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乱 江梨

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第三章 穢れた愛、それでも遺したもの

穢れた愛、それでも遺したもの1

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 薔弥が友里に襲われたことで負った傷のせいでまだ入院中だった頃、明日歌は透巳をF組の教室に呼び寄せていた。この日は青ノ宮学園一学期の終業式で、明日から夏休みが始まろうとしていた。

 夏休みを目前に本来なら沸き立つような雰囲気のはずなのだが、F組の教室はとてもそんな平和的な空気ではない。寧ろどこか緊張感を放っている多目的室の扉が開けられ、透巳がひょっこりと顔を出した。


「透巳くん……おはよう」
「おはようございます」

 
 もうすぐ正午なのでお早うではないが、こんにちはでもない、そんな微妙な時間帯だ。教室にはF組生徒たちだけでなく百弥もいて、透巳は当惑しつつも入室した。


「今日は何か用でしたか?」
「……透巳くん。違ったら違うって言ってくれていいんだけどさ……」


 明日歌は透巳に大事なことを問うために口を開いた。例え透巳が何と答えようと明日歌たちの心は決まっている。透巳が隠している何かを察知し始めた頃、百弥がはっきりと断言してくれたあの時から、決まっていたのだから。


「百弥に大前たちの情報渡したのって、透巳くん?」
「はい、そうですよ」


 ここまであっさりと認められるとは想定していなかったので、明日歌たちは思わずポカンと口を開けてしまう。透巳が否定してしまえば薔弥の推測が正しいか判断する手立ては無かったので、明日歌たちはてっきり否定されると踏んでいた。そうで無ければ完全犯罪を成立させた意味が無いのだから。

 その為明日歌たちは呆けてしまっているのだが、そんな彼女たちをじっと見つめている透巳は堪え切れなくなったのか破顔一笑する。


「そんなに意外でしたか?俺が認めるの」
「う、うん……じゃあさ、何でそんなことしたの?」
「あぁ……あの三人、俺の飼い猫のシオに暴力振るったことがあって」
「「…………は?」」


 薔弥でも見当つかなかったその動機が明日歌たちはずっと気になっていたのだが、答えを聞いても透巳が一体何を言っているのか理解できず彼らは声を揃えて当惑してしまう。

 だが透巳はそれ以上何も言わず、明日歌たちも困惑するばかりなので微妙な沈黙状態が続いてしまった。それでも時間とは残酷なもので、その静かな空間で明日歌たちは否が応でも透巳の発言の意味を理解してしまう。


「…………えっと……要するに、その猫を傷つけられたことが許せなかったってこと?」
「そうですよ」
「…………あ、そう……こりゃあ分からなくて当たり前か……」


 自分の問いが大正解である事実に明日歌は困惑を拭えないが、本当にそれが真実なので受け入れる他ない。猫が動機なら、明日歌たちにそれを突き止める術など無いに等しかったのだ。

 これで明日歌たちに分かったのは透巳の猫好きが想定の何倍も深いものであることと、彼の行動原理を理解するにはかなりの時間を要する必要があるということだ。


「……百弥くん。俺のこと嫌いになった?」
「いんや……何でそう思うんだ?」
「……そっか……ありがとう……俺、百弥くんのこと大好きだよ」
「おう!」


 どこか不安気な相好で百弥に尋ねた透巳だったが、彼がはっきりと否定したことでホッとしたのかその表情を綻ばせる。透巳は自分の性格の悪さを客観的に理解している。なので友人として好いている百弥に嫌われるのではないかと内心心配していたのだ。

 だがすぐに杞憂と分かり、透巳は嬉々とした相好で自身の気持ちをはっきりと告げた。それに対し百弥も満面の笑みで返し、何故か教室内にほんわかとした温かい雰囲気が流れる。


「何故この状況で恋人同士のような会話になるんだ」
「遥音、そこはツッコまないであげてよ」


 真っ当な常識人である遥音が眉間に皺を寄せて正常な意見を述べたが、明日歌はこの異様な状況に流される方を提案した。とは言っても、この状況でいつも通りにツッコんでくれる遥音の存在はF組生徒たちにとって貴重なものである。


「えーっと、じゃあ峰崎って人を脅したのも本当?」
「はい」
「……ってことは、透巳が俺の無実証明してくれたのか?」
「うん」


 こうなってしまえば全てをはっきりさせてしまおうと、明日歌は透巳にそう尋ねた。峰崎を脅すネタは神社荒らしの映像なので、実行犯が逮捕されたのはそれのおかげなのでは無いのかと百弥は推測する。

 透巳が首肯したことにより、明日歌たちは百弥の無実があっさりと証明された理由をようやく知ることになった。百弥が容疑を疑われているという事実を知ったその日、透巳は慧馬に映像のことを話して早々に実行犯五人を捕まえるよう頼んだのだ。


「そっか。透巳、ありがとな」
「……ねぇ透巳くん。聞いといてなんだけど、何で教えてくれたの?」


 百弥が透巳に礼を言うと、ふと明日歌は疑問に思うことがありそう尋ねた。透巳の計画は証拠がなく、完全犯罪として成立していたというのに、認めてしまえば意味が無いのではないかと考えるのは自然なことなので彼女の疑問は尤もである。


「……神社荒らしの様子を撮った映像は警察に提供した後すぐ消去したので、俺が峰崎を脅したという決定的な証拠はありません。まぁ、アレが本当のことを話せば別ですけど、それを事実と証明する手立てもない」
「うん……だから」
「つまりですね……〝今までの話はぜーんぶ嘘でした〟……と、俺が言ってしまえば全てが無かったことになってしまうんです……俺がしたのは、そういうことなんですよ」


 透巳が何を伝えようとしているのか、明日歌は途中まで理解できず当惑してしまう。だが透巳の行ったことが一体何を意味するのか、彼の説明で理解した途端彼女は思わず鳥肌を立たせてしまう。

 透巳が百弥を利用して大前たちに復讐した証拠も、峰崎を神社荒らしの件で脅した証拠もない。そしてこのことに関して言えば、いつだって嘘をつく人間という生命体の言葉など木の葉のように軽いものになってしまうのだ。

 透巳が認めようが認めまいが、それが嘘である可能性がある以上優先されるのは物的証拠。これはどんな状況でも、誰に関しても言えることだ。人は簡単に嘘がつける生き物であり、発する言葉が真実であると証明する手立てはないのだから。

 そして透巳はそれをよく理解している。だからこそ透巳は完全犯罪を成立させ、その上で明日歌たちに事実を告げたのだ。


「「……」」
「引きました?」
「……ごめんかなり引いてる」
「でしょうね。ねこちゃんでも引くので大丈夫ですよ」


 明日歌は嘘偽りない素直な気持ちをストレートに伝えた。だがこれで引かない方が異常なので透巳は全く気にする様子もない。引くというよりもここまでの計画を全て自身の頭で考え、実行してしまった透巳の怜悧さに明日歌たちは驚愕していると表現した方が適切ではあるのだが。

 
「俺のこういうとこ知っても引かないのは父さんぐらいなものですよ」
「「あー……」」


 透巳の知る限り、自身の悪癖を知っても大して驚かない異常者は純だけで、彼を知る明日歌と兼は納得した様に声を揃えてしまう。
 もし純にこのことを告げたところで「へぇ~……透巳くんすごいねぇ」という反応しか返ってこないのだ。リアクションが斜め上の方向という点では、ここまで告白しがいのない相手もそうそういない。


「まぁ、私たちが透巳くんのことよく知らなかったってだけだしねぇ……一応確認だけど、透巳くんは私たちこと好きなんだよね?」
「はい。大好きですよ」
「じゃあまぁ、いっか」


 もし透巳が明日歌たちのことを好いていると告げてくれたことも嘘だった場合、流石に立ち直れないので明日歌はビクビクした様子でそれを確認した。全員が息を呑んで透巳の返答を待つ様子が心底可愛らしく見え、彼はクスリと笑うと素直に肯定する。

 透巳の返答にほっと胸を撫で下ろした明日歌は、その一言で気持ちの整理をつけた。

 透巳の計画を知り驚きはしたものの、だからと言って嫌いになるわけでも軽蔑したわけでもない。大事な者のためなら何でもできてしまうのが透巳なのだと知れただけでも良かったではないかと思えるような、そんな関係を築ければいいと、明日歌は自身の思いを再確認したのだ。

 それは明日歌以外の面々も同じで、今回の件で透巳と彼らの関係に大きな亀裂が入るようなことは起こらなかった。

 ********

 薔弥が退院し、青ノ宮学園が夏休みに突入した八月上旬。明日歌は寝起きの状態で自宅のテレビをぼぉっと眺めていた。

 流れてくるニュースの内容もほとんど彼女の頭には入っておらず、ただのBGMと化している。そんな明日歌のために朝食を作る兼は、オーブントースターの中でじわじわと色を付ける食パンと睨み合いをしている最中だ。


『――この連続殺人事件の被害者の共通点は、被害に遭う以前、彼らの知人が差出人不明の手紙を受け取っていたことです。その手紙の内容は共通して、被害者が人殺しであると明言するようなもので、事実この連続殺人事件の被害者たちは、かつて起きた殺人事件の容疑者でありながら不起訴処分に――』


 物騒なニュースを読み上げるアナウンサーの声も、目の前に出されたトーストの香ばしい香りによって風化されてしまう。明日歌はまだ完全に起きていない目のままトーストに嚙り付き、十二分にそれを咀嚼する。

 兼は朝食を食べる前にポストの鍵を持って家から出る。朝刊やチラシなどを取り出すために兼が行う毎朝のルーティーンである。

 明日歌が食パンの半分を食べ終わり、コーヒーのカフェインのおかげで段々と目覚めてきた頃。玄関先のポストからなかなか戻ってこない兼を心配した明日歌は、ぼさぼさの頭と寝巻き姿のままで外の空気を吸いこんだ。

 すると視線の先には何故かポスト前で固まっている兼の姿があり、明日歌は首を傾げつつ兼が凝視している手元を覗き込んだ。

 そこには葉書サイズの厚紙があり、機械的な文字で簡潔にこう書かれていた。


 〝神坂透巳は人殺し〟


「……なにこれ?」
「さぁ……」


 明日歌も兼もあまりにも唐突に意味不明が過ぎる内容を目にしてしまったせいで、逆に大した反応も出来ず呆然としてしまう。
 ここまで簡潔で分かりやすい言葉も無いが、明日歌たちはそれでもこの内容の意味が分からなかった。その上誰が何の目的でこれを自分たちに送りつけてきたのかも不明。そしてこれが事実なのか、真っ赤な大嘘なのかも明日歌たちに知る術はない。

 何も分からないこの状況では、自分たちが何をすべきなのかも明日歌たちには導き出すことが出来ず、取り敢えず彼女はこのことをF組生徒たちに相談することにした。

 ********

 病気にかかりそうな程の強烈的な日差しが照り付ける中、夏休みということで物好きな若者たちが行き交う東京都心。地面から発する熱は強烈的すぎて遠目に見ると歪んでしまう程だ。

 そんな中、待ち合わせ場所として定番な駅でF組生徒たちは落ち合うことになった。誰よりも早く来ていたのは真面目代表の遥音。その次が関口兄弟で、最後が呼びだした暁姉弟だった。

 
「遅いぞ明日歌」
「ごめんごめん。でも逆に遥音は早すぎだと思うよ」


 待ち合わせ時間は午前一一時。そして今は午前一一時一〇分である。三〇分前行動が基本の遥音からしてみればこの程度の遅刻でも信じられないものだが、明日歌からすれば遥音の方が異常である。


「そんなことより……アレ、全員に送られてきたんすか?」
「そうみたいだね」


 このままではいつも通りのくだらない口論が始まってしまうことを察知した巧実は、話を本題へと移した。巧実の問いを皮切りに、全員が鞄から問題の物を取り出し見せあう。

 そこには明日歌たちが今朝見つけた物と全く同じ形態、内容の書かれた厚紙が全部で三枚あり、それが暁家、結城家、関口家のそれぞれに送り付けられていたことを意味している。


「ただの嫌がらせだとは思うが、最近起きている連続殺人事件のことを考えると、そう簡単に切り捨てることも出来ないな」
「連続殺人事件?なにそれ?」
「ニュースを見ろ馬鹿め」


 ここ数日大々的に取り上げられているニュースだというのに、最近起きている連続殺人事件のれの字も知らない様子の明日歌に、遥音はいつもの毒で苦言を呈した。

 もちろん事件のことを知らないのは明日歌だけで、今回は彼女の知識不足が悪いので反論などできるはずもない。

 明日歌が遥音に事件のことを詳しく聞こうとすると、彼女の耳に聞き覚えのある声が侵入してくる。

 遥音たちも気づいたようで、声の主を辺りを見回しながら必死に探し始める。すると数人の成人男性に囲まれ、どこか困ったような表情を浮かべている小麦の姿が目に入り、明日歌たちは思わず駆けだした。


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