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第二章 仲間探求編
29、囚われの少女5
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「分かった……今はそれでいいのだ……」
メイリーンの気持ちを尊重したアデルは優しい声と共に彼女の意思を受け入れた。
「ご厚意を無駄にしてしまい、申し訳ありません……」
「……メイリーン、手芸は得意であるか?」
「え?……えっと、はい。多少は……」
気落ちする彼女の顔をじっと見つめていたアデルは何かを思いついたようで、唐突に全く関係のないことを尋ねてきた。一方のメイリーンは、突然の質問に当惑するばかりで全く話についていけていない。
「では、そんなメイリーンに一つ頼みたいことがあるのだ」
「?」
優しく微笑んだアデルの発言に、メイリーンは呆けた相好で首を傾げることしか出来なかった。
********
その日の夜。メイリーンは檻の中で一人、針仕事に勤しんでいた。細かい作業が好きなメイリーンは黙々と作業に打ち込んでおり、その時間だけは余計なことを考えずに済んだ。
だがふと手を止めてしまうと、今日の出来事を思い出して考え込んでしまう。
『理由は分かるか?』
『……いえ』
(……アデル様に嘘、ついちゃったな……)
歌おうとした時だけ声が出なかった理由が、メイリーンには分かっていた。言わなかったのは、それがあまりにも情けない理由だったから。これ以上、彼女は惨めな思いをしたくなかったのだ。
メイリーンは恐れていた。歌を歌い、神の力を行使することを。彼女がこの檻に囚われているのは、その力が原因だったから。歌を歌うと悪いことが起きるという記憶が、彼女の喉に重い重い負荷をかけていたのだ。
また歌えば、もっと酷いことが起こるのではないか。そんな恐怖が、彼女に歌わせることを許してはくれなかった。
(ぬいぐるみなんて、何に使うのかしら……?)
可愛らしい犬のぬいぐるみを作っていたメイリーンは、アデルがそれを頼んできた理由を知らなかった。歌を歌えなかった衝撃でそれどころでは無く、メイリーンは尋ねることも放置してしまったのだ。
********
「では、そんなメイリーンに一つ頼みたいことがあるのだ」
「?」
「ぬいぐるみを一つ作ってくれぬか?どんなものでもいい。ただ、掌に乗せられる程度の大きさが好ましいのだ」
「……えっと、はい……時間はたくさんあるので、早ければ明日にでも出来ますが……」
「それは僥倖である。では今日のところはお暇させてもらい、また明日ここに来るのだ」
「分かり、ました……」
呆然としたままのメイリーンの返事を聞くと、アデルは背嚢を背負い直した。すると瞬きする間にアデルはその場から消えてしまい、メイリーンは思わず目を見開いて辺りを見回してしまう。まるで最初からそこには誰もいなかったような静寂が部屋に響き渡る。
あまりの突然の出来事に声も出なかったメイリーンだが、しばらくすると落ち着きを取り戻し、ぬいぐるみの材料を洋服棚から探し始めるのだった。
********
メイリーンの生活は全てこの檻の中で完結している。ベッドも、食材も、風呂も、全てアイテムボックスに仕舞われているだけで、必要になった際に取り出して使用しているのだ。そんなアイテムボックスから着なくなった洋服や裁縫用具を取り出し、メイリーンはぬいぐるみ作りを始めていた。
大きさしか指定されていないので、メイリーンは思わず犬のぬいぐるみを作ってしまっていた。彼女の友である精霊と同じ姿だからだ。動物を想像して真っ先に頭に浮かぶのはミルの姿だった上、そもそも彼女はそれ以外の動物をあまり見たことが無かった。
だから自然にメイリーンは犬のぬいぐるみを作っていて、完成品を見つめた彼女は懐かしく感じてしまった。
ふと時計に視線を移すと午前零時を指しており、メイリーンはハッとして部屋の入り口を振り返る。
(もうこんな時間……見張りが来てしまう)
一日一回必ずある見回りの時間。それが午前零時だった。いつもサリドの部下と思われる人間がこの部屋を訪れ、メイリーンが妙な動きをしていないか確認しに来るのだ。その人物はいつも何故か仮面を被っており、メイリーンは彼が男であることしか知らない。
メイリーンが扉に視線をやると、鍵を開ける音の後に誰かが入室してきた。
「っ……!」
いつもの仮面の人物とは違う来訪者にメイリーンは思わず声を漏らしそうになり、咄嗟に口元を抑えた。
アデルと同じぐらいの高身長にシンプルな礼服を身に纏うその男性は、彼女が最も恐れる人物――サリド・エスカジュークその人だったのだ。
深緑色の長髪は後頭部の低い位置で束ねられ、長めの前髪は七三でサラッと流れている。四十代らしい皺の多い顔と、感情の読めない糸目は穏やかそうに見えるが、彼の内心など誰も読むことは出来ない。
(どうして今日に限ってサリドが……)
普段は滅多にここには訪れないというのに、アデルが現れた今日に限ってサリドが見回りに来たことに、彼女は言いようのない危機感を覚えた。
ゆっくりと檻の方に近づいていったサリドは彼女の手元にあるぬいぐるみに気づき、嘲笑うような乾いた声を上げる。
「はっ……お前にもようやく、そんなものを作る余裕が出来たのだな」
「……」
サリドの嘲笑はメイリーンに一先ずの安堵を与えてくれた。笑っていられるということは、彼女が突然裁縫をし始めたことに対して不信感を抱いていないということだからだ。これをきっかけにアデルのことや、声を取り戻したことを悟られるのでは無いかとメイリーンは危惧していたのだが、流石に杞憂だったようだ。
割れた窓や壊した結界はアデルが元に戻してくれたので、サリドが侵入者を疑う痕跡は残っていなかった。
「妙な胸騒ぎがして来てみたのだが、杞憂だったようだな。そもそも声を失くした無力なお前に、何か出来る訳でもあるまいし……」
「っ……」
例え声を出してはいけないという制限が無くとも、メイリーンは反論できなかっただろう。自分が無力なことは、メイリーンが一番思い知っているから。
グッと歯噛みし、悔し気に拳を握り締める彼女を最後に嘲笑うと、サリドはあっさりと立ち去って部屋に鍵をかけていった。
妙に勘の鋭いサリドに冷や冷やさせられたが、何事も無く帰ってくれたので、メイリーンはホッと安堵しため息を漏らす。
夜の部屋を照らすのは檻の中の小さな灯りだけで、窓に目を向けてもそこから星空を眺めることは出来ない。心許ない灯りに包まれる中、メイリーンはこれからの道に思い悩むだった。
********
次の日の昼間。昨夜夜更かしをしたことで、随分と明るくなるまで眠ってしまっていたメイリーンは、ボンヤリとした思考のまま身支度を整える。いつもであれば急がないのだが、今日はアデルがいつ訪れるのか分からなかったので、彼女はいそいそと髪に櫛を通していた。
「また窓を破ってくるのかしら……心臓に悪いから覚悟しておかないと……」
窓が割れる鮮烈な音には慣れそうもなく、メイリーンは彼がいつ来ても良いように心の準備をしておくことにした。引き締まった相好でじっと窓を見つめていると、妙な気配を感じてメイリーンは固まってしまう。
恐る恐る気配のする方を振り向くと、そこには何故かアデルが佇んでおり、彼女は思わず口を半開きにして茫然自失としてしまう。
「へっ……?」
「おはよう。メイリーン」
「…………」
まるで最初からそこにいたかのと思える程突然現れ、呑気に挨拶してきたアデルに、メイリーンは言葉も出ない程驚いてしまう。
よく考えれば昨日一瞬にして消えた時と状況は同じなのだが、窓から入ってくると思っていたので開いた口が塞がらないのだ。
「え、ど、どこからっ?どうやって……?」
「一度訪れたことのある場所なら転移術が使えるのだ」
「てん、い……?何ですかそれ」
「昔悪魔が使っていたのだ。便利な術なので、真似させてもらっているのだ」
「……それって、簡単に真似できるようなものなんですか?というか、一体どういう原理で……」
転移という言葉の意味は分かっていても、〝転移術〟という物の存在を知らないので、メイリーンはこんがらがった頭で必死にアデルへの問い続ける。
「うーん……物や自分の身体をジルの集合体だと思い、それを行きたい場所で再構築させるイメージだろうか」
「……申し訳ありません。私にはよく理解が……」
「大丈夫である。我もよく分かっておらぬからな」
「えぇ……」
満面の笑みで身も蓋もないことを言ってのけたアデルを目の当たりにし、メイリーンは当惑気味な声を上げた。もしかしてアデルは少し馬鹿なのかもしれないと思い始めたメイリーンであったが、それはあながち間違いでも無い。
「あっ……アデル様、おはようございます……挨拶が遅れてしまい、申し訳ありません」
「よいのだ。我が驚かせてしまったのでな」
「あの、頼まれていた物は出来たのですが、結局何に使うのですか?」
昨夜作ったぬいぐるみを手に取って尋ねると、アデルは目をキラキラとさせて彼女の手元に釘付けになる。
途端、メイリーンの視界からアデルの姿が消え、ふと隣を向くとすぐ傍に転移しており、彼女はビクッと身体を跳ねさせた。
「っ……」
「あぁ、すまぬ。突然入ってきて……こうしないと受け取れぬと思ったのでな」
「い、いえ……」
「これは憑代に使うのだ」
「憑代、ですか?」
そのぬいぐるみをアデルに手渡しながら、メイリーンは疑問を口にした。犬のぬいぐるみを受け取ると、アデルはその可愛らしさに思わず頬を緩める。
「あぁ。師匠をこのぬいぐるみに乗り移すのだ」
「???」
アデルの言っている意味が一切理解できなかったメイリーンは、思わずパチクリと瞬きしながら呆けた面を見せてしまう。
そんな彼女を置き去りにしたまま、アデルは背嚢からエルを取り出すと、その頭にそっと触れた。片手をエルに、もう片方でぬいぐるみに触れた状態で、アデルはジルの術を行使する。
途端、エルの姿が一瞬の内に消えてなくなり、着ていた服だけが床にパサっと落ちて残った。
「え……えっ?し、師匠様は……?」
先刻から人がいなくなったり突然現れたりと大忙しのせいで、メイリーンはまとまらない思考のままキョロキョロと辺りを見渡すことしか出来ていない。
「師匠はここにいるのだ」
「…………え?」
アデルが〝ここ〟と言って見せたのは両手に抱えられたぬいぐるみで、メイリーンは思わず目を点にしてしまう。
「師匠を構成するジルと、その肉体をジルに変換したものをぬいぐるみに込めたのだ。簡単に戻すことも出来る。これなら師匠をコンパクトに運ぶことが出来るし、例えこのぬいぐるみに何らかの衝撃が与えられても元の師匠に戻るだけであるから安心なのだ」
「はぁ……」
話の次元に全くついていけていないメイリーンは、彼の説明を聞いてもポカンとするばかりである。メイリーンに分かるのは、今この瞬間からエルが小さなぬいぐるみになったということだけであった。
「それにしてもメイリーンは器用であるな。我はこういう細かい作業がてんで駄目なので尊敬するのだ」
「い、いえっ……そんなことは……」
「謙遜する必要などない……師匠は軽いので背負っても負担は無いのだが、どうしても体積が大きくなってしまうので、常にこの背嚢を背負うのはやはり面倒になる場面があるのだ。だからメイリーンのおかげで我はとても助かったのだ」
「……はい」
〝助かった〟という言葉を聞いたメイリーンはその時漸く、アデルがぬいぐるみ作りを頼んだ理由に気付くことが出来た。アデルは自分の無力さを投げていたメイリーンを励ます為に、彼女でも役に立てることを用意してくれたのだ。
アデルの優しさに気づいたメイリーンは、ぬいぐるみのエルに向かって微笑みかけている彼のことを、呆けた様子で見つめることしか出来なかった。
********
ぬいぐるみを受け取った後、アデルはバランドール民主国のありとあらゆる場所を探索していた。もちろん髪はエルと同じターコイズ色に変えた状態で。
そしてその目的は、メイリーンにも語っていた〝悪魔探し〟である。
ルルラルカを殺してからの一年。アデルは常に新たに誕生した悪魔のことを探していた。そしてその真意は、ルルラルカと交わした約束と深く関係している。
アデルは新たな悪魔を必ず幸せにすると誓い、そのおかげでルルラルカは救われた。だからアデルは一刻も早く新たな悪魔を見つけ、道を踏み外さないように育てたいと考えているのだ。
だが、そもそも新たな悪魔がどのような容姿なのか、男か女なのか、人間か亜人なのか。何もかも分かっていない状態なので、実際に会えてもそれをアデルが悪魔と認識できるかどうかも不明であった。
まばらに人通りのある住宅街に足を踏み入れ速足で散策していると、アデルはある気配を察知して足を止めた。
「っ……?」
アデルが見つめる住宅と住宅の隙間。昼下がりのその陰から姿を現した存在に、アデルは思わず目を見開いてしまう。
それは、本来こんな場所に下りることの無い存在。かつてアデルが戦った、災害級野獣であった。
メイリーンの気持ちを尊重したアデルは優しい声と共に彼女の意思を受け入れた。
「ご厚意を無駄にしてしまい、申し訳ありません……」
「……メイリーン、手芸は得意であるか?」
「え?……えっと、はい。多少は……」
気落ちする彼女の顔をじっと見つめていたアデルは何かを思いついたようで、唐突に全く関係のないことを尋ねてきた。一方のメイリーンは、突然の質問に当惑するばかりで全く話についていけていない。
「では、そんなメイリーンに一つ頼みたいことがあるのだ」
「?」
優しく微笑んだアデルの発言に、メイリーンは呆けた相好で首を傾げることしか出来なかった。
********
その日の夜。メイリーンは檻の中で一人、針仕事に勤しんでいた。細かい作業が好きなメイリーンは黙々と作業に打ち込んでおり、その時間だけは余計なことを考えずに済んだ。
だがふと手を止めてしまうと、今日の出来事を思い出して考え込んでしまう。
『理由は分かるか?』
『……いえ』
(……アデル様に嘘、ついちゃったな……)
歌おうとした時だけ声が出なかった理由が、メイリーンには分かっていた。言わなかったのは、それがあまりにも情けない理由だったから。これ以上、彼女は惨めな思いをしたくなかったのだ。
メイリーンは恐れていた。歌を歌い、神の力を行使することを。彼女がこの檻に囚われているのは、その力が原因だったから。歌を歌うと悪いことが起きるという記憶が、彼女の喉に重い重い負荷をかけていたのだ。
また歌えば、もっと酷いことが起こるのではないか。そんな恐怖が、彼女に歌わせることを許してはくれなかった。
(ぬいぐるみなんて、何に使うのかしら……?)
可愛らしい犬のぬいぐるみを作っていたメイリーンは、アデルがそれを頼んできた理由を知らなかった。歌を歌えなかった衝撃でそれどころでは無く、メイリーンは尋ねることも放置してしまったのだ。
********
「では、そんなメイリーンに一つ頼みたいことがあるのだ」
「?」
「ぬいぐるみを一つ作ってくれぬか?どんなものでもいい。ただ、掌に乗せられる程度の大きさが好ましいのだ」
「……えっと、はい……時間はたくさんあるので、早ければ明日にでも出来ますが……」
「それは僥倖である。では今日のところはお暇させてもらい、また明日ここに来るのだ」
「分かり、ました……」
呆然としたままのメイリーンの返事を聞くと、アデルは背嚢を背負い直した。すると瞬きする間にアデルはその場から消えてしまい、メイリーンは思わず目を見開いて辺りを見回してしまう。まるで最初からそこには誰もいなかったような静寂が部屋に響き渡る。
あまりの突然の出来事に声も出なかったメイリーンだが、しばらくすると落ち着きを取り戻し、ぬいぐるみの材料を洋服棚から探し始めるのだった。
********
メイリーンの生活は全てこの檻の中で完結している。ベッドも、食材も、風呂も、全てアイテムボックスに仕舞われているだけで、必要になった際に取り出して使用しているのだ。そんなアイテムボックスから着なくなった洋服や裁縫用具を取り出し、メイリーンはぬいぐるみ作りを始めていた。
大きさしか指定されていないので、メイリーンは思わず犬のぬいぐるみを作ってしまっていた。彼女の友である精霊と同じ姿だからだ。動物を想像して真っ先に頭に浮かぶのはミルの姿だった上、そもそも彼女はそれ以外の動物をあまり見たことが無かった。
だから自然にメイリーンは犬のぬいぐるみを作っていて、完成品を見つめた彼女は懐かしく感じてしまった。
ふと時計に視線を移すと午前零時を指しており、メイリーンはハッとして部屋の入り口を振り返る。
(もうこんな時間……見張りが来てしまう)
一日一回必ずある見回りの時間。それが午前零時だった。いつもサリドの部下と思われる人間がこの部屋を訪れ、メイリーンが妙な動きをしていないか確認しに来るのだ。その人物はいつも何故か仮面を被っており、メイリーンは彼が男であることしか知らない。
メイリーンが扉に視線をやると、鍵を開ける音の後に誰かが入室してきた。
「っ……!」
いつもの仮面の人物とは違う来訪者にメイリーンは思わず声を漏らしそうになり、咄嗟に口元を抑えた。
アデルと同じぐらいの高身長にシンプルな礼服を身に纏うその男性は、彼女が最も恐れる人物――サリド・エスカジュークその人だったのだ。
深緑色の長髪は後頭部の低い位置で束ねられ、長めの前髪は七三でサラッと流れている。四十代らしい皺の多い顔と、感情の読めない糸目は穏やかそうに見えるが、彼の内心など誰も読むことは出来ない。
(どうして今日に限ってサリドが……)
普段は滅多にここには訪れないというのに、アデルが現れた今日に限ってサリドが見回りに来たことに、彼女は言いようのない危機感を覚えた。
ゆっくりと檻の方に近づいていったサリドは彼女の手元にあるぬいぐるみに気づき、嘲笑うような乾いた声を上げる。
「はっ……お前にもようやく、そんなものを作る余裕が出来たのだな」
「……」
サリドの嘲笑はメイリーンに一先ずの安堵を与えてくれた。笑っていられるということは、彼女が突然裁縫をし始めたことに対して不信感を抱いていないということだからだ。これをきっかけにアデルのことや、声を取り戻したことを悟られるのでは無いかとメイリーンは危惧していたのだが、流石に杞憂だったようだ。
割れた窓や壊した結界はアデルが元に戻してくれたので、サリドが侵入者を疑う痕跡は残っていなかった。
「妙な胸騒ぎがして来てみたのだが、杞憂だったようだな。そもそも声を失くした無力なお前に、何か出来る訳でもあるまいし……」
「っ……」
例え声を出してはいけないという制限が無くとも、メイリーンは反論できなかっただろう。自分が無力なことは、メイリーンが一番思い知っているから。
グッと歯噛みし、悔し気に拳を握り締める彼女を最後に嘲笑うと、サリドはあっさりと立ち去って部屋に鍵をかけていった。
妙に勘の鋭いサリドに冷や冷やさせられたが、何事も無く帰ってくれたので、メイリーンはホッと安堵しため息を漏らす。
夜の部屋を照らすのは檻の中の小さな灯りだけで、窓に目を向けてもそこから星空を眺めることは出来ない。心許ない灯りに包まれる中、メイリーンはこれからの道に思い悩むだった。
********
次の日の昼間。昨夜夜更かしをしたことで、随分と明るくなるまで眠ってしまっていたメイリーンは、ボンヤリとした思考のまま身支度を整える。いつもであれば急がないのだが、今日はアデルがいつ訪れるのか分からなかったので、彼女はいそいそと髪に櫛を通していた。
「また窓を破ってくるのかしら……心臓に悪いから覚悟しておかないと……」
窓が割れる鮮烈な音には慣れそうもなく、メイリーンは彼がいつ来ても良いように心の準備をしておくことにした。引き締まった相好でじっと窓を見つめていると、妙な気配を感じてメイリーンは固まってしまう。
恐る恐る気配のする方を振り向くと、そこには何故かアデルが佇んでおり、彼女は思わず口を半開きにして茫然自失としてしまう。
「へっ……?」
「おはよう。メイリーン」
「…………」
まるで最初からそこにいたかのと思える程突然現れ、呑気に挨拶してきたアデルに、メイリーンは言葉も出ない程驚いてしまう。
よく考えれば昨日一瞬にして消えた時と状況は同じなのだが、窓から入ってくると思っていたので開いた口が塞がらないのだ。
「え、ど、どこからっ?どうやって……?」
「一度訪れたことのある場所なら転移術が使えるのだ」
「てん、い……?何ですかそれ」
「昔悪魔が使っていたのだ。便利な術なので、真似させてもらっているのだ」
「……それって、簡単に真似できるようなものなんですか?というか、一体どういう原理で……」
転移という言葉の意味は分かっていても、〝転移術〟という物の存在を知らないので、メイリーンはこんがらがった頭で必死にアデルへの問い続ける。
「うーん……物や自分の身体をジルの集合体だと思い、それを行きたい場所で再構築させるイメージだろうか」
「……申し訳ありません。私にはよく理解が……」
「大丈夫である。我もよく分かっておらぬからな」
「えぇ……」
満面の笑みで身も蓋もないことを言ってのけたアデルを目の当たりにし、メイリーンは当惑気味な声を上げた。もしかしてアデルは少し馬鹿なのかもしれないと思い始めたメイリーンであったが、それはあながち間違いでも無い。
「あっ……アデル様、おはようございます……挨拶が遅れてしまい、申し訳ありません」
「よいのだ。我が驚かせてしまったのでな」
「あの、頼まれていた物は出来たのですが、結局何に使うのですか?」
昨夜作ったぬいぐるみを手に取って尋ねると、アデルは目をキラキラとさせて彼女の手元に釘付けになる。
途端、メイリーンの視界からアデルの姿が消え、ふと隣を向くとすぐ傍に転移しており、彼女はビクッと身体を跳ねさせた。
「っ……」
「あぁ、すまぬ。突然入ってきて……こうしないと受け取れぬと思ったのでな」
「い、いえ……」
「これは憑代に使うのだ」
「憑代、ですか?」
そのぬいぐるみをアデルに手渡しながら、メイリーンは疑問を口にした。犬のぬいぐるみを受け取ると、アデルはその可愛らしさに思わず頬を緩める。
「あぁ。師匠をこのぬいぐるみに乗り移すのだ」
「???」
アデルの言っている意味が一切理解できなかったメイリーンは、思わずパチクリと瞬きしながら呆けた面を見せてしまう。
そんな彼女を置き去りにしたまま、アデルは背嚢からエルを取り出すと、その頭にそっと触れた。片手をエルに、もう片方でぬいぐるみに触れた状態で、アデルはジルの術を行使する。
途端、エルの姿が一瞬の内に消えてなくなり、着ていた服だけが床にパサっと落ちて残った。
「え……えっ?し、師匠様は……?」
先刻から人がいなくなったり突然現れたりと大忙しのせいで、メイリーンはまとまらない思考のままキョロキョロと辺りを見渡すことしか出来ていない。
「師匠はここにいるのだ」
「…………え?」
アデルが〝ここ〟と言って見せたのは両手に抱えられたぬいぐるみで、メイリーンは思わず目を点にしてしまう。
「師匠を構成するジルと、その肉体をジルに変換したものをぬいぐるみに込めたのだ。簡単に戻すことも出来る。これなら師匠をコンパクトに運ぶことが出来るし、例えこのぬいぐるみに何らかの衝撃が与えられても元の師匠に戻るだけであるから安心なのだ」
「はぁ……」
話の次元に全くついていけていないメイリーンは、彼の説明を聞いてもポカンとするばかりである。メイリーンに分かるのは、今この瞬間からエルが小さなぬいぐるみになったということだけであった。
「それにしてもメイリーンは器用であるな。我はこういう細かい作業がてんで駄目なので尊敬するのだ」
「い、いえっ……そんなことは……」
「謙遜する必要などない……師匠は軽いので背負っても負担は無いのだが、どうしても体積が大きくなってしまうので、常にこの背嚢を背負うのはやはり面倒になる場面があるのだ。だからメイリーンのおかげで我はとても助かったのだ」
「……はい」
〝助かった〟という言葉を聞いたメイリーンはその時漸く、アデルがぬいぐるみ作りを頼んだ理由に気付くことが出来た。アデルは自分の無力さを投げていたメイリーンを励ます為に、彼女でも役に立てることを用意してくれたのだ。
アデルの優しさに気づいたメイリーンは、ぬいぐるみのエルに向かって微笑みかけている彼のことを、呆けた様子で見つめることしか出来なかった。
********
ぬいぐるみを受け取った後、アデルはバランドール民主国のありとあらゆる場所を探索していた。もちろん髪はエルと同じターコイズ色に変えた状態で。
そしてその目的は、メイリーンにも語っていた〝悪魔探し〟である。
ルルラルカを殺してからの一年。アデルは常に新たに誕生した悪魔のことを探していた。そしてその真意は、ルルラルカと交わした約束と深く関係している。
アデルは新たな悪魔を必ず幸せにすると誓い、そのおかげでルルラルカは救われた。だからアデルは一刻も早く新たな悪魔を見つけ、道を踏み外さないように育てたいと考えているのだ。
だが、そもそも新たな悪魔がどのような容姿なのか、男か女なのか、人間か亜人なのか。何もかも分かっていない状態なので、実際に会えてもそれをアデルが悪魔と認識できるかどうかも不明であった。
まばらに人通りのある住宅街に足を踏み入れ速足で散策していると、アデルはある気配を察知して足を止めた。
「っ……?」
アデルが見つめる住宅と住宅の隙間。昼下がりのその陰から姿を現した存在に、アデルは思わず目を見開いてしまう。
それは、本来こんな場所に下りることの無い存在。かつてアデルが戦った、災害級野獣であった。
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