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乱 江梨

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第一章 学園改革のメソッド

学園改革のメソッド20

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「にい、さん……」


 静かで、それでいて何故か良く通る声だった。その声が、巧実をこの世で宅真しか呼ぶことの無い名前で呼んだ。

 宅真は驚きと焦り、ほんの少しの喜びが入り混じった相好で巧実から目を離すことが出来ない。何故この場所が分かったのか。今朝自分がされたことを勘付かれてしまったのか。自分のことを心配してここまで来てくれたのか。そんな思いが宅真の頭の中で一気に駆け巡り、巧実を呼ぶことしかできなかったのだ。

 一方そんな宅真に見つめられている巧実は、弟がジャージに着替えていることに気づき顔を真っ青にしている。同時に明日歌から言われた批判を否定することが出来ず、血が滲むほど唇を噛みしめた。

 そんな巧実の姿を目の当たりにした明日歌は、ふと以前宅真が同じような仕草をしていたことを思い出す。巧実が自分のせいで苛めを行っていることを語った時に、宅真も同じようにして唇を噛みしめていた。
 そんな二人の姿を重ね、やはり双子なのだと明日歌は改めて確認する。


「誰だよ、あんた等」
「宅真くんの友達だよ」


 宅真から明日歌たちの方に視線を移した巧実は、怪訝そうな相好で尋ねた。そんな巧実の問いに無表情、冷徹な印象を覚える声で明日歌ははっきりと答えた。

 明日歌に友達と断言された宅真は思わず巧実から明日歌に視線を動かした。その瞳には光が灯っていて、先刻まで絡まっていた思考が全て吹き飛ぶような感覚が宅真に走る。


「友達?ふざけてんのか」
「ふざけてんのはそっちでしょ」
「……っ」


 巧実の睨みに対して少し足りとも動じず返してきた明日歌に、彼は思わず悔し気に息を呑む。


「……友達とか言って、お前らがこれやったんじゃねぇだろうな?」
「兄さん!この人たちは僕を助けてくれたんだ!怒るよ!」
「っ……宅真……」


 怪訝そうに明日歌たちを睨みつけた巧実に、宅真は怒りを露わにした。普段巧実に苦言を呈する宅真とは違う、心の底から湧いた様な彼の怒りの感情に巧実は息を呑む。


「宅真くん、アンタが苛めてた奴らに見せしめとして苛められたんだよ」
「っ……」
「宅真くんのこの姿見た時から、分かってたんでしょ?」


 明日歌から残酷な真実を聞かされた巧実に、彼女は更に追い打ちをかけた。図星を突かれてしまった巧実は目を見開いて苦し気な相好を見せる。

 巧実もどこかで分かっていた。こんなことをしても無意味だと。どんどんどんどん、自分と大事な宅真の首を絞めるだけだと。やめなくてはいけないと。

 だが悩みが募れば募るほど、もう後戻りはできなくなっていた。


「宅真……俺は…………」
「兄さん。もうやめよう。全部、終わったんだよ」
「終わった……?何、言ってんだ?」


 何かを言わなければと口を開いた巧実の言葉を遮った宅真の表情は驚くほど冷静で、巧実にはそれが怒りによる冷徹に見えた。

 宅真から発せられた強烈的な単語に、巧実は雷に打たれたような衝撃を受けてしまう。


「兄さん、あの人たちに謝って。僕も一緒に謝るから。今回のことは僕にも責任がある。兄さんを止められなかった責任が」
「お前は関係ねぇだろ!」
「関係、ない?……っ……ないわけないだろ!僕は兄さんの弟で!兄さんは僕のためにこんなことをしたんだから!」


 巧実が苛めを始めたのも、宅真と険悪な関係になったのも、宅真がこんな目に遭ったのも。全て巧実が突っ走ったことが原因だ。だが宅真には巧実一人の責任だと割り切ることが出来なかったのだ。

 巧実は否定したが、宅真は無関係だなんて思うことはどうしてもできない。そう思ってしまえば、二人は名ばかりの兄弟になってしまうのだから。


「「…………」」
「……ねぇ。謝る謝らないは宅真くんの好きにすればいいと思うけど、これからどうするつもりなの?」
「これ、から?」


 互いに怒鳴り合い、息を切らしながら沈黙を作り出した巧実と宅真。そんな沈黙を破った明日歌の問いに、宅真は当惑してしまい目を瞬きさせる。

 もし巧実と宅真が今まで苛められてきた彼らに謝り、その行いをやめたのならきっと次の被害者はこの双子になるだろう。特に巧実の場合、今まで苛められてきた生徒たちからの風当たりが強くなることは容易に想像できる。


「宅真くんが良ければ、私たちのところに来ない?」
「「は?」」


 明日歌の提案に驚きの声を上げたのは巧実たちではなく、遥音と鷹雪だった。一方巧実たちから見た遥音たちは明日歌のチームに属しているという認識なので、何故その二人が驚いているのかという点で首を傾げている。


「おい待て、明日歌。宅真は分かる。俺だって文句はない。だがこの馬鹿を入れるのは反対だ」
「こっちだってあんた等みたいな訳分かんねぇ奴らとつるむ気はねぇよ」


 遥音は巧実を親指で差しながらしかめっ面を明日歌に向けた。鷹雪も同じような理由で明日歌の提案に驚いたようで、遥音の意見も尤もだと感じている。

 一方の巧実は遥音に睨みを利かせ、明日歌の提案を撥ねのけた。相変わらず明日歌たちに対して失礼な物言いをしている巧実に、宅真は咎める様な視線を向けたが明日歌が口を開くことでそのことに気づく者はいない。


「ねぇ関口兄。あんたにそんなこと言う権利あると思ってるの?あったとしても身の程は少し弁えようか。それに君が私たちのクラスに入るのが嫌だって言うんなら、そっちの方がむしろ好都合」
「なに?」


 明日歌の言葉の意味を理解することが出来なかった巧実は思わず怪訝そうな声を上げた。勧誘している相手が拒否している状況が何故好都合なのか。巧実には全く見当がつかなかったのだ。


「君は宅真くんも、関係ない生徒のことも傷つけた。それはどうやっても変えることは出来ない。変えられないから人は間違えてしまうとそれ相応の罰を受ける。謝ったらそれで終わりだなんて、都合のいいことは考えてないでしょ?だから君が嫌がってるんなら、そっちの方がいい。私たちのクラスに入ることが罰になるから。だからって何だって話だけど、君……辻褄合わせしたいって思ってるでしょ?」
「おまえっ……!」
「兄さん!」


 自分の過ちをはっきりと突き付けられ、巧実はこれ以上ないほどの罪悪感で苦しんでいる。だが彼のそんな気持ちは、被害者にとって何の慰みにもならない。巧実が彼らに謝り、自分勝手な罰を受けようとも償えるわけでは無い。

 だが自分は苦しんだんだと、罰を受けたのだと、犯した罪に釣り合う程の不幸を味わったのだと。そんな理屈を自分の中で作り上げて、明日歌の言う様に〝辻褄合わせ〟をしたいと思っているのだ。

 明日歌に心の内を見透かされ、巧実は激高し彼女の胸ぐらに掴みかかろうとした。我を忘れている巧実を止めようと宅真は声を上げたが、彼の動きは止まらない。
 巧実の手が明日歌の胸ぐらに届こうとした時、その手の動きを封じる存在が現れた。


「……遥音?」


 巧実の腕を掴んだのは冷たい相好で彼を静かに睨みつけている遥音だった。遥音はかなり力強く握っているらしく、彼の爪が腕に食い込み巧実は苦悶の声を上げる。

 今まで見たことの無いような冷たい雰囲気を放っている遥音に、明日歌は思わず呆けた様な声を出す。いつも明日歌に苦言を呈する遥音とは違う。初めて見たというのに、遥音が本気で怒っていることを明日歌は悟った。


「……あぁ、すまん。力を入れすぎたな……何だ?明日歌」
「……ううん、ありがと…………遥音、私大丈夫だからね?」
「……?見れば分かる」


 跡がつくほど強く握りしめていたことに気づいた遥音は陳謝すると、すぐにその手を解いた。すると探るように見つめてくる明日歌の視線に気づき、遥音は疑問の声を上げた。

 遥音の問いに、彼にとって意味深な言葉で返した明日歌。遥音があそこまで憤怒するとは、明日歌は夢にも思っていなかったのだ。


「えっと、何言おうとしてたんだっけ?あー、そうだそうだ。私が君を誘う理由、もう一つあるんだ」
「もう一つ?」
「ちゃんとずっと、宅真くんの傍にいて。それで今度こそちゃんと、弟守りなよ」
「っ……」


 巧実は宅真の守り方を間違えてしまった。自分が悪者になり、宅真から遠ざかることで弟を守ることが出来ると思っていた。だがそれが大きな間違いであることに気づいた巧実に、やり直す機会を明日歌は与えようとしているのだ。

 そんな明日歌の心意を聞いた巧実は不安げに揺れる瞳を宅真に向ける。


「兄さん。僕、兄さんと離れるのは……寂しいよ」
「宅真…………そんなの、俺だって」


 涙を浮かべた宅真は巧実の肩に凭れるように顔を乗せて、子供のような純粋な感情をぶつけた。巧実の肩に宅真の涙が滲む。

 その熱を感じた巧実は拳を握り締めると、喉から絞り出すように思いを告げた。

 互いが互いを大事に思っているからこそ、この二人は擦れ違ってしまった。そんな二人の兄弟喧嘩は彼らの涙で終わりを迎え、明日歌たちは眉を下げながらその様子を眺めている。


「あ、遥音……いい?」
「はぁ……まぁお前がこのクラスを作ったんだ。お前の好きにすればいい」


 ふと思い出したように尋ねてきた明日歌に、遥音はため息をついて呆れてしまう。遥音は当初巧実がF組に入ることを反対していたが、あんな場面を見て意見を貫き通すほど遥音も鬼ではなかった。


「ほんと!?遥音すきぃー」
「おい離れろ馬鹿」


 遥音からの許しが出たことであからさまに顔を輝かせた明日歌は、高ぶった感情そのままに遥音に抱きついた。眉を顰め頬を染めつつ明日歌を引きはがそうとする遥音の思いなど明日歌はお構いなしである。


「なに?コイツ等付き合ってんの?」
「「違う(よ)」」


 明日歌たちのことをよく知らない巧実は二人の様子を見てそう解釈してしまったらしい。面白ぐらい明日歌たちの声がハモったので、その言葉の信用性は限りなくゼロに等しい。


「あ、そうだ。関口兄!F組に入るからには私が指定したルールを守ってもらうからね」
「はぁ?なに…………分かった」


 ビシッと指を差して言ってきた明日歌に巧実は不満を零そうとしたが、それだとこれまでと何も成長していないので彼は喉元でそれを押し殺した。


「よろしい。まず一つ。先輩や先生には敬語を使うこと。そして二つ。私たちはアンタのことを名前ではなくあだ名で呼ぶことにするから、それに関する文句は一切口にしないこと」
「「あだ名?」」


 明日歌の提示した二つ目のルールに巧実だけではなく他の面々も思わず首を傾げる。普通あだ名は親しい間柄の者を呼ぶ際につけるので、それが何故ルールになるのか理解できなかったのだ。だが明日歌とそれ以外の者たちの間には大きな解釈違いが生じている。


「だってF組に入るだけが罰なんてぬるいじゃん。ぬるぬるのぬるま湯じゃん。だから屈辱的なあだ名をつけてあげようかと」
「ガキか」


 じゃんと言われても当惑してしまうだけだが、遥音は慣れているので即座にツッコみを繰り出した。一方当の巧実は心底嫌そうに顔を歪めているが、彼に拒否権など皆無である。


「うーーん…………あ、ピーマンにしよっか。私ピーマン嫌いだし」
「下手くそか」

 
 理由が安直すぎる明日歌のネーミングセンスに遥音は自然に毒を吐く。どう転んでも屈辱的なあだ名に、巧実は顔をピクピクと引き攣らせながら怒りが沸点に達しないよう必死に堪えている。


「よし!関口兄は今日からピーマンくんで決まりだよ!今日からよろしく」
「……………………よろしくお願いします」


 巧実の必死の努力を完全無視で手を差し出してきた明日歌の顔は晴れやかで、F組のクラスメイトが増えることに対する嬉々が全く隠せていない。そんな明日歌の手を不本意ながらも握った巧実は、キチンと敬語で返した。

 そんな巧実を眉を下げつつ愛おし気に見つめる宅真は、明日歌に負けず劣らずの晴れやかな笑顔を見せている。

 こうして巧実と宅真の双子兄弟がF組のクラスメイトに加わったのだった。


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