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第二章 仲間探求編
32、再会1
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「あぁ。実は私、始受会を破門になりまして」
「………………はっ?……は、何がどうして、そうなったのだ?」
実に清々しい表情で告げられた内容にアデルは驚きを隠せず、しどろもどろになりながら尋ねた。
「まぁ、色々ありまして……」
「その色々を聞いているのだが……」
「あのぅ……」
何故か答えをはぐらかすギルドニスにアデルが眉を顰めていると、会話についていけていないメイリーンがおずおずと手を挙げた。
「しじゅかい、というのは何なのですか?」
「悪魔教団、と言えば分かるか?」
「っ!?……悪魔を信仰する、宗教団体ということでしょうか?」
始受会という組織その物を知らなかったメイリーンだが、その簡潔な説明だけで理解できてしまった。当時のアデルも驚いたが、やはりその存在を知らない者にとって、彼らの信仰心は驚きを禁じ得ないものなのだ。
「その通りである。此奴は悪魔教団〝始受会〟第一支部主教を務めている……破門になったのであれば務めていた、というのが正確であろうな…………それで、結局何が原因で破門になったのだ?」
「……恥ずかしいので内緒です」
「……?」
人差し指を口元で立てて、ほんの少し恥ずかしそうに微笑んだギルドニスは、アデルの初めて見る表情を浮かべていた。予想の斜め上を行く返答に、アデルは怪訝そうな顔で首を傾げてしまう。
「……では何故、お前がバランドールにいるのだ?まさか、我をつけてきたのでは無いだろうな?」
「まさか。私が尾行などすれば、アデル様は気配で勘付かれるでしょう?」
「まぁ、そうだが……」
そもそもアデルは転移術でゼルド王国とバランドール民主国を行き来しているので、例えギルドニスに尾行の意思があっても不可能である。
「私がこの国を訪れたのは、新たな悪魔様を探し出す為です」
「……教団を抜けたのにか?」
「えぇ。少々興味がありまして」
「……ふむ。ということは、始受会も未だ悪魔の居所を把握してはいないのだな」
「私の知る限りではそうですね……もしや、アデル様も探しておられるのですか?」
悪魔を信仰する始受会が新たに誕生した悪魔を探さない道理はない。なのでアデルは彼らが既に悪魔を見つけているという可能性を常に気にしていた。だが、彼らも未だ捜索中の可能性が高いことを知り、アデルはホッと一安心する。
一方、アデルが始受会の動向を気にしていることから、彼も悪魔の所在を探っているのではないかと推測したギルドニスは、興味深そうに尋ねた。
「確かにその通りであるが、お前の思っているような理由では無いぞ」
「?悪魔様への復讐では?」
「ほら見たことか」
予想通りアデルの動機を勘違いしていたギルドニスに、彼は零れるため息を抑えることが出来ない。
「アデル様。私からの質問をお許しいただけますか?」
「いちいち我の許しを請うてから尋ねる必要は無いのだ」
「ありがとうございます。では、アデル様たちはこんな場所で何をされていらっしゃるのですか?」
「それが、少々面倒なことになっているのだ」
ギルドニスの質問に答えるため、アデルはこれまでの経緯を彼に語ることにした。メイリーンが神の力を持つ少女であること。この国の元首によってキーである歌が奪われたこと。彼女の精霊が利用されているかもしれないこと。メイリーンが命を狙われていること。
アデルの後ろに隠れながら、メイリーンもミルの特徴を詳しく説明してやった。
「――つまり、アデル様たちはその精霊を探しているのですね?」
「あぁ。同時に、災害級野獣の群れを殲滅できればと思っているのだ」
「精霊の方でしたら私、心当たりがありますよ?」
「本当ですかっ!?」
思わぬ情報源にメイリーンは思わずアデルの背中から顔を出し、大声で尋ねてしまう。彼女の必死な相好に一瞬虚を突かれたギルドニスだったが、すぐに平静を取り戻す。
「えぇ。ここに来る前、遠目でそれらしき外見の精霊を見ましたので。ただ……」
「ただ?」
何か気掛かりなことがあるような彼の物言いに、アデルは思わず疑問の声を上げた。
「その精霊、本当に大型犬並みの大きさなのですか?」
「?はい……」
「確かに外見は犬のように見えましたが……体格はとても犬とは思えない程巨大だったような……」
「え?」
想定外の情報に、メイリーンは思わず呆けたような声を上げてしまう。
腰より少し低い位置に手を伸ばすと、その柔らかな背に触れることが出来て、前脚を持って伸ばすと、メイリーンの肩にその足が届いて――。それがメイリーンの知るミルだった。
だがギルドニスの見た精霊はもっと大きく、メイリーンの中に一つの可能性が生まれてしまう。
「もしかして……ミルに似ているだけの、別の精霊なんじゃ……」
「……とにかく、その精霊を見ないことには分からぬな。メイリーンであれば、本物かどうか分かるであろう?」
アデルの問いに、メイリーンは呆然としたまま首肯して返した。ミルのことをよく知らなかった国民たちが、その精霊の容姿を見て勘違いした可能性は確かにあり、メイリーンは再び不安に駆られたのだ。
「ギルドニス。その精霊を見た場所に案内してくれるか?」
「もちろんです。アデル様の仰せのままに」
アデルの頼みを快く受け入れたギルドニスは、緩やかな動きで一礼した。
こうして、アデルとメイリーンの二人は、ギルドニスを加えた三人で問題の精霊の元へ向かうのだった。
********
目を閉じて、思い出すのはいつも同じ光景。
何度も何度も繰り返し夢に見た、あの日の光景。あの日の記憶。
突如、暗闇から伸ばされた手は冷たい。サリドによって息も出来ない程首を絞めつけられ、怪しげな術によって耐え難い痛みを喉に感じたかと思うと、既にメイリーンは声を失っていた。声が全てだった彼女にとって、その出来事は頭が真っ白になる程の絶望だった。だがそれ以上の絶望がすぐに訪れることを、彼女は知らなかった。
メイリーンの声を奪う目的など、神の力を行使させないこと以外に考えられない。だからミルは直感的に思った。サリドがメイリーンを殺すつもりなのでは無いかと。確かに最終的にはそうするつもりだっただろうが、それはこの瞬間では無かった。
だがサリドの思惑など知らないミルは、彼女を守るためにサリドに襲い掛かった。その瞬間、メイリーンは表現し難い危機感を覚え、咄嗟にミルを止めようとした。だが制止するための声を、その時の彼女に出す術は無かった。
無意味に口を開けた時、ミルの核がサリドの剣で貫かれた。その光景を、メイリーンは忘れることが出来ない。何もできなかった自身に対する嫌悪感と、ミルを失った絶望。その時の感情を忘れることだってできない。
目に焼き付けてしまった光景は、きっと死ぬまで忘れることは無いのだろう。
だからこそ、メイリーンはその記憶を塗り替えたかった。友を救えなかった記憶では無く、今度こそ友を解放する記憶に。
********
アデルたちが向かっているのは、バランドール民主国では観光地として有名な塔の近くである。高さ百メートルのその美しい塔は、街一帯を見渡すことの出来る数少ない建造物であった。
その道中、アデルはメイリーンに透明化の術をかけていた。精霊の元に向かうにはどうしても人目についてしまうので、アデルが一肌脱いだのだ。因みにアデルは目立たないように髪の色を変えている。
国民のほとんどは避難所に避難していたので、街には災害級野獣を殲滅するために闘っている冒険者や騎士しかいなかった。
小走りで目的地へ向かいながら、遭遇する災害級野獣をアデルとギルドニスが倒していく。この繰り返しで、何とか塔の全体が見えてきた頃。
メイリーンは突然その足を止めてしまう。そして、顔を真っ青にして震え始めたメイリーンの異変に気づけたのはアデルだけであった。メイリーンは今他人から見えない状態なので、彼女を視認できるのは術をかけたアデルだけなのだ。
「……?どうしたのだ?」
「っ……さ、サリド……」
「っ!?」
震える声で呟かれたその名前に、アデルは思わず息を呑む。メイリーンの視線を追うと、そこには何人かの護衛に囲まれたサリドの姿があり、アデルは初めて彼の姿を確認することが出来た。
「……貴様ら、何者だ?先程罪人のメイリーン・ランゼルフの声が聞こえた気がするのだが、俺の空耳だろうか?」
「……」
(どうする……)
思わずサリドの前で声を出してしまったメイリーンは、真っ青な相好のまま口元を覆った。だがそのようなことをしても時すでに遅し。サリドはその一瞬の声を聞き逃さなかった。
だがサリドの目には見知らぬ男二人、つまりアデルとギルドニスしか映っていないので、彼は怪訝そうな視線を二人に向けることしか出来ない。
アデルは必死に打開策を考えるが、それを思いつく前にサリドが口を開いた。
「まさか。そこにいるのではあるまいな?」
「っ……」
これ以上誤魔化そうとしてもバレるのは時間の問題だと悟ったのか、アデルはそっとメイリーンの腕を掴むと、その耳元で指示を伝えることにする。
『メイリーン。今からお前の透明化を解く』
「っ?」
『その瞬間、我がメイリーンを塔の近くに転移させるのだ。我が転移させたら、お前は全速力で走ってサリドたちから距離をとるのだ。同時にミルのことも捜すといい』
アデルの指示を聞くと、メイリーンは意を決した様にコクっと頷いた。このまま固まって行動してもジリ貧だと感じていたのはメイリーンも同様だったので、別行動することに異議は無かったようだ。
「行くぞ」
「「っ!?」」
アデルが合図を出した途端メイリーンの透明化が解け、サリドたちの視界に彼女の姿が飛び込んできた。思わず目を見開いたサリドたちであったが、驚く暇も無いほど一瞬にしてメイリーンの姿が再び消えてしまったので、彼らは当惑したように辺りを見渡した。
「どこに行った!?」
「サリド様っ!後ろです!」
「なにっ!?」
護衛の一人に促されたことで後ろを振り向くと、かなり離れた地点に走るメイリーンの背中をサリドは確認した。そして彼女を逃がしてしまったことに対する屈辱で、サリドは顔を歪めて歯噛みする。一方のアデルは、取り敢えずメイリーンの逃亡が成功したことでホッと安堵の息を漏らしていた。
「早く追うぞ!」
「おっと……それは困るのだ」
「っ!?」
メイリーンを見失わない内に何とか後を追おうとしたサリドだが、それを簡単に許すアデルではない。メイリーンを隠すように、転移術で逸早くサリドたちの行く手を阻んだアデルは、不敵な笑みを浮かべて彼らを挑発している。
「貴様、何者だ?」
「……口で説明するより、直接見てもらった方がよいだろうな」
そう言うと、アデルは髪の色を元の黒髪に戻して自身の正体を明かした。混じり気の無い黒髪が風に揺れた途端、その場の空気が一変した。
どこか居心地の悪い静寂が流れ、アデルに向けられる眼差しに侮蔑や恐怖が含まれていく。
アデルが素直に正体を明かしたのは、彼らの関心を自身に向けさせる為なので、その反応はある意味成功だった。アデルは少しでもメイリーンが逃げ延びる時間を稼ぎたかったのだ。
「っ!…………悪魔の愛し子、だと?」
「我が相手になろうではないか。決して、メイリーンの元へは行かせぬ」
「……そうか、貴様だな?あの罪人を檻から解放したのは……悪魔の愛し子に縋るなど、あの女も落ちたものだ」
メイリーンを嘲笑う様に侮辱したサリドに、思わずアデルは眉を顰めてしまう。
平静を装っているサリドではあるが、内心は突然の事態に当惑していた。メイリーンの姿を一切視認させず、彼女を一瞬で転移させた術を目の当たりにしてしまえば、アデルの実力がどれ程のものなのか、サリドには理解できてしまったのだ。
悪魔の愛し子という強者がメイリーンの味方についているという奇妙な状況に対する疑問と危機感に、サリドは頭を悩ませていた。そして何よりサリドが困惑していたのは、メイリーンが声を取り戻していたことだ。
(一体どうやってアイツの声を……そもそも何故悪魔の愛し子がメイリーンを擁護しているんだ)
あの一瞬、サリドの名前を怯えたように呟いたあの声は、彼の聞き間違いなどではない。一年前に封じたはずの彼女の声が戻っていることに対する驚きと、その方法に対する疑問がサリドの頭を支配していた。
「アデル様。有象無象は私が処分しておきますので、アデル様はそこの無礼者の相手に専念なさってください」
にこやかな表情ではあるが、アデルにはギルドニスの内なる怒りが手に取るように分かった。アデルを貶すような物言いをしたサリドに対する怒りが、彼の中でどろどろに熟されており、爆発していないのが奇跡のような状態なのだ。
「……殺すでないぞ?」
「……それがアデル様の望みであるのなら」
アデルが念の為言い含めると、ギルドニスは一瞬の間を置いて了承した。その絶妙な間がアデルにとっては気掛かりであったが、もしもの時は自分が止めればいいかと結論付けた。
初めて会った時からギルドニスの信仰心さえ疑っているアデルなので、基本的に彼の言葉を完全に信用できていないのだ。
アデルに疑われているとは露程も思っていないギルドニスは、早速最初の一手を繰り出すのだった。
「………………はっ?……は、何がどうして、そうなったのだ?」
実に清々しい表情で告げられた内容にアデルは驚きを隠せず、しどろもどろになりながら尋ねた。
「まぁ、色々ありまして……」
「その色々を聞いているのだが……」
「あのぅ……」
何故か答えをはぐらかすギルドニスにアデルが眉を顰めていると、会話についていけていないメイリーンがおずおずと手を挙げた。
「しじゅかい、というのは何なのですか?」
「悪魔教団、と言えば分かるか?」
「っ!?……悪魔を信仰する、宗教団体ということでしょうか?」
始受会という組織その物を知らなかったメイリーンだが、その簡潔な説明だけで理解できてしまった。当時のアデルも驚いたが、やはりその存在を知らない者にとって、彼らの信仰心は驚きを禁じ得ないものなのだ。
「その通りである。此奴は悪魔教団〝始受会〟第一支部主教を務めている……破門になったのであれば務めていた、というのが正確であろうな…………それで、結局何が原因で破門になったのだ?」
「……恥ずかしいので内緒です」
「……?」
人差し指を口元で立てて、ほんの少し恥ずかしそうに微笑んだギルドニスは、アデルの初めて見る表情を浮かべていた。予想の斜め上を行く返答に、アデルは怪訝そうな顔で首を傾げてしまう。
「……では何故、お前がバランドールにいるのだ?まさか、我をつけてきたのでは無いだろうな?」
「まさか。私が尾行などすれば、アデル様は気配で勘付かれるでしょう?」
「まぁ、そうだが……」
そもそもアデルは転移術でゼルド王国とバランドール民主国を行き来しているので、例えギルドニスに尾行の意思があっても不可能である。
「私がこの国を訪れたのは、新たな悪魔様を探し出す為です」
「……教団を抜けたのにか?」
「えぇ。少々興味がありまして」
「……ふむ。ということは、始受会も未だ悪魔の居所を把握してはいないのだな」
「私の知る限りではそうですね……もしや、アデル様も探しておられるのですか?」
悪魔を信仰する始受会が新たに誕生した悪魔を探さない道理はない。なのでアデルは彼らが既に悪魔を見つけているという可能性を常に気にしていた。だが、彼らも未だ捜索中の可能性が高いことを知り、アデルはホッと一安心する。
一方、アデルが始受会の動向を気にしていることから、彼も悪魔の所在を探っているのではないかと推測したギルドニスは、興味深そうに尋ねた。
「確かにその通りであるが、お前の思っているような理由では無いぞ」
「?悪魔様への復讐では?」
「ほら見たことか」
予想通りアデルの動機を勘違いしていたギルドニスに、彼は零れるため息を抑えることが出来ない。
「アデル様。私からの質問をお許しいただけますか?」
「いちいち我の許しを請うてから尋ねる必要は無いのだ」
「ありがとうございます。では、アデル様たちはこんな場所で何をされていらっしゃるのですか?」
「それが、少々面倒なことになっているのだ」
ギルドニスの質問に答えるため、アデルはこれまでの経緯を彼に語ることにした。メイリーンが神の力を持つ少女であること。この国の元首によってキーである歌が奪われたこと。彼女の精霊が利用されているかもしれないこと。メイリーンが命を狙われていること。
アデルの後ろに隠れながら、メイリーンもミルの特徴を詳しく説明してやった。
「――つまり、アデル様たちはその精霊を探しているのですね?」
「あぁ。同時に、災害級野獣の群れを殲滅できればと思っているのだ」
「精霊の方でしたら私、心当たりがありますよ?」
「本当ですかっ!?」
思わぬ情報源にメイリーンは思わずアデルの背中から顔を出し、大声で尋ねてしまう。彼女の必死な相好に一瞬虚を突かれたギルドニスだったが、すぐに平静を取り戻す。
「えぇ。ここに来る前、遠目でそれらしき外見の精霊を見ましたので。ただ……」
「ただ?」
何か気掛かりなことがあるような彼の物言いに、アデルは思わず疑問の声を上げた。
「その精霊、本当に大型犬並みの大きさなのですか?」
「?はい……」
「確かに外見は犬のように見えましたが……体格はとても犬とは思えない程巨大だったような……」
「え?」
想定外の情報に、メイリーンは思わず呆けたような声を上げてしまう。
腰より少し低い位置に手を伸ばすと、その柔らかな背に触れることが出来て、前脚を持って伸ばすと、メイリーンの肩にその足が届いて――。それがメイリーンの知るミルだった。
だがギルドニスの見た精霊はもっと大きく、メイリーンの中に一つの可能性が生まれてしまう。
「もしかして……ミルに似ているだけの、別の精霊なんじゃ……」
「……とにかく、その精霊を見ないことには分からぬな。メイリーンであれば、本物かどうか分かるであろう?」
アデルの問いに、メイリーンは呆然としたまま首肯して返した。ミルのことをよく知らなかった国民たちが、その精霊の容姿を見て勘違いした可能性は確かにあり、メイリーンは再び不安に駆られたのだ。
「ギルドニス。その精霊を見た場所に案内してくれるか?」
「もちろんです。アデル様の仰せのままに」
アデルの頼みを快く受け入れたギルドニスは、緩やかな動きで一礼した。
こうして、アデルとメイリーンの二人は、ギルドニスを加えた三人で問題の精霊の元へ向かうのだった。
********
目を閉じて、思い出すのはいつも同じ光景。
何度も何度も繰り返し夢に見た、あの日の光景。あの日の記憶。
突如、暗闇から伸ばされた手は冷たい。サリドによって息も出来ない程首を絞めつけられ、怪しげな術によって耐え難い痛みを喉に感じたかと思うと、既にメイリーンは声を失っていた。声が全てだった彼女にとって、その出来事は頭が真っ白になる程の絶望だった。だがそれ以上の絶望がすぐに訪れることを、彼女は知らなかった。
メイリーンの声を奪う目的など、神の力を行使させないこと以外に考えられない。だからミルは直感的に思った。サリドがメイリーンを殺すつもりなのでは無いかと。確かに最終的にはそうするつもりだっただろうが、それはこの瞬間では無かった。
だがサリドの思惑など知らないミルは、彼女を守るためにサリドに襲い掛かった。その瞬間、メイリーンは表現し難い危機感を覚え、咄嗟にミルを止めようとした。だが制止するための声を、その時の彼女に出す術は無かった。
無意味に口を開けた時、ミルの核がサリドの剣で貫かれた。その光景を、メイリーンは忘れることが出来ない。何もできなかった自身に対する嫌悪感と、ミルを失った絶望。その時の感情を忘れることだってできない。
目に焼き付けてしまった光景は、きっと死ぬまで忘れることは無いのだろう。
だからこそ、メイリーンはその記憶を塗り替えたかった。友を救えなかった記憶では無く、今度こそ友を解放する記憶に。
********
アデルたちが向かっているのは、バランドール民主国では観光地として有名な塔の近くである。高さ百メートルのその美しい塔は、街一帯を見渡すことの出来る数少ない建造物であった。
その道中、アデルはメイリーンに透明化の術をかけていた。精霊の元に向かうにはどうしても人目についてしまうので、アデルが一肌脱いだのだ。因みにアデルは目立たないように髪の色を変えている。
国民のほとんどは避難所に避難していたので、街には災害級野獣を殲滅するために闘っている冒険者や騎士しかいなかった。
小走りで目的地へ向かいながら、遭遇する災害級野獣をアデルとギルドニスが倒していく。この繰り返しで、何とか塔の全体が見えてきた頃。
メイリーンは突然その足を止めてしまう。そして、顔を真っ青にして震え始めたメイリーンの異変に気づけたのはアデルだけであった。メイリーンは今他人から見えない状態なので、彼女を視認できるのは術をかけたアデルだけなのだ。
「……?どうしたのだ?」
「っ……さ、サリド……」
「っ!?」
震える声で呟かれたその名前に、アデルは思わず息を呑む。メイリーンの視線を追うと、そこには何人かの護衛に囲まれたサリドの姿があり、アデルは初めて彼の姿を確認することが出来た。
「……貴様ら、何者だ?先程罪人のメイリーン・ランゼルフの声が聞こえた気がするのだが、俺の空耳だろうか?」
「……」
(どうする……)
思わずサリドの前で声を出してしまったメイリーンは、真っ青な相好のまま口元を覆った。だがそのようなことをしても時すでに遅し。サリドはその一瞬の声を聞き逃さなかった。
だがサリドの目には見知らぬ男二人、つまりアデルとギルドニスしか映っていないので、彼は怪訝そうな視線を二人に向けることしか出来ない。
アデルは必死に打開策を考えるが、それを思いつく前にサリドが口を開いた。
「まさか。そこにいるのではあるまいな?」
「っ……」
これ以上誤魔化そうとしてもバレるのは時間の問題だと悟ったのか、アデルはそっとメイリーンの腕を掴むと、その耳元で指示を伝えることにする。
『メイリーン。今からお前の透明化を解く』
「っ?」
『その瞬間、我がメイリーンを塔の近くに転移させるのだ。我が転移させたら、お前は全速力で走ってサリドたちから距離をとるのだ。同時にミルのことも捜すといい』
アデルの指示を聞くと、メイリーンは意を決した様にコクっと頷いた。このまま固まって行動してもジリ貧だと感じていたのはメイリーンも同様だったので、別行動することに異議は無かったようだ。
「行くぞ」
「「っ!?」」
アデルが合図を出した途端メイリーンの透明化が解け、サリドたちの視界に彼女の姿が飛び込んできた。思わず目を見開いたサリドたちであったが、驚く暇も無いほど一瞬にしてメイリーンの姿が再び消えてしまったので、彼らは当惑したように辺りを見渡した。
「どこに行った!?」
「サリド様っ!後ろです!」
「なにっ!?」
護衛の一人に促されたことで後ろを振り向くと、かなり離れた地点に走るメイリーンの背中をサリドは確認した。そして彼女を逃がしてしまったことに対する屈辱で、サリドは顔を歪めて歯噛みする。一方のアデルは、取り敢えずメイリーンの逃亡が成功したことでホッと安堵の息を漏らしていた。
「早く追うぞ!」
「おっと……それは困るのだ」
「っ!?」
メイリーンを見失わない内に何とか後を追おうとしたサリドだが、それを簡単に許すアデルではない。メイリーンを隠すように、転移術で逸早くサリドたちの行く手を阻んだアデルは、不敵な笑みを浮かべて彼らを挑発している。
「貴様、何者だ?」
「……口で説明するより、直接見てもらった方がよいだろうな」
そう言うと、アデルは髪の色を元の黒髪に戻して自身の正体を明かした。混じり気の無い黒髪が風に揺れた途端、その場の空気が一変した。
どこか居心地の悪い静寂が流れ、アデルに向けられる眼差しに侮蔑や恐怖が含まれていく。
アデルが素直に正体を明かしたのは、彼らの関心を自身に向けさせる為なので、その反応はある意味成功だった。アデルは少しでもメイリーンが逃げ延びる時間を稼ぎたかったのだ。
「っ!…………悪魔の愛し子、だと?」
「我が相手になろうではないか。決して、メイリーンの元へは行かせぬ」
「……そうか、貴様だな?あの罪人を檻から解放したのは……悪魔の愛し子に縋るなど、あの女も落ちたものだ」
メイリーンを嘲笑う様に侮辱したサリドに、思わずアデルは眉を顰めてしまう。
平静を装っているサリドではあるが、内心は突然の事態に当惑していた。メイリーンの姿を一切視認させず、彼女を一瞬で転移させた術を目の当たりにしてしまえば、アデルの実力がどれ程のものなのか、サリドには理解できてしまったのだ。
悪魔の愛し子という強者がメイリーンの味方についているという奇妙な状況に対する疑問と危機感に、サリドは頭を悩ませていた。そして何よりサリドが困惑していたのは、メイリーンが声を取り戻していたことだ。
(一体どうやってアイツの声を……そもそも何故悪魔の愛し子がメイリーンを擁護しているんだ)
あの一瞬、サリドの名前を怯えたように呟いたあの声は、彼の聞き間違いなどではない。一年前に封じたはずの彼女の声が戻っていることに対する驚きと、その方法に対する疑問がサリドの頭を支配していた。
「アデル様。有象無象は私が処分しておきますので、アデル様はそこの無礼者の相手に専念なさってください」
にこやかな表情ではあるが、アデルにはギルドニスの内なる怒りが手に取るように分かった。アデルを貶すような物言いをしたサリドに対する怒りが、彼の中でどろどろに熟されており、爆発していないのが奇跡のような状態なのだ。
「……殺すでないぞ?」
「……それがアデル様の望みであるのなら」
アデルが念の為言い含めると、ギルドニスは一瞬の間を置いて了承した。その絶妙な間がアデルにとっては気掛かりであったが、もしもの時は自分が止めればいいかと結論付けた。
初めて会った時からギルドニスの信仰心さえ疑っているアデルなので、基本的に彼の言葉を完全に信用できていないのだ。
アデルに疑われているとは露程も思っていないギルドニスは、早速最初の一手を繰り出すのだった。
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