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序章 その男

第2話 プロローグ②

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 ◆◆◆


「ごめん、入るよ」


 ギギ、と建て付けの悪いドアが開く。
 ひょこっと可愛らしい顔を出したのは《シルビア》。ブルーサファイアのような眼に、ショートの銀髪で透き通る肌をした少女である。

「さっきからずっと変な音がしたけど、平き……えっ!? 大丈夫!?」

 綺麗な眼をぱちぱちさせて俺を見ている。
 俺は別段変わらないのだが。

「ええ、平気ですよ」
「全然平気に見えないよ!」

 平気に見えないらしい。そうだろうか?
 鏡を探そうと辺りを見回すと。

「すみません。確かに散らかしてしまいました……」

 ……確かに平気ではない。いや、尋常でなかった。
 鮮血が飛び散っている。いつか見た、グロテスクな拷問の現場のようだ。
 あとで掃除しないと。俺のせいで汚してしまった。

「本当に、すみませんでした」
「いや、何も責めてるわけじゃないけどさ」
 
 気を使わせてしまった。
 また他人に迷惑をかけた。失敗である。
 
「とりあえず…………ほら、こっちおいで。治してあげる」

 彼女はそういうと、俺が眠っていたベッドにかけて包帯類をポケットから出した。

「いえ、もう治ってるので、大丈夫です」

 治すというのは、この胸のことだ。

 一度叫んでからは覚えていない。
 気が付くと、彼女が入ってきていた。

 むしゃくしゃした。
 すぐにでも自分を殺そうと、必死に心臓を抉り出そうとしたのだろう。
 結果として、心臓も握りつぶした。
 それゆえに、この狭い地下室は今や殺人現場のように血が物騒な色で彩っている。


「治ってるって、どういうこと?」
「治ってるというか、交換したというか」

 ふむ……説明が面倒だ。助けてもらった礼もあるし、明かしても問題はないだろう。

「隠しても変わらないので打ち明けると、が俺のスキルです」


 俺は彼女に、自分の保有スキルについて、少しかいつまんで語った。


「本体と同じ性能の、魂だけが入っていない肉体を生成する。全身でも、臓器だけでも自由です」

「そういう肉体の在庫があれば、もし本体の身体が死んでも、魂だけがそのストックに宿る」

「もしストックが無いときに殺されたとしても、死の間際まで『生きよう』という強い意志のようなものを持てば、自動で新しい肉体を作り、勝手に魂が宿る」


 このスキルは事実上の不老不死にして、『死』という生物にのみ許された救済──最期にして最大の幸福を奪った元凶だ。

 断じて無敵のスキルではない。足掻こうと逃れられない呪いである。

 それが俺のスキルです、と彼女に告げた。

 きっと《シルビア》は。先日はストックがなかったから、命の恩人でもある。
 なるべく情報を開示しようと思った。

 まず、恩を返さないと。
 俺のせいで迷惑をかけてしまっている。


 唐突に、俺を見て《シルビア》は言った。


「全然、治ってなんかないじゃないか……」

「……君は平気じゃない。傷ついてる」


 言葉の意味が分からなかった。

 傷はもう癒えている。身体が元通りなのだから、痛みもない。健康である。
 ……疲れは少しだけ残っているか。

「いやっ、たしかに疲労はありますけど、完全に回復はしましたから」
「そうじゃなくて」

 彼女は綺麗に澄んだ青い目で、光の灯らないこの目を見て言った。

「肉体じゃない。君の『心』の話だよ」


 心?
 さっき、出会い頭にも自分で言っていたはずだ。大量殺人鬼にそんなものがあると言うのか。

 そんなもの────俺にはない。


「俺は平気ですよ」
「平気に見えないからこう言ってるんだ」
「時間が経てば、気にしなくなります」
「それは自分が正しいことをしたときだけだ。君のはそれじゃない」


 自分の声に、どこか投げやりな気持ちが混じる。


「感情なんて気分です」
「その通りだ。君の気分は最悪だろう」
「気を紛らわすくらい雑作もないですよ」
「紛らわす? そんなもの、ただの虚勢だ。まさに紛い物の気分にすぎない」

 言ってのける彼女は、追い討ちと言わんばかりに続けた。

「この部屋には何もない。家族もいないし、あの女の子もいない。そもそも紛らわせたところで、なんの解決にもなってない」

「っ……!」


 なぜだ、見透かされたような感覚だ。
 自分が情けない。何かが腹立たしい。体が自然と俯いてしまう。

「君も案外しつこいね」

 そう吐き捨ててから彼女は俺を見据え。

「もう一度言うよ」



「今の君はまったく平気じゃない。きっと私がここにいなければ、そのまま自殺しているだろう」



 …………ああ。その通りだ。
 死ねない体でないのなら、彼女を無理やりにでも部屋から出してから自分の体力を消耗させ、心臓を抉って握りつぶしていただろう。

 幸い、これ以上生きようなどとは微塵も思っていない。
 狂気という言葉が一番適している。


「なら……まったく平気でない俺は、これから何をすればいいんですか……」


 もう俺は、考えるという行為のやり方を忘れてしまったらしい。

 俺は何をすればいい? 誰かを消せばいいのか?
 金を稼げばいいのか? これ以上強くなれとでも言うのか?

 人殺しに抵抗はない。金は十分稼いでいる。
 三日前の事件だけでも40人以上は確実に殺した。これ以上強くなっても……。

 そもそも俺は、一体なぜ、生きているんだ。
 なぜこれ以上、何かしなければならないんだ。


 ……ああ、結局なのか。


 中身の真っ白な俺の頭は、そう結論づけた。


 誰か俺に…………目的をくれ。
 を殺す以外にも、何か……生きる意味を。




「君、私の家においでよ」




「……………………は?」


 聞き間違えだろうか。
 私の家においでよ、と言ったのか?
 何を言っているんだ、この人は。

 思わず顔をあげ、《シルビア》を見つめる。

「だから、私の家においでよ」

 困惑する俺を放置し、そのまま続ける《シルビア》。

「この際はっきり言わせてもらうけど、もう今の君には何も残ってない」
「あの女の子だって、あと3週間もすれば目覚めるとは思うけど、正直いつ意識が戻るかわからない」




「え?」




「……目覚める? 意識がないんですか?」


 どういうことだ?

 俺はカナを守れなかったのか? けどあいつは攻撃を受けてないはず…………。


「一緒にいたのに、気が付かなかったのかい?」

 ……まさか。

「俺はあいつさえ……たった一人の守るべき者さえ守れなかったんですか……?」


 彼女はため息をついた。
 その行動が余計に俺の心を乱す。


「君は確かにあの子を守った。しっかり、無傷で守りきった。あの人数相手に生き残った君の魔力には、目を見張るものがある」

 
「あの子はね、君と騎士たちの魔力干渉に身体が耐えられなかったんだよ」


 魔力干渉?
 …………そうだ。俺は騎士を無力化するため、全力を尽くしてしまった。


 そういうことか。

 その結果、近くにいたカナは体内を循環する魔力が戦いの影響を受け、肉体に大きな負荷を負った。

 彼女はいわゆる「魔力酔い」の状態にあり、体内の魔力が元どおりに循環するまで目を覚ますことはない。


「彼らは魔法を、君は魔力そのものを、お互いにぶつけ合った」

「その余波は凄まじいものだった。実際、隣の街から向かっていた私ですら寒気がするくらいの干渉だ」

「12かそこらの女の子が耐えられるはずがない。今回に限っては、同じ症例であと80人程度が気を失っている」

「まあうち13人は昨日までに目覚めたし、干渉で一生目を覚まさない症例は過去にいなかったから、きっと大丈夫だと思う」

「通常、魔力干渉は三日で目を覚まし、七日後には完全回復する。けど、あの子は君たちとかなり近かったから、トータルで大体一ヶ月くらいはかかると思うよ」

「そんな……」


 人生で初めてだ。
 魔力干渉について、ある程度の知識はあったが実際に起こすことはなかった。

 俺は強い。
 だからこそ加減しないと何もかも壊しかねない。


 ……今俺が置かれている状況は分かった。


「でも、なんで家なんだ?」

 一番の疑問である。
 こういった手合いはその辺の孤児院にでも投げ入れておき、仕事のときだけ利用するのが効率的だ。

「だって、避難所だとしてもあんな即席の小屋になんか住みたくないでしょ? 孤児院なんて、女の子以外は使い道がないから……すぐに飢死するだろうし」

 気のせいだろうか、ほんの一瞬、《シルビア》が悲しげな表情を浮かべたような気がした。

 まあ……確かにそうか。
 一応このスキルを使えば女にもなれることは判明済みだが。


「私に直属の部下はいたことがないから、ちょうどよかったんだ」

 ふふん、といたずらっ子のように彼女は笑った。
 銀髪の少女は俺をアゴで使うらしい。


「それに、君は誓ったんでしょ」

「…………ああ」


「俺は、仇を討つ。だけには……できる限り凄惨な死を……」


 一瞬、《シルビア》がとても悲しげな表情をした。
 理由は俺にはわからないだろう。きっと、これからも。


「だから」

 ちょっと照れくさいが、言葉にしよう。



「俺をあなたの部下に――――弟子にしてください」


 なぜだろう……これかなり恥ずかしいぞ。
 なんかこれ、プロ……いや、ちがうから。

 打算的な考えではあるが、彼女の下につくのは良い経験となるはずだ。「直属の部下がいたことがない」と言っていた。無理難題に対応できるようになろう。
 これからの俺は《ヒットマン》として、なすべきことを為す。

「プロポーズかな?」
「ちげえよ!」

 すると、《シルビア》は微笑みながら言った。

「うん、君はやっぱりそれがいいね」
「それ? 何ですか?」

「君はずっと堅苦しい敬語より、ちょっとくだけた方が似合ってる!」


 白銀の髪をほんのすこし揺らしながら 、少し朱のさした二百点満点の笑顔とともに。

 とてもドキッとした。
 ……そんなとびっきりの笑顔で見ないでくれ。


 自分のことながら「チョロいなぁ」なんて思ってしまう。

 これが俺の上司との――師匠との始まりだった。
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