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第一章 学園改革のメソッド
学園改革のメソッド18
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「鷹雪先生それ本当?便利ぃ」
「お前包み隠さないよな」
鷹雪の想定外の返答に、明日歌は思わず本音をポロっと零した。本音と建前という言葉を知らなすぎる明日歌に鷹雪は最早関心すら覚え、苦笑いを浮かべてしまう。
「それでそれで?誰のどんな弱み握ってんの?」
「…………」
「何か言いにくいことなんですか?」
明日歌は興味津々そうに尋ねたが、鷹雪は何故か重苦しい表情で言い淀んでしまう。鷹雪の様子がおかしいことは明らかだったので、遥音はその原因を尋ねた。
「いや、聞いて気分の良いものじゃないんでな」
「弱みなんだから当たり前でしょう。それにそんなものはこの学園に在籍している時点で見飽きています」
「それもそうだな」
鷹雪からすればまだまだ子供の明日歌と遥音。そんな二人に大人の薄汚い事情を話すことに気が引けたというのが、鷹雪の沈黙の理由だった。
だがそんなものは遥音たちにとって当たり前のことになってしまっているので、今更の問題であった。杞憂であることを自覚した鷹雪は自嘲じみた笑みを浮かべる。
「俺は元々この青ノ宮学園の生徒だったんだが、その当時いろいろあって、結果的に教頭の弱みを握ることになったんだ」
「教頭か……」
鷹雪はこの時点で二五歳。なので青ノ宮学園七年前の卒業生ということだ。私立の教師は他の学校に移ったりしないので、教頭も鷹雪が生徒だった頃と変化はない。つまり今の教頭の弱みを鷹雪が握っているということになる。
「で、何があったんですか?」
「あの野郎、俺のクラスメイトに所謂性的暴行をしていてな。それを俺が目撃して、咄嗟に動画を撮ったんだ。そんで、これバラされたくなかったら二度とこんなふざけた真似すんなって脅しといた」
「教頭とんだクソ野郎ね」
遥音の問いに答えた鷹雪は当時のことを思い出し、思わず顔を歪めてしまう。それだけで教頭が相当胸糞の悪い行為をしていたのだろうと簡単に想像できる程だった。
そして、それを聞いた明日歌は鷹雪と同じような表情で教頭の悪事を批判した。
生徒にとって教師、しかも教頭なんて存在は簡単に逆らうことのできない脅威的なものだ。詳細は鷹雪も知らないが、教頭の権威を利用して彼のクラスメイトを脅したのだろう。
被害者である女子生徒が公にすることを拒否したので、鷹雪は教頭が二度と彼女に、そして彼女以外の生徒にも手を出さないようにその証拠を利用したのだ。
「なるほど。その動画を今も持っているということか」
「あぁ。被害者の子には申し訳なかったが、万が一ってこともある。今手元にあるわけでは無いが、簡単には消去できないように保存してある」
事の経緯を聞いた遥音は納得したように呟く。証拠が残っているのであれば、その脅迫材料はまだ有効だということだ。
「よっしじゃあ早速そのクソ教頭脅しに行こうぜ!」
「待て待て。早まるな暁。お前がそんなことしなくても俺一人で十分だ」
嬉々とした相好で物騒な台詞を吐いた明日歌を鷹雪は必死に制止する。交渉材料は揃っているので、誰が行っても大した違いは無い上、過去教頭を脅したことのある鷹雪が赴いた方が脅威を与えることが出来るだろう。なのでただの生徒にすぎない明日歌たちは必要ないのだ。
「ちぇ、つまんないの」
「頼んでいる立場で文句を言うな」
「お前らリア充通り越して最早親子だな」
限界値まで頬を膨らませた明日歌は不満気で、遥音はそんな彼女の態度に苦言を呈した。子供のようにいじける明日歌を窘める遥音の姿は最早親のもので、鷹雪はどこか遠い目をして指摘する。
「…………」
「何だ?暁」
ふと意味深な視線を注いできた明日歌に鷹雪は疑問の声を投げかけた。その瞳に込められているのは純粋な疑問と、それに対する探究心と好奇心だった。
「ねぇ、先生さ。さっきのあれ、どういう意味?」
「あれ?」
「善人じゃない云々のところ」
明日歌の言う〝あれ〟に見当がつかなかった鷹雪と遥音も、明日歌の説明ですぐにその正体に気づく。
『お前何か勘違いしてるみたいだから言うが、俺は哀れなガキ心配してこんなことする様な善人じゃねぇんだよ。何企んでるのかは知らねぇが、俺に何か期待してるなら無駄足だぞ』
遥音が保健室登校の生徒たちについて尋ねた際、鷹雪がただならぬ雰囲気で言い放った言葉だ。だがこの言葉は明日歌の知る佐伯鷹雪という人間には似ても似つかないもので、彼に対する知識が不足していることを痛感させられたのだ。
「別に深い意味はねぇよ。ただ俺は、クラスメイトが被害に遭う前に防げなかった罪悪感を、今生徒に居場所を与えることで紛らわせているだけだ。せいせいするほど利己的なんだよ、俺は」
「……理由はどうであれ、結果的に誰かのためになるならそれでいいんじゃない?少なくとも私は先生のおかげで助かったよ」
鷹雪がこの学園の生徒だった頃、クラスメイトだったその女子生徒は彼のおかげでそれ以上の被害に遭うことは無かった。普通に考えれば鷹雪はその女子生徒にとっての恩人だ。
だが鷹雪がクラスメイトの被害を知るまでの間、彼女が苦しみ続けたのもまた事実。こんなものはタラレバの話だが、それでも鷹雪は自身を誇ることは疎か罪悪感を拭うことも出来なかったのだ。
だが鷹雪の自嘲に素直な意見を述べた明日歌。鷹雪の利己的という言葉を否定することなく、それでも良いのではないかとはっきり言ってのけた明日歌の姿は、鷹雪にとって強烈的な印象を放っていた。
「ガキがいっちょ前に正論言いやがって…………へぇへぇ分かりましたよ。俺が出来る範囲でならお前らの援助してやる。これで文句ないんだろ?」
「うん。十分以上だよ」
眉を下げつつため息をついた鷹雪はほんの少しだけ笑ってみせた。一方明日歌は満足気に破顔一笑すると、F組の存続が安定したことにほっと胸を撫で下ろすのだった。
********
遥音がF組のクラスメイトとなり、鷹雪が援助を約束してから約一年。明日歌たちは中学二年生になっていた。
この間起きた変化と言えば、東校舎四階にある多目的室がF組の拠点に決定したことぐらいだった。新しいクラスメイトが出来る訳でもなく、この学園の謎解明に進捗があったわけでもない。
今日も今日とて多目的室に二人、各々で自由に活動しているのだ。真面目な遥音は一日中勉強をしているが、勉強嫌いの明日歌はボォーっとしていることがほとんどである。
「ひーまーだーなー」
「勉強しろこの馬鹿が」
今も椅子の前脚を浮かせてふらふらと擬似空中浮遊を体験しつつ、多目的室の天井を見つめて呑気な声を上げている始末だ。
そんな明日歌に遥音は毎日毎日小言を並べるのだが、彼女が本当の意味でそれを聞いた試しはない。その姿は当に、夏休み中一向に宿題に手をつけない娘と、そんな娘に手を焼く母の図である。
「遥音は凄いよねぇ。飽きない?」
「飽きる飽きないの問題ではない。勉学は生きる上で必要なものだ。例えるなら三大欲求の様なものだな」
「なにそれこわ。未来人?」
いつ見ても何かしらの勉強をしている遥音に、明日歌は毎度のことながら感嘆の声を漏らした。だが遥音にとってそれは息をするように当たり前のことで、今更苦痛を感じることでもないのだ。
三大欲求を満たすのに飽きるも飽きないも無いので、遥音にとって勉強はその感覚に近い。やらなくては死んでしまうという強迫観念の様なものがあるのかもしれない。
「ねぇ遥音、暇だから学園パトロールしようよぉ」
「意味が分からん」
いつもの突拍子のない明日歌の提案は遥音にとっては慣れたもので、まるで流れ作業の用にツッコみが出てくる。だが遥音は毎回毎回本気でツッコむ。心底意味が分からないという気持ちを包み隠さない表情と共に。
明日歌はそれが何だかんだで嬉しかったりするので、自分の性格を変える気など一切ないのだ。
「もう決めちゃったもんね!行こ!遥音」
「おい……たくっ……」
遥音の手を引いた明日歌を止める手段など無いことを悟った遥音は、一つため息をつくとされるがままになって多目的室を後にした。
********
「あ!兼がいるぅ」
「姉貴?」
授業と授業の合間の休み時間。校舎を散策していた明日歌は弟である兼とばったり遭遇した。
明日歌と兼の年齢差は一歳だけなので、兼も今年中等部に上がってきたのだ。よく見てみると明日歌たちがいたのは中学一年生の教室が密集している場所で、兼と遭遇したのもそうおかしな話ではなかった。
愛弟に学校で会えたことに意気揚々としている明日歌だったが、一方の遥音はこれが何気に兼との初対面だった。
「姉貴……もしかしてその人が遥音先輩?」
「そだよ」
遥音の存在にすぐさま気づいた兼は硬い表情筋を僅かに動かして反応した。遥音は自分の名前を知られていることに少々驚いたが、おしゃべりな明日歌が自分の話をしているのだろうと考えると何てことない疑問だった。
「初めまして。弟の暁兼です。姉貴がいつもお世話になってます……いつも迷惑かけてすいません」
「何で決めつけてんのさ!?」
そして目の前の人物が結城遥音であることを確信した兼は、どこか哀れみと尊敬が入り混じったような瞳をすると、深々と頭を下げて自己紹介をした。
今までの二人の様子を知らないはずの兼は、明日歌が遥音に迷惑をかけている前提で話を進める。それが不服だったのか明日歌は分かりやすすぎる程ショックを受けた様に声を上げた。
だが弟であり、誰よりも明日歌のことを理解している兼がそのように考えるのは当然なのだ。そんな兼の姿を目の当たりにした遥音は目を見開くと、ポカンと開いてしまった口を手で覆う。
「こんな真面な奴が明日歌の弟……?ありえない」
「二人揃って酷いよ。ちゃんと血の繋がった姉弟だよ」
「ま、似てないってよく言われるよね」
遥音が驚愕したのは姉弟である明日歌と兼の性格がここまでかけ離れているせいだった。だが明日歌たちにも似ていないという自覚は十分にある。
「学校来んなこのグズ!」
三人が談笑していると、どこからともなく男子生徒の怒鳴り声が廊下中に響き渡った。その声は兼の教室の隣――一年B組から聞こえてくる。
不穏極まりないその発言に、明日歌たちは思わず一年B組の教室を恐る恐る覗いた。
そこには水をかけられたと思われる男子生徒と、その生徒を冷たい視線で見下ろしている男子生徒がいた。これだけでどちらがいじめっ子かどうかは明らかで、あの声の主が誰かも明日歌たちは察した。
『兼、誰だか知ってる?』
『分かんない』
同じ一年生である兼に小声で尋ねた明日歌だったが、クラスメイトの顔と名前でさえも把握していない兼に期待しただけ無駄だったようだ。
『声の主は関口巧実と推測されるな。この学園で今一番ふざけたいじめっ子だ』
『さっすが遥音。何でも知ってるね……ん?推測されるってどゆこと?』
明日歌は遥音の情報網の凄まじさを再確認し、二年である遥音が一年の生徒を知っているという事実に兼は目を見開いている。
相手のことを知っているのなら遥音の表現はどこか不適切で、明日歌思わず首を傾げた。
『あれを見ろ』
「「……?」」
「兄さん!やめろっていつも言ってるだろ!?」
「うるさい!お前は黙ってろ!」
遥音が指で示した〝あれ〟の正体に二人はすぐに気づく。三人の視線を先にいるのは関口巧実と、その巧実に反発している一人の男子生徒。言い争いを始める二人の顔は、寸分違わない程瓜二つだったのだ。
この時明日歌と兼は二つの事実に辿り着いた。一つは遥音が推測されると称した理由。遥音は生徒の情報を知っていても、あの二人を顔だけで区別することが出来なかったのだ。なので現在の状況や彼の口調などを鑑みて遥音は推測したという訳である。
そして巧実に瓜二つの男子生徒が彼を〝兄さん〟と呼んだことから、二人が双子であることを明日歌たちは確信したのだ。
「お前包み隠さないよな」
鷹雪の想定外の返答に、明日歌は思わず本音をポロっと零した。本音と建前という言葉を知らなすぎる明日歌に鷹雪は最早関心すら覚え、苦笑いを浮かべてしまう。
「それでそれで?誰のどんな弱み握ってんの?」
「…………」
「何か言いにくいことなんですか?」
明日歌は興味津々そうに尋ねたが、鷹雪は何故か重苦しい表情で言い淀んでしまう。鷹雪の様子がおかしいことは明らかだったので、遥音はその原因を尋ねた。
「いや、聞いて気分の良いものじゃないんでな」
「弱みなんだから当たり前でしょう。それにそんなものはこの学園に在籍している時点で見飽きています」
「それもそうだな」
鷹雪からすればまだまだ子供の明日歌と遥音。そんな二人に大人の薄汚い事情を話すことに気が引けたというのが、鷹雪の沈黙の理由だった。
だがそんなものは遥音たちにとって当たり前のことになってしまっているので、今更の問題であった。杞憂であることを自覚した鷹雪は自嘲じみた笑みを浮かべる。
「俺は元々この青ノ宮学園の生徒だったんだが、その当時いろいろあって、結果的に教頭の弱みを握ることになったんだ」
「教頭か……」
鷹雪はこの時点で二五歳。なので青ノ宮学園七年前の卒業生ということだ。私立の教師は他の学校に移ったりしないので、教頭も鷹雪が生徒だった頃と変化はない。つまり今の教頭の弱みを鷹雪が握っているということになる。
「で、何があったんですか?」
「あの野郎、俺のクラスメイトに所謂性的暴行をしていてな。それを俺が目撃して、咄嗟に動画を撮ったんだ。そんで、これバラされたくなかったら二度とこんなふざけた真似すんなって脅しといた」
「教頭とんだクソ野郎ね」
遥音の問いに答えた鷹雪は当時のことを思い出し、思わず顔を歪めてしまう。それだけで教頭が相当胸糞の悪い行為をしていたのだろうと簡単に想像できる程だった。
そして、それを聞いた明日歌は鷹雪と同じような表情で教頭の悪事を批判した。
生徒にとって教師、しかも教頭なんて存在は簡単に逆らうことのできない脅威的なものだ。詳細は鷹雪も知らないが、教頭の権威を利用して彼のクラスメイトを脅したのだろう。
被害者である女子生徒が公にすることを拒否したので、鷹雪は教頭が二度と彼女に、そして彼女以外の生徒にも手を出さないようにその証拠を利用したのだ。
「なるほど。その動画を今も持っているということか」
「あぁ。被害者の子には申し訳なかったが、万が一ってこともある。今手元にあるわけでは無いが、簡単には消去できないように保存してある」
事の経緯を聞いた遥音は納得したように呟く。証拠が残っているのであれば、その脅迫材料はまだ有効だということだ。
「よっしじゃあ早速そのクソ教頭脅しに行こうぜ!」
「待て待て。早まるな暁。お前がそんなことしなくても俺一人で十分だ」
嬉々とした相好で物騒な台詞を吐いた明日歌を鷹雪は必死に制止する。交渉材料は揃っているので、誰が行っても大した違いは無い上、過去教頭を脅したことのある鷹雪が赴いた方が脅威を与えることが出来るだろう。なのでただの生徒にすぎない明日歌たちは必要ないのだ。
「ちぇ、つまんないの」
「頼んでいる立場で文句を言うな」
「お前らリア充通り越して最早親子だな」
限界値まで頬を膨らませた明日歌は不満気で、遥音はそんな彼女の態度に苦言を呈した。子供のようにいじける明日歌を窘める遥音の姿は最早親のもので、鷹雪はどこか遠い目をして指摘する。
「…………」
「何だ?暁」
ふと意味深な視線を注いできた明日歌に鷹雪は疑問の声を投げかけた。その瞳に込められているのは純粋な疑問と、それに対する探究心と好奇心だった。
「ねぇ、先生さ。さっきのあれ、どういう意味?」
「あれ?」
「善人じゃない云々のところ」
明日歌の言う〝あれ〟に見当がつかなかった鷹雪と遥音も、明日歌の説明ですぐにその正体に気づく。
『お前何か勘違いしてるみたいだから言うが、俺は哀れなガキ心配してこんなことする様な善人じゃねぇんだよ。何企んでるのかは知らねぇが、俺に何か期待してるなら無駄足だぞ』
遥音が保健室登校の生徒たちについて尋ねた際、鷹雪がただならぬ雰囲気で言い放った言葉だ。だがこの言葉は明日歌の知る佐伯鷹雪という人間には似ても似つかないもので、彼に対する知識が不足していることを痛感させられたのだ。
「別に深い意味はねぇよ。ただ俺は、クラスメイトが被害に遭う前に防げなかった罪悪感を、今生徒に居場所を与えることで紛らわせているだけだ。せいせいするほど利己的なんだよ、俺は」
「……理由はどうであれ、結果的に誰かのためになるならそれでいいんじゃない?少なくとも私は先生のおかげで助かったよ」
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だが鷹雪がクラスメイトの被害を知るまでの間、彼女が苦しみ続けたのもまた事実。こんなものはタラレバの話だが、それでも鷹雪は自身を誇ることは疎か罪悪感を拭うことも出来なかったのだ。
だが鷹雪の自嘲に素直な意見を述べた明日歌。鷹雪の利己的という言葉を否定することなく、それでも良いのではないかとはっきり言ってのけた明日歌の姿は、鷹雪にとって強烈的な印象を放っていた。
「ガキがいっちょ前に正論言いやがって…………へぇへぇ分かりましたよ。俺が出来る範囲でならお前らの援助してやる。これで文句ないんだろ?」
「うん。十分以上だよ」
眉を下げつつため息をついた鷹雪はほんの少しだけ笑ってみせた。一方明日歌は満足気に破顔一笑すると、F組の存続が安定したことにほっと胸を撫で下ろすのだった。
********
遥音がF組のクラスメイトとなり、鷹雪が援助を約束してから約一年。明日歌たちは中学二年生になっていた。
この間起きた変化と言えば、東校舎四階にある多目的室がF組の拠点に決定したことぐらいだった。新しいクラスメイトが出来る訳でもなく、この学園の謎解明に進捗があったわけでもない。
今日も今日とて多目的室に二人、各々で自由に活動しているのだ。真面目な遥音は一日中勉強をしているが、勉強嫌いの明日歌はボォーっとしていることがほとんどである。
「ひーまーだーなー」
「勉強しろこの馬鹿が」
今も椅子の前脚を浮かせてふらふらと擬似空中浮遊を体験しつつ、多目的室の天井を見つめて呑気な声を上げている始末だ。
そんな明日歌に遥音は毎日毎日小言を並べるのだが、彼女が本当の意味でそれを聞いた試しはない。その姿は当に、夏休み中一向に宿題に手をつけない娘と、そんな娘に手を焼く母の図である。
「遥音は凄いよねぇ。飽きない?」
「飽きる飽きないの問題ではない。勉学は生きる上で必要なものだ。例えるなら三大欲求の様なものだな」
「なにそれこわ。未来人?」
いつ見ても何かしらの勉強をしている遥音に、明日歌は毎度のことながら感嘆の声を漏らした。だが遥音にとってそれは息をするように当たり前のことで、今更苦痛を感じることでもないのだ。
三大欲求を満たすのに飽きるも飽きないも無いので、遥音にとって勉強はその感覚に近い。やらなくては死んでしまうという強迫観念の様なものがあるのかもしれない。
「ねぇ遥音、暇だから学園パトロールしようよぉ」
「意味が分からん」
いつもの突拍子のない明日歌の提案は遥音にとっては慣れたもので、まるで流れ作業の用にツッコみが出てくる。だが遥音は毎回毎回本気でツッコむ。心底意味が分からないという気持ちを包み隠さない表情と共に。
明日歌はそれが何だかんだで嬉しかったりするので、自分の性格を変える気など一切ないのだ。
「もう決めちゃったもんね!行こ!遥音」
「おい……たくっ……」
遥音の手を引いた明日歌を止める手段など無いことを悟った遥音は、一つため息をつくとされるがままになって多目的室を後にした。
********
「あ!兼がいるぅ」
「姉貴?」
授業と授業の合間の休み時間。校舎を散策していた明日歌は弟である兼とばったり遭遇した。
明日歌と兼の年齢差は一歳だけなので、兼も今年中等部に上がってきたのだ。よく見てみると明日歌たちがいたのは中学一年生の教室が密集している場所で、兼と遭遇したのもそうおかしな話ではなかった。
愛弟に学校で会えたことに意気揚々としている明日歌だったが、一方の遥音はこれが何気に兼との初対面だった。
「姉貴……もしかしてその人が遥音先輩?」
「そだよ」
遥音の存在にすぐさま気づいた兼は硬い表情筋を僅かに動かして反応した。遥音は自分の名前を知られていることに少々驚いたが、おしゃべりな明日歌が自分の話をしているのだろうと考えると何てことない疑問だった。
「初めまして。弟の暁兼です。姉貴がいつもお世話になってます……いつも迷惑かけてすいません」
「何で決めつけてんのさ!?」
そして目の前の人物が結城遥音であることを確信した兼は、どこか哀れみと尊敬が入り混じったような瞳をすると、深々と頭を下げて自己紹介をした。
今までの二人の様子を知らないはずの兼は、明日歌が遥音に迷惑をかけている前提で話を進める。それが不服だったのか明日歌は分かりやすすぎる程ショックを受けた様に声を上げた。
だが弟であり、誰よりも明日歌のことを理解している兼がそのように考えるのは当然なのだ。そんな兼の姿を目の当たりにした遥音は目を見開くと、ポカンと開いてしまった口を手で覆う。
「こんな真面な奴が明日歌の弟……?ありえない」
「二人揃って酷いよ。ちゃんと血の繋がった姉弟だよ」
「ま、似てないってよく言われるよね」
遥音が驚愕したのは姉弟である明日歌と兼の性格がここまでかけ離れているせいだった。だが明日歌たちにも似ていないという自覚は十分にある。
「学校来んなこのグズ!」
三人が談笑していると、どこからともなく男子生徒の怒鳴り声が廊下中に響き渡った。その声は兼の教室の隣――一年B組から聞こえてくる。
不穏極まりないその発言に、明日歌たちは思わず一年B組の教室を恐る恐る覗いた。
そこには水をかけられたと思われる男子生徒と、その生徒を冷たい視線で見下ろしている男子生徒がいた。これだけでどちらがいじめっ子かどうかは明らかで、あの声の主が誰かも明日歌たちは察した。
『兼、誰だか知ってる?』
『分かんない』
同じ一年生である兼に小声で尋ねた明日歌だったが、クラスメイトの顔と名前でさえも把握していない兼に期待しただけ無駄だったようだ。
『声の主は関口巧実と推測されるな。この学園で今一番ふざけたいじめっ子だ』
『さっすが遥音。何でも知ってるね……ん?推測されるってどゆこと?』
明日歌は遥音の情報網の凄まじさを再確認し、二年である遥音が一年の生徒を知っているという事実に兼は目を見開いている。
相手のことを知っているのなら遥音の表現はどこか不適切で、明日歌思わず首を傾げた。
『あれを見ろ』
「「……?」」
「兄さん!やめろっていつも言ってるだろ!?」
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遥音が指で示した〝あれ〟の正体に二人はすぐに気づく。三人の視線を先にいるのは関口巧実と、その巧実に反発している一人の男子生徒。言い争いを始める二人の顔は、寸分違わない程瓜二つだったのだ。
この時明日歌と兼は二つの事実に辿り着いた。一つは遥音が推測されると称した理由。遥音は生徒の情報を知っていても、あの二人を顔だけで区別することが出来なかったのだ。なので現在の状況や彼の口調などを鑑みて遥音は推測したという訳である。
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