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第一章 悪魔討伐編
6、誓い1
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抱きしめながらそう言い放ったエルはアデルの身体を解放してやると、呆けているアデルの表情にクスッと笑みを零した。
初めて誰かに抱きしめられたアデルはその温かさや、身体を優しく締め付ける感触に初めて触れ、反応することも出来なかったのだ。
「そもそも。僕が君のことを恐ろしいと思うだって?馬鹿にしないでほしいね!僕はこう見えても強いんだぞ?」
「……それは失礼した。エル殿」
「なぁ、アデル。君、これからこの家に住みなよ」
「……本気であるか?」
自信満々に胸を張って言ったエルに、頭を下げて陳謝したアデルは、突然の提案に目を丸くする。
「僕は冗談を言うほど暇じゃないんだ」
「先刻は暇人と言っていたではないか」
「君は言葉の揚げ足を取るタイプかい?今のは本気だと伝えるためのちょっとした軽口じゃないか。本気にしないでよ」
「本気にすればよいのか、本気にしてはいけないのかよく分からぬな」
「社会ってのはこういうことの連続さ。僕の下で社会勉強するといいよ」
話が本筋からズレてしまったので、エルは咳ばらいを一つすると道を元に戻す。一方のアデルはエルの言葉の意味が分からない+エルからの提案に頭を悩ませているせいで首を傾げていた。
「……実に魅力的な提案ではあるのだが、ティンベルが心配なのだ」
「ティンベル……あぁ、あの能力者ちゃんね」
「……能力者?」
「そっか。それも知らないんだね、君」
ティンベルの名前を聞いた途端、ポロっとそう零したエルの言葉にアデルは怪訝そうな顔で首を傾げてしまう。
「能力者っていうのは、生まれつき他者とは異なる力を持つ者のこと。能力者は普通の人間よりも元々備わっているジルの許容量が違うんだ。例えば耳」
「耳?」
ジルの許容量というのがアデルにはイマイチ分からなかったのだが、エルの例えで更に頭を悩ませてしまう。
「そう。普通の人間の耳に対するジルの許容量が一だとすれば、能力者にはそれが十あるんだ。多くのジルをその身に保持することが出来るから、その人物は超耳が良くなるって寸法。この場合は超聴覚をもつ能力者だね。そんな感じで能力者は生まれた瞬間でどんな能力になるかが決まっているんだ。自覚できるかは別として」
「ティンベルがその能力者なのであるか……何の能力者なのだ?」
「確か脳に関係するものだったはずだよ。将来は秀才が約束されているだろうね」
脳に対するジルの許容量が多いということは、単純に考えれば頭脳明晰だということになる。まだティンベルが幼いこともあり、その能力の詳細までははっきりしていないので、断定はできないがほぼ間違いなかった。
「それにしても、そんなティンベルちゃんの何が心配なのさ」
「……崖から落ちたのは知っているであろう?あれは我の弟、ティンベルにとっての兄が突き落としたことが原因なのだ。それ故……」
「ちょっと待って。なに?あの子がティンベル・クルシュルージュ嬢なのかい?」
アデルの話を遮って尋ねてきたエルは酷く当惑しているようで、彼は会話がかみ合っていない事実に首を傾げた。
「ティンベルの顔を知らなかったのであるか?」
「顔なんて知らないさ。知る手段が無いからね。噂とかで伯爵家にティンベルという能力者が生まれたことは知っていたけど」
「ならば何故ティンベルをクルシュルージュ家に送り届けることが出来たのであるか?」
エルの言い分には矛盾が生じていたので、アデルはそれを追求せざるを得なかった。意識を失った彼女をティンベルと判断できなかったのであれば、エルがクルシュルージュ家の使用人に預けるという考えが浮かぶはずも無かったのだから。
「そりゃクルシュルージュ家のアデルが傍にいて、彼女があんな貴族の身なりをしてれば誰だってクルシュルージュ家の関係者だと思うさ」
「……我の顔は知っていたのか?」
ティンベルの顔は知らなかったエルだが、話を聞く限りアデルのことは悪魔の愛し子と判断できる程度に知っていたということになる。何故アデルのことは〝アデル=クルシュルージュ〟だと認識できたのか、アデルはその理由を尋ねた。
「いんや。ただ、悪魔の愛し子には特徴があるからすぐに分かったんだ」
「特徴?」
「さっき悪魔の愛し子は悪魔の力を譲渡されていると言ったよね?あの時言い忘れていた特徴がもう一つあるんだ。悪魔の愛し子はね、何故か必ず黒い髪と赤い瞳を持って生まれてくるんだよ。例外なく」
黒い髪と、赤い瞳。それはアデルの身体的特徴にぴったりと合致しており、彼は思わず目を見開いた。やっと分かったからだ。伯爵がアデルの瞳を〝汚らわしい赤い瞳〟と称していた理由が、悪魔の愛し子の特徴であるからだということを。
「黒髪だけを持つ人間や、赤い瞳だけを持つ者は他にもいるのだけれど、その両方を持つのは悪魔の愛し子だけなんだよ。だからすぐに分かったのさ。君が悪魔の愛し子である、アデル・クルシュルージュだって」
妙な納得感がアデルを襲った。アデルは伯爵家の子供であるというのに、両親のどちらとも全く似ていなかった。黒髪も赤い瞳も、家族の中で持つ者は一人もおらず、アデルは更に疎外感を募らせていたのだ。それさえも悪魔の愛し子という呪いの様な称号が原因だと思うと、アデルはやるせない気持ちに蝕まれてしまうそうになる。
「そんなことよりもだ、ティンベル嬢が実の兄に殺されかけたせいで、君が僕の申し出を断るというのは中々不快だね。誰だいその馬鹿野郎は」
「ネオン・クルシュルージュだ」
「あぁ、名前は知ってる。犯行動機がありありと予想できそうなガキだよね」
「なに?エル殿にも分かるのであるか?」
「〝も〟っていうけれど、君はちゃんと分かっているのかい?」
アデルはネオンがティンベルの死を望んでいるの理由は、両親からの愛情を奪われてしまったからだと思っていたのだが、エルの言葉で自信が無くなってしまう。
「両親から愛されなくなってしまったからでは無いのか?」
「まぁそれもあるけど。大きな原因はティンベル嬢が能力者という点だろうね。そのせいで比べられることもあっただろうし。そもそも伯爵夫婦がティンベル嬢ばかりに構うのは能力者だからだと思うよ」
「なるほど……」
ネオンが両親からの愛情に飢えているというのは、大きな原因による一つの結果でしか無かったのだ。全ての発端はティンベルが能力者として生まれたことであり、ネオンの不満はそこから派生していったものなのだ。
「それで?ティンベル嬢が心配だと言うけれど、君に何かできることがあるのかい?彼女を守ろうにも、君は邸宅に入ることが出来るのかい?」
「それは……確かに禁じられてはいるが、ティンベルを守る為であれば禁忌を犯してでも……」
「禁忌って……君は大袈裟だな。そもそもティンベル嬢が自分で兄の愚行を話して、周囲の者に守ってもらっているかもしれないじゃないか」
「それはそうであるが……」
エルの言い分は尤もであったが、それでもアデルの不安が消えることは無い。
「ならば確認だけさせてほしいのだ。ティンベルが屋敷の者に守ってもらっているという確証が欲しいのだ。もしそれで、ティンベルに危険が迫っていなければ、すぐにエル殿の元に戻ってこよう」
「……ま、君の好きにすればいいけどさ。アデルはシスコンなんだね」
「シスコン?」
「妹大好きってこと」
「…………そうか。我はティンベルのことが好きなのだな」
根負けした様にアデルの要望を受け入れたエルは、彼のティンベルに対する愛情を揶揄う様に言った。するとアデルは今更ながらに気づいたのか、呆けた様に自身の感情を理解した。
「そりゃあ、命懸けで助けるぐらいなんだから、好きに決まってるでしょ」
「そうであるな……」
首を傾げながら断言したエルにとって、アデルは不思議な存在だっただろう。どう考えても妹のことを大事にしているというのに、本人はそれを自覚できない程に感情というものも理解できていないのだから。その感覚はアデルにしか分からず、他人が寄り添うのは難しいことなのだ。
自分が誰かを好きだという感情を抱いていた事実に気づけたアデルは、どこか安堵した様にふっと笑みを零した。
「じゃあ僕はこの家で待っているから、愛しの妹の安全を確認してきなよ」
「エル殿」
「何だい?」
「感謝してもしきれぬ。我に様々なことを教えてくれたこと。命を救ってくれた恩は何年かかってでも必ず返す。その為に我の不安を消し去ってくる。待っていてほしい」
アデルはエルに向かって深々と頭を下げると、この短時間で貰い過ぎた恩に対する礼を言った。エルはほんの少し微笑むと、すぐに真顔に戻ってアデルを見下ろした。
「だぁから、待ってるって言ってんでしょ?早く行ってきな」
「あぁ」
この家に戻ってくることを心に誓い、アデルは再びあの地獄へと戻るのだった。
********
夕日が屋敷を照らし、もうじきでその陽も落ちそうな時刻になっていた。
正面から入っても良かったのだが、アデルはなるべく早く妹の安全を確認したかったので、普段から使っていた秘密の入り口から屋敷に入った。屋敷の外壁の中に、自由に取り外しの出来る固定されていないレンガがあり、それらを動かすと、子供が出入りできる程の穴が出来るのだ。
その侵入口から屋敷に入ったアデルは、急いで外からティンベルの部屋に向かった。到着すると、アデルはティンベルの部屋の窓をそっと覗いてみる。
部屋の中にはベッドで寝転がっているティンベルの姿があり、意識は既に戻っているようだった。
「はぁ……取り敢えずは安心であるな」
ティンベルの無事を確認したアデルはほっと溜息をついた。ため息ついでに俯き、再び視線を部屋に戻すと、アデルはティンベルが窓の方を見つめていることに気づく。
二人の目がバッチリ合い、途端、ティンベルは泣き出しそうな表情を露わにして窓へ駆け寄った。
「あでるにいさま!」
「ティンベル、怪我はないか?」
「あでるにいさまはだいじょうぶなの?」
「あぁ。ティンベルをここまで送り届けてくれた恩人殿が、我のことも救ってくれたからな」
「よかった……よかったよぉ……」
身を挺して自身を守ったアデルのことが気になっていたのか、窓を開けてアデルの姿を目に焼き付けたティンベルは大粒の涙を流すと、涙声で安堵の言葉を漏らした。
「ティンベル、ネオンはどうした?」
「っ!……」
「?」
ティンベルの頭を撫でつつ、アデルはネオンの居場所や状況をその簡潔な文で尋ねた。すると何故かティンベルは一瞬にして顔を真っ青にし、唇を震わせてその不安を露わにした。
「ど、どうしようっ……あでるにいさま……」
「どうしたのだ?」
「ね、ねおんにいさま……ころされちゃったよぉ……」
「…………誰にだ」
ティンベルは嗚咽交じりにそう告げた。そしてアデルは知らされた衝撃の真実に思わず目を見開き、同時に湧いた疑問を尋ねないわけにはいかなかった。
思わず重い声音になってしまい、ティンベルは更に顔を青くしたのだが、アデルに起こったことを知らせるべく口を開く。
「わ、わたしが……ねおんにいさまのことおはなししたら、おとうさまがしつじさんにころせっていって、それで……」
「あの男……」
アデルは、表現し難い悔しさや嫌悪感で拳を握り締める。
ティンベルの壊れてしまいそうな声でも、アデルにははっきりと理解できた。ティンベルがネオンに殺されかけたことを話し、それを聞いた伯爵が執事に命じてネオンを手にかけたこと。伯爵にとってネオンが、その程度の存在であったこと。
この感情が哀れみなのか同情なのか、それとも伯爵に対する怒りだけなのか。アデルに判断することは出来ない。アデルに分かるのは、親の愛情を欲した子供が、いとも簡単にその親に殺されてしまったという事実だけだ。
「どうしようっ!あでるにいさま……わたしのせいでねおんにいさまがっ!」
「ティンベルのせいではない。よいか?ティンベル。これから何を聞いても、何を知っても、決して自分を悪だと思うでない。我の言葉だけを信じろ。ティンベルは悪くない」
ティンベルの性格上、今回のことを自分のせいにするのはアデルでも想像が出来た。現にティンベルは罪悪感から、心を不安でいっぱいにしている。
そんなティンベルに刷り込むように、アデルは彼女の両肩に手を置いて断言した。
「……はい。わかりました、あでるにいさま……」
「うむ。ティンベルはやはり良い子であるな」
涙を拭ったティンベルは、鼻水を啜りながらアデルの言いつけをのみ込んだ。そんなティンベルを少しでも安心させるように、アデルは優しく微笑むと再度頭を撫でてやる。
「ティンベル。ネオンは今どこにいるか分かるか?」
「えっと……おとうさまが、しょうきゃくろにいれておけっていってた……」
「そうであるか……怖いことを思い出させてすまない。感謝する」
最期まで息子に対する慈悲など欠片も無い伯爵に、アデルは内心苛立ちを覚えたが、ティンベルにはそんな心の内を悟られないように笑みを見せた。
初めて誰かに抱きしめられたアデルはその温かさや、身体を優しく締め付ける感触に初めて触れ、反応することも出来なかったのだ。
「そもそも。僕が君のことを恐ろしいと思うだって?馬鹿にしないでほしいね!僕はこう見えても強いんだぞ?」
「……それは失礼した。エル殿」
「なぁ、アデル。君、これからこの家に住みなよ」
「……本気であるか?」
自信満々に胸を張って言ったエルに、頭を下げて陳謝したアデルは、突然の提案に目を丸くする。
「僕は冗談を言うほど暇じゃないんだ」
「先刻は暇人と言っていたではないか」
「君は言葉の揚げ足を取るタイプかい?今のは本気だと伝えるためのちょっとした軽口じゃないか。本気にしないでよ」
「本気にすればよいのか、本気にしてはいけないのかよく分からぬな」
「社会ってのはこういうことの連続さ。僕の下で社会勉強するといいよ」
話が本筋からズレてしまったので、エルは咳ばらいを一つすると道を元に戻す。一方のアデルはエルの言葉の意味が分からない+エルからの提案に頭を悩ませているせいで首を傾げていた。
「……実に魅力的な提案ではあるのだが、ティンベルが心配なのだ」
「ティンベル……あぁ、あの能力者ちゃんね」
「……能力者?」
「そっか。それも知らないんだね、君」
ティンベルの名前を聞いた途端、ポロっとそう零したエルの言葉にアデルは怪訝そうな顔で首を傾げてしまう。
「能力者っていうのは、生まれつき他者とは異なる力を持つ者のこと。能力者は普通の人間よりも元々備わっているジルの許容量が違うんだ。例えば耳」
「耳?」
ジルの許容量というのがアデルにはイマイチ分からなかったのだが、エルの例えで更に頭を悩ませてしまう。
「そう。普通の人間の耳に対するジルの許容量が一だとすれば、能力者にはそれが十あるんだ。多くのジルをその身に保持することが出来るから、その人物は超耳が良くなるって寸法。この場合は超聴覚をもつ能力者だね。そんな感じで能力者は生まれた瞬間でどんな能力になるかが決まっているんだ。自覚できるかは別として」
「ティンベルがその能力者なのであるか……何の能力者なのだ?」
「確か脳に関係するものだったはずだよ。将来は秀才が約束されているだろうね」
脳に対するジルの許容量が多いということは、単純に考えれば頭脳明晰だということになる。まだティンベルが幼いこともあり、その能力の詳細までははっきりしていないので、断定はできないがほぼ間違いなかった。
「それにしても、そんなティンベルちゃんの何が心配なのさ」
「……崖から落ちたのは知っているであろう?あれは我の弟、ティンベルにとっての兄が突き落としたことが原因なのだ。それ故……」
「ちょっと待って。なに?あの子がティンベル・クルシュルージュ嬢なのかい?」
アデルの話を遮って尋ねてきたエルは酷く当惑しているようで、彼は会話がかみ合っていない事実に首を傾げた。
「ティンベルの顔を知らなかったのであるか?」
「顔なんて知らないさ。知る手段が無いからね。噂とかで伯爵家にティンベルという能力者が生まれたことは知っていたけど」
「ならば何故ティンベルをクルシュルージュ家に送り届けることが出来たのであるか?」
エルの言い分には矛盾が生じていたので、アデルはそれを追求せざるを得なかった。意識を失った彼女をティンベルと判断できなかったのであれば、エルがクルシュルージュ家の使用人に預けるという考えが浮かぶはずも無かったのだから。
「そりゃクルシュルージュ家のアデルが傍にいて、彼女があんな貴族の身なりをしてれば誰だってクルシュルージュ家の関係者だと思うさ」
「……我の顔は知っていたのか?」
ティンベルの顔は知らなかったエルだが、話を聞く限りアデルのことは悪魔の愛し子と判断できる程度に知っていたということになる。何故アデルのことは〝アデル=クルシュルージュ〟だと認識できたのか、アデルはその理由を尋ねた。
「いんや。ただ、悪魔の愛し子には特徴があるからすぐに分かったんだ」
「特徴?」
「さっき悪魔の愛し子は悪魔の力を譲渡されていると言ったよね?あの時言い忘れていた特徴がもう一つあるんだ。悪魔の愛し子はね、何故か必ず黒い髪と赤い瞳を持って生まれてくるんだよ。例外なく」
黒い髪と、赤い瞳。それはアデルの身体的特徴にぴったりと合致しており、彼は思わず目を見開いた。やっと分かったからだ。伯爵がアデルの瞳を〝汚らわしい赤い瞳〟と称していた理由が、悪魔の愛し子の特徴であるからだということを。
「黒髪だけを持つ人間や、赤い瞳だけを持つ者は他にもいるのだけれど、その両方を持つのは悪魔の愛し子だけなんだよ。だからすぐに分かったのさ。君が悪魔の愛し子である、アデル・クルシュルージュだって」
妙な納得感がアデルを襲った。アデルは伯爵家の子供であるというのに、両親のどちらとも全く似ていなかった。黒髪も赤い瞳も、家族の中で持つ者は一人もおらず、アデルは更に疎外感を募らせていたのだ。それさえも悪魔の愛し子という呪いの様な称号が原因だと思うと、アデルはやるせない気持ちに蝕まれてしまうそうになる。
「そんなことよりもだ、ティンベル嬢が実の兄に殺されかけたせいで、君が僕の申し出を断るというのは中々不快だね。誰だいその馬鹿野郎は」
「ネオン・クルシュルージュだ」
「あぁ、名前は知ってる。犯行動機がありありと予想できそうなガキだよね」
「なに?エル殿にも分かるのであるか?」
「〝も〟っていうけれど、君はちゃんと分かっているのかい?」
アデルはネオンがティンベルの死を望んでいるの理由は、両親からの愛情を奪われてしまったからだと思っていたのだが、エルの言葉で自信が無くなってしまう。
「両親から愛されなくなってしまったからでは無いのか?」
「まぁそれもあるけど。大きな原因はティンベル嬢が能力者という点だろうね。そのせいで比べられることもあっただろうし。そもそも伯爵夫婦がティンベル嬢ばかりに構うのは能力者だからだと思うよ」
「なるほど……」
ネオンが両親からの愛情に飢えているというのは、大きな原因による一つの結果でしか無かったのだ。全ての発端はティンベルが能力者として生まれたことであり、ネオンの不満はそこから派生していったものなのだ。
「それで?ティンベル嬢が心配だと言うけれど、君に何かできることがあるのかい?彼女を守ろうにも、君は邸宅に入ることが出来るのかい?」
「それは……確かに禁じられてはいるが、ティンベルを守る為であれば禁忌を犯してでも……」
「禁忌って……君は大袈裟だな。そもそもティンベル嬢が自分で兄の愚行を話して、周囲の者に守ってもらっているかもしれないじゃないか」
「それはそうであるが……」
エルの言い分は尤もであったが、それでもアデルの不安が消えることは無い。
「ならば確認だけさせてほしいのだ。ティンベルが屋敷の者に守ってもらっているという確証が欲しいのだ。もしそれで、ティンベルに危険が迫っていなければ、すぐにエル殿の元に戻ってこよう」
「……ま、君の好きにすればいいけどさ。アデルはシスコンなんだね」
「シスコン?」
「妹大好きってこと」
「…………そうか。我はティンベルのことが好きなのだな」
根負けした様にアデルの要望を受け入れたエルは、彼のティンベルに対する愛情を揶揄う様に言った。するとアデルは今更ながらに気づいたのか、呆けた様に自身の感情を理解した。
「そりゃあ、命懸けで助けるぐらいなんだから、好きに決まってるでしょ」
「そうであるな……」
首を傾げながら断言したエルにとって、アデルは不思議な存在だっただろう。どう考えても妹のことを大事にしているというのに、本人はそれを自覚できない程に感情というものも理解できていないのだから。その感覚はアデルにしか分からず、他人が寄り添うのは難しいことなのだ。
自分が誰かを好きだという感情を抱いていた事実に気づけたアデルは、どこか安堵した様にふっと笑みを零した。
「じゃあ僕はこの家で待っているから、愛しの妹の安全を確認してきなよ」
「エル殿」
「何だい?」
「感謝してもしきれぬ。我に様々なことを教えてくれたこと。命を救ってくれた恩は何年かかってでも必ず返す。その為に我の不安を消し去ってくる。待っていてほしい」
アデルはエルに向かって深々と頭を下げると、この短時間で貰い過ぎた恩に対する礼を言った。エルはほんの少し微笑むと、すぐに真顔に戻ってアデルを見下ろした。
「だぁから、待ってるって言ってんでしょ?早く行ってきな」
「あぁ」
この家に戻ってくることを心に誓い、アデルは再びあの地獄へと戻るのだった。
********
夕日が屋敷を照らし、もうじきでその陽も落ちそうな時刻になっていた。
正面から入っても良かったのだが、アデルはなるべく早く妹の安全を確認したかったので、普段から使っていた秘密の入り口から屋敷に入った。屋敷の外壁の中に、自由に取り外しの出来る固定されていないレンガがあり、それらを動かすと、子供が出入りできる程の穴が出来るのだ。
その侵入口から屋敷に入ったアデルは、急いで外からティンベルの部屋に向かった。到着すると、アデルはティンベルの部屋の窓をそっと覗いてみる。
部屋の中にはベッドで寝転がっているティンベルの姿があり、意識は既に戻っているようだった。
「はぁ……取り敢えずは安心であるな」
ティンベルの無事を確認したアデルはほっと溜息をついた。ため息ついでに俯き、再び視線を部屋に戻すと、アデルはティンベルが窓の方を見つめていることに気づく。
二人の目がバッチリ合い、途端、ティンベルは泣き出しそうな表情を露わにして窓へ駆け寄った。
「あでるにいさま!」
「ティンベル、怪我はないか?」
「あでるにいさまはだいじょうぶなの?」
「あぁ。ティンベルをここまで送り届けてくれた恩人殿が、我のことも救ってくれたからな」
「よかった……よかったよぉ……」
身を挺して自身を守ったアデルのことが気になっていたのか、窓を開けてアデルの姿を目に焼き付けたティンベルは大粒の涙を流すと、涙声で安堵の言葉を漏らした。
「ティンベル、ネオンはどうした?」
「っ!……」
「?」
ティンベルの頭を撫でつつ、アデルはネオンの居場所や状況をその簡潔な文で尋ねた。すると何故かティンベルは一瞬にして顔を真っ青にし、唇を震わせてその不安を露わにした。
「ど、どうしようっ……あでるにいさま……」
「どうしたのだ?」
「ね、ねおんにいさま……ころされちゃったよぉ……」
「…………誰にだ」
ティンベルは嗚咽交じりにそう告げた。そしてアデルは知らされた衝撃の真実に思わず目を見開き、同時に湧いた疑問を尋ねないわけにはいかなかった。
思わず重い声音になってしまい、ティンベルは更に顔を青くしたのだが、アデルに起こったことを知らせるべく口を開く。
「わ、わたしが……ねおんにいさまのことおはなししたら、おとうさまがしつじさんにころせっていって、それで……」
「あの男……」
アデルは、表現し難い悔しさや嫌悪感で拳を握り締める。
ティンベルの壊れてしまいそうな声でも、アデルにははっきりと理解できた。ティンベルがネオンに殺されかけたことを話し、それを聞いた伯爵が執事に命じてネオンを手にかけたこと。伯爵にとってネオンが、その程度の存在であったこと。
この感情が哀れみなのか同情なのか、それとも伯爵に対する怒りだけなのか。アデルに判断することは出来ない。アデルに分かるのは、親の愛情を欲した子供が、いとも簡単にその親に殺されてしまったという事実だけだ。
「どうしようっ!あでるにいさま……わたしのせいでねおんにいさまがっ!」
「ティンベルのせいではない。よいか?ティンベル。これから何を聞いても、何を知っても、決して自分を悪だと思うでない。我の言葉だけを信じろ。ティンベルは悪くない」
ティンベルの性格上、今回のことを自分のせいにするのはアデルでも想像が出来た。現にティンベルは罪悪感から、心を不安でいっぱいにしている。
そんなティンベルに刷り込むように、アデルは彼女の両肩に手を置いて断言した。
「……はい。わかりました、あでるにいさま……」
「うむ。ティンベルはやはり良い子であるな」
涙を拭ったティンベルは、鼻水を啜りながらアデルの言いつけをのみ込んだ。そんなティンベルを少しでも安心させるように、アデルは優しく微笑むと再度頭を撫でてやる。
「ティンベル。ネオンは今どこにいるか分かるか?」
「えっと……おとうさまが、しょうきゃくろにいれておけっていってた……」
「そうであるか……怖いことを思い出させてすまない。感謝する」
最期まで息子に対する慈悲など欠片も無い伯爵に、アデルは内心苛立ちを覚えたが、ティンベルにはそんな心の内を悟られないように笑みを見せた。
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