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第二章 仲間探求編
53、その命をあなただけの為に3
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城から大分離れると、ルークはようやくその足を止めてナツメを地面に下ろした。だがナツメは自力で立つことが出来ず、その場に膝から崩れ落ちてしまう。まるで、足に一切の神経も通っていないようだった。
茫然自失。傍から見ればそうとしか表現できない程、ナツメはうんともすんとも言わず、人形のようであった。
そんな主人を目の当たりにし、ルークは思わず眉を顰めてしまう。
「……お嬢様」
「……」
「お嬢様」
「……」
いくら声をかけても反応しないナツメを前に、ルークは胸を痛めて拳を握り締める。ナツメをここまで追いつめたミカドと、それを未然に防げなかった自身に対する怒りでルークはどうにかなってしまいそうだった。
だがこのままではナツメの為にならないと、ルークは心を鬼にする。ナツメに合わせてしゃがむと、ルークは目元の包帯を外して彼女の顔を力づくで上に向けた。
「お嬢様!ちゃんと私のことをその目で見なさい!」
「っ……」
バチっと、二人の視線が交錯する。零れてしまいそうなオッドアイをこんな至近距離で見たのは初めてで、ルークはナツメの感情に呑まれてしまいそうだった。
一方のナツメはルークの精悍な眼差しを受け、無性に泣きたくなってしまう。ナツメはルークのこの目が好きだ。能力を持った自分のオッドアイなどより、ずっと綺麗で深い深い黒いその瞳が。全てを見通すような、力強いその瞳が。
こんな時でも、大好きなルークの瞳には自分が映っているのだという事実に、その涙を堪えることが出来なかった。
「あなたのルークはここにいますよ」
「っ…………ルークはっ……いなく、なったり……しませんか?」
その大きな両手でナツメの頬を包んだまま、ルークは覗き込むように彼女を見つめ続けた。少しでも、ナツメの不安を拭いたかったから。
そしてナツメは、その瞳も、声も、唇も、涙さえも震わせながら尋ねた。
「えぇ。お嬢様を一人置いたりしません。だからちゃんと、その美しい瞳で私のことを見続けてください。私が傍に居ても、お嬢様に見る気が無ければ、その瞳はただの飾りになってしまいますよ?」
「……はいっ……」
ナツメの返事を聞くと、ルークは彼女の頬に添えていた手をそっと離した。そのまま立ち上がると、ルークはナツメに向かって右手を差し出す。
その手を掴んだナツメの握力はとても弱々しかったが、今はそれだけで十分だった。
ルークがナツメを引っ張り上げると、彼女が再び膝から崩れ落ちることは無く、しっかりと自分の力で地面を踏みしめていた。
「顔を洗った方が良さそうですね。近くに川がありますから、そこで目を冷やしてください。新しい包帯を用意しておきますので」
「はい」
泣き腫らしたナツメの顔は見ていて痛々しく、ルークはそう提案した。あの状況でいちいち替えの包帯など持ってきていないので、ルークは操志者の力で作ってやることにした。
********
「――謀反、ということでしょうか?」
「端的に申し上げれば、そうです」
「っ……」
川に映る自身の顔をジッと見つめると、ナツメは力ない声で尋ねた。
今回の悲劇を言葉で表現するのであれば、それが最適解であった。現実を突きつけられ、ナツメは思わず顔を顰めた。
「ミカド兄上は、父上に不満を持っていたのでしょうか?」
「不満、というよりは……自分の方がイリデニックス国をよりよく出来るという自負があったのでしょう。そして、一刻も早く彼はそれを実行したかった。この国の為に」
「国の為であれば、父上やイツキ兄上が死んでもいいんですか?」
「……口惜しくも、あの男にとってはそうだったのでしょう」
「っ……」
ミカドはその優秀さだけで言えば、ルークが認める程の逸材であった。そして、この国をより良くしたいという思いを誰よりも強く持っていた。だが、ミカドは愛妾の子供で王位継承権はナツメよりも低い。
あのままいけば、王座はイツキのものになっていただろう。だからミカドにとってイツキとナツメは目の上のたん瘤だったのだ。
「私がもっと早く彼の計画に気づけていれば、防げた事態です。お嬢様にこのような苦労をおかけしてしまい、申し訳ありません」
「……ルーク」
「はい」
ルークの作った包帯を巻いたナツメは、頭を下げる彼を静かに呼んだ。
「あの時、私を守るため、身体を張ってくれたのはルークだけです。ルークがいなければ、私は今生きていないでしょう。ルークが私の前に現れた時、私がどれだけ救われたことか……誰が何と言おうと、ルークは私の誇るべき執事です。だから、謝る必要なんてありません」
「お嬢様……」
ナツメの執事として生きてきた彼にとって、これ程名誉なことは無いだろう。思わず呆けるように口を開いたルークだったが、すぐに柔らかく微笑んだ。
実はこの時、ナツメは伝えたかった言葉をルークに与えることが出来ていなかった。
ルークは言った。「お嬢様を守れない自分に価値など無い」と。そしてナツメは伝えたかったのだ。「そんなことは無い」と。
執事ではない、ただのルークでも。ルークは自分のことを誇ってよいのだと。
でも、それを伝えてしまえばルークが離れてしまうのでは無いかと。そんな不安が襲い、弱ったナツメは口に出すことが出来なかった。ナツメにはもう、ルークだけだったから。ルークにとってナツメが全てのように、ナツメにとってもルークが全てになったから。そんなルークさえもいなくなってしまえば、ナツメは死よりも辛い絶望を味わうことになるだろう。
それがあまりにも恐ろしく、ナツメはその本心を伝えることが出来なかったのだ。
それから。ナツメとルークは追手に見つからないようにイリデニックス国を抜け、ほんの僅かな安心感を得ることが出来た。世界中のどこに居ても追手に見つかる可能性はあるが、母国とそれ以外の国ではその度合いが違うのだ。
だが、ルークたちが所持している金銭にも限りがある。何らかの仕事を見繕って金を稼がなければ、二人は生きていくことが出来ない。
にも拘らず、大きな問題がナツメたちの前に立ち塞がっていた。
それは、真面な仕事では確実にイリデニックス国に見つかってしまうという問題だった。
サリドが優秀な男だということはルークたちが最も理解している。だからこそ、操志者であるルークに出来る目立たない仕事全てに、サリドが網を張っているのは明らかであった。
その上、ナツメを置いてルーク一人だけが働くという選択は論外なので、サリドは包帯姿の少女と若い男の二人組という条件で絞り込めばいいだけなのだ。
そしてそれは、二人が顔を隠しても同じことである。顔隠したところで背格好や声で性別は割れてしまう上、顔を隠せば逆に目立つというものである。
だからこそ、ルークたちが選べる仕事は限られてきてしまう。例え顔を隠して仕事相手と接しても不自然に思われないような仕事。そんなものが合法なはずも無かった。
「……私が、暗殺者として働くしか……」
「えっ……」
「大丈夫です。お嬢様が何かする必要はありません。この手を汚すのは、私だけで……」
とうとう仕事を見つけなければならなくなった頃、そう零したルークに対する衝撃で、ナツメは茫然自失としてしまった。
ルークが人を殺すという選択を取ってしまう程、自分たちの状況が酷であることもナツメがショックを受けた要因ではあるが、彼女は何よりも、ルークが一人で全てを抱えようとしていることが悲しかったのだ。
「いやです……」
「許されないことではありますが、私たちが生きる為には……」
「そうではありません。私は、ルーク一人に全ての苦労と責任を負わせることが嫌だと言っているのです」
「お嬢様……」
ナツメが殺人に嫌悪感を示していると勘違いしたルークは、思いがけない彼女の意志に思わず神妙な面持ちになる。
「私にも、ルークと同じものを背負わせてください。ルークがしてくれたように」
「ですが」
「私は!ルークに寄り掛かって生きるだけなんて御免です。私だって、強くなりたいのです」
ここまで強い意志の籠められたナツメの声を、ルークは生まれて初めて耳にした。
ナツメは許せなかったのだ。自分の為にここまで尽くしてくれるルークに甘えるばかりで、自分は彼に何も与えることが出来ない不甲斐無さが。
ナツメを守らなくてはと自分を追い込むあまり、彼女の気持ちに寄り添えていなかったことを、この時漸くルークは悟った。
こうして、ナツメとルークは互いを守るために、暗殺稼業に手を染めた。その選択が、アデルたちとの出会いを導いてくれるとも知らずに。
********
『起きろ』
「っ!」
アマノがアデルの実力に目を丸くする中、彼らは目を覚ました男に注目していた。
拘束されている彼は、目を覚ました途端ナツメたちと対峙している状況に驚き、その衝撃で目を見開いていた。
「……ナツメ様」
「お久しぶりです。将軍」
ナツメの名を呼んだ男――将軍をルークは絶対零度の眼差しで見下ろしている。一方、ナツメの表情は包帯のせいで分かりにくいが、その口元だけで彼女の緊張感が伝わってきた。
「……はぁ。将軍、残念ながら私たちにあなたを殺す理由はありません。さっさと帰っていただけますか?もう私たちを殺すことは現段階で不可能だと、嫌という程思い知ったのでしょう?」
「……そうだな」
ルークは平静を装って入るが、内心ではその怒りを抑えるのに必死だった。ナツメの命を狙う彼らを、ルークが許せるはずも無いから。
だが、ここで彼らを殺したところで損にも得にもならないことは、ルークが一番よく分かっていた。
「帰らせて良いのか?」
「はい。アデル様とリオ様のおかげです」
「「?」」
意味深な返事をしたルークに、当のアデルたちは訳が分からず首を傾げてしまう。そもそもアデルはナツメたちの事情さえ詳しく知らないので、理解できなくて当然なのだが。
「アデル様や、リオ様の実力はここにいる将軍がキチンと確認しました。この男が今回のことを報告すれば、お嬢様が命を狙われる機会は無くなるでしょうね」
「……ほう?随分と余裕なのだな」
断言したルークを揺さぶる様に、将軍は挑発的な声で呟いた。
「あの男のお嬢様に対する殺意は、アデル様たちのような実力者を敵に回してまで突き通すようなものではありません。あの男は気に入りませんが、あれは賢明な男です。悪魔の愛し子であるアデル様を、脅威と思えないような愚か者では無いはずです。お嬢様を暗殺することと、アデル様を敵に回さないことを天秤にかければ、間違いなくあの男は後者を選びます。そうでしょう?」
「……どうだろうな」
その間が、将軍の肯定を示していた。ミカドのことを知らないアデルたちにとってはイマイチ理解できない話ではあったが、〝あの男〟というのが敵の大元であることは彼らにも分かった。
「……はぐらかすのですか?将軍、あなたにとってお嬢様の命など、はぐらかせる程度のものということでしょうか?」
「っ……」
視線だけで殺せてしまいそうな、ゾッとしてしまうような眼差しを向けられ、将軍は思わず息を呑んだ。
怒り、恨み、悲しみ。どの感情もしっくりくるようで、でもピッタリと嵌るわけでもない。その感情に名前をつけることは出来ないだろう。
「だったら何だと言うのだ。俺は陛下の崇高な目的の為に……」
「その崇高な目的の為であれば、お嬢様の心をいくら傷つけても良いと?お嬢様一人の命など、簡単に奪ってよいと?罪だと自覚しているのならまだしも、お嬢様を傷つけることに耳障りな言い訳をするな。反吐が出る」
「っ……」
「ルーク……」
切れ味鋭いルークの言葉に、全員が心臓を鷲掴みされた様な錯覚に陥る。
ルークが怒るのは、いつもナツメが害された時である。ナツメは自身のこと以外でルークが怒るところを未だ知らない。
堪らない気持ちになったナツメはルークを呼ぶと、そっとその手に優しく触れる。
「お嬢様?」
「もう、いいですよ。ルーク。ルークは私の為にばかり怒るから……ルークはもっと、自分の為に怒ってもいいんです。この人の為に、怒る必要は無いです」
その怒りはナツメの為だけではなく、将軍の為でも無いのか。ルークにそのつもりは無かったのかもしれないが、ナツメの目にはそう見えた。ルークの怒りは、将軍に考える機会を与えたのではないかと。
それでも、ルークには分からなかった。自分の為に怒るというのが、どういうことなのか。それが一体何になるのだと。ルークには、そう言って気遣ってくれるナツメがいたから。
「……将軍。彼に伝えてください」
「?」
ナツメに唐突に話しかけられたので、将軍は思わずどんな伝言を頼まれるのかと構えてしまう。
「私のルークを傷つけたからには、イリデニックスの民に今以上の、安心して暮らせる日々を与えなければ、只ではおかないと。そう、伝えてください」
「……言われずとも、あのお方はそれを実現させる」
「……互いに、良い従者を持ったものですね」
茫然自失。傍から見ればそうとしか表現できない程、ナツメはうんともすんとも言わず、人形のようであった。
そんな主人を目の当たりにし、ルークは思わず眉を顰めてしまう。
「……お嬢様」
「……」
「お嬢様」
「……」
いくら声をかけても反応しないナツメを前に、ルークは胸を痛めて拳を握り締める。ナツメをここまで追いつめたミカドと、それを未然に防げなかった自身に対する怒りでルークはどうにかなってしまいそうだった。
だがこのままではナツメの為にならないと、ルークは心を鬼にする。ナツメに合わせてしゃがむと、ルークは目元の包帯を外して彼女の顔を力づくで上に向けた。
「お嬢様!ちゃんと私のことをその目で見なさい!」
「っ……」
バチっと、二人の視線が交錯する。零れてしまいそうなオッドアイをこんな至近距離で見たのは初めてで、ルークはナツメの感情に呑まれてしまいそうだった。
一方のナツメはルークの精悍な眼差しを受け、無性に泣きたくなってしまう。ナツメはルークのこの目が好きだ。能力を持った自分のオッドアイなどより、ずっと綺麗で深い深い黒いその瞳が。全てを見通すような、力強いその瞳が。
こんな時でも、大好きなルークの瞳には自分が映っているのだという事実に、その涙を堪えることが出来なかった。
「あなたのルークはここにいますよ」
「っ…………ルークはっ……いなく、なったり……しませんか?」
その大きな両手でナツメの頬を包んだまま、ルークは覗き込むように彼女を見つめ続けた。少しでも、ナツメの不安を拭いたかったから。
そしてナツメは、その瞳も、声も、唇も、涙さえも震わせながら尋ねた。
「えぇ。お嬢様を一人置いたりしません。だからちゃんと、その美しい瞳で私のことを見続けてください。私が傍に居ても、お嬢様に見る気が無ければ、その瞳はただの飾りになってしまいますよ?」
「……はいっ……」
ナツメの返事を聞くと、ルークは彼女の頬に添えていた手をそっと離した。そのまま立ち上がると、ルークはナツメに向かって右手を差し出す。
その手を掴んだナツメの握力はとても弱々しかったが、今はそれだけで十分だった。
ルークがナツメを引っ張り上げると、彼女が再び膝から崩れ落ちることは無く、しっかりと自分の力で地面を踏みしめていた。
「顔を洗った方が良さそうですね。近くに川がありますから、そこで目を冷やしてください。新しい包帯を用意しておきますので」
「はい」
泣き腫らしたナツメの顔は見ていて痛々しく、ルークはそう提案した。あの状況でいちいち替えの包帯など持ってきていないので、ルークは操志者の力で作ってやることにした。
********
「――謀反、ということでしょうか?」
「端的に申し上げれば、そうです」
「っ……」
川に映る自身の顔をジッと見つめると、ナツメは力ない声で尋ねた。
今回の悲劇を言葉で表現するのであれば、それが最適解であった。現実を突きつけられ、ナツメは思わず顔を顰めた。
「ミカド兄上は、父上に不満を持っていたのでしょうか?」
「不満、というよりは……自分の方がイリデニックス国をよりよく出来るという自負があったのでしょう。そして、一刻も早く彼はそれを実行したかった。この国の為に」
「国の為であれば、父上やイツキ兄上が死んでもいいんですか?」
「……口惜しくも、あの男にとってはそうだったのでしょう」
「っ……」
ミカドはその優秀さだけで言えば、ルークが認める程の逸材であった。そして、この国をより良くしたいという思いを誰よりも強く持っていた。だが、ミカドは愛妾の子供で王位継承権はナツメよりも低い。
あのままいけば、王座はイツキのものになっていただろう。だからミカドにとってイツキとナツメは目の上のたん瘤だったのだ。
「私がもっと早く彼の計画に気づけていれば、防げた事態です。お嬢様にこのような苦労をおかけしてしまい、申し訳ありません」
「……ルーク」
「はい」
ルークの作った包帯を巻いたナツメは、頭を下げる彼を静かに呼んだ。
「あの時、私を守るため、身体を張ってくれたのはルークだけです。ルークがいなければ、私は今生きていないでしょう。ルークが私の前に現れた時、私がどれだけ救われたことか……誰が何と言おうと、ルークは私の誇るべき執事です。だから、謝る必要なんてありません」
「お嬢様……」
ナツメの執事として生きてきた彼にとって、これ程名誉なことは無いだろう。思わず呆けるように口を開いたルークだったが、すぐに柔らかく微笑んだ。
実はこの時、ナツメは伝えたかった言葉をルークに与えることが出来ていなかった。
ルークは言った。「お嬢様を守れない自分に価値など無い」と。そしてナツメは伝えたかったのだ。「そんなことは無い」と。
執事ではない、ただのルークでも。ルークは自分のことを誇ってよいのだと。
でも、それを伝えてしまえばルークが離れてしまうのでは無いかと。そんな不安が襲い、弱ったナツメは口に出すことが出来なかった。ナツメにはもう、ルークだけだったから。ルークにとってナツメが全てのように、ナツメにとってもルークが全てになったから。そんなルークさえもいなくなってしまえば、ナツメは死よりも辛い絶望を味わうことになるだろう。
それがあまりにも恐ろしく、ナツメはその本心を伝えることが出来なかったのだ。
それから。ナツメとルークは追手に見つからないようにイリデニックス国を抜け、ほんの僅かな安心感を得ることが出来た。世界中のどこに居ても追手に見つかる可能性はあるが、母国とそれ以外の国ではその度合いが違うのだ。
だが、ルークたちが所持している金銭にも限りがある。何らかの仕事を見繕って金を稼がなければ、二人は生きていくことが出来ない。
にも拘らず、大きな問題がナツメたちの前に立ち塞がっていた。
それは、真面な仕事では確実にイリデニックス国に見つかってしまうという問題だった。
サリドが優秀な男だということはルークたちが最も理解している。だからこそ、操志者であるルークに出来る目立たない仕事全てに、サリドが網を張っているのは明らかであった。
その上、ナツメを置いてルーク一人だけが働くという選択は論外なので、サリドは包帯姿の少女と若い男の二人組という条件で絞り込めばいいだけなのだ。
そしてそれは、二人が顔を隠しても同じことである。顔隠したところで背格好や声で性別は割れてしまう上、顔を隠せば逆に目立つというものである。
だからこそ、ルークたちが選べる仕事は限られてきてしまう。例え顔を隠して仕事相手と接しても不自然に思われないような仕事。そんなものが合法なはずも無かった。
「……私が、暗殺者として働くしか……」
「えっ……」
「大丈夫です。お嬢様が何かする必要はありません。この手を汚すのは、私だけで……」
とうとう仕事を見つけなければならなくなった頃、そう零したルークに対する衝撃で、ナツメは茫然自失としてしまった。
ルークが人を殺すという選択を取ってしまう程、自分たちの状況が酷であることもナツメがショックを受けた要因ではあるが、彼女は何よりも、ルークが一人で全てを抱えようとしていることが悲しかったのだ。
「いやです……」
「許されないことではありますが、私たちが生きる為には……」
「そうではありません。私は、ルーク一人に全ての苦労と責任を負わせることが嫌だと言っているのです」
「お嬢様……」
ナツメが殺人に嫌悪感を示していると勘違いしたルークは、思いがけない彼女の意志に思わず神妙な面持ちになる。
「私にも、ルークと同じものを背負わせてください。ルークがしてくれたように」
「ですが」
「私は!ルークに寄り掛かって生きるだけなんて御免です。私だって、強くなりたいのです」
ここまで強い意志の籠められたナツメの声を、ルークは生まれて初めて耳にした。
ナツメは許せなかったのだ。自分の為にここまで尽くしてくれるルークに甘えるばかりで、自分は彼に何も与えることが出来ない不甲斐無さが。
ナツメを守らなくてはと自分を追い込むあまり、彼女の気持ちに寄り添えていなかったことを、この時漸くルークは悟った。
こうして、ナツメとルークは互いを守るために、暗殺稼業に手を染めた。その選択が、アデルたちとの出会いを導いてくれるとも知らずに。
********
『起きろ』
「っ!」
アマノがアデルの実力に目を丸くする中、彼らは目を覚ました男に注目していた。
拘束されている彼は、目を覚ました途端ナツメたちと対峙している状況に驚き、その衝撃で目を見開いていた。
「……ナツメ様」
「お久しぶりです。将軍」
ナツメの名を呼んだ男――将軍をルークは絶対零度の眼差しで見下ろしている。一方、ナツメの表情は包帯のせいで分かりにくいが、その口元だけで彼女の緊張感が伝わってきた。
「……はぁ。将軍、残念ながら私たちにあなたを殺す理由はありません。さっさと帰っていただけますか?もう私たちを殺すことは現段階で不可能だと、嫌という程思い知ったのでしょう?」
「……そうだな」
ルークは平静を装って入るが、内心ではその怒りを抑えるのに必死だった。ナツメの命を狙う彼らを、ルークが許せるはずも無いから。
だが、ここで彼らを殺したところで損にも得にもならないことは、ルークが一番よく分かっていた。
「帰らせて良いのか?」
「はい。アデル様とリオ様のおかげです」
「「?」」
意味深な返事をしたルークに、当のアデルたちは訳が分からず首を傾げてしまう。そもそもアデルはナツメたちの事情さえ詳しく知らないので、理解できなくて当然なのだが。
「アデル様や、リオ様の実力はここにいる将軍がキチンと確認しました。この男が今回のことを報告すれば、お嬢様が命を狙われる機会は無くなるでしょうね」
「……ほう?随分と余裕なのだな」
断言したルークを揺さぶる様に、将軍は挑発的な声で呟いた。
「あの男のお嬢様に対する殺意は、アデル様たちのような実力者を敵に回してまで突き通すようなものではありません。あの男は気に入りませんが、あれは賢明な男です。悪魔の愛し子であるアデル様を、脅威と思えないような愚か者では無いはずです。お嬢様を暗殺することと、アデル様を敵に回さないことを天秤にかければ、間違いなくあの男は後者を選びます。そうでしょう?」
「……どうだろうな」
その間が、将軍の肯定を示していた。ミカドのことを知らないアデルたちにとってはイマイチ理解できない話ではあったが、〝あの男〟というのが敵の大元であることは彼らにも分かった。
「……はぐらかすのですか?将軍、あなたにとってお嬢様の命など、はぐらかせる程度のものということでしょうか?」
「っ……」
視線だけで殺せてしまいそうな、ゾッとしてしまうような眼差しを向けられ、将軍は思わず息を呑んだ。
怒り、恨み、悲しみ。どの感情もしっくりくるようで、でもピッタリと嵌るわけでもない。その感情に名前をつけることは出来ないだろう。
「だったら何だと言うのだ。俺は陛下の崇高な目的の為に……」
「その崇高な目的の為であれば、お嬢様の心をいくら傷つけても良いと?お嬢様一人の命など、簡単に奪ってよいと?罪だと自覚しているのならまだしも、お嬢様を傷つけることに耳障りな言い訳をするな。反吐が出る」
「っ……」
「ルーク……」
切れ味鋭いルークの言葉に、全員が心臓を鷲掴みされた様な錯覚に陥る。
ルークが怒るのは、いつもナツメが害された時である。ナツメは自身のこと以外でルークが怒るところを未だ知らない。
堪らない気持ちになったナツメはルークを呼ぶと、そっとその手に優しく触れる。
「お嬢様?」
「もう、いいですよ。ルーク。ルークは私の為にばかり怒るから……ルークはもっと、自分の為に怒ってもいいんです。この人の為に、怒る必要は無いです」
その怒りはナツメの為だけではなく、将軍の為でも無いのか。ルークにそのつもりは無かったのかもしれないが、ナツメの目にはそう見えた。ルークの怒りは、将軍に考える機会を与えたのではないかと。
それでも、ルークには分からなかった。自分の為に怒るというのが、どういうことなのか。それが一体何になるのだと。ルークには、そう言って気遣ってくれるナツメがいたから。
「……将軍。彼に伝えてください」
「?」
ナツメに唐突に話しかけられたので、将軍は思わずどんな伝言を頼まれるのかと構えてしまう。
「私のルークを傷つけたからには、イリデニックスの民に今以上の、安心して暮らせる日々を与えなければ、只ではおかないと。そう、伝えてください」
「……言われずとも、あのお方はそれを実現させる」
「……互いに、良い従者を持ったものですね」
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