中本さんの事情事

黒川

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研修も終わり、俺は日常に戻った。
元嫁と子ども達が居ない生活にも慣れた。気づけば結婚指輪の跡も殆ど目立たなくなっていた。
そろそろ会社も上半期が終わろうとし、職場は異動の内示にソワソワし始めている。
大きな異動の内示は年に2回。期が変わるタイミングで行われる。長くそこの支店で働いている人ほどソワソワする。俺もその1人。

ちなみに、あれから平久とは連絡は取り合ってない。支店同士の関係はあるにはあるのだが、管轄してる業種が違うので俺の課とは希薄だし、個人的な連絡先も知らない。ただ、会社のイントラネット(プライベートネットワーク)を通じて平久が居る支店の営業成績は見ている。あれからずっと右肩上がりだ。きっと上半期の業績評価で何かしらの賞を受賞するだろう。あのファイルを上手く利用してくれたのだろうか?それとも利用せずに自分たちの力で成しえたのだろうか?
どちらにせよ、連絡を取り合わなくても何となくやつの動向が伺い知れてるので、これと言って気にしてはいない。

「中本さーん」

内示日、俺は上司に呼ばれた。皆も俺の方を見る。俺の隣に座ってる女性社員なんかあからさまだ。

「ひぇ!!」

なんて小声で叫んで化け物を見たかの様に俺を見る。

「いやそこまで驚かなくても……」

苦笑いしながら女性社員の方を見た。彼女もバツが悪かったみたいで、へらっと笑い

「すみません、予想だにしてなかったもので……」

と謝られた。
俺は周りにヘコっと頭を下げてから席を立ち、上司と共に事務所を出て会議室に向かった。


ん?会議室?


いつもと様子が違う。俺は首を傾げて上司に聞いた。

「俺、異動では無いのですか?異動の内示ってわざわざ会議室に呼ばれませんよね?それこそ事務所のパーテーション挟んだ向こうで話しますよね?」

って事はこの呼び出しは内示ではない?なんか都合の悪い事したっけ?ミスか?クレームでも入ったか?と急に脇汗が出てきた。まずい、心当たりは全く無いのだが、心当たりが無いからこそ焦ってくる。

「俺……なんかしましたっけ?」

一瞬で脇の下が冷や汗でビシャビシャになった。様な気がした。
すると、上司は俺を見て済まなさそうな表情をした。
なんだその表情は。

「中本さんにとって悪い話では無いと思うよ。あぁ、ミスとかクレームじゃないから。安心して。物凄く顔に出てる。落ち着いて。ただ、本社から人が来てるってだけ。他の皆には内密でね。朝会では言ってないもんね。ごめんね。口止めされてたからさ」

とりあえず、やらかしでは無かった事にホッとした。
だがしかし。

「本社の方ですか……」

それはそれで不穏だ。
俺は言われるがままに上司と会議室に入った。

本社から来られてたのは2人。監査部から1人、メガネがキツめなオッサンと、人事部から1人、こっちはメガネが物優しげなオッサン。結果どちらもメガネのオッサン。
お互い簡単な自己紹介と挨拶を済ませ、言われるがままに椅子に座る。
最初に口を開いたのは人事部のオッサン。

「異動の告知を僕から説明するね。まず、下半期は今の支店で課長補佐に昇進。おめでとう。そして、来期は本社にある営業本部に異動ね。全国の営業店をまとめる中枢部署になるから、ちょっと大変かもしれないけど、やりがいはあると思うよ。基本、異動の告知って半期毎しか告知しないんだけど、今回君の場合は特例だから僕から説明させて貰ったよ。あ、あと来期の異動の話しはこの場限りにしてね。特例中の特例だから」

「はぁ……」

状況が上手く飲み込めないまま返事をする。昇進は、まぁ、嬉しい……が、昇進出来るほどの成果は……

「6年前に、」

俺がぼやっとしてたら、今度は監査部のオッサンが話し始めた。

「君は神奈川支店に居たね?」

「はい」

それは覚えてる。

「その翌年、要は5年前、当時の課長と担当者1名が社長賞を受賞した」

「そうですね」

それも覚えてる。

「君の業績評価を奪って」

「あぁ~……」

俺は言葉を濁した。

「ヘルプサイトからね、神奈川支店の担当者から報告を受けたんだよ。上司と先輩のパワハラと業績の不正。そして最後に5年前の社長賞の不当性を挙げていた。ご丁寧に資料まで作って。平久君、知ってるよね?」

ヘルプサイトとは、うちの社の内部通告制度の総称で、業務不正に限らずパワハラセクハラいじめの相談も出来るなんでも窓口の事だ。
いや、そんな説明より監査部のオッサン、それよりなにより

「報告者の秘匿は?普通報告者は秘匿されるものでは無いですか?」

「平久君から許可は得てる。むしろ中本君には伝えて欲しいと言われたから君に伝えた。説明不足ですまなかった。基本は秘匿されるから、君も何かあったら気軽にヘルプサイトを使って欲しい。と、言うか使って欲しかった。5年前の事を、私からで申し訳ないが謝罪させて欲しい。見抜けず君の功労を潰してしまい、すまなかった」

「あ~……いや、まぁ……」

「引いては当時の功績を査定に加味して、今回の異動と言う事になった。平久君の資料を見る限りは、君は広く物事を捉える事に長けてると思う。まずは半年、慣れた部署で役職有りの仕事に慣れてもらって、営業本部で更なる高みを目指して欲しいんだ」

なんだなんだ?急に俺の評価が爆上がりだ。
チラッと上司を見ると、困った様に笑った。

「発言、よろしいですか?」

上司がオッサン2人に聞く。

「どうぞ」

許可を貰って上司が話し始めた。

「中本さんは、職場でそんなに目立ちはしないのですが、うちの支店を回す潤滑剤です。少しですね、コミュニティが不穏なチームに配属させると彼は上手く立ち回ってそこの関係性を修復してくれるんですよ。おかげでうちの支店の空気はかなり良い方だと思います。業績評価にはしにくいですが……」

そんなの初めて聞いた。

「いつも査定面談の時は成果物と数字の話しかしないもんね。でも俺は助かってるよ。もしかしてさ、今回の君の離婚ってさ、君の仕事が原因…」

「あ!それは全く無関係なのでお構いなく!」

上司の言葉を遮る。本当に違う。それは全く因果関係は無いので話題にしないで欲しい。

「ん?中本さんはバツがついたのか?良かったら良い子紹介しようか?秘書課の子とか」

「いえ!結構です」

ほらー!変な方向に話が進んだ!
俺は「関係ない」「因果関係はない」「この会社に来る前から冷めてた」と言わなくても良いことをつらつら話し、この話を終了させた。
オッサン2人と上司は可哀想な子を見るような目で俺の事を見ていたが、今となってはどうでも良い事だ。今どきバツイチなんていくらでもいるのだから。

若干、予定時間より少し伸びた(らしい)面談を終え、オッサン2人に挨拶をし、上司と俺の2人で事務所に戻った。

「中本さぁぁぁん!!どこの支店に異動ですか?引き継ぎは誰ですか?」

戻った途端、隣の席の女性社員に聞かれた。襟元を掴みかかりそうな勢いで焦る。
近くに居る上司を見やると、また困った様に笑ってた。

「橋本さん、中本君が困ってるよ。離れて離れて。内示はいつも通り個別に告知をしてから、午後の3時に全体告知するよ。そんなに個人をせめたらダメ。気になるのは分かるけどね。個人的な会話で自分の事を話すなら良いけど、今は業務中だよ。おしゃべりは休憩時間にね」

「はぁい」

女性社員はチラチラと俺の方を見ながら自席についた。俺も続いて自席に座る。

「下半期も、この支店にお世話になります。よろしくお願いします」

コソッと彼女に教える。彼女は俺の方を方を見て、目を丸くさせ、それからため息をついた。

「あ、そうなんですね」

ニコッと笑顔を向けられる。これはどういう意味なのか?異動して欲しかったのか、そうでは無いのか、俺には見極められなかった。

通常業務をこなし、午後の3時を迎え、ようやく異動内示の全体告知が行われた。
結局うちの課の内示は、異動なし昇進が俺1人だった。店舗としては何人か入れ替えはあったのだが、うちの店舗、便宜上1店舗扱いなのだがデカすぎて課が異なると別支店レベルの関係の希薄さだったりする。なのでうちの課は変わり映えの無い面子となった。
隣の席の女性社員はあからさまに「あーあ!」とため息をついて「変わり映えが無いよー!」と呟いてた。

「俺が別店舗に行けば良かったですね」

なんて皮肉めいた事を言ってみたが、彼女はブンブンと顔を横に振って、手をパタパタと同じように横に振った。

「いや、中本さんは居てください。じゃないと困ります」

きっと俺の業務の引継ぎが彼女になると思っているのだろう。

「そうですか」

ははっと俺は愛想笑いをして、また自分の仕事に戻った。

就業時間が過ぎたので、支店電話一覧を見て神奈川支店を探す。
平久は、なんでパワハラの報告だけで済ませなかったのだろうか。それだけで充分だろうに。わざわざ何年も前の事をほじくり返すなんて。しかも資料も作ったらしいし、そんな余力があったとも思えない。
社内専用番号にかけると、程なくして担当者が出、平久に繋いで貰った。

『なかもとさああぁぁあん!!!!!』

既に帰り支度を終え、終業報告を出してる女性社員がギョッとした顔でこっちを見た。うん、俺もビックリした。やつの声のデカさに。

「平久、声デカい。うるさい」

そう言うと、

『すみません、嬉しくて。つい』

と、若干声のトーンを落とした笑い声が聞こえた。

「おつかれ」

電話をかけてみたは良いが実際声を聞くと、何から切り出したら良いか、分からなくなって少し黙ってしまった。

『中本さん、今日の夜空いてます?金曜ですし、ちょっと飲みにいきません?』

「あー、そうだな。うん。それがいい」

お互い連絡先を交換し、自宅を確認するとまさかの最寄り駅が同じ。ただ、その先が真逆だったくらい。なので、自宅の最寄り駅で待ち合わせる事になった。
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