色彩の大陸2~隠された策謀

谷島修一

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序章

弟子 オレガ・ジベリゴワ

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 大陸歴1658年2月27日・ズーデハーフェンシュタット

 約二ケ月前。

 オレガ・ジベリゴワは、暗闇の中にいた。
 海が近いズーデハーフェンシュタットの塩分を含んだ湿った空気と、彼女の故郷であるアリーグラードより少々高めの気温が、神経をイライラさせる。

 オレガは、サーベルの柄に手を添えて、かがんであたりに注意を払っていた。
 オレガの武器は、師のユルゲン・クリーガー譲りの剣術と投げナイフ、そして姉弟子のソフィア・タウゼントシュタインから伝授された魔術だ。これだけ多彩な技術があれば、大抵の状況への対応が可能なはずだ。そう、こんな暗闇の中でも。

 オレガは、すぐ近くに居るはずの敵の衣服の布の擦れる音でさえ聞き逃すまいと耳を澄ませた。
 同時にわずかに感じられる人の気配の方を注視しようとする。しかし、完全な暗闇の中、今は相手の姿を確認することができない。二人、いや、三人いるようだが…。相手もこちらの位置を知ることができないはずだ。迂闊に動いては、こちらの場所を悟られてしまう。根負けして先に動いた方がやられてしまうだろう。

 オレガは、数分間、闇の中で身動きせず、相手が先に動くのを待っていた。すると突然、周りが一瞬明るくなった。魔術師が稲妻を放ったようだ。
 オレガは、その一瞬で相手の位置を把握する。右側近くに剣を持った人物が一人、左側奥に魔術師らしき人物と弓を構えた人物が会わせて二人。もちろん、相手もこちらの位置は把握しただろう。

 再び暗闇が訪れた次の瞬間、弓の弦が弾かれる音がし、射手から矢が放たれた。
 オレガは素早く右前に一回転することで矢を躱した。矢が空を切って顔のわずかそばを掠めたのを感じた。そして、間髪を入れずに右側に居た剣士の方向に念動魔術の呪文を唱える。剣士は短く呻き声を上げ、人が倒れる音と、剣が地面に落ちる金属音がした。どうやら、剣士を後ろに弾き飛ばすことができたようだ。
 魔術師が再び稲妻を放つ。閃光が暗闇を引き裂く。稲妻はオレガのすぐそばを通り過ぎた。次は左前に一回転し、ナイフを魔術師にいた方向へ投げつける。今度は魔術師の短いうめき声が聞こえた。ナイフが命中したようだ。もう一度ナイフを取り出し、今度は弓兵の居た方向に向けて投げつける。今度は手ごたえがなかった。弓兵は場所を移動したのか、移動後の場所を把握しなければ。
 魔術師は倒した。剣士は、しばらく動けないだろう。
 オレガは、弓兵1人なら倒せそうだと判断した。今度はこちらが稲妻を放つ番だ。
 オレガは短い呪文を唱え稲妻を放った。
 一瞬、あたりが明るくなる。弓兵は左に大きく移動していた。
 オレガはそれを把握したと同時に、当然、弓兵もこちらの位置を把握していた。弓兵はこちらに向け矢を放つ。オレガはとっさに念動魔術で矢を逸らした。オレガはもう一度稲妻を放った。稲妻が弓兵に命中し、弓兵は後ろに弾き飛ばされ、倒れ込んだ。
 稲妻が室内を照らしたとき、剣士が立ち上がり、剣を振り上げていたのが見えた。
 オレガは、後ろに素早く下がりつつサーベルを抜いた。

 また暗闇が訪れる。一対一であれば勝機はある。オレガは軍服の上着を脱ぎ、それに火炎魔術で火をつけた。上着についた炎であたりが仄かに照らし出される。相手の剣士の姿が浮かび上がる。オレガは素早く駆け出し、剣を振りぬいたが、剣士はそれを剣で受け止めた。お互いの剣が何度もぶつかり合った。
 小柄で腕力に劣るオレガは、力では相手を圧倒することはできないとわかっていた。自らの持ち味を活かす必要がある。オレガは持ち前の身軽さで、するりと剣士の左側をすり抜け、後ろ側に回り込んだ。剣士はあわてて振り向きながら、真横から剣を大きく振りぬいた。オレガはしゃがんで、その剣を躱す。オレガの頭のわずか上を剣先がかすめた。彼女が小柄であったためギリギリ躱すことができた。次の瞬間、オレガは下から剣を振り上げた。オレガの剣は剣士の顎の直前でピタリと止まった。剣士はそのままの姿勢で、剣を手放した。剣が地面に落ちる音があたりに響いた。

 数秒後、部屋の大きな扉が横開きに開いた。外の眩しい光が入り込んでくる。オレガはその眩しさに思わず、手で光を遮った。

「素晴らしい演習だった」。
 扉の方から声がした。
 オレガの師であるユルゲン・クリーガーがゆっくりと歩み寄ってきた。
 先ほどまで戦っていた剣士は少し後ろに下がってこちらを見ている。訓練の相手だった弓兵や魔術師も立ち上がった。三人とも同じ遊撃部隊の仲間だ。

 ここは海軍の空き倉庫で、最近は遊撃部隊が様々な訓練に使用している。元々武器庫として利用していたそうだが、いつのころからか、ほとんど利用されていないという。
 扉の向こう側は、ズーデハーフェンシュタットの青い海を臨むことができる。
 オレガの生まれ育った、首都アリーグラードは大陸の内陸部なので、ここに来るまで海を見たことがなかった。初めて海を見たときには感動したが、一年も住んでいればその感動も幾分薄れてしまう。また、ここの湿気の多い塩分を含んだ空気にはまだ慣れることができないでいる。

 クリーガーは、驚いたという身振りをして見せながら、話を続けた。
「たった一年間でここまで成長するとは、君には、いつも良い意味で予想を裏切られるよ、オレガ」。
 クリーガーはいつもの微笑みと一緒に、ねぎらいの言葉を掛けた。
 「お疲れ様」。
 オレガはズボンについた砂を払いながら立ち上がり、息を整えながら、「ありがとうございます」。と、いつものように無表情で答える。
 彼女は模擬剣をクリーガーに手渡すと、一言付け加えた。
「訓練用の投げナイフの形状が、だいぶ違うので、精密に相手を狙うのが難しかったです」。

 クリーガーは、オレガの成長ぶりにいつも驚かされていた。
 オレガの反射神経と身の軽さは天性の物だ。彼女が弟子になる前は、このような才能を持っているとは思ってもみなかった。むしろ、最初は彼女に懇願されて弟子にしたものの、正直なところ不安の方が勝っていた。彼女は剣を一度も握ったことがないと言っていたからだ。しかし、修練を始めると剣術も、魔術も、まるで水が砂に滲みこむように、みるみるうちに習得していった。
 さらに、投げナイフはクリーガーによって、魔術はソフィアによって伝授された。小柄なオレガの腕力は一般の兵士に比べてもかなり弱い。真正面からの剣での力押しの戦いは絶対的に不利だ。それを補う形で、戦いでは投げナイフや魔術を使うように、クリーガーから指導を受けている。意表を付いた攻撃ができ、接近戦になる前に相手を倒したり、距離を取ったりできる。
 これは有効的な技術で、クリーガー自身が実戦で投げナイフや念動魔術で何度も危機を乗り切ったのを、オレガ自身が見て知っていた。

「とりあえずだ」。
 クリーガーは、地面に落ちているオレガの上着、いや上着だった物を見た。魔術でつけられた火が消えかかり、黒焦げになっている。
 そして、彼はオレガの肌着だけになった上半身の姿を見て、自分の上着を脱いで彼女の肩に掛けて言った。
「部屋に戻って上着を着てきなさい」。
「はい」。
 と、オレガは変わらず無表情で答えた。

 オレガ・ジベリゴワは、私の一番新しい弟子だ。細い目に黒い瞳、薄い唇、長い黒髪が美しい小柄で華奢な女性だ。年齢は十六歳だが顔つきはもっと幼く見える。普段は無表情であることが多いが、以前に比べ、たまに笑顔を見せる様になった。しかし、いつもは感情を押さえているせいか、ごくまれに感情を爆発させることがある。
 彼女はブラミア帝国の首都・アリーグラードの貧しい地域の出身で、以前は首都の城内で召使いとして働いていた。帝国の出身者で“深蒼の騎士”の弟子になるのは、歴史的にも彼女が初めてだろう。

 私が“チューリン事件”の関連で、首都を訪問した際、オレガから弟子になりたいとの申し出があった。事件が片付いた後、彼女を弟子として受け入れ、昨年、首都から此処ズーデハーフェンシュタットに連れてきた。
 彼女は、此処に来るまでは、剣に触れたことがなかったという。そう言うこともあって、彼女には扱いやすい少々軽めのサーベルを使わせている。この一年間の修練でだいぶサーベルの扱いに慣れてきたようだ。まだ実戦の経験はないが、盗賊討伐などの機会があれば参加させたいと思っている。また、オレガは、私のもう一人の弟子のソフィアとは兵舎でルームメイトとなり、修練以外の普段の生活の場でも、お互いうまくやっているようだ。
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