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波乱の夏休み編

金山城(日本100名城No.17)

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 足利市駅から再び東武線に乗って、お次は太田駅まで。
 距離は近くて、10分ほどの乗車で到着した。

 伊達先輩によると、金山城跡までは結構な距離があるという。徒歩50分。
 それに、山の山頂にあって、そこまではハイキングコースを使って移動するので、とても大変だそうだ。
 できればここには、来たくなった。

 暑い中、歴史研一行は移動を開始。
 途中、少し寄り道して大光院という立派なお寺を訪問。ここまで約20分。
 このお寺は、「子育て呑龍さま」という愛称があるという。

 そして、さらに進む。
 15分ほど歩くと、金山城跡ガイダンス施設というところに到着した。
 金山城跡ガイダンス施設にある歴史解説やジオラマの展示を見て、少し休憩する。冷房が効いているのでホッとするな。

 これからは、ハイキングコースで、かなりきつめの登りの山道だ。
 僕らは施設の外にあった自販機でスポーツドリンク等を追加する。今日の様な暑い日は、熱中症対策で水分補給は必須だ。
「虫よけスプレーを持って来たから、貸してあげる」
 そう言って伊達先輩はスプレー缶を手渡してきた。皆、それを腕や首に吹き付ける。
 用意周到だな。しかし、そもそも、真夏にこの登山のあるお城を選んだのは間違いなのでは? と思ったが口にしなかった。

 一行は息を切らせながら山道を登る。だいぶ登って途中ベンチのある休憩所があったのでそこで再び休憩。もう汗だくだった。その休憩所からは、太田市街を少し望むことが来た。
 15分ほど休憩して、再び山道を登る。少し登ると駐車場があった。車を利用する人はここまで乗ってくるのだろう。ここに来るのも、合宿の時と同じように、島津先生が車を出してもらったらいいのにと思った。

 そして、さらに進む。ここからはキツイ登り坂はほとんどなかった。
 しばらく進むと、ようやく金山城跡が見えて来る。
 復元された石垣、石畳、籠城時の水の補給源としたという、日の池、月の池などがあった。


 昔は、戦国時代の関東の山城には石垣は無いというのが定説だったが、ここの発掘調査でそれが覆ったという。
 この城は、1469年に岩松家純によって築城されたという。それを近年発掘、復元されて現在の姿となる。

 一番高いところにある休憩所の中でしばらく休憩する。結局、駅からここまで、ガイダンス施設の見学を含めて1時間半近くもかかってしまった。
 暑さもあってさすがに皆疲れたようだ。

 帰りは下りだから来るときよりキツくない。
 と、言っても暑い中の徒歩50分。
 今度来ることがあれば、もう僕が奢ってもいからタクシーを使いたい、と思った。

 一行は、汗をハンカチで吹きながら、なんとかかんとか太田駅まで戻ってきた。
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