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第二章 仲間探求編
64、亜人の国1
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「アデルん、いいの?折角華位道国まで来たのに……」
呆けているナギカに代わり、リオはそう尋ねた。ナギカを故郷に送り届けるということは、やっとの思いで辿り着いた華位道国から離れることを意味するので、リオの心配は当然である。
「あぁ。一度でも訪れれば転移術が使えるのでな。ここにはいつでも一瞬で戻ることが出来る故、気にする必要は無いのだ」
「あの……本当によろしいのですか?」
「うむ。我も師匠の故郷には一度行ってみたいと昔から思っていたのだ。丁度いい機会である。皆が賛成してくれるのであれば、今すぐにでも向かうとするのだ」
当惑気味に尋ねられたアデルは、飾らない本心で肯定した。亜人の国はエルの故郷でもあるので、アデルにとっては興味深い場所なのだ。
そして何より。アデルにとって気掛かりなあの件の真実を知るには、亜人の国を訪れることが今できる最善手なのである。
『この亜人、昔私の愛し子を殺したのよ。思い出しただけでも腹立たしいわ』
アデルにとって未だに解けていない謎とは、悪魔ルルラルカと初めて対峙した際に聞かされたエルの過去についてだ。
あの話がルルラルカの法螺では無いとするならば、何故エルが愛し子を殺したのか。その理由がアデルには皆目見当がつかなかった。単なる愛し子に対する嫌悪感でエルがそのようなことをするとは到底思えず、何かのっぴきならない事情があったのではないか。だとしたらその事情とは何なのか。
アデルはずっとそれを知りたいと思っていたのだ。
「私は良いと思いますよ。幸い、華位道国と亜人の国は隣国……数日で国境を越えられるでしょうから」
ルークが賛成の意を示すと、他の面々もそれに同調するように頷いた。そんな彼らの反応を満足気に確認すると、
「決まりであるな」
アデルは正式に亜人の国へ向かうことを決めるのだった。
********
あの瞬間――檻の中、リオと目が合ったあの時ナギカは思った。
この人は自分が今まで出会ってきたどんな人とも違う、奇妙な瞳をしていると。強いようでいて、どこか弱い部分も感じられる。当たり障りのない様でいて、刺激的でもある。そんな風に感じた。
そしてこうも思った。この人は多分、自分をズタズタに傷つけてきた男たちとは違う人種だと。
だからなのか、藁にも縋る思いだったのか。ナギカはリオに助けを求めるような眼差しを向けた。
もう、助けてもらったところで手遅れだというのに。
腐りきった男に身体を穢され、亜人の誇りとも言える耳を切り落とされ、身体を何度も何度も痛めつけられた。あの時感じた恐怖、痛み、屈辱。それらは一生忘れることなど出来ないだろうし、これから先ずっとナギカを苦しめ続けるだろう。
そんな黒い感情に苛まれながら生きるぐらいなら、死んだ方が良かったのではないか。そしてナギカは、折角助けてもらったというのに、そんなことを思ってしまう自分が嫌で堪らなかった。
考えすぎて、悩み、苦しくなると、ナギカはあの時のことを鮮明に思い出す。
意識を失う直前、自身から自由を奪っていた檻を一切の迷いなく斬ったリオは、ナギカの知るどんな人よりも精悍で、真っすぐで、キラキラと眩しく光っていた。
リオのその姿を思い出すと、もうそれが全てでいいのではないかと、ナギカは思ってしまった。自分はもう、この人の輝きを見るためだけに生きてしまっても良いのではないかと。この人の為だけに生きても良いのではないかと。冗談でも何でもなく、本気でそう思えてしまったのだ。
ナギカにとってリオ・カグラザカという人物は、一言で言ってしまえば異星人である。
優しいのか、ただの自分勝手なのか。男の様に精悍なのか、女の様に温かいのか。お調子者なのか、誰よりも真面な人間なのか。どちらとも言えるし、どちらとも言えない。
ナギカはきっと、一生リオ・カグラザカという人間を理解できないのだろうと、朧げに思う。
いや、だからこそなのだ。理解できないからこそ、リオはナギカの一生を捧げるに相応しいのでは無いか。そんな結論に考え至ってしまう時点で、もうナギカは毒されていることを自覚していた。
最後に思い出すのは、毒されても良いかもしれないと思える程のリオの姿。あの瞬間、ナギカの世界は一方的に広げられてしまった。
思い出すのも悍ましいというのに、記憶に刻まれて消えてくれない奴隷時代の苦しみを悪夢に見ても、最後にはそんなリオが現れてくれるから、ナギカは何度も何度も救われ続けてしまう。
そして、夢から目覚める度に思うことになるのだ――全くもって忌々しいと。
********
「っ……」
亜人の国へと向かうワゴン車の中、眠ってしまっていたナギカは夢と現実の狭間に立っているせいで、当惑気味に辺りを見回した。
だがナギカの心臓は不安で波打っておらず、自身の単純さに自嘲じみた笑みを浮かべたくなってしまう。
奴隷時代の悪夢を見ていたはずなのに、いつの間にかリオとの出会いを夢で思い出していたことに、ナギカは何とも言えない感情に襲われた。
「すぅ……すぅ……」
ふと、前の座席にいるリオに視線をやると呑気に寝息を立てており、本当にこれがあの精悍な人と同一人物なのかと疑ってしまう。
「あ、起きられましたね」
「……おはよう、ございます。メイリーン様」
「ふふっ。慣れない乗り物に疲れてしまわれましたか?」
「……慣れていても疲れている人はいるみたいですが……」
隣に座っていたメイリーンは、意味深なナギカの発言に思わずキョトンと首を傾げるが、彼女の視線を追うとすぐに察して苦笑する。
「……あぁ、リオ様は疲れているのではなくて、単に寝るのが好きなだけですよ」
「自由な、方ですね……」
「……リオ様のこと、苦手ですか?」
「えっ」
ボーっとしながらリオを見つめていたナギカだが、思いがけない質問を投げかけられたので、メイリーンから目を離せなくなってしまう。
はっきりとナギカの視界に映っているメイリーンは、どこか悲しそうに眉を下げていて、自分がこんな顔にさせたのかと彼女はショックを受けてしまう。
「ち、ちが……そうじゃないです。すいません。私、普段わりと感情の起伏が少ない方というか……怒ってないのに、怒っているように見えることがあるらしくて……」
「……そうでしたか。誤解してしまって、申し訳ありません……」
「いえ。そんな……」
リオに蹴りかかった時は、混乱のあまりそれが誰かも分からないまま抵抗してしまったが、あれはナギカにとって滅多にない反応だったのだ。
不安で精神を支配されていたのであそこまで慌ててしまったが、本来の彼女はリオが称した様に〝ドライ〟な性格なのだ。
故に表情が硬く、ナギカはこれまで「何を考えているか分からない」と何度も言われ続けていた。
「私はリオ様のことを……優しい方だと思っています。男性に怯えてしまう私の為に、わざわざ口調まで変えて下さるような方ですし……」
「「…………へ?」」
「?」
想定外過ぎる斜め上からの勘違いに、思わず会話を聞いていた全員が面白い程息ピッタリにナギカの方を振り向いて、その呆けた声を重ねた。
どうやらナギカは、リオが男なのに女口調で話すのは少しでも自身を怖がらせない為の気遣いだと勘違いしたらしい。
「ぶっ……違うのだ。リオのあれは――」
思わず破顔一笑したアデルは、彼女に説明してやることにした。
リオに前世の記憶があること。その前世は、このアンレズナとは別の世界での記憶だということ。リオが前世で女性だったことから、その感覚が微妙に抜けずあのような話し方をしていること。その全てを。
「――あぁ、道理で……」
「道理で?」
話を聞き終えたナギカは酷く納得してしまった。リオのことを理解できない理由の大元を知れた様な気がしたから。
しっくりと腑に落ちてしまった為、ナギカはアデルの話を疑ったりはしなかった。その方が彼女にとって都合が良かったからかもしれないが、それでも彼女がリオの過去を信じてくれたことがアデルは嬉しかった。
「……道理で……変な人だなと」
「面白いであろう?」
「……そうですね」
自覚できる程可愛くない方の本音を吐露したナギカだったが、アデルが都合よく解釈してくれたので、彼女はほんの少しだけ頬を緩めた。
すると――。
「いまナギ助笑った!?」
いつの間にか起きていたリオが食い気味で後ろの席に身体を乗り出し、驚きと喜びで大声を上げた。
「……笑ってません」
「笑ったよね!?」
「笑ってません」
「いや絶対笑ったって!」
「しつこいです。笑ってません」
ナギカにとってはどうでも良いことだが、今まで彼女の笑顔を一度も見ていないリオにとってそれは一大事であった。
ムキになって思わずそっぽを向くナギカだが、自身の失態に気づき思わずハッと顔を強張らせる。
(しまった……恩人であるリオ様につい無礼な物言いを……)
ナギカは昔から、自分のこういう性格があまり好きでは無かった。ナギカが何か話す度、その飾らない物言いのせいで相手を不快にさせてしまうことを彼女は何度も悔いてきた。良くも悪くも、ナギカは媚びるということを知らない。他人に嫌われてもどうとも思わないことが原因だが、それでも無神経というわけでは無いので、相手が不快になれば申し訳ないと思ってしまうのだ。
「?大丈夫?ナギ助」
「はい……」
「本当に?」
「はい」
「何ともない?」
「はい」
「笑ったよね?」
「は……笑ってません」
「くそっ、引っ掛からないか……」
まるで十回クイズのような方法で認めさせようと試みるリオだったが、ナギカの方が一枚上手だったようで、悔し気に歯噛みしてしまう。
そんなこんなで車内は賑やかな状態で、亜人の国への道をどんどん進んでいくのだった。
********
亜人の国は正式名称が〝亜人の国〟で、それ以外の名称を持っていない。他国と関わりを持とうとすることも、他国が亜人の国に関わろうとすることもあまり無いので、わざわざ堅苦しい国名を作る必要が無かったことが原因の一つである。
そしてもう一つの理由は、亜人の国に王や元首といった代表者が存在しないことだ。何百年も生きている老人たちが国を管理してはいるのだが、正式な責任者はおらず、その老人たちが強い権限を持っている訳でも無いのだ。
因みに他国が亜人の国に関わろうとするのは、利益のために彼らを貶め、利用しようとする時だけだ。他国の重鎮たちにとって亜人の尊厳など、地面を一瞥しないまま踏みにじって当然という認識である。
そんな亜人の国は〝大きな村〟という印象を覚える程静かな国で、観光地になるような目立った場所も建造物も無い。この世界で差別対象となっている亜人たちがひっそりと身を寄せ合い、静かに暮らしているのが偶々その場所だっただけという認識なのだ。
大きなワゴン車の窓から窺えるのは、自然に溢れた閑静な国。久しぶりの祖国を前に、ナギカはその瞳にキラキラとした光を滲ませた。
彼女が歓喜で涙を流すことは無かったが、それでもそのガラス玉のような瞳だけでナギカのじんわりとした心情が伝わってくる。
「これが師匠の故郷であるか……」
「……そう言えば、ア、デル様のお師匠様は、何という名前なのですか?もしかすると、私の知っている方かも……」
車から降り、亜人の国を感慨深そうに見つめるアデルに、ナギカはふと思い出したように尋ねた。
エルは冒険者界隈では有名人だったので、同じ亜人であるナギカが知っている可能性は大いにあった。
「エルという、無性の亜人である」
「えっ……」
「……ナギカ?」
エルの名前を耳にした途端、ナギカは全身の力が抜けたように茫然自失とし、途轍もない衝撃を受けていた。
何か問題があったのだろうかと危惧し、アデルは思わず不安気に首を傾げてしまう。
「……ナギ助?どうしたの?」
「その、方は……知って、います」
「そうなのであるか?」
「はい……実際に会ったことはありませんが、祖国では有名な方で……」
何とか言葉を発するナギカだが、未だに当惑しているようで目の焦点が合っていない。
「有名?それはどういう……」
「……エル、という亜人は……祖国で生まれた悪魔の愛し子を、その手で殺した方だと……そう聞いています……」
「「っ!?」」
「……」
リオの問いにナギカが気まずそうに答えると、アデル以外の全員がその衝撃に目を見開いた。彼らはアデルからその話を聞いていなかったのだ。
一方、たった一人その告白を冷静に受け止めているアデルを、全員が心配そうな瞳で捉えている。
「やはり……そうなのだな……」
緩やかな風が吹き抜ける中、静かでありながら深く重いアデルの声が、彼らの心をするりと通り抜けて溶けていった。
呆けているナギカに代わり、リオはそう尋ねた。ナギカを故郷に送り届けるということは、やっとの思いで辿り着いた華位道国から離れることを意味するので、リオの心配は当然である。
「あぁ。一度でも訪れれば転移術が使えるのでな。ここにはいつでも一瞬で戻ることが出来る故、気にする必要は無いのだ」
「あの……本当によろしいのですか?」
「うむ。我も師匠の故郷には一度行ってみたいと昔から思っていたのだ。丁度いい機会である。皆が賛成してくれるのであれば、今すぐにでも向かうとするのだ」
当惑気味に尋ねられたアデルは、飾らない本心で肯定した。亜人の国はエルの故郷でもあるので、アデルにとっては興味深い場所なのだ。
そして何より。アデルにとって気掛かりなあの件の真実を知るには、亜人の国を訪れることが今できる最善手なのである。
『この亜人、昔私の愛し子を殺したのよ。思い出しただけでも腹立たしいわ』
アデルにとって未だに解けていない謎とは、悪魔ルルラルカと初めて対峙した際に聞かされたエルの過去についてだ。
あの話がルルラルカの法螺では無いとするならば、何故エルが愛し子を殺したのか。その理由がアデルには皆目見当がつかなかった。単なる愛し子に対する嫌悪感でエルがそのようなことをするとは到底思えず、何かのっぴきならない事情があったのではないか。だとしたらその事情とは何なのか。
アデルはずっとそれを知りたいと思っていたのだ。
「私は良いと思いますよ。幸い、華位道国と亜人の国は隣国……数日で国境を越えられるでしょうから」
ルークが賛成の意を示すと、他の面々もそれに同調するように頷いた。そんな彼らの反応を満足気に確認すると、
「決まりであるな」
アデルは正式に亜人の国へ向かうことを決めるのだった。
********
あの瞬間――檻の中、リオと目が合ったあの時ナギカは思った。
この人は自分が今まで出会ってきたどんな人とも違う、奇妙な瞳をしていると。強いようでいて、どこか弱い部分も感じられる。当たり障りのない様でいて、刺激的でもある。そんな風に感じた。
そしてこうも思った。この人は多分、自分をズタズタに傷つけてきた男たちとは違う人種だと。
だからなのか、藁にも縋る思いだったのか。ナギカはリオに助けを求めるような眼差しを向けた。
もう、助けてもらったところで手遅れだというのに。
腐りきった男に身体を穢され、亜人の誇りとも言える耳を切り落とされ、身体を何度も何度も痛めつけられた。あの時感じた恐怖、痛み、屈辱。それらは一生忘れることなど出来ないだろうし、これから先ずっとナギカを苦しめ続けるだろう。
そんな黒い感情に苛まれながら生きるぐらいなら、死んだ方が良かったのではないか。そしてナギカは、折角助けてもらったというのに、そんなことを思ってしまう自分が嫌で堪らなかった。
考えすぎて、悩み、苦しくなると、ナギカはあの時のことを鮮明に思い出す。
意識を失う直前、自身から自由を奪っていた檻を一切の迷いなく斬ったリオは、ナギカの知るどんな人よりも精悍で、真っすぐで、キラキラと眩しく光っていた。
リオのその姿を思い出すと、もうそれが全てでいいのではないかと、ナギカは思ってしまった。自分はもう、この人の輝きを見るためだけに生きてしまっても良いのではないかと。この人の為だけに生きても良いのではないかと。冗談でも何でもなく、本気でそう思えてしまったのだ。
ナギカにとってリオ・カグラザカという人物は、一言で言ってしまえば異星人である。
優しいのか、ただの自分勝手なのか。男の様に精悍なのか、女の様に温かいのか。お調子者なのか、誰よりも真面な人間なのか。どちらとも言えるし、どちらとも言えない。
ナギカはきっと、一生リオ・カグラザカという人間を理解できないのだろうと、朧げに思う。
いや、だからこそなのだ。理解できないからこそ、リオはナギカの一生を捧げるに相応しいのでは無いか。そんな結論に考え至ってしまう時点で、もうナギカは毒されていることを自覚していた。
最後に思い出すのは、毒されても良いかもしれないと思える程のリオの姿。あの瞬間、ナギカの世界は一方的に広げられてしまった。
思い出すのも悍ましいというのに、記憶に刻まれて消えてくれない奴隷時代の苦しみを悪夢に見ても、最後にはそんなリオが現れてくれるから、ナギカは何度も何度も救われ続けてしまう。
そして、夢から目覚める度に思うことになるのだ――全くもって忌々しいと。
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「っ……」
亜人の国へと向かうワゴン車の中、眠ってしまっていたナギカは夢と現実の狭間に立っているせいで、当惑気味に辺りを見回した。
だがナギカの心臓は不安で波打っておらず、自身の単純さに自嘲じみた笑みを浮かべたくなってしまう。
奴隷時代の悪夢を見ていたはずなのに、いつの間にかリオとの出会いを夢で思い出していたことに、ナギカは何とも言えない感情に襲われた。
「すぅ……すぅ……」
ふと、前の座席にいるリオに視線をやると呑気に寝息を立てており、本当にこれがあの精悍な人と同一人物なのかと疑ってしまう。
「あ、起きられましたね」
「……おはよう、ございます。メイリーン様」
「ふふっ。慣れない乗り物に疲れてしまわれましたか?」
「……慣れていても疲れている人はいるみたいですが……」
隣に座っていたメイリーンは、意味深なナギカの発言に思わずキョトンと首を傾げるが、彼女の視線を追うとすぐに察して苦笑する。
「……あぁ、リオ様は疲れているのではなくて、単に寝るのが好きなだけですよ」
「自由な、方ですね……」
「……リオ様のこと、苦手ですか?」
「えっ」
ボーっとしながらリオを見つめていたナギカだが、思いがけない質問を投げかけられたので、メイリーンから目を離せなくなってしまう。
はっきりとナギカの視界に映っているメイリーンは、どこか悲しそうに眉を下げていて、自分がこんな顔にさせたのかと彼女はショックを受けてしまう。
「ち、ちが……そうじゃないです。すいません。私、普段わりと感情の起伏が少ない方というか……怒ってないのに、怒っているように見えることがあるらしくて……」
「……そうでしたか。誤解してしまって、申し訳ありません……」
「いえ。そんな……」
リオに蹴りかかった時は、混乱のあまりそれが誰かも分からないまま抵抗してしまったが、あれはナギカにとって滅多にない反応だったのだ。
不安で精神を支配されていたのであそこまで慌ててしまったが、本来の彼女はリオが称した様に〝ドライ〟な性格なのだ。
故に表情が硬く、ナギカはこれまで「何を考えているか分からない」と何度も言われ続けていた。
「私はリオ様のことを……優しい方だと思っています。男性に怯えてしまう私の為に、わざわざ口調まで変えて下さるような方ですし……」
「「…………へ?」」
「?」
想定外過ぎる斜め上からの勘違いに、思わず会話を聞いていた全員が面白い程息ピッタリにナギカの方を振り向いて、その呆けた声を重ねた。
どうやらナギカは、リオが男なのに女口調で話すのは少しでも自身を怖がらせない為の気遣いだと勘違いしたらしい。
「ぶっ……違うのだ。リオのあれは――」
思わず破顔一笑したアデルは、彼女に説明してやることにした。
リオに前世の記憶があること。その前世は、このアンレズナとは別の世界での記憶だということ。リオが前世で女性だったことから、その感覚が微妙に抜けずあのような話し方をしていること。その全てを。
「――あぁ、道理で……」
「道理で?」
話を聞き終えたナギカは酷く納得してしまった。リオのことを理解できない理由の大元を知れた様な気がしたから。
しっくりと腑に落ちてしまった為、ナギカはアデルの話を疑ったりはしなかった。その方が彼女にとって都合が良かったからかもしれないが、それでも彼女がリオの過去を信じてくれたことがアデルは嬉しかった。
「……道理で……変な人だなと」
「面白いであろう?」
「……そうですね」
自覚できる程可愛くない方の本音を吐露したナギカだったが、アデルが都合よく解釈してくれたので、彼女はほんの少しだけ頬を緩めた。
すると――。
「いまナギ助笑った!?」
いつの間にか起きていたリオが食い気味で後ろの席に身体を乗り出し、驚きと喜びで大声を上げた。
「……笑ってません」
「笑ったよね!?」
「笑ってません」
「いや絶対笑ったって!」
「しつこいです。笑ってません」
ナギカにとってはどうでも良いことだが、今まで彼女の笑顔を一度も見ていないリオにとってそれは一大事であった。
ムキになって思わずそっぽを向くナギカだが、自身の失態に気づき思わずハッと顔を強張らせる。
(しまった……恩人であるリオ様につい無礼な物言いを……)
ナギカは昔から、自分のこういう性格があまり好きでは無かった。ナギカが何か話す度、その飾らない物言いのせいで相手を不快にさせてしまうことを彼女は何度も悔いてきた。良くも悪くも、ナギカは媚びるということを知らない。他人に嫌われてもどうとも思わないことが原因だが、それでも無神経というわけでは無いので、相手が不快になれば申し訳ないと思ってしまうのだ。
「?大丈夫?ナギ助」
「はい……」
「本当に?」
「はい」
「何ともない?」
「はい」
「笑ったよね?」
「は……笑ってません」
「くそっ、引っ掛からないか……」
まるで十回クイズのような方法で認めさせようと試みるリオだったが、ナギカの方が一枚上手だったようで、悔し気に歯噛みしてしまう。
そんなこんなで車内は賑やかな状態で、亜人の国への道をどんどん進んでいくのだった。
********
亜人の国は正式名称が〝亜人の国〟で、それ以外の名称を持っていない。他国と関わりを持とうとすることも、他国が亜人の国に関わろうとすることもあまり無いので、わざわざ堅苦しい国名を作る必要が無かったことが原因の一つである。
そしてもう一つの理由は、亜人の国に王や元首といった代表者が存在しないことだ。何百年も生きている老人たちが国を管理してはいるのだが、正式な責任者はおらず、その老人たちが強い権限を持っている訳でも無いのだ。
因みに他国が亜人の国に関わろうとするのは、利益のために彼らを貶め、利用しようとする時だけだ。他国の重鎮たちにとって亜人の尊厳など、地面を一瞥しないまま踏みにじって当然という認識である。
そんな亜人の国は〝大きな村〟という印象を覚える程静かな国で、観光地になるような目立った場所も建造物も無い。この世界で差別対象となっている亜人たちがひっそりと身を寄せ合い、静かに暮らしているのが偶々その場所だっただけという認識なのだ。
大きなワゴン車の窓から窺えるのは、自然に溢れた閑静な国。久しぶりの祖国を前に、ナギカはその瞳にキラキラとした光を滲ませた。
彼女が歓喜で涙を流すことは無かったが、それでもそのガラス玉のような瞳だけでナギカのじんわりとした心情が伝わってくる。
「これが師匠の故郷であるか……」
「……そう言えば、ア、デル様のお師匠様は、何という名前なのですか?もしかすると、私の知っている方かも……」
車から降り、亜人の国を感慨深そうに見つめるアデルに、ナギカはふと思い出したように尋ねた。
エルは冒険者界隈では有名人だったので、同じ亜人であるナギカが知っている可能性は大いにあった。
「エルという、無性の亜人である」
「えっ……」
「……ナギカ?」
エルの名前を耳にした途端、ナギカは全身の力が抜けたように茫然自失とし、途轍もない衝撃を受けていた。
何か問題があったのだろうかと危惧し、アデルは思わず不安気に首を傾げてしまう。
「……ナギ助?どうしたの?」
「その、方は……知って、います」
「そうなのであるか?」
「はい……実際に会ったことはありませんが、祖国では有名な方で……」
何とか言葉を発するナギカだが、未だに当惑しているようで目の焦点が合っていない。
「有名?それはどういう……」
「……エル、という亜人は……祖国で生まれた悪魔の愛し子を、その手で殺した方だと……そう聞いています……」
「「っ!?」」
「……」
リオの問いにナギカが気まずそうに答えると、アデル以外の全員がその衝撃に目を見開いた。彼らはアデルからその話を聞いていなかったのだ。
一方、たった一人その告白を冷静に受け止めているアデルを、全員が心配そうな瞳で捉えている。
「やはり……そうなのだな……」
緩やかな風が吹き抜ける中、静かでありながら深く重いアデルの声が、彼らの心をするりと通り抜けて溶けていった。
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