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乱 江梨

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第一章 学園改革のメソッド

学園改革のメソッド3

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「はぁ、そうですか……丁重にお断りさせていただきます」


 明日歌たちF組がわざわざ一年の教室に来た理由を理解した透巳は深く頭を下げると、明日歌にとって不本意な返答をした。
 だが明日歌はその返答を僅かに予感していたのか、眉を下げつつ破顔する。


「一応参考として理由を聞いていいかな?」
「……?逆に明日歌先輩は俺がF組に入る理由があると思っているんですか?」
「……あぁ、やっぱりそういう感じか」


 明日歌は腕を組むと透巳の心の内を知ろうと尋ねた。透巳の素っ気無い返答に明日歌は透巳の本質を再確認でき、納得したように呟いた。一方、他のF組メンバーは異形の者を見るような目で透巳に視線をやっている。

 普通の人間が透巳と同じ立場にいるとするならば、F組に入る理由は大いにある。この狂った教室空間から逃げるため。こんなふざけた学園を壊すため。――挙げればこのようにいくつかの理由は出てくる。
 だが透巳にはF組に入る理由が全く無いのだ。透巳は己に降りかかっている苛めを被害だと思っていないから。この学園事態にそもそも興味が無いから。


「ま、ここにいるメンバーも最初は乗り気じゃなかったけど最終的に折れてくれた面子だし。とりあえず、私たちF組の教室に遊びにきなよ。放課後でもいいからさ」
「はぁ……放課後は少し都合が悪いので、授業サボりますね」


 明日歌は遥音たちを指差すと苦笑いを浮かべながら提案した。その表情はどこか過去を懐かしんでいるようで、透巳はほんの少し目を奪われる。

 だがよくよく考えれば、遥音のようなタイプの人間が今のように突然〝F組への加入〟を提案されて、素直に頷くとも思えなかったので明日歌の話は嘘ではないのだろう。
 寧ろ遥音ならいつもの毒舌で明日歌の提案を撥ねのける姿の方が容易に想像できる。

 明日歌は優等生に見える透巳が簡単にサボり宣言したことに少々面食らった。


「なになに?放課後彼女とデートでもするの?」
「デート……まぁ、そんなものです」
「へぇー」


 明日歌はにやにやとした相好になると、片肘で透巳の腕をつついて揶揄った。透巳の曖昧な返答に明日歌は首を傾げたが、追及することは無かった。

 *********

 同じ東校舎でも一階に教室がある一年A組から、四階を拠点としているF組に向かうには多少の時間と労力を費やす。

 F組の教室は一つしか存在していない。つまり一年と二年が同じ教室で勉学に励んでいるということだ。人数が少ないので〝F組〟と一括りにしているが、正しくは一年F組三名と二年F組二名の集まりなのである。

 そんなF組の教室に到着した透巳は、ぐるっと教室内を一望した。ただの多目的室ではあるが、よく見ると他の教室とは異なる部分が多々発見できる。

 生徒たちの私物と思われる小説などが小さな本棚に並び、お菓子やパンなどがバケットの中に山積みにされている。教室の隅には小さな冷蔵庫もあり、そこに飲み物などが入っているのだろう。
 教室の真ん中にはきっちり五人分の机が円を描くように並んでいて、とても教室には見えない個性的な空間である。


「私たちはここで朝から夕方まで自習したり、本読んだり、好きに過ごしてるんだよ」
「お前が勉学に励んでいるところなんて一度たりとも見たことが無いんだが」
「だって面倒臭いんだもん」
「お前みたいな怠け者が学年二位だなんて世も末だな」


 F組の生徒は授業を受けず学校生活を過ごすので、自分たちで学習しなければならないのだが、明日歌の場合大した勉強をしなくとも好成績を収めるという器用さを持っているのだ。
 毎日必要以上の勉学に励み、学年一位という成績を収めている遥音からすれば、明日歌の器用さは面白くないのか、彼はむくれ面で毒を吐いた。


「でも授業受けないで、よくこんなクラスが成立してますね。単位とかどうしてるんですか?」
「あぁ、それはね……」


 透巳は明日歌の説明を聞いた後、当たり前すぎる疑問を持った。この狂った学園において、学園に逆らおうとする異分子を排除しないなど不自然すぎる。そもそも普通の高校だって、まともに授業を受けずにいる生徒をそのまま放置なんてできるわけがない。どうやってこのクラスが成立しているのか、透巳にはそれが理解できなかったのだ。

 明日歌がその疑問に答えようとすると、F組の教室の扉が何者かによって開けられた。生徒たちが扉の方に視線を向けると、そこには白衣を身に纏った三十代程度の男性がいて、F組生徒にとっては顔馴染みのようだった。


「おい。お前らのプリント持ってきてやったぞー……って、誰お前?」
「保健室の、先生?」
「正解」


 透巳の推測は当たりだったようで明日歌は首肯した。

 養護教諭の名前は佐伯鷹雪さえきたかゆき。身長一九〇センチ弱の高身長、ぼさぼさとした黒髪に無精髭を生やした、とても清潔感があるとは言えない男性だ。だがキリッとした目に薄い淵の眼鏡をかけた顔はどこか精悍で、きちっとすればモテそうな印象だ。


「何だ暁。また男を誑かしたのか?」
「誤解を招く言い方すんなし先生。この子彼女持ちだからそういうこと言うな」
「神坂透巳です。F組に入る気はないですが、見学に来ました」


 不思議なことに周りに男ばかりが集まる明日歌を揶揄った鷹雪。そんな鷹雪に自己紹介をした透巳は軽く会釈をする。


「あー、その名前なら知ってる。流石に一年生成績一位の奴を知らない教師はこの学園にはいねぇよ」
「透巳くん、この人がこのF組を成立させてくれた恩人だよ」
「恩人?」


 どうやら特待生枠で入学した透巳は教師たちの間で有名人だったようで、鷹雪はぶっきら棒に呟いた。
 一方、透巳は明日歌の言った恩人という単語に僅かな違和感を覚え首を傾げた。

 先刻、この狂った学園の教師たちを〝クソ教師共〟と罵ったというのに、そんな明日歌が養護教諭である鷹雪を〝恩人〟と称したことが透巳には不思議だったのだ。


「うん。この人は養護教諭の佐伯鷹雪先生って言うんだけど、この学園唯一のまともな先生なんだよね」
「ども。まともな鷹雪先生です」
「……それは理解できますが、F組を成立させたって言うのは……?」
「この人ね、元々この学園の生徒だったんだけど、その時の関係で今の教頭の弱みを握ってるんだよね」
「……脅してるんですか?」


 全てを語らずとも途中で理解してしまった透巳は淡々とした口調で尋ねた。それは教頭を脅していることに嫌悪感を抱いているわけでも、明日歌の用意周到さに畏敬の念を感じているわけでもない。ただ事実として透巳は受け入れているだけなのだ。


「ご明察。あぁ、でも無条件じゃないよ。私たちF組の生徒が定期試験で学年十位よりも下になったら、即全員退学ってことになってるから」
「ということは、皆さんそこそこの学力ってことですか?」
「うん。まぁピーマンくんは学年九位でギリギリだけど」
「悪ぅございました」


 つまりF組というのは、生徒たちの高成績と教頭の弱みを武器に単位を貰い、漸く成り立っているクラスなのだ。
 遥音――二年一位、明日歌――二年二位、兼――一年二位、宅真――一年五位、巧実――一年九位。これがF組生徒の成績なのである。

 弟の宅真と違い、巧実はF組で最も危ない成績なので、宅真はいつも冷や冷やしつつ巧実に勉強を教えているのだ。


「なるほど。俺を誘ったのはそういう要因もあってのことなんですね」
「そゆこと」


 F組の生徒になる条件はこの学園に不信感を抱いていることだけではなく、成績優秀であることだ。そうでなければF組全員が退学になってしまうので当たり前である。
 それらを理解した透巳は納得したように呟き、明日歌も首肯した。


「それで、私たちはどうしてこの学園がこうなってしまったのか、それを知ろうとしているってわけ」
「理由があると考えているんですか?」
「うん。だっておかしいでしょ?苛めが頻発するのはここの生徒の性根が腐ってるって言われれば納得できるけど、鷹雪先生除いた全ての教師が何の行動も起こさないなんて、何らかの力が働いているって考えた方が自然だよ」


 特にこれといった理由が無かったとしても苛めが頻発している学校なんて、探せば湯水のように溢れかえるだろう。だが明日歌は教師たちに何らかの圧力がかかっているのでは?と考えているのだ。


「でも教頭は私たちが脅してるからそんなふざけたことはできないはずなんだよね。だからそれよりも上の……」
「学園理事長……」
「お察しの通り」


 教頭ではないとすればそれよりも上の地位に属している存在。つまり校長以上の存在が圧力の大元だと明日歌は睨んでいるのだ。そして、最も可能性が高いのは学園理事長というわけである。

 それをすぐに察知した透巳に明日歌は感嘆の声を漏らした。


「どう?少しは興味持てた?」
「そうですね。さっきよりは」
「そっか……なら良かった!」


 この学園の薄暗い部分に触れた透巳は明日歌にとって喜ばしい返答をし、僅かに破顔した。

 この時点ではまだ五時間目の授業途中で、透巳は授業終了のチャイムが鳴るまでF組で休憩し、その後六時間目の授業を受けるために明日歌たちと別れた。

 だが放課後一緒に下校しようと明日歌に誘われたので、透巳とF組生徒の再会は近い。

 僅かの間別れる透巳の背中を明日歌は意味深な瞳で見つめ続ける。その内透巳の背中は見えなくなり、明日歌は小さなため息をついた。


「どうした?」
「いや……何でもない。何も、不自然なくらい」
「は……どういうことだ?」
「上手く説明できない。違和感なんてないはずなのに、手応えが無いというか……」


 そんな明日歌を怪訝そうに見つめる遥音は不可思議な返答に首を傾げた。だが明日歌自身、己が感じているこの表現しがたい何かを特定することができず、当惑していたのだ。

 ********

「ねぇねぇねぇ、透巳くんってなんでそんな鬱陶しい髪型してるの?顔がブサイクなの?」


 今は午後四時十分。場所は街の賑やかな通りだ。この通りには若者に人気の店やチェーン店、書店などが連なっていて、帰宅途中の学生で大いに賑わっている。

 西日で影を伸ばしながら、通りを歩いているのはF組の五人と透巳で、明日歌は不躾な質問という名の高速投球を何の躊躇いもなく透巳に投げかけた。

 明日歌の辞書にデリカシーという言葉は載っていないようで、遥音は形容しがたい形相で明日歌を睨んでいる。だが遥音も大概なのでF組生徒は苦笑いを浮かべる。


「……いえ。多分容姿は整っている方だと思います」
「あ、そうなんだ。じゃあ何で?」
「この髪型は、小さい時諸事情があってこれにしたんです。その諸事情はもう解決しているんですが、俺の彼女がこの髪型を変えたら嫌いになるって言い出して」


 透巳の自画自賛が、明日歌に対する対抗心から出たわけではないことは全員に理解できた。今日の僅かな関わりで、透巳がどのような人間なのかを理解し始めた自覚が全員にあるからだ。
 明日歌たちは一瞬、透巳の言う〝諸事情〟が何なのか気になったが、話が透巳の恋人に転換されたことですぐに忘れてしまう。


「あー、なるほど。嫉妬か」
「えぇ。可愛いでしょ?」
「惚気てくれるねぇ」


 恥ずかしげもなく惚気た透巳に明日歌は感心さえした。良くも悪くも透巳は素直で、嘘をつかない性格なのだろうと明日歌は朧気に推測する。

 透巳の恋人が彼の鬱陶しい髪型の原因と知り、明日歌はやはり透巳の容姿が整っているのだろうと予想した。恐らく透巳の恋人は、彼の顔が露わになって周りに女性が群がることを危惧したのだろう。
 当人の透巳もそのことに気づいているようで、健気な彼女の頼みを聞いてあげているのだ。


「透巳くんの彼女ってどんな子?」
「……弱くて、馬鹿で、優しい子ですよ」
「なんだそれ?」


 明日歌の問いにほんの少し時間をかけて答えた透巳。貶しているとも捉えられる透巳の答えに、巧実は腑に落ちない様な声で尋ねた。

 だが、彼女のことを語った透巳の相好は髪のせいではっきりと伺えず、透巳がどういう心意であの言葉を紡いだのか、明日歌たちに知る術は無かった。


「透巳くーん!!ただいまー!」


 僅かに流れていた沈黙を破る声がどこからともなく響いた。その声は明日歌たちにとっては全く聞き馴染みのないものだったが、透巳にとっては一番身近な女子の愛しい声だった。

 透巳の後ろからぶつかる様に抱きついてきた声の主は顔を透巳の背中に押し付けているので、明日歌たちに彼女の顔を窺うことはできない。


「あれ?今日は早かったね。
「「ねこちゃん?」」


 背中に伝わる体温の正体を確かめる様に振り向いた透巳は今まで一番の笑みを浮かべた。今日初めて透巳と出会い、その恋人の顔も知らない明日歌たちにも理解できた。

 透巳の言う〝ねこちゃん〟が、彼の恋人なのだと。



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