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乱 江梨

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第一章 学園改革のメソッド

学園改革のメソッド25

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 だんだんと暖かくなってくるこの季節は空が暗闇に染まるのも酷く遅い。なので青ノ宮邸からの帰宅途中、透巳は空と自身の腕時計を見比べて当惑してしまう。


「げ。もう七時だ……まぁ仕方ないか」


 既に夕食の時間を過ぎていることに気づいた透巳は、家で自分の帰りを待っているであろう小麦の存在を思い浮かべてため息をついてしまう。

 だが青ノ宮邸から透巳の自宅では普段の通学路より長い距離になってしまうので、帰りはもっと遅くなってしまうだろう。

 透巳が規則的な足音で道を進んでいると、後ろから馴染みのある気配を感じ取った。


「あれ、兄ちゃんがいる」
「透巳……?お前何でこんなこと歩いてんだよ。迷子か?」


 透巳が振り返るとそこにはスーツに身を纏った成人男性がいた。だが伸弥のようにきっちりしたものではなく、皺くちゃに着られているスーツは彼が徹夜明けであることを物語っていた。

 透巳とほぼ同じ身長、短く切り揃えられた紫がかった黒髪。真面目そうな雰囲気に整った顔立ち。容姿は当に女性からモテそうな小綺麗なものだが、透巳と並んでみるとその容姿もあまり目立たない。スーツのジャケットにつけられている赤いバッチは、警視庁捜査一課の刑事であることを示している。

 彼の名前は成川慧馬なりかわえま。透巳の幼馴染で彼にとっては兄のような存在である。


「違うよ。友達の家行って、その帰り」
「なんだよ。お巡りさんの出番かと思ったのによ」


 冗談だったがこうもあっさりと否定されてしまうとやはり面白くなく、慧馬は不服気に両手を頭の後ろで組む。


「あ、そういえば透巳。この間のあれ何だったんだ?」
「あれって?」
「とぼけんなよ。一か月半ぐらい前に渡した情報、そろそろ何に使ったのか教えろ。刑事使いが荒いにも程があるぞ」


 慧馬が〝あれ〟と称したものが何か分かっているにも拘らず白を切っている透巳に、慧馬は顔を顰めて見せた。


「兄ちゃん俺に借りあるんだから文句言わないでよ」
「うっ……まぁそうなんだが、俺はお前の行動を把握してないと怖いんだよ。さっさと吐け」


 透巳に正論という名の暴力で殴られてしまった慧馬は若干怯んだが、負けじと透巳を問い詰めた。透巳の言う通り、慧馬は透巳にいくつかの借りがあって、それを全く返しきれていないのだ。


「……ねぇ兄ちゃん。猫ってほんっとうに可愛くて可愛くて可愛くて……可愛いよね」
「は?……あぁ、そうだな」


 橙と黒の境目。そんな空を見つめながら透巳は答えたが、慧馬の問いに対する回答とはとても思えないそれに彼は首を傾げた。だが同時に慧馬は長年の経験で培ってきた本能で、嫌な予感を察知する。

 近くにいた野良猫を撫でるためにしゃがみ込んだ透巳の瞳には、目の前の愛しい存在に対する温かさが窺えられた。


「あんな可愛い猫にさ、暴力振るったら駄目だよね」
「……そうだな」


 慧馬は自身の抱いた嫌な予感がまやかしでないことに気づき、神妙な面持ちで透巳との会話を続ける。透巳のことを産まれた時から知っている慧馬は彼のこの冷たい相好を何度も見てきたが、いつまで経っても慣れることは無い。


「可愛い可愛い猫に、暴力を振るう悪は断罪しないとって思ったんだ。でも前に兄ちゃん言ってたじゃん?俺はお前を刑事として捕まえなくちゃならなくなるのが一番怖いって」
「あぁ……」


 透巳の言う猫とは彼が最近飼い始めたシオのことで、悪とはそのシオに傷を負わせた存在のことである。

 透巳は淡々と語っているが、慧馬は彼が相当な怒りをぐつぐつと沸かせていることを知っている。それは神坂透巳という人間をよく理解しているからこそできる芸当であり、彼の発言を理解できる者はそう多くない。幼馴染の慧馬でも納得は出来ない程に、透巳の思考は他者と一線を画している。

 慧馬は恐れているのだ。透巳が一線を越えてしまう可能性なんて十分すぎる程ある。透巳がまだその一線を越えていないのは、そうなるだけの状況が彼の身に訪れていないからだ。
 その状況が作られてしまえば、どうなってしまうかなど本人でも分からないだろう。


「だから自分でボコボコにするのは良くないかなぁって思って、どうしようかなって考えて。それでひらめいたんだ……悪を倒したいなら、正義の味方に頼ればいいって」
「正義の味方?」

 
 慧馬の望みは透巳が誰かに危害を加えようとしないことなのだが、透巳はそんな彼の願いをおかしな方向に解釈してしまったようだ。予想はしていたことだったが慧馬は思いきり肩を落としてしまう。


「うん。百弥くんの噂は聞いてたんだ。悪を断罪する正義の味方。断罪できれば自分がどうなったって構わないって思ってるようなちょっとおかしい系の子なんだけど、今回ばかりはその正義の味方に頼ろうって思ったんだよね」
「それでこれまで青ノ宮百弥が起こした暴力事件の情報を俺に聞いてきたんだな」


 透巳が慧馬に求めた情報は百弥がこれまで正義の執行と称して行ってきた暴力事件の件だった。どれも大事にはなってはいないが、情報程度なら警察に残っていたのだ。


「うん。持つべきものは警察官の幼馴染だよね。利用するなら情報が必要だから助かったよ。それで、あの子がどういう信念で、どういう価値観で悪を裁いているのか兄ちゃんの情報を元に探ろうと思って。そしたらおかしいなって思った点があったんだ」
「おかしい点?」
「うん。だって百弥くんが起こした事件、ほとんどうちの理事長に揉み消されてたからさ」


 百弥が起こした事件が大事になっていないのは伸弥の根回しが原因だった。もちろん正規の情報にそんなことが記載されているわけでは無いが、ここまでの事件を何度も起こして何のお咎めも無いのは伸弥による揉み消しが原因だろうと、慧馬本人が推測で透巳に語っていたのだ。

 賄賂か脅しか。方法は不明だが慧馬は何か裏があると思い、それを透巳に告げたのだ。


「息子だから、そうするのはそこまでおかしくないだろ?」
「いーや。俺、何度か理事長と百弥くんが話しているところ見たことあったけど、あの理事長息子に興味ないタイプだったよ。本当に好きな相手にしか興味ない。俺と少し似てるタイプ。だからそんな理事長が息子を庇うっておかしいなって思ったんだよね」

 
 慧馬には理事長の揉み消しを透巳が不信だと感じる理由が分からなかった。だが慧馬よりも伸弥のことを学園で見てきた透巳にしか分からない人間性があり、そこから透巳は伸弥が息子を庇うのはおかしいと判断したのだ。

 透巳は伸弥と自分を少し似ていると称した。それは事実だ。何故なら本当に少し似ていないのだ。確かに透巳も愛する存在に対してにしか興味を抱けないが、彼の場合その対象は一つではない。家族、幼馴染、恋人、愛玩動物。透巳は様々な存在に対して同等の愛情を抱いているので、伸弥とはまた系統が異なるのだ。


「で、それでも庇うってことは何かほかに理由があるってこと。でもそんな一つしかないよね」
「……?」

 
 透巳は酷く簡単そうに語ったが、慧馬にはその理由がすぐに特定できず首を傾げてしまう。


「百弥くんが起こした事件に理事長自身が関与してる場合だよ」


 透巳の言葉で漸く理解できた慧馬が思わず目を見開く。だが慧馬は青ノ宮学園の深い闇をそもそも知らないので、何故理事長が息子の事件に関与しているのか理解できなかったが、透巳は間髪入れずにそれについても説明する。


「そうなってくると、何でそんなことをする必要があったのか。それが気になるよね?だから青ノ宮家に関する事件が他にないか兄ちゃんに調べて貰って、奥さんが自殺していることを知った。それで、まぁ奥さんの復讐のために息子利用したんだろうなって分かって、点と点が繋がって謎は消えた。ぶっちゃけ百弥くんが、例え他人からの情報でも確実に悪だと判断したなら断罪するってことが分かればそれでよかったから、奥さんの自殺云々とか学園の謎とかは正直どうでも良かったんだけど、俺の計画の隠れ蓑程度にはなってくれたかな」


 透巳は知っていた。最初から全て。明日歌たちF組に出会う前から知っていたのだ。

 どうしてこの学園で苛めが頻発しているのか。理事長が一時期百弥にいじめっ子の情報を与えて断罪させていたことも。理事長の妻の自殺のことも。全部全部全部、分かっていた。

 相変わらずの透巳に、慧馬は思わず鬼胎を抱いたように息を吐く。確かに慧馬は透巳に青ノ宮澪の自殺の件も教えたが、透巳にとってそれは謎を解くための材料でしかなく、それ以上でもそれ以下でもないのだ。

 興味も無ければ、自身の計画に何の利益も生み出さない。透巳の認識下ではそういうものなのだ。だが透巳の目的はシオに傷を負わせた者を百弥に断罪してもらうことなので、それを実行する際に明日歌たちを欺く餌にはなってくれる。

 明日歌たちが学園の謎に辿り着けば、透巳の計画も理事長の復讐の一環に見えるからだ。まぁこんなものは少し頭の切れる人間が見ればすぐに見破られてしまうので、透巳にとっては使い捨ての駒にしかならないのだが。


「それで、どうしたんだ?」
「あー。それが少し困ったことになってね?百弥くんに断罪してもらうには彼らが悪い奴ってことを証明しなくちゃいけないんだけど、アイツら困ったことに学校ではいじめしてなかったんだよね。不良の癖して。だからわざわざアイツらのボス?兄貴分?みたいな人に会いに行って、すこーし気絶してもらって、携帯拝借して、その人装ってアイツらにメールしたんだ……同じクラスの神坂透巳を苛めろって」


 重い声で尋ねた慧馬に透巳は軽い口調でとんでもない事実を吐露した。

 透巳の復讐相手。子猫のシオを苛めていたのは以前透巳を苛めていた――大前、遠藤、鵜飼の三人だった。

 彼らはこの街ではそこそこ有名な不良グループの末端だったのだが、彼らが暴れるのは外ばかりで学園内では大人しく行動していた。

 だがそれでは百弥に断罪してもらえない。もちろん彼らが不良である証拠を与えればいいのだが、それでは理事長の復讐を隠れ蓑にできず、透巳の情報収集が無駄になってしまう。加えて、透巳の掌の上で踊ってもらえれば、わざわざ彼ら三人の行動に合わせる必要が無く効率的だ。

 だから透巳が被った労力は、彼ら三人が属する不良グループの親玉に会いに行ってメールを送ったことだけ。


「そうすればアイツらはいじめっ子に成り下がるし、俺にしか被害が行かないから一石二鳥だったんだ。自分たちが苛めてる相手が、実はその命令下しているなんてお笑い草だよね。まぁ誤算だったのは俺が髪切ったぐらいでアイツらが苛めやめちゃって、他の人に的絞ったことかな。それでも苛めの証拠写真は既に撮ってたし何でも良かったんだけど、流石に苛められてる子に罪悪感湧いちゃうよね」


 この復讐計画における唯一の誤算があったとすれば、透巳が髪を切ったことで苛めの矛先が別の生徒に移行してしまったことだ。透巳はその時既にあの三人が透巳の靴箱に悪戯をしている場面を写真に治めていたので計画に支障は無かったが、流石に関係のない生徒に被害が飛び火してしまうのは透巳の本意ではない。


「だからさっさと百弥くんにアイツらがいじめっ子だって教えて、断罪してもらって計画を終了させようと思ったんだよね。百弥くん、期待以上の働き見せてくれて、俺が止めてなかったら殺し起きてたよ多分。これで俺の計画は一先ずだったんだ…………ふふっ、百弥くん大好き」


 薔弥が引っ掛かっていた透巳の〝一件落着〟という発言。彼が違和感を覚えたのも当たり前である。透巳がそう称したのは百弥の事件が解決したことでも、ましてや学園のことでもなかったのだから。

 心底楽し気に破顔しながら百弥のことを称賛した透巳に、慧馬は苦笑いを浮かべることしかできない。
 百弥もまさかこんな理由で透巳から好かれるとは微塵も思っていないだろう。


「あー、それでね。罪悪感湧いちゃったから、明日歌先輩って人たちに協力してさっさとこの学園の癌を切除してやろうと思って、それが今終わったところ。その帰り」
「……まぁ、なんとなく理解した」


 あの誤算が無ければ透巳はあの緊急会議には行かないはずだった。だが僅かな罪悪感があったせいで、透巳はあの時明日歌の誘いを断らなかった。これが透巳が青ノ宮学園のことに関して不干渉を貫くことが出来ない理由だったのだ。

 一連の流れを把握した慧馬は相変わらずの透巳の言動に最早文句も言うことが出来ない。


「それにしてもまぁ、猫のためによくそこまでできるよ……な……」
「…………」

(あ、やべ)


 乾いた笑みを浮かべながら慧馬が言うと、透巳はどこか人形めいた瞳をぎょろりと彼に向けた。何も言わずに、ただただ見つめた。

 透巳の雰囲気が一気に変化する。そんな透巳の威圧感にも似た視線に気づいた慧馬は、漸く自身の失言に気づいた。


「ねぇ兄ちゃん。シオは家族なんだよ。父さんと、かおりさんと、ねこちゃんと、兄ちゃんと同じぐらい大事な家族なんだ。確かにシオは猫だよ。でも今時ペットは家族じゃないなんて馬鹿げたこと兄ちゃんは思ってないよね?いくら兄ちゃんでも……怒るよ?」
「……お前、趣味が悪いぞ」


 淡々と、それでいて冷徹な表情で慧馬のことを見つめる透巳の威圧感は、体験しなければ理解できない様なものだ。

 もちろん幼馴染の慧馬は透巳の猫好きをよく理解している。本当に好きなもの以外興味を抱かない透巳が無条件で愛でる存在が猫だ。その中でもシオはペットという名の透巳の家族、彼が抱く愛情は計り知れない。

 つまりは透巳の琴線に触れてしまったことになるはずで、本人も憤怒しているような態度を見せている。にも拘らずそんな透巳を見た慧馬の返しはどこか不自然なものだった。


「あはっ……流石に気づくよね。これで気づかなかったら幼馴染失格だよ。俺が兄ちゃんにこれぐらいで怒るわけないじゃん。他人がそんなふざけたことぬかしたら指一本折るところだけど、兄ちゃんだから許してあげる」
「……おぉ、サンキュな」


 先刻の無表情から一変、破顔一笑した透巳はサラッと猟奇的なことを言ってのける。透巳は本当は怒ってなどいない。透巳をよく知る慧馬にはそれが分かっていた。透巳が本気で怒る時はいつも決まって笑うことを慧馬は知っているからだ。

 だが同時に、先刻の冷徹な雰囲気は透巳の冗談だということも慧馬は知っていた。そう、知っているのだ。透巳が本気で欺くために演じたのなら、あんなものではない。もし透巳が本気で演技をすれば、慧馬でもそれを見抜くことは出来ないだろう。それが見抜けたのだから今回のはただの遊びなのだ。

 透巳の怒りが冗談だと分かったのも束の間、彼の物騒な発言のせいで慧馬は増々顔を引き攣らせてしまう。


「はぁ……ホント、指名手配とかされないでくれよ。胃に穴が開く」
「またそれ?」


 少しのきっかけさえあれば、簡単に一線を越えてしまいそうな透巳に毎度冷や冷やさせられている慧馬は、顔色を若干青くしてため息をつく。


「兄ちゃんさ。毎回思うだけど、忘れてない?」
「……何を?」
「兄ちゃんは俺が大事なもののためなら犯罪だって犯しかねないっていつも心配してるけど、その大事なものの中には兄ちゃんもいるんだからね」


 透巳に指摘されている事案に見当がつかず、首を傾げた慧馬を真っすぐに見つめた透巳は、恥ずかしげもなくそんなことを言ってのけた。

 その表情には嘘が無い……と思いたい慧馬はじろじろと透巳の相好を観察してしまうが、こうなってしまえば無限ループなので諦めることにする。そもそも透巳はこういうことで嘘はつかないので特に心配する必要もないのだが。


「だから兄ちゃんには幸せでいてもらわなくちゃ困るんだよね。気をつけてよ」
「分かってるよ……お前俺のこと大好きだもんな」
「うん」


 透巳のお願いは慧馬にとってはどこか脅迫じみたものだ。もし自分に何かあれば透巳が暴走してしまうということと同義なので、慧馬にとってはかなりのプレッシャーである。

 ちょっとした仕返し気分で揶揄う様に言った慧馬だったが、あっさりと肯定されてしまえば最早何の反撃もできない。慧馬はこれまでの経験でそれを嫌という程理解しているはずなのに無駄な足掻きを毎度するので、透巳は慧馬のことをドMなのではないかと密かに思っている。


「っ…………にしても小麦ちゃん、こんな奴のどこがいいんだろうな」
「ね。ねこちゃんってちょっと変だよね。そういうところも好きだけど」


 必死に話を流れを変えた慧馬に透巳はあっさりと同意してみせた。透巳は透巳なりに自分が〝こんな奴〟呼ばわりされるだけの人格であることを自覚している。そして透巳にとっての大事なもの――家族、小麦、慧馬は彼の本質を知っているのだ。

 小麦は知っていながら、透巳と共に生きることを決めた。それは透巳からすればとても正常な判断だとは思えないものである。

 自覚しているからといってそれを簡単に改善できるわけでもなく、やはり透巳は自身の思うままにしか行動できないのだろう。

 
 
 真実を知る者は、今まさに帰路に就くこの二人だけだ。こうして青ノ宮学園の謎、透巳による復讐計画は彼の掌の上で完結したのだった。


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