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第1章 はじまり
1-6 侵蝕
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地上から流れ込む瘴気の中、なにやらきらきらと光る一筋がある。
近付き、触れれば散ってしまう光の欠片。
久し振りに美しいと思った。
久し振りに。
『瘴気喰い』の長は疲弊していた。
限界まで同族を増やし、それでも喰いきれない瘴気を一身に引き受けてきた。増え続ける瘴気溜まりの毒気に当てられて異形へと変化する海底の同胞を屠らねばならないこともあった。
龍長達からの叱咤も止まない。今は『月光龍』となった元『月の若長』や『青海龍』が弁明を重ねてくれているであろうことも判っていたが、却って自責の念がつのるばかりだ。
いつしか発光海月の明滅も、警邏中に零れてくる光の帯も美しいとは思えなくなっていた。
幼馴染たちの訪問も、同族からの気遣いも、何もかもが鬱陶しくて。
地上に蔓延るあの種族は今日もひたすらに瘴気を撒き散らしているのだろう。自分たちが瘴気を生み出し、育て、世界を蝕んでいることに頓着することも無く。
奥歯が鳴った。
今すぐにでも全てを噛み裂いてやりたい。
元凶を作ったあの生物も、何も手を打たなかったくせに今更文句をぶつけてくる龍長達も、しつこく纏わりついてくる友人達も。
そして
何もできなかった、今でも何もできずにいる自分自身さえも。
「……長」
「長殿……」
集まってきた同族達の気配。一様に疲労を滲ませた声が突き刺さる。
──瞬時に、怒りは悔恨に代わった。
あのとき、少しでも龍長達に噛み付いていたら現状は変わっていたのだろうか。少しは現状を回避することができたのだろうか。
自分の民に苦労をかけずに済んだのだろうか。
息をつき、奥歯を噛み締めて首をもたげた。
「……心配すンな……オレは大丈夫だ」
すまない。
使えない龍長で、すまない。
ともすれば蹲り許しを請うてしまいそうになる自分を傍に漂う気配達に悟られぬよう、声に力を込めた。そんな姿はきっと誰も望んでいない。
「ご苦労、皆休んでくれ。あとはオレがやる」
自分だって龍長の端くれなのだ。光の粒が残る瘴気溜まりを砕く。
「お前らにはまだ頑張ってもらわねぇと……よく休めたらまた頼む」
気配が散ったのを確認して尾を下ろした。
目の前に漂う瘴気のカケラ。先ずは目の前のコレを取り込んで浄化しなければならない。
大きく口を開ける。
瘴気を、取り、込んで……
「……若長……!」
こめかみのあたりに衝撃を感じて我に返った。上下左右も判らぬほどに狂った感覚が一瞬で覚醒する。
「若長、大丈夫?」
「……あぁ……すまない、大丈夫。それよりねぐらに戻んなかったのかよ……困ったヤツだな」
あははと笑ってやると水が震えた。砕いた瘴気のカケラがふるふると揺れる。
「まぁ、ちょっとばかり疲れ気味なだけだ。お前が気にするこっちゃねぇよ」
「若長……」
「深海のみんなはオレら龍族が守ってやらんとなンねぇのに……心配かけちまってすまねぇな」
傍に寄り添う小さな友に髭先で水流の輪を作り投げてやる。彼は器用に水輪をくぐりその身体と同じように小さく笑った。
「若長が謝ってばっかで調子狂うよ」
「は?オレはいつでも謙虚だろうが」
「えー、いつも盛大にふんぞりかえってブーたれてると思うけどぉ?」
ブーたれてるは余計だとまた水輪を投げてやる。器用に打ち返されるソレを髭先で受け取り水流を強めて投げ返した。
やられたー、と叫びながら水流に巻き込まれてくるくる回る小さな友を笑う。
「あー、ありがとな、元気出た」
砕けて散らばった瘴気のカケラに目をやる。
「おかげでもうちょっと頑張れそうだわ」
『瘴気喰い』の長と別れた小さな友は闇の中、その平たい身体をくねらせて泳ぐ。
項垂れた首に水底の砂を擦った尾。あんな長を見たことが無かった。
こうして泳いでいるだけでも鱗に感じるようになった、どんどん数を増す瘴気溜まり。
「……ボクも役に立てれば……」
どこまでも続く闇は、けれど今までのように永遠の安寧を約束するものではなくなっていた。
近付き、触れれば散ってしまう光の欠片。
久し振りに美しいと思った。
久し振りに。
『瘴気喰い』の長は疲弊していた。
限界まで同族を増やし、それでも喰いきれない瘴気を一身に引き受けてきた。増え続ける瘴気溜まりの毒気に当てられて異形へと変化する海底の同胞を屠らねばならないこともあった。
龍長達からの叱咤も止まない。今は『月光龍』となった元『月の若長』や『青海龍』が弁明を重ねてくれているであろうことも判っていたが、却って自責の念がつのるばかりだ。
いつしか発光海月の明滅も、警邏中に零れてくる光の帯も美しいとは思えなくなっていた。
幼馴染たちの訪問も、同族からの気遣いも、何もかもが鬱陶しくて。
地上に蔓延るあの種族は今日もひたすらに瘴気を撒き散らしているのだろう。自分たちが瘴気を生み出し、育て、世界を蝕んでいることに頓着することも無く。
奥歯が鳴った。
今すぐにでも全てを噛み裂いてやりたい。
元凶を作ったあの生物も、何も手を打たなかったくせに今更文句をぶつけてくる龍長達も、しつこく纏わりついてくる友人達も。
そして
何もできなかった、今でも何もできずにいる自分自身さえも。
「……長」
「長殿……」
集まってきた同族達の気配。一様に疲労を滲ませた声が突き刺さる。
──瞬時に、怒りは悔恨に代わった。
あのとき、少しでも龍長達に噛み付いていたら現状は変わっていたのだろうか。少しは現状を回避することができたのだろうか。
自分の民に苦労をかけずに済んだのだろうか。
息をつき、奥歯を噛み締めて首をもたげた。
「……心配すンな……オレは大丈夫だ」
すまない。
使えない龍長で、すまない。
ともすれば蹲り許しを請うてしまいそうになる自分を傍に漂う気配達に悟られぬよう、声に力を込めた。そんな姿はきっと誰も望んでいない。
「ご苦労、皆休んでくれ。あとはオレがやる」
自分だって龍長の端くれなのだ。光の粒が残る瘴気溜まりを砕く。
「お前らにはまだ頑張ってもらわねぇと……よく休めたらまた頼む」
気配が散ったのを確認して尾を下ろした。
目の前に漂う瘴気のカケラ。先ずは目の前のコレを取り込んで浄化しなければならない。
大きく口を開ける。
瘴気を、取り、込んで……
「……若長……!」
こめかみのあたりに衝撃を感じて我に返った。上下左右も判らぬほどに狂った感覚が一瞬で覚醒する。
「若長、大丈夫?」
「……あぁ……すまない、大丈夫。それよりねぐらに戻んなかったのかよ……困ったヤツだな」
あははと笑ってやると水が震えた。砕いた瘴気のカケラがふるふると揺れる。
「まぁ、ちょっとばかり疲れ気味なだけだ。お前が気にするこっちゃねぇよ」
「若長……」
「深海のみんなはオレら龍族が守ってやらんとなンねぇのに……心配かけちまってすまねぇな」
傍に寄り添う小さな友に髭先で水流の輪を作り投げてやる。彼は器用に水輪をくぐりその身体と同じように小さく笑った。
「若長が謝ってばっかで調子狂うよ」
「は?オレはいつでも謙虚だろうが」
「えー、いつも盛大にふんぞりかえってブーたれてると思うけどぉ?」
ブーたれてるは余計だとまた水輪を投げてやる。器用に打ち返されるソレを髭先で受け取り水流を強めて投げ返した。
やられたー、と叫びながら水流に巻き込まれてくるくる回る小さな友を笑う。
「あー、ありがとな、元気出た」
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「おかげでもうちょっと頑張れそうだわ」
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項垂れた首に水底の砂を擦った尾。あんな長を見たことが無かった。
こうして泳いでいるだけでも鱗に感じるようになった、どんどん数を増す瘴気溜まり。
「……ボクも役に立てれば……」
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