アクトコーナー

乱 江梨

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第五章 不変の√コーナー

不変の√コーナー3

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 全員が目を点にしている。透巳の言っている意味が理解できず、茫然自失としているが故の表情である。


「……誰が芸能界に入らないって?」
「?俺がですけど」
「なんで?」
「??この記事に書いてるじゃないですか。風宮季巳の息子が芸能活動するっていう大嘘が」
「それと透巳くんと、何の関係が?」
「???だから、俺がその息子だからですけど」
「「…………」」


 全く噛み合うことの無い明日歌と透巳の会話も、ようやく決着がついた。だがあまりにも唐突に衝撃的な事実を突きつけられたせいで、明日歌たちは未だにフリーズしている。


「ちょ、ちょ……ちょっと待ってよ。だ、だってさ、透巳くんと苗字がち、違うじゃん!」
「明日歌落ち着け。余程の事情が無い限り子供は父親の苗字を受け継ぐものだ」
「あ、あぁ……そっか」


 動揺が激しすぎるせいで真面な思考が出来ていない明日歌を落ち着かせた遥音。遥音だけは風宮季巳がどれ程の有名人か理解していないので平静を保てている。情報として知っているのと、直にその目で見てきたのでは雲泥の差があるようだ。


「えっと……ということは。神坂透巳の神坂は透巳くんのお父さんの苗字で、風宮季巳は結婚して神坂季巳になったけど、芸名は旧姓のままで……」
「おい、いい加減落ち着け」


 おろおろとしながら確認するまでもないことを整理し始めた明日歌に、遥音は呆れの混じった声を漏らす。


「……本当に、風宮季巳の息子なの?」
「はい。間違いなく」


 少し経って平静を取り戻した明日歌は改めて透巳に尋ねた。にこやかに断言した透巳に、全員が驚きで目を見開く。だが明日歌だけはわなわなと身体を震わせていて、どこか怒っているような様子の彼女に透巳は首を傾げた。


「…………っ何で教えてくれないのさ!!」
「聞かれてないので」
「くっ、やはりそういうスタンスなのか……」


 こんなにも重大なことをよく今まで黙っていたなと、恨めし気に透巳を見上げた明日歌。だが一方の透巳はしれっとしていて思わず明日歌は歯噛みしてしまう。


「というか、言われてみてみると、透巳くんって風宮季巳にそっくりですね」


 ふと、今更なことに気づいた宅真の声を皮切りに、全員が透巳の顔をじっと見つめる。今まで透巳の顔を超絶美形だと思っていた明日歌たちだが、最早これからは男版風宮季巳にしか見えなくなってしまうかもしれないという不安が過ぎってしまう。


「ほんとだ。言われて見ると似すぎてて怖いレベル。透巳くんカツラ被ったら絶対幽霊だと思われるよ」
「まぁ、そうでしょうね。というか今までよく気づかなかったですね」
「そんなに似ているのか?」


 性別の隔たりが妙な先入観を抱かせていたせいか、透巳が風宮季巳にそっくりだということを明日歌たちは今の今まで気づけなかった。
 もし透巳が女装でもしようものなら、ぱっと見若い頃の風宮季巳なのでホラーな展開になるのは間違いない。


「あぁ、遥音は見たことないんだっけ?ちょっと待ってよ……今画像を……」
「そんなことしなくても、俺写真持ってますよ」
「おぉ!流石は息子!」


 遥音ただ一人が、透巳と風宮季巳の親子関係を実感できていないので、明日歌はインターネットで彼女の写真を検察しようとする。だがそんな手間をかけずとも家族である透巳が写真を持っていたので、明日歌は跳ねたような声を上げる。


「まぁ昔の写真なので、最近のアルバムとは別のところに保存してあるんですけど」


 自身のスマホを操作しながらそんなことを呟いた透巳。以前百弥に自身のスマホのアルバムを見せたことのある透巳だが、それはここ最近の写真の詰まったアルバムだ。なので百弥が見たのは小麦と猫の写真だけで、彼も透巳の母親の正体には気づいていない。

 透巳は風宮季巳の写真の画面を遥音たちに向けた。


「…………神坂じゃないか」
「まぁ、俺が性転換でもすればこうなるんでしょうね」


 初めて風宮季巳を見た遥音はぼそりと呟いた。

 写真で笑みを浮かべている風宮季巳は、色白な肌に美しい骨格。どこか吸い込まれそうな瞳は、どこか達観していて、全てを見透かしているようである。黒い長髪は絹のように滑らかだが、カットの影響で刺々しい印象もある。まさに絶世の美女であるが、それだけではない存在感があった。


「ほんとに美人だよねぇ、風宮季巳。……あぁ、そりゃあかおりさんも嫉妬するかぁ……」
「むしろこのレベルと比べて嫉妬できるのは逆にすごいな」


 改めて風宮季巳の写真を見てしみじみと呟いた明日歌。一方の遥音は、芸能人と一般人を比べるなんて馬鹿馬鹿しいと思っているのか、かおりに対する曲がった尊敬を覚える。


「ちょっと待って。透巳くんパパって、あの風宮季巳を射止めたってこと?」
「そうですね」
「あんなにぽわぽわしてるのに……隠れモテ男なのか!?」


 今更の事実に気づいた明日歌は、心底驚いたように目を見開いた。どういう経緯で彼らが出会い、風宮季巳が純のことを好きになったのか全く想像できなかったので、彼女の驚きも当然である。

 純はとても女性の扱いに長けているようには見えないが、逆にそんな彼の純粋さや不思議な雰囲気に風宮季巳は惹かれたのかもしれない。


「母さんは父さんのこと大好きでしたよ。俺は母さん似なので、当然のようにファザコンになった訳ですが」


 透巳は顔も性格も母親である風宮季巳にそっくりで、それは人の好みに対しても言えることだ。季巳の好きな人間は透巳も好きだったし、透巳の嫌いなタイプは季巳も好まなかった。


「まぁこれで全ての謎が解けたよ。何で透巳くんがあんなに演技力に富んでいるのか。お母さん譲りってわけか」
「えぇ。なのでこれはどうしようもなく才能です。演技の勉強とかしたことないので」


 明日歌たちは不覚にも深く納得してしまった。以前透巳のクラスの担任が自殺未遂を計った際にこんなやり取りがあったからだ。


『じゃあ、あの演技は何?ただの高校一年生にあんなことできる?あとピッキングも!』
『さぁ?才能が成せる技じゃないですか?』
『うーわ。そういうこと自分で言っちゃう?』


 あれは自惚れではなく、寧ろ謙遜だった。何故なら透巳は風宮季巳という才能に恵まれているであることを十分に自覚していたから。透巳は母親と違い演技というものに全く興味が無い。似すぎているこの親子に唯一相違点があったとすればこの点だろう。

 だから透巳は演技の勉強も一切したことが無い。それ故彼が嘘をつくのが上手いのは才能によるところが大きいのだ。


「それにしてもその記事、大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないですけど、大丈夫にしますよ」
「こわ」


 ふと、この話題のきっかけになった問題を思い出した明日歌は、心配そうに尋ねた。そんな問いに対して、冷静にとんでもないことを言ってきた透巳に全員が引きつったような表情を向ける。

 透巳ならどんな手段を使ってでもこの記事をどうにかしてしまいそうなので、全員が遠い目をしていると、突然透巳のスマートフォンに着信が入る。透巳のスマホ画面には〝兄ちゃん〟の文字が映し出されていて、相手は明白であった。
 

「兄ちゃんどうかしたの?」
『おい透巳!お前芸能界興味ねぇって言ってただろうが!』
「……ごめん、その話題もう過ぎてる。ていうか一番の身内が何騙されてるわけ?」


 電話越しに大声を出している慧馬に、透巳は死んだ魚の様な目をしていまう。どうやら今ネットニュースを見たらしい慧馬が妙な勘違いをしてしまったようで、透巳は彼の騙されやすさに辟易としてしまった。

 ********

 同時刻、東京のとある出版社。週刊誌記者たちが集う仕事場では、呆れ顔の編集長と、キラキラと目を輝かせている女性記者が見つめ合っていた。

 編集長は五十代前半の男性で、強面なのが印象的である。一方の女性記者は二十代前半と若く、ここにいる記者たちの中で一番の新人である。

 百七十センチ弱の高身長に、パッチリとした目。ショートカットの髪。おでこが丸出しになる様に前髪は分けられている。どこか自信が窺えられる表情は、編集長の苛立ちを誘っていた。


「で?これはどう責任を取るつもりなんだ?」
「責任?何故?」


 キョトンとした表情を浮かべた女性記者に、編集長は思わず蟀谷に青筋を浮かべてしまう。今編集長が頭を悩ませている問題を起こした張本人が自覚していないのだから、怒り心頭なのも仕方が無い。


「お前がこの情報の裏が取れてるっていうから俺は許可を出したんだ。なのにそんなものこれっぽっちもねぇじゃねぇか!」
「もう、うるさいですよ。編集長。血圧あがっちゃいますよ?」
「お前いい度胸してるよな、ほんと」


 編集長が大声で怒鳴ったことで、二人の様子を盗み見ていた記者たちの肩がビクッと跳ねあがる。更に険しくなった普段の強面と、ドスの効いた怒鳴り声を直接向けられたというのに女性記者はケロッとしていた。


「大丈夫ですよ。この記事はこれから事実にするので」
「……ほう?」
「要は既成事実作っちゃえばいいんですよね?」


 女性記者のその発言は、逆に言えばその記事が現段階では大嘘であることを意味していた。だが編集長はそんな女性記者の挑戦的な発言に好奇心をくすぐられてしまう。

 互いにニヤリと口角を上げているその光景は傍から見ると不気味なので、周囲の者は顔を引き攣らせている。


「でもなぁ……相手はあの風宮季巳だろ?あの女優はファンの信仰具合がえげつないからな。失敗したらこの会社は大ダメージどころの問題じゃねぇ」

 
 興味を抱いた編集長だったが、それでも女性記者のやろうとしていることに対して否定的である。風宮季巳はそれだけ熱狂的なファンがいて、今回の記事が出まかせであることを世間が知れば大バッシングを受けることが確定しているからだ。


「大丈夫です。失敗はあり得ないので。第一相手は風宮季巳じゃなくて、ただの高校生ですよ?」
「……まぁ、そこまで自信があるならやってみろ。責任はお前が取れよ」
「えぇ……そういう時は、〝責任は俺がとる〟ってカッコよく言うのが定番なのに分かってないなぁ」


 呑気な声でふざける女性記者も。女性記者に丸投げした編集長も。この時は何も知らなかった。一番の脅威は風宮季巳でも、彼女のファンでもなく。その〝ただの高校生〟、透巳であるということを。

 ********

 透巳がネットニュースの存在を知ったその日。透巳はいつものように小麦と下校していて、夕日が二人の影をそっと伸ばしていた。

 同じスピードで歩きながら、小麦は透巳のことを心配そうに見上げるばかりで核心をつこうとはしない。小麦もあの記事の存在を知ったが、直接本人に聞いていいものかと頭の中でグルグル考えているのだ。


「あ、猫がいる」
「ほんとだ……」


 その道中、いつもの遭遇率の高さをフル活用して透巳は野良猫を見つけ、早速背中を撫で始めた。しゃがみ込み、野良猫を抱き上げて膝に乗せた透巳はニヤリと口角を上げると、制服のポケットからスマートフォンを取り出した。

 それを耳に当てた透巳は、誰かに電話をかけているようだった。


「あ、もしもーし。ぽっちー?」
「え……」


 〝ぽっちー〟なる人物が電話の相手であることを悟った小麦は、素直な驚きで呆然としてしまう。透巳が電話相手のことをあまり好いていないということを知っているからだ。逆に電話相手の方は透巳を異常なほど崇拝していて、いつもであれば電話をしてくるのは決まって〝ぽっちー〟の方からなのだ。


「ちょ……うるさいうるさい。三秒以内に静かにならないと切るから。はいさんにぃい……よろしい」
「相変わらずだね」


 電話越しから聞こえてくる〝ぽっちー〟の声に小麦は苦笑いを浮かべる。透巳から電話がかかってきたことに対する喜びで興奮を抑えきれていないようだった。


「それでぽっちー。早速本題に入るけど、俺の平穏を脅かそうとするゴミが出てきたんだよねぇ。そいつのこと調べて欲しいんだ」


 電話相手の返事など聞くまでも無かった。相手の返事は二つに一つだと確定しているから。


「出来るよね?賢いぽっちーなら」

 ********

 電話の向こう側。頬は染まり、その呼吸は荒く、まるで熱に浮かされている様な〝ぽっちー〟。透巳の透き通るような声を、恍惚とした表情で聞き入っていた彼女はビクビクと震え始めると、くつくつと腹の底から笑い始めてこう言った。


「……もちろんであります。す、み、さ、まぁ……」


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