりじりと距離を詰めてくる。
 そのペースに合わせ、俺もスタスタと近寄った。

 チンピラの特徴としては、中学二年生くらいの背丈の姑息さが顔に出ている黒髪のチビと緑の髪のチビ、やたら背中にある何かを気にする、顔が縦に長い青い髪のノッポが一人。

 そして。

「いい度胸じゃねえか。……気に入ったぜ」


 そう言ったのは、目つきの鋭い赤い髪の男。
 一番座り方が野蛮な男、と言ったが、こうして近くで見るとかなりの大男だ。ラグビーでもやっていそうなガタイをしている。

 ……一つ気になることを挙げると、全員が酷く消耗している。
 これでやり合うつもりだろうか。

 ──そんな俺の胸中など男たちは知るよしもなく、チンピラーズは少し間を置いてから、俺を挑発した。

「ガキ。先に一発だけもらってやるよ」

 身長差から見上げると、赤い髪は余裕綽々の不敵な笑みを浮かべていた。

「こりゃ傑作だ! あいつ、子供のおままごとに付き合ってやるつもりなんだと!」

 緑のチビが囃はやし立てると、ほかの二人は盛大に吹き出した。


 自分の眉がピクリと動いた。

 こうして見下ろされていると、どうしようもなくイライラする。

「はあ。俺はただ、ストレス発散に来ただけなんだが、ちょっとは抵抗してくれよ?」

 じゃないとつまらん。

 そう言って下から見上げ、俺も挑戦的な笑みを見せつけた。


「ああ? テメエ、ナメてんじゃねえぞ!」
「クソガキがッ、どうなっても知らねえからな!」
「お望み通りにぶっ殺してやるぜ!」
「荷物置いてけば、命だけは取らないでおいてやろうと思ってたのによお!」

 四人のチンピラが一斉にキレだした。文脈と礼節を懇切丁寧に説明してやろうかとも思ったが、取り合うだけ無駄だ。
 知能も沸点も低い。だからこそストレス発散に丁度いい。

 俺はさらに挑発した。
 こういうのは相手の激情を真っ向からへし折ってやるから楽しいのだ。

「命だけは、ねえ。……ガキ一人殺せないチンピラ風情が、イキるのも大概にしろよ」

 あまりに滑稽だったので、込み上げる笑いを抑えられなかった。

「「あ゛あん!?」」

 盛り上がってきたな。
 そろそろいい頃合いだろう。

 俺はこの一言でもって、かつての日課とさえなっていたチンピラ狩りの開戦を宣言した。



「弁えろよ、雑輩」



 ◆◆◆


 やろうと思えば一瞬だったが、それでははっきり言ってつまらない。これは娯楽なのだ。
 俺はじっくりゆっくりと連中を可愛がり、結果として目の前には四つのボロ雑巾が転がっている。

 いい運動をしたな。
  もう14時半か。そろそろ寮へ戻ろう。

 そうして散歩コースに軌道を修正しようとすると、後ろから掠れた声がかけられた。

「ま、待てや……」

 赤い髪の大男だ。
 こいつはなかなか骨のあるやつで、ほかの三人は五分と保たなかったが、お遊びとはいえ十五分ほど耐えてみせた。

「なんだ? 悪いが、病院まで送るほど優しい子供じゃないぞ」

「ンなこたぁ分かってるよ。……あんた、噂のチンピラ狩りか……?」

 なんだ、知っていたのか。
 きっと途中から気づいたのだろう。バロックだけでも、かなりの数のチンピラだの暴力団だのを片付けてきたからな。


「そうだ。これに懲りたら、真面目に仕事で稼ぐんだな」

 そう言って再び去ろうとすると、またも声がかけられた。

「さっきはすまなかった……オレが悪かった」

 ……おおよそ、何か用件があるのだろう。

「御託ごたくはいい。で、なんだ?」

 彼は、ああ、と痛みに喘ぎながら、やけに熱の入った声で言った。


「オレに……喧嘩を教えてくれ…………」


 ……ふむ。なるほど。
 俺の返事を待たず、彼は続けた。

「さっきの、あんたなら見てて分かっただろ……」

 全部俺に言わせようとしているらしい。
 断るつもりなのだが……。

 ……そうだ。
 もし彼が俺をその気にさせたらいいだろう。

 そう考えた俺は、青年の灰色に濁った目を見て言った。

「ああ。お前たち、少なくとも二日は何も食べてないだろ」

「その通りだ……さすがだな……」

 彼らがなぜ最初から消耗していたのか。見ぐるみまで剥ごうとしたのはなぜか。

 当然、見ぐるみを剥いでこの美少年ボディを手に入れようとしたわけではない。

 既に喧嘩をしたあとの二戦目、ということは考えられなかった。そこで勝っていれば今日の稼ぎは十分だろうし、負けたならとてもじゃないが、またやろうなどとは思わないだろう。

 なら、答えは単純だ。
 金がなかった。ただそれだけのことである。

「……喧嘩は金にならないぞ」
「だが力は金になる。……イテェ……オレはあんたに、喧嘩を教えてもらいてえ」


 ……力は金になる、か。
 確かに、その通りだと思った。

「いいぜ。俺もお前が気に入った。……一週間後、またここに来る」

 気が向いたら、彼を組織に入れてやろう。

 そんなことを頭の隅におきながら三度みたび、踵きびすを返す。
 そろそろ二人が待っている。お土産を買って帰ろう。

 後ろから、またも掠れた声がかけられた。

「……名前、聞いてなかったな…………オレはルージュだ」


 あんたは、と、今にも気を失いそうな弱々しい声の、ルージュと名乗る青年。

 チンピラ狩りはチンピラ狩りだ。俺は今まで、きちんと名乗ってこなかった。
 彼はきっと裏の人間だろうが、残念ながら俺の情報はゼロに等しい。

「真名しんめいは言わないぞ。ヴィルヘルムだとか、ボスだとか、使い分けている。……だが、そうだな……」

 本名か偽名かはさておき、彼はルージュと名乗った。
 であれば、俺もきちんと名乗るべきだろう。



「《ヒットマン》」



 それだけ言い残し、俺はまだ食べていない四つのりんごをハンカチの上に乗せ、ようやく歩き出した。
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