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序章
“雪白の司書”
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店に入って来たのは、若い女性だった。彼女は女性にしては長身で、緑の瞳、茶色い長髪。年のころは二十歳代前半ぐらいだろうか。
そして、シュミットの目に入ったのは彼女の服の珍しい刺繍のデザインがされた服だ。それに気が付いて驚いた。特徴のあるその刺繍は北方にあるヴィット王国の民族衣装のものだ。
ヴィット王国は鎖国のような政策を取っており、その国の国民が外国に来るようなことは無い。それなのにヴィット王国の出身らしい女性がすぐ近くにいることが非常に気になった。
ヴィット王国では、古来より魔術の研究が盛んで、多数の魔術書が書かれている。その多くの魔術書が王立図書館に集約されており、魔術師は魔術を学ぶために図書館に集まるようになった。そこで、いつしか王国の魔術師のことを “司書” と呼ぶようになったという。ヴィット王国は、冬の長い雪国でということもあり、我々のようなヴィット王国以外の者は、彼らのことを “雪白の司書” と呼んでいる。
それにシュミットは唯一魔術を使える“空間魔術”。それはヴィット王国から違法に入手したという魔術書から習得したものだった。そういう事もありヴィット王国には少々興味があった。
港の荒くれ者が集まるこんな安レストランには場違いなその女性は、周りに気にすることもなく、空いている席に一人座った。
店内にいた他の男たちもシュミットと別の興味を持って女性を見ている。
店のウエイトレスが彼女の注文を取り奥へ入って行く。それを確認した男ども三人が彼女に近づいた。そして、下品に笑いながら声を掛けた。
「よう。お嬢さん、俺たちと飲まないか?」
女性は男たちを一瞥すると、黙ったまま目線を逸らした。
男どもは無視されて少々怒ったようだ。別の男が声を荒らげた。
「おい。お高くとまっているんじゃあないぞ」
女性はそれでも男たちを無視する。
男が手を伸ばし、女性の服の肩辺りを掴もうとした時、女性はスッと手のひらを男にかざした。次の瞬間、男の身体が後ろに弾き飛ばされた。その男は隣のテーブルにぶつかり、テーブルから落ちた皿が大きな音を立てて床で割れる。
「てめえ!」
彼女に絡んだ残りの男二人も掴みかかろうとする。しかし、最初の男同様に後ろに弾き飛ばされた。
シュミットは驚いて目を見開いた。あれは念動魔術だ。聞いたことはあったが、ここ旧ブラウグルン共和国では決して見ることの出来ない魔術。
他の客たちも彼女に男三人が簡単に弾き飛ばされたことに驚き、唖然として見つめていた。
店の奥にいたウエイトレスが皿の割れる音に気が付いて表に出て来た。
念動魔術を使った女性は立ち上がり、「来る場所を間違えたようね」と、ぽつりと言う。そして、「注文した分と迷惑代よ」と言って金をウエイトレスに手渡して店を出て行った。
シュミットは慌てて彼女を追いかけるために立ち上がった。
扉を開け、通りの左右を確認する。
辺りは暗くなっている。しかし、通りには人通りはほとんどなくなっていた。そういう事もあり女性をすぐに見つけることが出来た。そして、店からさほど離れていないところで、すぐに追いついた。
シュミットは彼女の背後から声を掛ける。
「なあ、あんた」
女性は振り返った。
「何か用?」
「あんた、ヴィット王国の人だろ?」
「だとしたら、何?」
シュミットは特に何かを話す内容を考えていたわけでなかったので言葉を詰まらせたが、何とか言葉をつないだ。
「あ、いや…。魔術に興味があってね。俺もヴィット王国の魔術を一つだけだけど使えるんだ」
「それで?」
女性は表情を少しも変えず、冷たく質問する。
シュミットは続けた。
「あ…、だから、さっきの魔術を教えてほしいと思ってね。あれは念動魔術だろ?」
女性は少し間をおいてから答えた。
「魔術を教えてもいいけど、私に何か見返りはあるのかしら?」
シュミットは見返りと言われて困ってしまった。特に金を多く持っているわけでもないし、他にめぼしい物も持っていない。それでも、何とか言葉をひねり出す。
「そうだな…、もし君がこの街に詳しくなければ案内しよう」
「案内は要らないわ」
「そうか…」
シュミットはそれ以上何も言えなくなってしまったが、逆に女性の方が質問をしてきた。
「あなたが使えるヴィット王国の魔術とは、どういうものなの?」
「“空間魔術”の一つで、自分の動きをものすごく速くすることができるというものだ」
「へえ…。それ、知っているわ。でも、それは禁止魔術のはずだけど」
ヴィット王国は数多くの魔術が開発されているが、多くのものが禁止されていた。それは、悪用された場合、当局の対処が難しいからだという。
シュミットも自分が使う魔術を禁止魔術と知っていた。以前、裏ルートでその魔術書を入手して、魔術を習得したのだ。それを使い現金輸送馬車を襲撃し、護衛を何人も殺害した。さらに、手練れの剣士である傭兵部隊の隊長ユルゲン・クリーガーでさえも負傷させた。
シュミットは彼女の質問に答える。
「どうも、そのようだね。以前、その魔術書を手に入れたんだ」
「そう」
女性は短く答えて、しばらく考え込んでから再び口を開いた。
「国外に持ち出された禁止魔術の魔術書を国に持って帰ると報奨金がもらえるのよ。だから、念動魔術を教える見返りにその魔術書を渡して」
「いいだろう。ただ、その魔術書はズーデハーフェンシュタットの銀行の貸金庫の中だ。知っての通り、移動禁止令があるので、今はあちらに行くことができない」
「私は、貿易関係者として特別に移動の許可証を持っているから、委任状を書いてもらえれば、私がズーデハーフェンシュタットまで行って取ってくるわ」
「いいとも。委任状だったら、いくらでも書くよ。明日にでも書いて持ってくるよ」
「じゃあ、明日、この時間にこの場所でまた会いましょう」
「これで、交渉成立だな」
シュミットは話が纏まったので嬉しくなって思わず笑った。女性は無表情のままだった。
「俺は、フリードリヒ・シュミットと言う」
「私は、アグネッタ・ヴィクストレームよ」
「そうか。じゃあ、ヴィクストレームさん。今後ともよろしく」
シュミットは右手を挙げて別れの挨拶をした。
「じゃあ、明日」
アグネッタ・ヴィクストレームという女性は、微かに頷いて振り返ると暗がりの中に消えて行った。
シュミットはそれを見送ってからレストランへ戻って行った。そして、席に戻ると冷めてしまったソーセージを平らげ、温くなったエール飲み干した。
そして、シュミットの目に入ったのは彼女の服の珍しい刺繍のデザインがされた服だ。それに気が付いて驚いた。特徴のあるその刺繍は北方にあるヴィット王国の民族衣装のものだ。
ヴィット王国は鎖国のような政策を取っており、その国の国民が外国に来るようなことは無い。それなのにヴィット王国の出身らしい女性がすぐ近くにいることが非常に気になった。
ヴィット王国では、古来より魔術の研究が盛んで、多数の魔術書が書かれている。その多くの魔術書が王立図書館に集約されており、魔術師は魔術を学ぶために図書館に集まるようになった。そこで、いつしか王国の魔術師のことを “司書” と呼ぶようになったという。ヴィット王国は、冬の長い雪国でということもあり、我々のようなヴィット王国以外の者は、彼らのことを “雪白の司書” と呼んでいる。
それにシュミットは唯一魔術を使える“空間魔術”。それはヴィット王国から違法に入手したという魔術書から習得したものだった。そういう事もありヴィット王国には少々興味があった。
港の荒くれ者が集まるこんな安レストランには場違いなその女性は、周りに気にすることもなく、空いている席に一人座った。
店内にいた他の男たちもシュミットと別の興味を持って女性を見ている。
店のウエイトレスが彼女の注文を取り奥へ入って行く。それを確認した男ども三人が彼女に近づいた。そして、下品に笑いながら声を掛けた。
「よう。お嬢さん、俺たちと飲まないか?」
女性は男たちを一瞥すると、黙ったまま目線を逸らした。
男どもは無視されて少々怒ったようだ。別の男が声を荒らげた。
「おい。お高くとまっているんじゃあないぞ」
女性はそれでも男たちを無視する。
男が手を伸ばし、女性の服の肩辺りを掴もうとした時、女性はスッと手のひらを男にかざした。次の瞬間、男の身体が後ろに弾き飛ばされた。その男は隣のテーブルにぶつかり、テーブルから落ちた皿が大きな音を立てて床で割れる。
「てめえ!」
彼女に絡んだ残りの男二人も掴みかかろうとする。しかし、最初の男同様に後ろに弾き飛ばされた。
シュミットは驚いて目を見開いた。あれは念動魔術だ。聞いたことはあったが、ここ旧ブラウグルン共和国では決して見ることの出来ない魔術。
他の客たちも彼女に男三人が簡単に弾き飛ばされたことに驚き、唖然として見つめていた。
店の奥にいたウエイトレスが皿の割れる音に気が付いて表に出て来た。
念動魔術を使った女性は立ち上がり、「来る場所を間違えたようね」と、ぽつりと言う。そして、「注文した分と迷惑代よ」と言って金をウエイトレスに手渡して店を出て行った。
シュミットは慌てて彼女を追いかけるために立ち上がった。
扉を開け、通りの左右を確認する。
辺りは暗くなっている。しかし、通りには人通りはほとんどなくなっていた。そういう事もあり女性をすぐに見つけることが出来た。そして、店からさほど離れていないところで、すぐに追いついた。
シュミットは彼女の背後から声を掛ける。
「なあ、あんた」
女性は振り返った。
「何か用?」
「あんた、ヴィット王国の人だろ?」
「だとしたら、何?」
シュミットは特に何かを話す内容を考えていたわけでなかったので言葉を詰まらせたが、何とか言葉をつないだ。
「あ、いや…。魔術に興味があってね。俺もヴィット王国の魔術を一つだけだけど使えるんだ」
「それで?」
女性は表情を少しも変えず、冷たく質問する。
シュミットは続けた。
「あ…、だから、さっきの魔術を教えてほしいと思ってね。あれは念動魔術だろ?」
女性は少し間をおいてから答えた。
「魔術を教えてもいいけど、私に何か見返りはあるのかしら?」
シュミットは見返りと言われて困ってしまった。特に金を多く持っているわけでもないし、他にめぼしい物も持っていない。それでも、何とか言葉をひねり出す。
「そうだな…、もし君がこの街に詳しくなければ案内しよう」
「案内は要らないわ」
「そうか…」
シュミットはそれ以上何も言えなくなってしまったが、逆に女性の方が質問をしてきた。
「あなたが使えるヴィット王国の魔術とは、どういうものなの?」
「“空間魔術”の一つで、自分の動きをものすごく速くすることができるというものだ」
「へえ…。それ、知っているわ。でも、それは禁止魔術のはずだけど」
ヴィット王国は数多くの魔術が開発されているが、多くのものが禁止されていた。それは、悪用された場合、当局の対処が難しいからだという。
シュミットも自分が使う魔術を禁止魔術と知っていた。以前、裏ルートでその魔術書を入手して、魔術を習得したのだ。それを使い現金輸送馬車を襲撃し、護衛を何人も殺害した。さらに、手練れの剣士である傭兵部隊の隊長ユルゲン・クリーガーでさえも負傷させた。
シュミットは彼女の質問に答える。
「どうも、そのようだね。以前、その魔術書を手に入れたんだ」
「そう」
女性は短く答えて、しばらく考え込んでから再び口を開いた。
「国外に持ち出された禁止魔術の魔術書を国に持って帰ると報奨金がもらえるのよ。だから、念動魔術を教える見返りにその魔術書を渡して」
「いいだろう。ただ、その魔術書はズーデハーフェンシュタットの銀行の貸金庫の中だ。知っての通り、移動禁止令があるので、今はあちらに行くことができない」
「私は、貿易関係者として特別に移動の許可証を持っているから、委任状を書いてもらえれば、私がズーデハーフェンシュタットまで行って取ってくるわ」
「いいとも。委任状だったら、いくらでも書くよ。明日にでも書いて持ってくるよ」
「じゃあ、明日、この時間にこの場所でまた会いましょう」
「これで、交渉成立だな」
シュミットは話が纏まったので嬉しくなって思わず笑った。女性は無表情のままだった。
「俺は、フリードリヒ・シュミットと言う」
「私は、アグネッタ・ヴィクストレームよ」
「そうか。じゃあ、ヴィクストレームさん。今後ともよろしく」
シュミットは右手を挙げて別れの挨拶をした。
「じゃあ、明日」
アグネッタ・ヴィクストレームという女性は、微かに頷いて振り返ると暗がりの中に消えて行った。
シュミットはそれを見送ってからレストランへ戻って行った。そして、席に戻ると冷めてしまったソーセージを平らげ、温くなったエール飲み干した。
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