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第二章 仲間探求編
34、そして少女の歌は、世界に響き渡った。
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塔の扉を開け、すぐ目の前に現れる階段を上り始めたメイリーンは、挫いた足からズキズキと響く痛みに脂汗を浮かべながら、息を切らして走っている。
「はぁっ、はぁ…………待ってて、ミルっ!」
苦しみ、藻掻き、叫び声のように咆哮するミルを目の当たりにしたメイリーンには、友を解放してやることしか頭になかった。それしかミルを救う手立てが無かったからだ。
だが、今からやろうとしている行為が本当に正しいことなのか、本当にミルを救うことになるのか。メイリーンにはそれを判断することができない。間違っているのかもしれない。それでもメイリーンはその歩みを止めなかった。
師匠の仇を取るため、悪魔を手にかけたアデルは、後悔していないように見えたから。
いくら考え続けても、きっと同じ結論に辿り着くのだろうとメイリーンは感じた。だからいくら辛くても、苦しくても、その段を踏み続けた。
「はぁ、はぁ……っ……」
最上階に到達したメイリーンは、外に通じる扉を開けて涼やかな風を感じる。バルコニーへ足を踏み入れたメイリーンは意を決すると、手摺に上がってそっと立ちあがる。
手摺は彼女の足先がほんの少しはみ出す程度の幅しかなく、少しでも踏み外してしまえば下まで真っ逆さまである。
「すぅっ……すぅっ……ふぅぅ……」
不安定な足場だというのに、ゆっくりと瞼を下ろしたメイリーンは、心を落ち着かせるように呼吸を整えた。
彼女の目の前には未だに暴れるミルがおり、その呻き声が響いている。それでも何故かメイリーンの周りには静かな空気が流れていて、彼女には自身の鼓動と呼吸の音しか聞こえていない。
自分自身の世界に入り込むと、内に潜む感情に敏感になってしまう。歌うことに対する、未だ消えない恐怖。だが、メイリーンには根拠のない安心感もあった。
忘れることの出来ない恐怖と共に思い出すのは、あの時のアデルの言葉。
『何も心配することは無いのだ、メイリーン。他の誰でも無く、我のことを信じてくれ。自分自身を信じろとは言わない。だが、メイリーンは我が必ず守る。その身体に、傷一つもつけないと誓おう。恐れるものなど何もない。お前はただ――』
「私は、ただ――」
物凄い集中力で気持ちを高めると、メイリーンはそっと目を開ける。強い意志を奥に感じられるが、触れると壊れてしまうのではないかと思えるほどの静寂と、儚い美しさが鮮烈である。
『お前はただ、大好きな歌を歌うだけである』
そして両手をぎゅっと握りしめると、メイリーンは緩やかにその口を開く。
「……っ」
春空の下、緩やかでありながら鮮明な歌声が世界に響く。その場の、国の、世界の空気が一変してしまうような筋が、スッと入ったようだった。
その第一声を聞いただけで、一つ一つ紡がれる言葉を聞く度に、どうしようもない涙が零れてしまうような。そんな歌声が降り注がれていった。
********
「っ?……メイリーン?」
耳の良いアデルは、僅かな音の違いに気づいてサリドから距離を取った。戦闘を一旦中断し、その音を聞き取ろうと耳を澄ましたアデルは、その歌声に思わず目を見開いた。
遠くから聞こえる僅かな音でも、アデルにとっては初めて聞く真面な歌で。そのあまりにもな美しさに、アデルは思わず茫然自失としてしまう。
「これは……神が気に入るわけである」
「あの女っ…………神の力で一体何をする気だ?」
アデルが不敵に笑ったことで、サリドもメイリーンが歌っていることに気づいたのか、彼は顔を顰めながらギリっと歯噛みする。
歌のする方向に気を取られたサリドの隙を狙い、アデルは身体強化による俊足で目にも止まらぬ速さで駆け出すと、彼の首を剣の峰で力強く斬りつけた。
「ぐぁっ!」
刃で傷つけられたわけでは無いので出血は無かったが、その強い衝撃でサリドは白目を剥いて気絶してしまった。
自身のジルで強固な拘束具を作ると、アデルはそれをサリドに装着する。
「ギルドニス」
「はい。何でしょうか、アデル様」
「……」
思い立ち、ギルドニスを呼んだアデルだったが、振り返った先に広がる光景に思わず固まってしまう。ギルドニスはサリドの部下全員をとっくに倒しており、気絶した部下たちがまるでゴミのように積み重なっていたのだ。そんな人間の塔を背景にしているというのに、それを一切感じさせない当たり障りのない笑みを浮かべるギルドニスはやはりどこかおかしい。
「……流石であるな」
「はぁっ!お、お褒めいただき、ありがとうございますっ……」
「……メイリーンの元へ向かうぞ」
「かしこまりました」
相変わらずのギルドニスに若干引きつつ、アデルはここから移動することを提案した。サリドを一人にするのは危険だと判断し、アデルは気絶する彼を担いで歩を進める。一方のギルドニスは倒した部下たちをほったらかしにして、アデルの後について行くのだった。
********
「っ…………ふぅ……」
約五分間の、夢心地のような時間だった。その優しい歌を歌い終えたメイリーンは、安心したように深呼吸をする。だが、本番はここからである。
浮かんだ汗が頬を伝い、顎へと落ちていく。メイリーンは徐に右手を掲げると、未だ藻掻く友の姿を目に焼き付けた。クシャクシャのその相好からは、言葉などでは表現できないような感情が伝わってくる。
「っ……フリードリッチっ!!」
掲げた右手をミルに向け、メイリーンがそう詠唱すると、彼女の指輪が黒い輝きを放った。そして突如、ミルの身体が淡い光のようなものに包まれる。唇を震わせ、必死に涙を堪えているメイリーンだが、それでもどうしようもない大粒の涙が零れてしまう。
白く、温かい光に包まれたミルはそのまま宙にふわりと浮かび、次の瞬間パリンッという音を鳴らして光の粒と化した。
まるで、最初からそこには何もいなかったように呆気なく。それ程までに神の力というものは脅威的で、悪霊になってしまったミルを一瞬にして無に帰し、元の精霊としての魂を天へと昇らせていた。
「っ……安らかに、眠ってね……ミルっ……」
唯一の友を自らの手で天へと送った。この大きすぎる決断を、メイリーンは後悔していない。それでも、一生背負わなければならない出来事であることも、また事実である。
メイリーンは思わず膝から崩れそうになったが、手摺の上にいたのでそれを必死に踏ん張った。ぎゅっと目を閉じて涙を出し切ると、キリッと大きく目を開けて再び手を掲げる。
メイリーンにはまだ、しなくてはならないことがあったのだ。
「ヒーリング!」
今度は手を掲げたまま、メイリーンは先刻とは別の詠唱をする。するとミルを包み込んだ物より淡いものの、美しい光がバランドール民主国全体を包み始めた。
国全体を包む光の範囲には当然メイリーンも含まれており、彼女はその優しい眩しさに目を細める。すると、痛々しく腫れていた足首が元の色白の肌を取り戻し、メイリーンは痛みを感じなくなっていた。
********
メイリーンが治癒の力を行使した頃。民たちが集う避難所ではその力によって騒ぎが起こっていた。
メイリーンと同じように光に包まれた怪我人や重傷者が、一瞬にして健康な身体にまで回復したからだ。
「これって、メイリーン様の……」
「でもメイリーン様は罪人だったんじゃ?どうして私たちの怪我を治すのよ。この怪我、メイリーン様のせいじゃなかったの?」
サリドによって嘘の情報を伝えられていた国民たちは、突然の出来事に困惑を隠せず次々に口を開き始めた。
サリドの言う様に災害級野獣の大量発生の元凶がメイリーンであるのなら、その災害級野獣たちが原因で負傷した民を救う理由が無い。ちなみに、この治療を行ったのが他の人間であるという可能性は、最初から民たちの選択肢には無かった。
彼らはかつてメイリーンに何度もその力で救われており、この白く輝く光もよく知っているからだ。
「やっぱりメイリーン様が罪人だなんて何かの間違いなのよ!みんなもメイリーン様がどんな人か良く知ってるでしょ?」
「……確かに、そうだよな」
「そうよ、何か変よ……」
「でもじゃあ何で罪人だなんて……」
メイリーンの無実を皆に訴えかけたのは、アデルがこの国を訪れて最初に会話した店員の女性だった。
彼女の言葉に同調する者、口を噤む者、疑問を募らせる者。その反応は様々だったが、メイリーンの罪を強く疑う人間はその場にはいなかった。
神の力を借り受けてから、メイリーンが民たちの為に奮闘してきた日々は。交流を重ねてきた日々は、決して無駄では無かったのだ。
国民たちの誤解が解けそうになった頃、その様子を眺めていたある人物が徐に立ち上がる。
「あの、皆さん。僕の話を聞いてはくれませんか?」
「「っ!?」」
その人物に注目した国民たちは、彼の正体に気づき思わず目を見開く。彼はこの国の有名人で、子供や相当な無知でもない限り知らぬ者はいなかった。
そしてその人物は、自身の知る全てを国民に語り始めるのだった。
********
メイリーンは災害級野獣たちの影響で負傷したであろう国民たちの治癒を成功させた。この国全土に渡る広範囲かつ最上級の治癒は、やはり神の御業としか呼べない代物である。死んでさえいなければどんな重症も病も治してしまう治癒が、一瞬で全ての人間に施されてしまうのだから。
流石のアデルでも、そんな神業を行使することは不可能だろう。だがそれもこれも、全てはアデルのジルが無ければ成り立たないことでもある。
神の力が上手く発動していることにほっと安堵すると、途端に力が抜けてしまい、メイリーンは手摺から足を踏み外してしまう。
「きゃっ……」
抵抗する暇も無く、身体が落ちていく恐怖にメイリーンは思わず目をぎゅっと閉じてしまう。訪れる衝撃に備えるように身体を強張らせたメイリーンだが、その衝撃はいくら待っても訪れなかった。
ふと疑問に思い、恐る恐る瞼を開けると、メイリーンの視界には心配そうに彼女を見下ろすアデルの姿が映る。
「っ……!あ、アデル様っ!?」
「メイリーン、大丈夫であるか?」
「は、はいっ!」
漸く自分がアデルに抱えてもらっている状況を把握したメイリーンは、一気に頬を染めて慌て始める。ちなみにアデルは落ちてくるメイリーンに気づき、即座に抱えていたサリドを捨てて彼女を落下の衝撃から救ったのだ。
すぐ傍で気絶しながら転がっているサリドを発見し、メイリーンは思わず目を丸くした。
「あ、ありがとうございます……アデル様」
「なに……美しい歌を聴かせてもらったのでな。その礼とでも思うとよいのだ」
「聴いていたのですね……」
地面にそっと下ろしてもらうと、メイリーンは顔を火照らせながらアデルに礼を言った。アデルにもあの歌が聴こえていたとは想像していなかったのか、メイリーンは恥ずかしそうにしてしまう。
「メイリーン。ミルは……?」
神妙な面持ちで尋ねられ、メイリーンは思わず唇を噛みしめる。本当のことを言ってアデルに嫌われるのではないかという不安が、彼女の中で燻っているのだ。もちろんアデルが簡単にメイリーンを軽蔑する様な人間でないことは分かっているが、僅かな可能性だけでもメイリーンは躊躇ってしまう。
「…………私が、殺しました」
「……そうか」
それでも何とか言葉を振り絞ったメイリーンは、わざと棘のある言い方をした。耳障りのいい言葉でアデルを誤魔化したくは無かったから。
「メイリーン。これだけは言っておくのだ」
「……?」
「ミルを殺したのはサリド・エスカジュークである。メイリーンは悪霊と化したミルを解放してやったのだ。そのことを、決して忘れるでないぞ?」
「はい」
かつて悪魔を殺したアデルでなければ、これ程までに今のメイリーンの気持ちに寄り添うことは出来なかっただろう。アデルの優しさに救われ、大分心が軽くなったメイリーンは、ふわっと笑みを溢した。
そんな二人の様子を遠目から見ていたギルドニスはふと、放置されているサリドに視線を向ける。メイリーンの治癒の力がサリドにも影響されていたらしく、アデルとの戦闘中に負った傷は無くなっていた。
だがそんなことよりも、ギルドニスは別の問題に気づき思わず目を見開いた。
それは、アデルがジルを込めて作った拘束具が、何故か壊されて地面に転がっているという問題であった。
「っ!アデル様っ!」
「?」
初めて聞いたギルドニスの焦っている様な声に、アデルたちは思わず首を傾げて振り返る。
だがそれを目の当たりにしてしまえば、ギルドニスの焦りの理由を否が応でもアデルたちは察してしまった。
意識を失っていたはずのサリドが、何らかの手段で拘束具を壊し、射殺さんばかりの視線を彼らに向けていたのだから。
「はぁっ、はぁ…………待ってて、ミルっ!」
苦しみ、藻掻き、叫び声のように咆哮するミルを目の当たりにしたメイリーンには、友を解放してやることしか頭になかった。それしかミルを救う手立てが無かったからだ。
だが、今からやろうとしている行為が本当に正しいことなのか、本当にミルを救うことになるのか。メイリーンにはそれを判断することができない。間違っているのかもしれない。それでもメイリーンはその歩みを止めなかった。
師匠の仇を取るため、悪魔を手にかけたアデルは、後悔していないように見えたから。
いくら考え続けても、きっと同じ結論に辿り着くのだろうとメイリーンは感じた。だからいくら辛くても、苦しくても、その段を踏み続けた。
「はぁ、はぁ……っ……」
最上階に到達したメイリーンは、外に通じる扉を開けて涼やかな風を感じる。バルコニーへ足を踏み入れたメイリーンは意を決すると、手摺に上がってそっと立ちあがる。
手摺は彼女の足先がほんの少しはみ出す程度の幅しかなく、少しでも踏み外してしまえば下まで真っ逆さまである。
「すぅっ……すぅっ……ふぅぅ……」
不安定な足場だというのに、ゆっくりと瞼を下ろしたメイリーンは、心を落ち着かせるように呼吸を整えた。
彼女の目の前には未だに暴れるミルがおり、その呻き声が響いている。それでも何故かメイリーンの周りには静かな空気が流れていて、彼女には自身の鼓動と呼吸の音しか聞こえていない。
自分自身の世界に入り込むと、内に潜む感情に敏感になってしまう。歌うことに対する、未だ消えない恐怖。だが、メイリーンには根拠のない安心感もあった。
忘れることの出来ない恐怖と共に思い出すのは、あの時のアデルの言葉。
『何も心配することは無いのだ、メイリーン。他の誰でも無く、我のことを信じてくれ。自分自身を信じろとは言わない。だが、メイリーンは我が必ず守る。その身体に、傷一つもつけないと誓おう。恐れるものなど何もない。お前はただ――』
「私は、ただ――」
物凄い集中力で気持ちを高めると、メイリーンはそっと目を開ける。強い意志を奥に感じられるが、触れると壊れてしまうのではないかと思えるほどの静寂と、儚い美しさが鮮烈である。
『お前はただ、大好きな歌を歌うだけである』
そして両手をぎゅっと握りしめると、メイリーンは緩やかにその口を開く。
「……っ」
春空の下、緩やかでありながら鮮明な歌声が世界に響く。その場の、国の、世界の空気が一変してしまうような筋が、スッと入ったようだった。
その第一声を聞いただけで、一つ一つ紡がれる言葉を聞く度に、どうしようもない涙が零れてしまうような。そんな歌声が降り注がれていった。
********
「っ?……メイリーン?」
耳の良いアデルは、僅かな音の違いに気づいてサリドから距離を取った。戦闘を一旦中断し、その音を聞き取ろうと耳を澄ましたアデルは、その歌声に思わず目を見開いた。
遠くから聞こえる僅かな音でも、アデルにとっては初めて聞く真面な歌で。そのあまりにもな美しさに、アデルは思わず茫然自失としてしまう。
「これは……神が気に入るわけである」
「あの女っ…………神の力で一体何をする気だ?」
アデルが不敵に笑ったことで、サリドもメイリーンが歌っていることに気づいたのか、彼は顔を顰めながらギリっと歯噛みする。
歌のする方向に気を取られたサリドの隙を狙い、アデルは身体強化による俊足で目にも止まらぬ速さで駆け出すと、彼の首を剣の峰で力強く斬りつけた。
「ぐぁっ!」
刃で傷つけられたわけでは無いので出血は無かったが、その強い衝撃でサリドは白目を剥いて気絶してしまった。
自身のジルで強固な拘束具を作ると、アデルはそれをサリドに装着する。
「ギルドニス」
「はい。何でしょうか、アデル様」
「……」
思い立ち、ギルドニスを呼んだアデルだったが、振り返った先に広がる光景に思わず固まってしまう。ギルドニスはサリドの部下全員をとっくに倒しており、気絶した部下たちがまるでゴミのように積み重なっていたのだ。そんな人間の塔を背景にしているというのに、それを一切感じさせない当たり障りのない笑みを浮かべるギルドニスはやはりどこかおかしい。
「……流石であるな」
「はぁっ!お、お褒めいただき、ありがとうございますっ……」
「……メイリーンの元へ向かうぞ」
「かしこまりました」
相変わらずのギルドニスに若干引きつつ、アデルはここから移動することを提案した。サリドを一人にするのは危険だと判断し、アデルは気絶する彼を担いで歩を進める。一方のギルドニスは倒した部下たちをほったらかしにして、アデルの後について行くのだった。
********
「っ…………ふぅ……」
約五分間の、夢心地のような時間だった。その優しい歌を歌い終えたメイリーンは、安心したように深呼吸をする。だが、本番はここからである。
浮かんだ汗が頬を伝い、顎へと落ちていく。メイリーンは徐に右手を掲げると、未だ藻掻く友の姿を目に焼き付けた。クシャクシャのその相好からは、言葉などでは表現できないような感情が伝わってくる。
「っ……フリードリッチっ!!」
掲げた右手をミルに向け、メイリーンがそう詠唱すると、彼女の指輪が黒い輝きを放った。そして突如、ミルの身体が淡い光のようなものに包まれる。唇を震わせ、必死に涙を堪えているメイリーンだが、それでもどうしようもない大粒の涙が零れてしまう。
白く、温かい光に包まれたミルはそのまま宙にふわりと浮かび、次の瞬間パリンッという音を鳴らして光の粒と化した。
まるで、最初からそこには何もいなかったように呆気なく。それ程までに神の力というものは脅威的で、悪霊になってしまったミルを一瞬にして無に帰し、元の精霊としての魂を天へと昇らせていた。
「っ……安らかに、眠ってね……ミルっ……」
唯一の友を自らの手で天へと送った。この大きすぎる決断を、メイリーンは後悔していない。それでも、一生背負わなければならない出来事であることも、また事実である。
メイリーンは思わず膝から崩れそうになったが、手摺の上にいたのでそれを必死に踏ん張った。ぎゅっと目を閉じて涙を出し切ると、キリッと大きく目を開けて再び手を掲げる。
メイリーンにはまだ、しなくてはならないことがあったのだ。
「ヒーリング!」
今度は手を掲げたまま、メイリーンは先刻とは別の詠唱をする。するとミルを包み込んだ物より淡いものの、美しい光がバランドール民主国全体を包み始めた。
国全体を包む光の範囲には当然メイリーンも含まれており、彼女はその優しい眩しさに目を細める。すると、痛々しく腫れていた足首が元の色白の肌を取り戻し、メイリーンは痛みを感じなくなっていた。
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メイリーンが治癒の力を行使した頃。民たちが集う避難所ではその力によって騒ぎが起こっていた。
メイリーンと同じように光に包まれた怪我人や重傷者が、一瞬にして健康な身体にまで回復したからだ。
「これって、メイリーン様の……」
「でもメイリーン様は罪人だったんじゃ?どうして私たちの怪我を治すのよ。この怪我、メイリーン様のせいじゃなかったの?」
サリドによって嘘の情報を伝えられていた国民たちは、突然の出来事に困惑を隠せず次々に口を開き始めた。
サリドの言う様に災害級野獣の大量発生の元凶がメイリーンであるのなら、その災害級野獣たちが原因で負傷した民を救う理由が無い。ちなみに、この治療を行ったのが他の人間であるという可能性は、最初から民たちの選択肢には無かった。
彼らはかつてメイリーンに何度もその力で救われており、この白く輝く光もよく知っているからだ。
「やっぱりメイリーン様が罪人だなんて何かの間違いなのよ!みんなもメイリーン様がどんな人か良く知ってるでしょ?」
「……確かに、そうだよな」
「そうよ、何か変よ……」
「でもじゃあ何で罪人だなんて……」
メイリーンの無実を皆に訴えかけたのは、アデルがこの国を訪れて最初に会話した店員の女性だった。
彼女の言葉に同調する者、口を噤む者、疑問を募らせる者。その反応は様々だったが、メイリーンの罪を強く疑う人間はその場にはいなかった。
神の力を借り受けてから、メイリーンが民たちの為に奮闘してきた日々は。交流を重ねてきた日々は、決して無駄では無かったのだ。
国民たちの誤解が解けそうになった頃、その様子を眺めていたある人物が徐に立ち上がる。
「あの、皆さん。僕の話を聞いてはくれませんか?」
「「っ!?」」
その人物に注目した国民たちは、彼の正体に気づき思わず目を見開く。彼はこの国の有名人で、子供や相当な無知でもない限り知らぬ者はいなかった。
そしてその人物は、自身の知る全てを国民に語り始めるのだった。
********
メイリーンは災害級野獣たちの影響で負傷したであろう国民たちの治癒を成功させた。この国全土に渡る広範囲かつ最上級の治癒は、やはり神の御業としか呼べない代物である。死んでさえいなければどんな重症も病も治してしまう治癒が、一瞬で全ての人間に施されてしまうのだから。
流石のアデルでも、そんな神業を行使することは不可能だろう。だがそれもこれも、全てはアデルのジルが無ければ成り立たないことでもある。
神の力が上手く発動していることにほっと安堵すると、途端に力が抜けてしまい、メイリーンは手摺から足を踏み外してしまう。
「きゃっ……」
抵抗する暇も無く、身体が落ちていく恐怖にメイリーンは思わず目をぎゅっと閉じてしまう。訪れる衝撃に備えるように身体を強張らせたメイリーンだが、その衝撃はいくら待っても訪れなかった。
ふと疑問に思い、恐る恐る瞼を開けると、メイリーンの視界には心配そうに彼女を見下ろすアデルの姿が映る。
「っ……!あ、アデル様っ!?」
「メイリーン、大丈夫であるか?」
「は、はいっ!」
漸く自分がアデルに抱えてもらっている状況を把握したメイリーンは、一気に頬を染めて慌て始める。ちなみにアデルは落ちてくるメイリーンに気づき、即座に抱えていたサリドを捨てて彼女を落下の衝撃から救ったのだ。
すぐ傍で気絶しながら転がっているサリドを発見し、メイリーンは思わず目を丸くした。
「あ、ありがとうございます……アデル様」
「なに……美しい歌を聴かせてもらったのでな。その礼とでも思うとよいのだ」
「聴いていたのですね……」
地面にそっと下ろしてもらうと、メイリーンは顔を火照らせながらアデルに礼を言った。アデルにもあの歌が聴こえていたとは想像していなかったのか、メイリーンは恥ずかしそうにしてしまう。
「メイリーン。ミルは……?」
神妙な面持ちで尋ねられ、メイリーンは思わず唇を噛みしめる。本当のことを言ってアデルに嫌われるのではないかという不安が、彼女の中で燻っているのだ。もちろんアデルが簡単にメイリーンを軽蔑する様な人間でないことは分かっているが、僅かな可能性だけでもメイリーンは躊躇ってしまう。
「…………私が、殺しました」
「……そうか」
それでも何とか言葉を振り絞ったメイリーンは、わざと棘のある言い方をした。耳障りのいい言葉でアデルを誤魔化したくは無かったから。
「メイリーン。これだけは言っておくのだ」
「……?」
「ミルを殺したのはサリド・エスカジュークである。メイリーンは悪霊と化したミルを解放してやったのだ。そのことを、決して忘れるでないぞ?」
「はい」
かつて悪魔を殺したアデルでなければ、これ程までに今のメイリーンの気持ちに寄り添うことは出来なかっただろう。アデルの優しさに救われ、大分心が軽くなったメイリーンは、ふわっと笑みを溢した。
そんな二人の様子を遠目から見ていたギルドニスはふと、放置されているサリドに視線を向ける。メイリーンの治癒の力がサリドにも影響されていたらしく、アデルとの戦闘中に負った傷は無くなっていた。
だがそんなことよりも、ギルドニスは別の問題に気づき思わず目を見開いた。
それは、アデルがジルを込めて作った拘束具が、何故か壊されて地面に転がっているという問題であった。
「っ!アデル様っ!」
「?」
初めて聞いたギルドニスの焦っている様な声に、アデルたちは思わず首を傾げて振り返る。
だがそれを目の当たりにしてしまえば、ギルドニスの焦りの理由を否が応でもアデルたちは察してしまった。
意識を失っていたはずのサリドが、何らかの手段で拘束具を壊し、射殺さんばかりの視線を彼らに向けていたのだから。
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