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第二章 仲間探求編
79、戦場の再会3
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アデルは監獄の中を覗こうと目を凝らすが、兵士たちが邪魔で中の様子を窺うことが出来ない。だが十中八九、その中に林の家族が囚われているのは明らかだった。
アデルは兵士たちにバレないよう頭を引っ込めると、静かに後ろを振り向く。
『兵士が二人ほどいるのだ』
「「っ……」」
兵士に聞こえない程の小声でアデルが告げると、全員が目を見開き口を噤んだ。もしあのまま林が進んでいれば、最悪兵士に家族が殺されてしまったかもしれない。
そこまでの判断能力と素早い対応が出来る兵士とも思えないが、警戒するに越したことは無い。
その兵士たちにはフェイントが効かなかったらしく、メイリーンは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
『申し訳ありません。この城に地下があることを想定していなかったので、フェイントの有効範囲に含まれなかったのかもしれません』
『構わぬ。ここまで辿り着けたのはメイリーンのおかげなのだからな』
フェイントという神の力を行使する際重要になるのは想像と認識である。効力を発揮する範囲をイメージさえ出来ていれば良いのだが、逆にそれが出来ていないと力が反映されないのだ。メイリーンはこの城に地下があると知らず、範囲に含んでいなかったので問題の兵士たちも気絶しなかったのだろう。
メイリーンに非は無いと励ますと、アデルは再び曲がり角から少しだけ顔を覗かせる。
『……眠れ』
自身の背中で眠っているアマノに代わり、アデルはジルの込められた声を発する。その声で命令された兵士二人は抗う暇もないまま意識を手放し、その場に倒れ込んだ。
相変わらず常人離れしているその力を前に、林はどこか遠い目をしている。
「よし。行くぞ」
「おう」
早速アデルたちは曲がり角を曲がると、目的地である監獄へと歩み寄った。林は少し早歩きで監獄の目の前まで進むと、その目を大きく見開く。何故なら思い浮かべない日は無かった彼らの姿が、鮮烈に視界に飛び込んできたから。
『っ!おめぇらっ……!』
『『っ……姉ちゃんっ……』』
愛する家族を再びその目に映した林は思わずガシャン!と檻にしがみつき、絞りだした声で語りかける。再会を渇望してやまなかった林にとって、小さな彼らが再びそう呼んでくれる事実がどれ程の歓喜か、完全に理解できる者など一人たりともいないだろう。
一方、かすれた声で林を呼んだ弟妹は助けが来たことを理解したのか、堪え切れなくなったように涙を浮かべている。十代前半ぐらいの男児、十歳に満たない程度の女児、五歳ぐらいの男児の三人である。彼らは特段怪我をしている様子は無かったが、頬は痩せこけ、身体中汚れており、真面な環境下にいなかったことは一目瞭然であった。
愛する弟妹をこんな監獄に追いやった華位道国に対する怒りで林はどうにかなりそうだったが、グッと歯を食いしばってその感情を抑え込む。今は怒り狂うよりも、彼らを救出することが先決だと考えたからだ。
『待ってろお前ら。すぐ出してやるっ』
『『うん……』』
そう言った林は檻の隙間に両手を滑り込ませガシッと掴むと、思いきり力を入れ始めた。リオやアデルが剣で壊してしまえば良かったのだが、林の迫力が凄まじすぎて、誰一人として手を挙げることが出来なかったのだ。
「っ……」
とは言っても林の怪力も凄まじいので、彼女はものの十数秒でその檻をぐにゃりと変形させてしまった。ぽっかりと、子供一人であれば難なくすり抜けられる程の穴を作った林は檻から手を離すと、腕を休ませるようにプラプラと振る。
『ほら。もう出てきて大丈夫だぞ』
『うんっ……』
林が手を差し出すと、まず最初に妹がその手を取って檻から出てきた。妹が泣きながら林にしがみつくと、彼女は安心させるように頭を撫でてやる。
それから長男が末っ子を抱き上げ、そのまま林に手渡して檻から出してやり、最後にその長男が自身の力だけで脱出した。
こうして無事林の弟妹は監獄から抜け出せたのだが、メイリーンには気掛かりなことがある。
「怪我は無いようですけど……少しやつれていますね。私が治療します」
「怪我もねぇのに治療できるのか?」
「私の行使する力は病を治すことも可能です。衰弱は病に分類されますから」
何でも無い様にメイリーンが答えると、林は酷く感心したように「ほう」と声を漏らす。神の力の一つである〝ヒーリング〟はどんな不治の病も、治療不可能な大怪我でも、対象が死んでさえいなければ完治させることが出来る当に神業なので、林が感心してしまうのも無理はない。
『姉ちゃん……この人たち、だれ?』
メイリーンが治療する前にそんな疑問を零したのは、林のスカートをぎゅっと握っている妹だ。彼女の問いで我に返ったのか、弟妹たちは見知らぬレディバグ一行に警戒心を覗かせる。
『お前らを助け出すのに協力してくれた奴らだ……あぁ、悪魔の愛し子とかもいるけど気にすんな』
『え……うわっ!ホントだ!』
「…………」
林がシレっと言ってのけたことで、弟妹たちは漸くこの場に悪魔の愛し子がいることに気づき、驚きで目を見開いた。特に長男は一番驚いており、林とアデルに交互に視線を送っている。
悪魔の愛し子に対する興味を抱くのと同時に、その事実をついでの様に知らせた林の感覚が信じられないのだろう。驚いてはいるのだが、そこに憎悪や恐怖といった嫌な感情は窺えられず、林との血の繋がりを感じざるを得なかった。
「んな大袈裟に驚くなよ。馬鹿だけど悪い奴では無いぞ」
「姉ちゃんがそう言うなら別にいいけどよ」
「ていうかアデルん、割と酷いこと言われてるんだから少しは怒りなよ」
「?」
林に好き勝手言われているというのに、否定も肯定もしないアデルにリオは思わずツッコみを入れた。それでもキョトンと首を傾げているアデルを目の当たりにした弟妹たちは、そのつぶらな表情だけで彼が悪では無いことを本能的に感じ取った。
弟妹たちがアデルたちに対する警戒心を解いたことを悟ると、メイリーンは本題に入るように口を開く。
「治療をする前に、少し歌を歌っても良いですか?」
「歌?」
「メイリーンは歌を歌わないと力を使えないのだ」
「なんだそのクソ面倒なシステム」
「まぁそう言うでない。メイリーンはとても歌が上手いのでな、聴いて損は無いのだ」
メイリーンが力を借り受けている存在――神アポロンが音楽好きという事情を知らない林は腑に落ちないように首を傾げた。そんな林を宥めるアデルは困ったように眉を下げている。
『お歌、歌ってくれるの?』
「?」
「妹が、歌ってくれるのかって聞いてる」
「あぁ……はい。残念ながら華位道国の歌は歌ってさしあげられませんが――」
林の妹に尋ねられ、メイリーンは視線を合わせるようにしゃがみ込む。その際、美しい所作でスカートの裾を膝の裏に折り込んだメイリーンに、彼女は目を奪われる。
メイリーンはそのまま深呼吸すると、緩やかに歌い始めた。初めて彼女の歌を聴いた林たちはその美声に思わず目を見開き、しばらくは硬直した状態で聴き入っていた。だがその歌の一番が終わる頃には慣れてきたのか、純粋に彼女の歌を楽しみ、酔いしれていた。
特に弟妹たちはキラキラと瞳を輝かせながら、リズムに合わせて身体を揺らしており、歌という一種の娯楽を前に興奮を隠しきれずにいるようだ。長いこと監獄に囚われていた彼らにとって久方ぶりの娯楽が、世界一の歌姫による極上の音楽なのだから、その喜びは一言では言い表せるものでは無いだろう。
幼い彼らに向けてメイリーンが歌う微笑ましい光景を眺めていたアデルはふと、彼女と出会ったばかりの頃のことを思い出す。かつてメイリーンもサリドによって鳥籠の様な檻に囚われ、その自由を奪われていた。その恐怖のせいで歌えなかった彼女が、今では自身と同じような境遇にいた彼らに歌を送っている。その事実が何とも感慨深く、アデルは思わず破顔する。
「ヒーリング」
歌い終えたメイリーンは静かに詠唱した。すると白く暖かな淡い光がその場を包み込み、林たちは驚きで目を見開く。弟妹たちは怪我をしていなかったので、傍から見るとあまり変化を感じられないが、当人たちはその効果を十分に感じ取っていた。
怠かった身体が監禁される以前と同じぐらいに回復し、痩せこけた頬もふっくらとしたので、弟妹たちは嬉々とした相好を露わにする。
『すごいっ……身体が軽くなった……』
『お姉さん凄いね!』
『すごぉい……』
長男、次女、次男の順に称賛の声を送ると、メイリーンは照れたように頬を染めてしまう。華位道国の言語なので何を言っているのかは分かっていないのだが、その興奮気味な声音で称賛されていることだけは理解できたのだ。一方、手の甲に走っていた痛みが消えていることに気づいた林は、思わず自身の手をまじまじと観察し、扉を破壊した時の傷が完全に塞がっていることを悟った。
「アタシの分までわりぃな」
「いえ……一気に全員を治療する方が楽なので」
「俺たちの分もありがとね、メイメイ」
「はい」
メイリーンはその場にいる全員の治療をしたので、リオたちが負っていた小さな擦り傷や切り傷も治っていたのだ。林やリオから感謝の言葉を受け取ったメイリーンは、少し気恥ずかしそうに破顔した。
「あぁそうだ、お前ら。コイツらのおかげで助かったんだ。ちゃんと礼言えよ」
「そういう姉ちゃんは言ったの?」
「ぐっ……」
長男だけはアンレズナの共通言語を話せるのか、彼はアデルたちにも分かるように尋ねた。長男と言っても、年はかなり離れている弟に言い負かされ、林は思わず言葉を詰まらせる。確かに記憶を思い起こすと、林は兵士を始めとする華位道国の人々を気絶させたメイリーンにしか礼を言っておらず、そもそもの発端であるアデルにはキチンとした感謝を告げていなかったのだ。
「………………おいアデル」
「?」
長い沈黙の後、林は低く唸るような声でアデルを呼んだ。呼ばれた彼はキョトンと首を傾げる。
「あ…………」
「ん?すまぬ、よく聞こえぬのだ」
普段は威勢の良いはきはきとした声で話すというのに、この時ばかりは小さく聞き取り辛い声でごにょごにょと言い淀む林。思わずアデルは当惑気味に聞き返した。
「っ……あんがとよっつったんだよクソが!」
「っ……!」
礼を言いながら罵るという、斬新な感謝の仕方をした林は、顔を茹でダコのように真っ赤に染め上げている。恥ずかしさが限界値を突破したのか、林は込み上げる力のままにアデルを殴ろうとするが、咄嗟にその拳を彼が包んだことで大事には至らなかった。
パシッと心地の良い音が鳴り、アデルは安堵のため息を漏らす。
「急に殴るでない、林」
「けっ……」
「リンリンはツンデレなのね」
「「?」」
そつなく自身の攻撃を受け止められたので、林は悔し気に顔を逸らすとアデルから少し離れた。微笑ましいものを見る様な表情で言ったリオに、全員が首を傾げてしまう。
「すいません。こんな姉で……」
「おい」
「……そんなこと無いのだ」
長男が林に代わって非礼を詫びると、〝こんな姉〟呼ばわりされてしまった彼女は不満気な声を上げた。アデルはそんな彼の発言を否定すると、何を思ったのか弟妹たちの前でしゃがみ込んだ。
アデルが同じ目線の高さに合わせると、弟妹達は当惑気味に首を傾げてしまう。
「三人の名前を教えてくれるか?」
「えっと、俺が皓然で妹が悠然、弟が思然です」
華位道国の言葉が話せない悠然、思然に代わって長男の皓然が三人分の名前を答えてやった。
「皓然、悠然、思然。よいか?林はお主たちの為、たった一人で戦場に立ち、敵であった我に勇敢に立ち向かってきたのだ。我は林の様に、己の力のみでここまで勇ましく振舞える女性を他に知らぬ。林はとても強い……尊敬に値する女性なのだ。〝こんな姉〟などではない。もっと誇ると良いのだ。自分たちの姉はこんなにも強いのだと」
酷く優しい眼差しを弟妹達に向けながらアデルが言うと、全員が思わず息を呑んだ。悠然と思然はアデルが何を言ったのか聞き取れていないが、それでも彼の真剣な瞳を見れば、大事なことを話していることは理解できていた。
そんな中、誰よりも驚きで目を見開いていたのは林である。アデルからの印象に驚いたのも理由の一つではあるが、彼女が心を動かしたのは彼が称賛の言葉をくれたからではない。
林はこれまでの人生、その底知れない力を称賛されたことは何度かあった。だがその粗暴な振る舞いや、男顔負けの馬鹿力を目の当たりにした者たちは、誰一人として彼女を女性として扱わなかったのだ。
だがアデルははっきりと、尊敬に値する女性と口にした。林の実力を認めて尚、アデルが自身を女性として見てくれることが、林にとっては何よりも衝撃的だったのだ。
「……はいっ!」
「うむ。良い返事である」
皓然が元気よく返事をすると、アデルは満足気に頷きながら彼の頭を優しく撫でた。一方の林はそんなアデルを熱の籠った視線で捉えながら、高鳴る心臓を抑え込もうと奮起するのだった。
アデルは兵士たちにバレないよう頭を引っ込めると、静かに後ろを振り向く。
『兵士が二人ほどいるのだ』
「「っ……」」
兵士に聞こえない程の小声でアデルが告げると、全員が目を見開き口を噤んだ。もしあのまま林が進んでいれば、最悪兵士に家族が殺されてしまったかもしれない。
そこまでの判断能力と素早い対応が出来る兵士とも思えないが、警戒するに越したことは無い。
その兵士たちにはフェイントが効かなかったらしく、メイリーンは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
『申し訳ありません。この城に地下があることを想定していなかったので、フェイントの有効範囲に含まれなかったのかもしれません』
『構わぬ。ここまで辿り着けたのはメイリーンのおかげなのだからな』
フェイントという神の力を行使する際重要になるのは想像と認識である。効力を発揮する範囲をイメージさえ出来ていれば良いのだが、逆にそれが出来ていないと力が反映されないのだ。メイリーンはこの城に地下があると知らず、範囲に含んでいなかったので問題の兵士たちも気絶しなかったのだろう。
メイリーンに非は無いと励ますと、アデルは再び曲がり角から少しだけ顔を覗かせる。
『……眠れ』
自身の背中で眠っているアマノに代わり、アデルはジルの込められた声を発する。その声で命令された兵士二人は抗う暇もないまま意識を手放し、その場に倒れ込んだ。
相変わらず常人離れしているその力を前に、林はどこか遠い目をしている。
「よし。行くぞ」
「おう」
早速アデルたちは曲がり角を曲がると、目的地である監獄へと歩み寄った。林は少し早歩きで監獄の目の前まで進むと、その目を大きく見開く。何故なら思い浮かべない日は無かった彼らの姿が、鮮烈に視界に飛び込んできたから。
『っ!おめぇらっ……!』
『『っ……姉ちゃんっ……』』
愛する家族を再びその目に映した林は思わずガシャン!と檻にしがみつき、絞りだした声で語りかける。再会を渇望してやまなかった林にとって、小さな彼らが再びそう呼んでくれる事実がどれ程の歓喜か、完全に理解できる者など一人たりともいないだろう。
一方、かすれた声で林を呼んだ弟妹は助けが来たことを理解したのか、堪え切れなくなったように涙を浮かべている。十代前半ぐらいの男児、十歳に満たない程度の女児、五歳ぐらいの男児の三人である。彼らは特段怪我をしている様子は無かったが、頬は痩せこけ、身体中汚れており、真面な環境下にいなかったことは一目瞭然であった。
愛する弟妹をこんな監獄に追いやった華位道国に対する怒りで林はどうにかなりそうだったが、グッと歯を食いしばってその感情を抑え込む。今は怒り狂うよりも、彼らを救出することが先決だと考えたからだ。
『待ってろお前ら。すぐ出してやるっ』
『『うん……』』
そう言った林は檻の隙間に両手を滑り込ませガシッと掴むと、思いきり力を入れ始めた。リオやアデルが剣で壊してしまえば良かったのだが、林の迫力が凄まじすぎて、誰一人として手を挙げることが出来なかったのだ。
「っ……」
とは言っても林の怪力も凄まじいので、彼女はものの十数秒でその檻をぐにゃりと変形させてしまった。ぽっかりと、子供一人であれば難なくすり抜けられる程の穴を作った林は檻から手を離すと、腕を休ませるようにプラプラと振る。
『ほら。もう出てきて大丈夫だぞ』
『うんっ……』
林が手を差し出すと、まず最初に妹がその手を取って檻から出てきた。妹が泣きながら林にしがみつくと、彼女は安心させるように頭を撫でてやる。
それから長男が末っ子を抱き上げ、そのまま林に手渡して檻から出してやり、最後にその長男が自身の力だけで脱出した。
こうして無事林の弟妹は監獄から抜け出せたのだが、メイリーンには気掛かりなことがある。
「怪我は無いようですけど……少しやつれていますね。私が治療します」
「怪我もねぇのに治療できるのか?」
「私の行使する力は病を治すことも可能です。衰弱は病に分類されますから」
何でも無い様にメイリーンが答えると、林は酷く感心したように「ほう」と声を漏らす。神の力の一つである〝ヒーリング〟はどんな不治の病も、治療不可能な大怪我でも、対象が死んでさえいなければ完治させることが出来る当に神業なので、林が感心してしまうのも無理はない。
『姉ちゃん……この人たち、だれ?』
メイリーンが治療する前にそんな疑問を零したのは、林のスカートをぎゅっと握っている妹だ。彼女の問いで我に返ったのか、弟妹たちは見知らぬレディバグ一行に警戒心を覗かせる。
『お前らを助け出すのに協力してくれた奴らだ……あぁ、悪魔の愛し子とかもいるけど気にすんな』
『え……うわっ!ホントだ!』
「…………」
林がシレっと言ってのけたことで、弟妹たちは漸くこの場に悪魔の愛し子がいることに気づき、驚きで目を見開いた。特に長男は一番驚いており、林とアデルに交互に視線を送っている。
悪魔の愛し子に対する興味を抱くのと同時に、その事実をついでの様に知らせた林の感覚が信じられないのだろう。驚いてはいるのだが、そこに憎悪や恐怖といった嫌な感情は窺えられず、林との血の繋がりを感じざるを得なかった。
「んな大袈裟に驚くなよ。馬鹿だけど悪い奴では無いぞ」
「姉ちゃんがそう言うなら別にいいけどよ」
「ていうかアデルん、割と酷いこと言われてるんだから少しは怒りなよ」
「?」
林に好き勝手言われているというのに、否定も肯定もしないアデルにリオは思わずツッコみを入れた。それでもキョトンと首を傾げているアデルを目の当たりにした弟妹たちは、そのつぶらな表情だけで彼が悪では無いことを本能的に感じ取った。
弟妹たちがアデルたちに対する警戒心を解いたことを悟ると、メイリーンは本題に入るように口を開く。
「治療をする前に、少し歌を歌っても良いですか?」
「歌?」
「メイリーンは歌を歌わないと力を使えないのだ」
「なんだそのクソ面倒なシステム」
「まぁそう言うでない。メイリーンはとても歌が上手いのでな、聴いて損は無いのだ」
メイリーンが力を借り受けている存在――神アポロンが音楽好きという事情を知らない林は腑に落ちないように首を傾げた。そんな林を宥めるアデルは困ったように眉を下げている。
『お歌、歌ってくれるの?』
「?」
「妹が、歌ってくれるのかって聞いてる」
「あぁ……はい。残念ながら華位道国の歌は歌ってさしあげられませんが――」
林の妹に尋ねられ、メイリーンは視線を合わせるようにしゃがみ込む。その際、美しい所作でスカートの裾を膝の裏に折り込んだメイリーンに、彼女は目を奪われる。
メイリーンはそのまま深呼吸すると、緩やかに歌い始めた。初めて彼女の歌を聴いた林たちはその美声に思わず目を見開き、しばらくは硬直した状態で聴き入っていた。だがその歌の一番が終わる頃には慣れてきたのか、純粋に彼女の歌を楽しみ、酔いしれていた。
特に弟妹たちはキラキラと瞳を輝かせながら、リズムに合わせて身体を揺らしており、歌という一種の娯楽を前に興奮を隠しきれずにいるようだ。長いこと監獄に囚われていた彼らにとって久方ぶりの娯楽が、世界一の歌姫による極上の音楽なのだから、その喜びは一言では言い表せるものでは無いだろう。
幼い彼らに向けてメイリーンが歌う微笑ましい光景を眺めていたアデルはふと、彼女と出会ったばかりの頃のことを思い出す。かつてメイリーンもサリドによって鳥籠の様な檻に囚われ、その自由を奪われていた。その恐怖のせいで歌えなかった彼女が、今では自身と同じような境遇にいた彼らに歌を送っている。その事実が何とも感慨深く、アデルは思わず破顔する。
「ヒーリング」
歌い終えたメイリーンは静かに詠唱した。すると白く暖かな淡い光がその場を包み込み、林たちは驚きで目を見開く。弟妹たちは怪我をしていなかったので、傍から見るとあまり変化を感じられないが、当人たちはその効果を十分に感じ取っていた。
怠かった身体が監禁される以前と同じぐらいに回復し、痩せこけた頬もふっくらとしたので、弟妹たちは嬉々とした相好を露わにする。
『すごいっ……身体が軽くなった……』
『お姉さん凄いね!』
『すごぉい……』
長男、次女、次男の順に称賛の声を送ると、メイリーンは照れたように頬を染めてしまう。華位道国の言語なので何を言っているのかは分かっていないのだが、その興奮気味な声音で称賛されていることだけは理解できたのだ。一方、手の甲に走っていた痛みが消えていることに気づいた林は、思わず自身の手をまじまじと観察し、扉を破壊した時の傷が完全に塞がっていることを悟った。
「アタシの分までわりぃな」
「いえ……一気に全員を治療する方が楽なので」
「俺たちの分もありがとね、メイメイ」
「はい」
メイリーンはその場にいる全員の治療をしたので、リオたちが負っていた小さな擦り傷や切り傷も治っていたのだ。林やリオから感謝の言葉を受け取ったメイリーンは、少し気恥ずかしそうに破顔した。
「あぁそうだ、お前ら。コイツらのおかげで助かったんだ。ちゃんと礼言えよ」
「そういう姉ちゃんは言ったの?」
「ぐっ……」
長男だけはアンレズナの共通言語を話せるのか、彼はアデルたちにも分かるように尋ねた。長男と言っても、年はかなり離れている弟に言い負かされ、林は思わず言葉を詰まらせる。確かに記憶を思い起こすと、林は兵士を始めとする華位道国の人々を気絶させたメイリーンにしか礼を言っておらず、そもそもの発端であるアデルにはキチンとした感謝を告げていなかったのだ。
「………………おいアデル」
「?」
長い沈黙の後、林は低く唸るような声でアデルを呼んだ。呼ばれた彼はキョトンと首を傾げる。
「あ…………」
「ん?すまぬ、よく聞こえぬのだ」
普段は威勢の良いはきはきとした声で話すというのに、この時ばかりは小さく聞き取り辛い声でごにょごにょと言い淀む林。思わずアデルは当惑気味に聞き返した。
「っ……あんがとよっつったんだよクソが!」
「っ……!」
礼を言いながら罵るという、斬新な感謝の仕方をした林は、顔を茹でダコのように真っ赤に染め上げている。恥ずかしさが限界値を突破したのか、林は込み上げる力のままにアデルを殴ろうとするが、咄嗟にその拳を彼が包んだことで大事には至らなかった。
パシッと心地の良い音が鳴り、アデルは安堵のため息を漏らす。
「急に殴るでない、林」
「けっ……」
「リンリンはツンデレなのね」
「「?」」
そつなく自身の攻撃を受け止められたので、林は悔し気に顔を逸らすとアデルから少し離れた。微笑ましいものを見る様な表情で言ったリオに、全員が首を傾げてしまう。
「すいません。こんな姉で……」
「おい」
「……そんなこと無いのだ」
長男が林に代わって非礼を詫びると、〝こんな姉〟呼ばわりされてしまった彼女は不満気な声を上げた。アデルはそんな彼の発言を否定すると、何を思ったのか弟妹たちの前でしゃがみ込んだ。
アデルが同じ目線の高さに合わせると、弟妹達は当惑気味に首を傾げてしまう。
「三人の名前を教えてくれるか?」
「えっと、俺が皓然で妹が悠然、弟が思然です」
華位道国の言葉が話せない悠然、思然に代わって長男の皓然が三人分の名前を答えてやった。
「皓然、悠然、思然。よいか?林はお主たちの為、たった一人で戦場に立ち、敵であった我に勇敢に立ち向かってきたのだ。我は林の様に、己の力のみでここまで勇ましく振舞える女性を他に知らぬ。林はとても強い……尊敬に値する女性なのだ。〝こんな姉〟などではない。もっと誇ると良いのだ。自分たちの姉はこんなにも強いのだと」
酷く優しい眼差しを弟妹達に向けながらアデルが言うと、全員が思わず息を呑んだ。悠然と思然はアデルが何を言ったのか聞き取れていないが、それでも彼の真剣な瞳を見れば、大事なことを話していることは理解できていた。
そんな中、誰よりも驚きで目を見開いていたのは林である。アデルからの印象に驚いたのも理由の一つではあるが、彼女が心を動かしたのは彼が称賛の言葉をくれたからではない。
林はこれまでの人生、その底知れない力を称賛されたことは何度かあった。だがその粗暴な振る舞いや、男顔負けの馬鹿力を目の当たりにした者たちは、誰一人として彼女を女性として扱わなかったのだ。
だがアデルははっきりと、尊敬に値する女性と口にした。林の実力を認めて尚、アデルが自身を女性として見てくれることが、林にとっては何よりも衝撃的だったのだ。
「……はいっ!」
「うむ。良い返事である」
皓然が元気よく返事をすると、アデルは満足気に頷きながら彼の頭を優しく撫でた。一方の林はそんなアデルを熱の籠った視線で捉えながら、高鳴る心臓を抑え込もうと奮起するのだった。
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