54 / 75
共和国派の内紛
ベルグブリック2
しおりを挟む 小葉ら侍女の私室は銀月の居室がある正房から裏手に伸びた渡り廊下の先、後罩房にある。翠明、黒花も同じ房に部屋があり、一番若い小葉は渡り廊下から一番遠い一室を与えられていた。
「だから、昨夜仕事が終わって下がらせてもらってから、耳飾りも簪も外してこの卓に置いておいたのよ」
そういって彼女は部屋の隅に置かれた卓を指さした。藍色の敷物に乗った猫足の卓上には小さな鏡が立てられていて、飾り物を並べる小皿もある。白狼も見た事がある帯飾りと小ぶりな簪が二本、大切そうに並べられていた。小葉は若い割には衣裳道楽にはあまり興味がなく、給金の多くを食材やら調理用具に使っていると聞いたが本当らしい。
ぞろぞろと付いてきた銀月とその側近たちを背に、ふうん、と白狼は鼻を鳴らした。この騒動をどうしたものかと思案している翠明や黒花、訝し気にしている周、興味深げな銀月。それぞれの視線が背に刺さるが、白狼はお構いなしにあたりをきょろきょろと伺った。
有能な銀月の側近たちだが、ともに暮らすうちにそれぞれの個性が分かって来ていた。
護衛宦官の周はとんでもなく単細胞である。過去に何があったかは知らないが忠誠を誓っている銀月の命令は彼にとって絶対らしい。本当に宦官かと思うほどに立派な体躯をしており、剣技を振るえばそこらの兵など相手にならないのではないかと思う。ただし、頭脳戦はからっきしらしく、周には銀月の囲碁の相手は務まらないと白狼が知ったのはつい最近である。
礼儀作法に厳しい侍女頭の翠明は、後宮内外に情報網を張り巡らせており銀月の頭脳面での片腕である。几帳面で老獪な糞婆という一面もあるが、逆に情が深く面倒見が良い。なんだかんだいって白狼に対して立ち居振る舞いの教育を諦めないのだから、すごい人である。銀月の乳母を勤めたとあれば銀月が逆らえないのも当然であった。
黒花はすらりとした細身の美女だ。外見に似合わず気安い質で、白狼の砕けた物言いにもひるまず軽口を返してくる女だった。また白狼ほどではないが身が軽く体術に優れているので周が居ない際には護衛も買って出る。しかし腕力がない。小柄な白狼に腕相撲で負ける程度に。
そして小葉。一番若い侍女で炊事、洗濯、掃除など雑用ならなんでもござれという、実は銀月の宮ではとても貴重な家事専門の働き者だった。宮廷作法に忠実な動きをしながらも掃除と洗濯の合間に自ら厨房にこもりおやつを作るという、白狼にはおよそ信じられない行動を見せる。
働き者の小葉のおかげで宮の内部はいつもきれいに整頓されており、中庭にも枯れ葉一枚落ちていない。掃除後に塵捨てを言いつけられる白狼は、その細かい塵の量にいつもびっくりさせられていた。
しかしこれは表から見える所の話である。
帝姫である銀月の宮には皇帝をはじめ皇后の使者など、いつ何時来客があるか分からない。わずかな気のゆるみがで足元をすくわれる可能性がある。翠明に叩き込まれた作法で必死に仕事をこなす小葉も、自室がある裏に帰ればその反動が出てしまうこともあるらしい。
白狼は卓と反対側の壁際に目をやった。そこにはやや乱雑に寝具が畳まれた寝台がある。朝の支度に手間取ったのか、とりあえずといった畳み方だ。表では決して許されない作法だが、自室ならという油断もあろう。
――つまり自室での小葉は、若干、いやかなり気を抜いてしまうのだ。
「昨夜、小葉さんが戻ってきたのは何時頃だっけ?」
「何時ごろだったかしら、夕餉の後片付けをしてそのあとちょっと厨房のお掃除をしてだから……」
「まあつまり、いつもみたいに遅かったってわけだよな」
「そうね」
であればいつもと同じ程度に疲れて部屋に戻ってきたに違いない。さて、と白狼は卓の下に潜り込んだ。明り取りの窓はあるが卓の下は薄暗い。目視できない壁と卓の間や、敷物の裏、板の目の隙間などに指を這わせることほんの数呼吸。
敷物の端にある房飾りの一つで、指先に固い突起が触れた。そうっと絡む糸をほぐすと、中からころんとした小さな珠が付いた耳飾りが出てくる。暗がりで見ればくすんだ色合いの珠だが、珊瑚とか言っていたはずなのでおそらくこれだろう。
やっぱりな、と白狼は肩を竦めた。
仕事が終わって一息ついた小葉は、いつも通り気が抜けた状態で簪や耳飾りを外して着替えを行ったのだろうが、その時自分が思っているより幾分乱暴に動いたのだろう。外して皿においたはずみで落ちたか、それとも衣を脱いだ時に皿に当たったのかは分からないが、何らかの拍子に落ちた耳飾りは敷物の房飾りに紛れて上手く見つからなかったらしい。
「これじゃねえの?」
立ち上がった白狼は手の中の耳飾りを小葉に見せた。明るいところで見れば珠は濃い桃色で、まろい光を帯びている。小葉の表情が、あ、というものに変わった。
「これ……私の耳飾り……」
「だろ? 敷物の中に紛れてた」
「え? でも、私も朝起きてそこは探したのに」
「敷物の房飾りに絡まってたんだよ。暗いし、朝はあわただしいし、小葉さん慌てて細かく見てなかったんじゃねえの?」
「……そうかも」
「見たとこ珊瑚に欠けもなさそうだし、これでいいよな?」
「う、うん…そう、ね」
「そうね、ではありません。小葉、白狼に謝りなさい」
手渡された耳飾りを見て、小葉がしょんぼりと肩を落とす。白狼として嫌疑が晴れればそれでよいのだが、そこは厳しい翠明がぴしゃりと叱りつけたのだった。
「だから、昨夜仕事が終わって下がらせてもらってから、耳飾りも簪も外してこの卓に置いておいたのよ」
そういって彼女は部屋の隅に置かれた卓を指さした。藍色の敷物に乗った猫足の卓上には小さな鏡が立てられていて、飾り物を並べる小皿もある。白狼も見た事がある帯飾りと小ぶりな簪が二本、大切そうに並べられていた。小葉は若い割には衣裳道楽にはあまり興味がなく、給金の多くを食材やら調理用具に使っていると聞いたが本当らしい。
ぞろぞろと付いてきた銀月とその側近たちを背に、ふうん、と白狼は鼻を鳴らした。この騒動をどうしたものかと思案している翠明や黒花、訝し気にしている周、興味深げな銀月。それぞれの視線が背に刺さるが、白狼はお構いなしにあたりをきょろきょろと伺った。
有能な銀月の側近たちだが、ともに暮らすうちにそれぞれの個性が分かって来ていた。
護衛宦官の周はとんでもなく単細胞である。過去に何があったかは知らないが忠誠を誓っている銀月の命令は彼にとって絶対らしい。本当に宦官かと思うほどに立派な体躯をしており、剣技を振るえばそこらの兵など相手にならないのではないかと思う。ただし、頭脳戦はからっきしらしく、周には銀月の囲碁の相手は務まらないと白狼が知ったのはつい最近である。
礼儀作法に厳しい侍女頭の翠明は、後宮内外に情報網を張り巡らせており銀月の頭脳面での片腕である。几帳面で老獪な糞婆という一面もあるが、逆に情が深く面倒見が良い。なんだかんだいって白狼に対して立ち居振る舞いの教育を諦めないのだから、すごい人である。銀月の乳母を勤めたとあれば銀月が逆らえないのも当然であった。
黒花はすらりとした細身の美女だ。外見に似合わず気安い質で、白狼の砕けた物言いにもひるまず軽口を返してくる女だった。また白狼ほどではないが身が軽く体術に優れているので周が居ない際には護衛も買って出る。しかし腕力がない。小柄な白狼に腕相撲で負ける程度に。
そして小葉。一番若い侍女で炊事、洗濯、掃除など雑用ならなんでもござれという、実は銀月の宮ではとても貴重な家事専門の働き者だった。宮廷作法に忠実な動きをしながらも掃除と洗濯の合間に自ら厨房にこもりおやつを作るという、白狼にはおよそ信じられない行動を見せる。
働き者の小葉のおかげで宮の内部はいつもきれいに整頓されており、中庭にも枯れ葉一枚落ちていない。掃除後に塵捨てを言いつけられる白狼は、その細かい塵の量にいつもびっくりさせられていた。
しかしこれは表から見える所の話である。
帝姫である銀月の宮には皇帝をはじめ皇后の使者など、いつ何時来客があるか分からない。わずかな気のゆるみがで足元をすくわれる可能性がある。翠明に叩き込まれた作法で必死に仕事をこなす小葉も、自室がある裏に帰ればその反動が出てしまうこともあるらしい。
白狼は卓と反対側の壁際に目をやった。そこにはやや乱雑に寝具が畳まれた寝台がある。朝の支度に手間取ったのか、とりあえずといった畳み方だ。表では決して許されない作法だが、自室ならという油断もあろう。
――つまり自室での小葉は、若干、いやかなり気を抜いてしまうのだ。
「昨夜、小葉さんが戻ってきたのは何時頃だっけ?」
「何時ごろだったかしら、夕餉の後片付けをしてそのあとちょっと厨房のお掃除をしてだから……」
「まあつまり、いつもみたいに遅かったってわけだよな」
「そうね」
であればいつもと同じ程度に疲れて部屋に戻ってきたに違いない。さて、と白狼は卓の下に潜り込んだ。明り取りの窓はあるが卓の下は薄暗い。目視できない壁と卓の間や、敷物の裏、板の目の隙間などに指を這わせることほんの数呼吸。
敷物の端にある房飾りの一つで、指先に固い突起が触れた。そうっと絡む糸をほぐすと、中からころんとした小さな珠が付いた耳飾りが出てくる。暗がりで見ればくすんだ色合いの珠だが、珊瑚とか言っていたはずなのでおそらくこれだろう。
やっぱりな、と白狼は肩を竦めた。
仕事が終わって一息ついた小葉は、いつも通り気が抜けた状態で簪や耳飾りを外して着替えを行ったのだろうが、その時自分が思っているより幾分乱暴に動いたのだろう。外して皿においたはずみで落ちたか、それとも衣を脱いだ時に皿に当たったのかは分からないが、何らかの拍子に落ちた耳飾りは敷物の房飾りに紛れて上手く見つからなかったらしい。
「これじゃねえの?」
立ち上がった白狼は手の中の耳飾りを小葉に見せた。明るいところで見れば珠は濃い桃色で、まろい光を帯びている。小葉の表情が、あ、というものに変わった。
「これ……私の耳飾り……」
「だろ? 敷物の中に紛れてた」
「え? でも、私も朝起きてそこは探したのに」
「敷物の房飾りに絡まってたんだよ。暗いし、朝はあわただしいし、小葉さん慌てて細かく見てなかったんじゃねえの?」
「……そうかも」
「見たとこ珊瑚に欠けもなさそうだし、これでいいよな?」
「う、うん…そう、ね」
「そうね、ではありません。小葉、白狼に謝りなさい」
手渡された耳飾りを見て、小葉がしょんぼりと肩を落とす。白狼として嫌疑が晴れればそれでよいのだが、そこは厳しい翠明がぴしゃりと叱りつけたのだった。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
【完結】剣聖の娘はのんびりと後宮暮らしを楽しむ
O.T.I
ファンタジー
かつて王国騎士団にその人ありと言われた剣聖ジスタルは、とある事件をきっかけに引退して辺境の地に引き籠もってしまった。
それから時が過ぎ……彼の娘エステルは、かつての剣聖ジスタルをも超える剣の腕を持つ美少女だと、辺境の村々で噂になっていた。
ある時、その噂を聞きつけた辺境伯領主に呼び出されたエステル。
彼女の実力を目の当たりにした領主は、彼女に王国の騎士にならないか?と誘いかける。
剣術一筋だった彼女は、まだ見ぬ強者との出会いを夢見てそれを了承するのだった。
そして彼女は王都に向かい、騎士となるための試験を受けるはずだったのだが……

もう散々泣いて悔やんだから、過去に戻ったら絶対に間違えない
もーりんもも
恋愛
セラフィネは一目惚れで結婚した夫に裏切られ、満足な食事も与えられず自宅に軟禁されていた。
……私が馬鹿だった。それは分かっているけど悔しい。夫と出会う前からやり直したい。 そのチャンスを手に入れたセラフィネは復讐を誓う――。

無能と呼ばれたレベル0の転生者は、効果がチートだったスキル限界突破の力で最強を目指す
紅月シン
ファンタジー
七歳の誕生日を迎えたその日に、レオン・ハーヴェイの全ては一変することになった。
才能限界0。
それが、その日レオンという少年に下されたその身の価値であった。
レベルが存在するその世界で、才能限界とはレベルの成長限界を意味する。
つまりは、レベルが0のまま一生変わらない――未来永劫一般人であることが確定してしまったのだ。
だがそんなことは、レオンにはどうでもいいことでもあった。
その結果として実家の公爵家を追放されたことも。
同日に前世の記憶を思い出したことも。
一つの出会いに比べれば、全ては些事に過ぎなかったからだ。
その出会いの果てに誓いを立てた少年は、その世界で役立たずとされているものに目を付ける。
スキル。
そして、自らのスキルである限界突破。
やがてそのスキルの意味を理解した時、少年は誓いを果たすため、世界最強を目指すことを決意するのであった。
※小説家になろう様にも投稿しています
異世界へ誤召喚されちゃいました~女神の加護でほのぼのスローライフ送ります~
モーリー
ファンタジー
⭐︎第4回次世代ファンタジーカップ16位⭐︎
飛行機事故で両親が他界してしまい、社会人の長男、高校生の長女、幼稚園児の次女で生きることになった御剣家。
保険金目当てで寄ってくる奴らに嫌気がさしながらも、3人で支え合いながら生活を送る日々。
そんな矢先に、3人揃って異世界に召喚されてしまった。
召喚特典として女神たちが加護やチート能力を与え、異世界でも生き抜けるようにしてくれた。
強制的に放り込まれた異世界。
知らない土地、知らない人、知らない世界。
不安をはねのけながら、時に怖い目に遭いながら、3人で異世界を生き抜き、平穏なスローライフを送る。
そんなほのぼのとした物語。

プラス的 異世界の過ごし方
seo
ファンタジー
日本で普通に働いていたわたしは、気がつくと異世界のもうすぐ5歳の幼女だった。田舎の山小屋みたいなところに引っ越してきた。そこがおさめる領地らしい。伯爵令嬢らしいのだが、わたしの多少の知識で知る貴族とはかなり違う。あれ、ひょっとして、うちって貧乏なの? まあ、家族が仲良しみたいだし、楽しければいっか。
呑気で細かいことは気にしない、めんどくさがりズボラ女子が、神様から授けられるギフト「+」に助けられながら、楽しんで生活していきます。
乙女ゲーの脇役家族ということには気づかずに……。
#不定期更新 #物語の進み具合のんびり
#カクヨムさんでも掲載しています

婚約破棄上等!私を愛さないあなたなんて要りません
音無砂月
ファンタジー
*幸せは婚約破棄の後にやってくるからタイトル変更
*ジャンルを変更しました。
公爵家長女エマ。15歳の時に母を亡くした。貴族は一年喪に服さないといけない。喪が明けた日、父が愛人と娘を連れてやって来た。新しい母親は平民。一緒に連れて来た子供は一歳違いの妹。名前はマリアナ。
マリアナは可愛く、素直でいい子。すぐに邸に溶け込み、誰もに愛されていた。エマの婚約者であるカールすらも。
誰からも愛され、素直ないい子であるマリアナがエマは気に入らなかった。
家族さえもマリアナを優先する。
マリアナの悪意のない言動がエマの心を深く抉る
神による異世界転生〜転生した私の異世界ライフ〜
シュガーコクーン
ファンタジー
女神のうっかりで死んでしまったOLが一人。そのOLは、女神によって幼女に戻って異世界転生させてもらうことに。
その幼女の新たな名前はリティア。リティアの繰り広げる異世界ファンタジーが今始まる!
「こんな話をいれて欲しい!」そんな要望も是非下さい!出来る限り書きたいと思います。
素人のつたない作品ですが、よければリティアの異世界ライフをお楽しみ下さい╰(*´︶`*)╯
旧題「神による異世界転生〜転生幼女の異世界ライフ〜」
現在、小説家になろうでこの作品のリメイクを連載しています!そちらも是非覗いてみてください。
辺境伯家次男は転生チートライフを楽しみたい
ベルピー
ファンタジー
☆8月23日単行本販売☆
気づいたら異世界に転生していたミツヤ。ファンタジーの世界は小説でよく読んでいたのでお手のもの。
チートを使って楽しみつくすミツヤあらためクリフ・ボールド。ざまぁあり、ハーレムありの王道異世界冒険記です。
第一章 テンプレの異世界転生
第二章 高等学校入学編 チート&ハーレムの準備はできた!?
第三章 高等学校編 さあチート&ハーレムのはじまりだ!
第四章 魔族襲来!?王国を守れ
第五章 勇者の称号とは~勇者は不幸の塊!?
第六章 聖国へ ~ 聖女をたすけよ ~
第七章 帝国へ~ 史上最恐のダンジョンを攻略せよ~
第八章 クリフ一家と領地改革!?
第九章 魔国へ〜魔族大決戦!?
第十章 自分探しと家族サービス
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる