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第二章 過去との対峙編
53.クルシュルージュ家の謎2
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「なーるほどね……ティンカーベルちゃんが通信機器を抜き取られたことにギリギリ気づかず、かつ通信機器を所持する人間を出来るだけ抑えた場合の最善手が、あの数字だったってわけね」
「その通りです…………まぁ、抜き取った人間がそこまで深く考えていたかは謎ですが。案外、何となく二つ取っただけかもしれませんし」
「お前……ここまで理路整然と頭の痛くなるような話しといてそれは無いだろ」
今までの長い長い解説を全て無に帰すような発言をしたティンベルに、思わずユウタロウは苦言を呈してしまう。ユウタロウがあまりにも顔を引き攣らせていたので、ティンベルはクスっと笑みを零してしまう。
「人間とはそういうものですよ。人間の良い所は思考できる点ですが、ほとんどの人は常に思考を巡らせ、深く深くまでそれを浸透させている訳ではありません。適当な人も多いですから、何となくで行動してしまうことだって、往々にしてあるのですよ」
「まぁそうだけどよ……」
有無を言わさぬ笑みで言われてしまえば、反論する余地など無く、ユウタロウは歯切れの悪い返答をした。
「さてと、話を戻しましょう。
我がクルシュルージュ家が事件に関わっていると、私が考える大きな理由の二つ目についてです」
大きな理由の一つ目は、先にも言ったように、ティンベルの通信機器がクルシュルージュ家の別邸で抜き取られた可能性があることだ。
「二つ目の理由は、仮面の組織が私とアデル兄様の関係を知っていたという点です」
「「?」」
「あの日、私が攫われたのはアデル兄様に対する脅迫の為です。私を攫えば、アデル兄様は私を救出せざるを得なくなる……その為にレディバグの方々を送るはずですから、そのタイミングを狙ってレディバグの戦力を削る……これが彼らの目的だったのでしょう。
ですが、クルシュルージュ家はアデル兄様――つまり悪魔の愛し子の出生を隠しています。アデル兄様が家にいた頃は、捨てられていた悪魔の愛し子を拾い、使用人として雇っているという嘘を吹聴し、偽善者を演じていましたし」
「そうなのであるか?」
ティンベルの話に疑問を呈したのはアデルで、思わず全員の視線が彼に集まった。
クルシュルージュ家の当主――伯爵が悪魔の愛し子として生まれてきたアデルを殺さず、生かしたまま隷従させていたのは、将来的にその力を私利私欲の為に活用しようと考えていたからだ。だが、そのせいで悪魔の愛し子の出生がバレてしまえば、伯爵家の外聞は悪くなってしまう。
故に、伯爵はアデルが使用人であると嘘をついていたのだ。そうすれば、哀れな悪魔の愛し子を拾った慈悲深い家だと、世間が勝手に勘違いしてくれるから。
だがアデルは、自身がそんな扱いになっていたことを知らなかったらしい。キョトンと目を瞬きさせる彼に、一体どんな声を掛ければよいのかと、彼らは苦悶した。
「……はい。申し訳ありません、アデル兄様。辛いことを……」
「いや。使用人として扱われていたのは本当なのでな、特に気にはしておらぬ。……だが、まさかあの男、領民にまでそんな嘘をついていたとは」
クシャっと顔を歪ませ、陳謝したティンベルに対し、アデルは励ましの言葉を送った。アデルの認識では〝クルシュルージュ家の長男ではあるが、悪魔の愛し子であるせいで迫害を受けている〟だったので、そこに大した違いは無いのだ。
「僕も初めて会った日、君がクルシュルージュ家の人間であることは知っていたけど、まさか長男坊だとは思ってもいなかったさ。ま、君がアデル・クルシュルージュって名乗った時点から、何となく察してたけど」
「師匠……そのようなこと今まで、一度も申しておらなかったでは無いか」
「言う必要あった?」
「……確かに、あまり興味は無いのだ」
「だと思ったさ」
何食わぬ顔で告白したエルに、アデルは不満げな視線を向けるが、すぐに彼女によって説き伏せられてしまった。
そんな二人の様子を苦笑いで眺めていたティンベルは、再び口を開く。
「世間が知り得るのは、クルシュルージュ家にアデルという悪魔の愛し子が、使用人として雇われていたことだけ。私がアデル兄様の実の妹――脅迫材料となりうることを、外部の人間が知ることはできないはずなのです」
「なのに知っててそれを利用した……だからクルシュルージュ家が関わっていると?」
ティンベルの説明で理解できたユウタロウは、確認の為尋ねた。
「えぇ。アデル兄様がクルシュルージュ家の長男であることを知っている何者かが、この情報を仮面の組織に渡した……そう考えるのが自然でしょう」
「まぁ生徒会長が自分家を疑う理由は分かったけどよ……。なら何でクルシュルージュ家は組織に加担したんだ?メリットがあるとは思えねぇんだが」
「……それはまだ分かりません。
今考えられる可能性の一つは、レディバグの長であるアデル兄様を葬り去ることでしょうか。父はアデル兄様の存在を隠そうとしていましたし、実家で利用できないのであれば、生かしておく意味も無いと思っているのでしょう。……ちっ」
自分で言って腹が立ってきたのか、ティンベルは堪え切れなくなってしまい、父に対する鬱憤を舌打ちで発散した。冷静沈着で、普段は落ち着いた言動ばかりのティンベルにはあるまじき行為を前に、アデルたちは目を点にしてしまった。
「ははっ。生徒会長でも舌打ちとかすんだな」
「あっ、し、失礼しました。つい……」
ユウタロウに指摘され、漸く自身の失態を自覚したティンベルは、ハッと口元を隠すと、恥ずかしそうに陳謝した。アデルの前でだけは凛とした姿でいようと心掛けていたティンベルとしては、あってはならない失態だったので、彼女は真面にアデルの方を見ることが出来ない。
そんなティンベルを気遣ってか、ユウタロウは話を変える。
「それにしてもアンタらの父親、今の話だけでも大分クズっぽいな」
「まぁ……そうですね」
「話の腰を折って悪いのだが、その……あ……」
「「?」」
何かを言いかけたアデルであるが、何故かしどろもどろに言い淀んだので、彼らはキョトンと首を傾げてしまう。
「すまぬティンベル。その男の名前は何と言ったか?」
「……お父様のことですか?」
「うむ」
「ルークス・クルシュルージュです」
アデルが実の父を〝あの男〟呼ばわりしたことに虚を突かれつつ、ティンベルは伯爵の名前を答えた。途端、アデルは酷く納得したような表情を晒す。
「あぁ……そんな名前であった」
「はぁ……君は相変わらずだな。父親の名前も覚えていないなんて」
「我の父は師匠なのだ」
「……」
何の迷いもなく断言したアデルを前にし、エルの呆れは一瞬にして吹き飛んでしまう。エルの中に、アデルの思いを嬉しいと感じる気持ちはあった。だが、こうもはっきり、何の憂いも躊躇いもなく言われてしまうと、存外何と返せばいいのか分からなくなるものだ。
「我の母も師匠なのだ」
「僕、無性だったことはあれど、両性になった覚えなんて無いんだけど」
「そもそも最初に親と言い始めたのは師匠であるぞ?」
「そうだったっけ?最近物忘れが酷くてね」
「二才児が何を言っているのだ」
転生する前のエルも、亜人の中ではかなりの若者だったので、物忘れというのは完全に嘘である。
急な口論が始まったので、ティンベルは「えっと……」と困惑の声を漏らした。このままでは、先刻アデルが何を言いかけたのか永遠と分からなくなってしまうので、その困惑は一入である。
それを察したアデルは、改めて口を開いた。
「あぁ。すまぬ……。
――そのルークスが我を殺そうとした可能性は低いと思うのだ」
「?何故ですか?」
「ふむ……あれはいつのことだったか……師匠、覚えているであるか?」
「君が十歳の頃だろ」
あれとしか言っていないというのに、アデルの指している出来事を瞬時に理解したエルは、サラッと答えた。その何てことない会話だけでティンベルたちは、彼らの絆や距離の近さを犇々と感じさせられた。
そんな中、エルがすぐに正確な時期を思い出したことで、アデルは「物忘れ発言は嘘か」と、ほんのちょっとだけ不満を抱いていた。
「あぁ。恐らくそのぐらいであった。……我が十歳の頃、ルークスが師匠に無礼を働いたことがあってな。腹が立ったのでお灸を据えてやったことがあるのだ。その際、奴はかなり怯えておったので、我らに二度と関わらぬよう誓わせたのだ。あれだけ痛い思いをしておいて、また凝りもせず我に手を出すとは、少々考えにくくてな」
「まぁあれ、結構馬鹿だったから完全に否定はできないけど、アデルの言うように可能性はかなり低いよね」
「そうでしたか……」
約十年前の出来事を一緒に思い出したエルが補足するように言うと、ティンベルは納得の声を漏らした。
約十年前、ルークスは突如、アデルとエルの住む家に現れ、アデルを実家へ連れ帰ろうとしたことがある。彼の目的は、アデルの悪魔の愛し子としての力を手中に収めることであったが、アデルが憤慨した理由はそこではない。
彼にとって我慢ならなかったのは、ルークスが無性の亜人であったエルを貶したことである。その為、ルークスが今後一切エルに関わらないよう、釘を刺したという訳である。
「ってか、お前が腹立ててお灸据えるって……伯爵に一体何したんだよ」
「うむ。まず……」
「いや。絶対に聞かない方がいいよ」
その手順を語ろうとしたアデルの声を遮ったのは、事情を知るエルだった。一方、何故エルが自身の説明を阻止しようとしているのか分からないアデルは、キョトンと首を傾げてしまう。
「?聞いても構わぬのだ」
「君はそうだろうね!
……君の妹の情操教育上良くないからやめときな」
「お前マジで何したんだよ」
「……我にしたことを、返しただけなのだ」
「「……」」
ユウタロウに再度尋ねられたアデルが言葉を選んで答えた瞬間、その場に奇妙な沈黙が流れてしまった。そしてそれは、アデルの勘違いが主な原因で起こっている。
ユウタロウたちはティンベルと初めて会った日、アデルが過去父親から虐待されていた事実を聞かされていた。故にアデルの答えだけで、どんなお灸の据え方をしたのか、彼らは何となく察してしまったのだ。
だがアデルの場合、ティンベルは虐待の事実を知らないと思い込んでいるので、先の答えだけで全てを把握することは出来ないと考えている。
因みにティンベルは、アデルと別れたかなり後に、実家の地下から拷問室を見つけ出したことをきっかけに、虐待の事実を知ったのだが、アデルはその事情を知らない。
故に、アデルが何をしたのか大体把握してしまったティンベルたちと、バレていないと思い込んでいるアデルによる、何とも言えない沈黙が流れ、蚊帳の外にいるレディバグ面々は困惑顔を頻りに動かし、双方に視線を送っていた。
「んぅん!!……えぇっと、まぁとにかく。クルシュルージュ家が事件に関わっている可能性はあるけど、その理由までは不明ってことでいいのかな?」
激しい咳払いで無理矢理話の流れを変えたエルは、若干の冷や汗を流しながら尋ねた。
「え、えぇ……。そこで、一つご報告があるのですが……」
「「?」」
「私……近いうちに、本家に帰ろうかと考えています」
「……ゼルド王国に帰るのであるか?」
ティンベルの報告を聞いたアデルは、咄嗟にそう尋ねた。それはアデルの生まれ故郷であり、クルシュルージュ伯爵家本邸のある国でもある。
「えぇ。別邸にいるのは使用人ばかりなので、通信機器を抜き取ったのは、上からの指示という可能性もあります。その指示を下した者が本邸にいるのなら、その者を探り、動機を知る必要があります。なので、少し調査をしようと思っているのです」
「危険ではないか?犯人がいるのであれば、その者はティンベルが攫われることも躊躇わないような人間なのだろう?そんな人間のいる場所に行くなど……」
レディバグの戦力を削る為、人質に相応しい人間――ティンベルとアデルの関係を教えたということは、ティンベルの身にもしものことがあろうと構わないと考えているのと同義。故に、アデルが危惧するのも無理はなかった。
「そんなに心配なら護衛でも付ければいいだろ。……俺のクレハ貸してやるよ」
ガタッ――。
ユウタロウが発言した刹那、二階から妙な物音がし、彼らは一斉に天井を見上げてしまう。思わず全員が困惑でパチクリと目を瞬きさせるが、ユウタロウとチサトの二人だけは、思いきり顔を引き攣らせている。唯一ロクヤだけが、困ったように眉尻を下げつつ、柔らかい笑みを零していた。
「……アイツ……まぁたストーカーかよ」
「その通りです…………まぁ、抜き取った人間がそこまで深く考えていたかは謎ですが。案外、何となく二つ取っただけかもしれませんし」
「お前……ここまで理路整然と頭の痛くなるような話しといてそれは無いだろ」
今までの長い長い解説を全て無に帰すような発言をしたティンベルに、思わずユウタロウは苦言を呈してしまう。ユウタロウがあまりにも顔を引き攣らせていたので、ティンベルはクスっと笑みを零してしまう。
「人間とはそういうものですよ。人間の良い所は思考できる点ですが、ほとんどの人は常に思考を巡らせ、深く深くまでそれを浸透させている訳ではありません。適当な人も多いですから、何となくで行動してしまうことだって、往々にしてあるのですよ」
「まぁそうだけどよ……」
有無を言わさぬ笑みで言われてしまえば、反論する余地など無く、ユウタロウは歯切れの悪い返答をした。
「さてと、話を戻しましょう。
我がクルシュルージュ家が事件に関わっていると、私が考える大きな理由の二つ目についてです」
大きな理由の一つ目は、先にも言ったように、ティンベルの通信機器がクルシュルージュ家の別邸で抜き取られた可能性があることだ。
「二つ目の理由は、仮面の組織が私とアデル兄様の関係を知っていたという点です」
「「?」」
「あの日、私が攫われたのはアデル兄様に対する脅迫の為です。私を攫えば、アデル兄様は私を救出せざるを得なくなる……その為にレディバグの方々を送るはずですから、そのタイミングを狙ってレディバグの戦力を削る……これが彼らの目的だったのでしょう。
ですが、クルシュルージュ家はアデル兄様――つまり悪魔の愛し子の出生を隠しています。アデル兄様が家にいた頃は、捨てられていた悪魔の愛し子を拾い、使用人として雇っているという嘘を吹聴し、偽善者を演じていましたし」
「そうなのであるか?」
ティンベルの話に疑問を呈したのはアデルで、思わず全員の視線が彼に集まった。
クルシュルージュ家の当主――伯爵が悪魔の愛し子として生まれてきたアデルを殺さず、生かしたまま隷従させていたのは、将来的にその力を私利私欲の為に活用しようと考えていたからだ。だが、そのせいで悪魔の愛し子の出生がバレてしまえば、伯爵家の外聞は悪くなってしまう。
故に、伯爵はアデルが使用人であると嘘をついていたのだ。そうすれば、哀れな悪魔の愛し子を拾った慈悲深い家だと、世間が勝手に勘違いしてくれるから。
だがアデルは、自身がそんな扱いになっていたことを知らなかったらしい。キョトンと目を瞬きさせる彼に、一体どんな声を掛ければよいのかと、彼らは苦悶した。
「……はい。申し訳ありません、アデル兄様。辛いことを……」
「いや。使用人として扱われていたのは本当なのでな、特に気にはしておらぬ。……だが、まさかあの男、領民にまでそんな嘘をついていたとは」
クシャっと顔を歪ませ、陳謝したティンベルに対し、アデルは励ましの言葉を送った。アデルの認識では〝クルシュルージュ家の長男ではあるが、悪魔の愛し子であるせいで迫害を受けている〟だったので、そこに大した違いは無いのだ。
「僕も初めて会った日、君がクルシュルージュ家の人間であることは知っていたけど、まさか長男坊だとは思ってもいなかったさ。ま、君がアデル・クルシュルージュって名乗った時点から、何となく察してたけど」
「師匠……そのようなこと今まで、一度も申しておらなかったでは無いか」
「言う必要あった?」
「……確かに、あまり興味は無いのだ」
「だと思ったさ」
何食わぬ顔で告白したエルに、アデルは不満げな視線を向けるが、すぐに彼女によって説き伏せられてしまった。
そんな二人の様子を苦笑いで眺めていたティンベルは、再び口を開く。
「世間が知り得るのは、クルシュルージュ家にアデルという悪魔の愛し子が、使用人として雇われていたことだけ。私がアデル兄様の実の妹――脅迫材料となりうることを、外部の人間が知ることはできないはずなのです」
「なのに知っててそれを利用した……だからクルシュルージュ家が関わっていると?」
ティンベルの説明で理解できたユウタロウは、確認の為尋ねた。
「えぇ。アデル兄様がクルシュルージュ家の長男であることを知っている何者かが、この情報を仮面の組織に渡した……そう考えるのが自然でしょう」
「まぁ生徒会長が自分家を疑う理由は分かったけどよ……。なら何でクルシュルージュ家は組織に加担したんだ?メリットがあるとは思えねぇんだが」
「……それはまだ分かりません。
今考えられる可能性の一つは、レディバグの長であるアデル兄様を葬り去ることでしょうか。父はアデル兄様の存在を隠そうとしていましたし、実家で利用できないのであれば、生かしておく意味も無いと思っているのでしょう。……ちっ」
自分で言って腹が立ってきたのか、ティンベルは堪え切れなくなってしまい、父に対する鬱憤を舌打ちで発散した。冷静沈着で、普段は落ち着いた言動ばかりのティンベルにはあるまじき行為を前に、アデルたちは目を点にしてしまった。
「ははっ。生徒会長でも舌打ちとかすんだな」
「あっ、し、失礼しました。つい……」
ユウタロウに指摘され、漸く自身の失態を自覚したティンベルは、ハッと口元を隠すと、恥ずかしそうに陳謝した。アデルの前でだけは凛とした姿でいようと心掛けていたティンベルとしては、あってはならない失態だったので、彼女は真面にアデルの方を見ることが出来ない。
そんなティンベルを気遣ってか、ユウタロウは話を変える。
「それにしてもアンタらの父親、今の話だけでも大分クズっぽいな」
「まぁ……そうですね」
「話の腰を折って悪いのだが、その……あ……」
「「?」」
何かを言いかけたアデルであるが、何故かしどろもどろに言い淀んだので、彼らはキョトンと首を傾げてしまう。
「すまぬティンベル。その男の名前は何と言ったか?」
「……お父様のことですか?」
「うむ」
「ルークス・クルシュルージュです」
アデルが実の父を〝あの男〟呼ばわりしたことに虚を突かれつつ、ティンベルは伯爵の名前を答えた。途端、アデルは酷く納得したような表情を晒す。
「あぁ……そんな名前であった」
「はぁ……君は相変わらずだな。父親の名前も覚えていないなんて」
「我の父は師匠なのだ」
「……」
何の迷いもなく断言したアデルを前にし、エルの呆れは一瞬にして吹き飛んでしまう。エルの中に、アデルの思いを嬉しいと感じる気持ちはあった。だが、こうもはっきり、何の憂いも躊躇いもなく言われてしまうと、存外何と返せばいいのか分からなくなるものだ。
「我の母も師匠なのだ」
「僕、無性だったことはあれど、両性になった覚えなんて無いんだけど」
「そもそも最初に親と言い始めたのは師匠であるぞ?」
「そうだったっけ?最近物忘れが酷くてね」
「二才児が何を言っているのだ」
転生する前のエルも、亜人の中ではかなりの若者だったので、物忘れというのは完全に嘘である。
急な口論が始まったので、ティンベルは「えっと……」と困惑の声を漏らした。このままでは、先刻アデルが何を言いかけたのか永遠と分からなくなってしまうので、その困惑は一入である。
それを察したアデルは、改めて口を開いた。
「あぁ。すまぬ……。
――そのルークスが我を殺そうとした可能性は低いと思うのだ」
「?何故ですか?」
「ふむ……あれはいつのことだったか……師匠、覚えているであるか?」
「君が十歳の頃だろ」
あれとしか言っていないというのに、アデルの指している出来事を瞬時に理解したエルは、サラッと答えた。その何てことない会話だけでティンベルたちは、彼らの絆や距離の近さを犇々と感じさせられた。
そんな中、エルがすぐに正確な時期を思い出したことで、アデルは「物忘れ発言は嘘か」と、ほんのちょっとだけ不満を抱いていた。
「あぁ。恐らくそのぐらいであった。……我が十歳の頃、ルークスが師匠に無礼を働いたことがあってな。腹が立ったのでお灸を据えてやったことがあるのだ。その際、奴はかなり怯えておったので、我らに二度と関わらぬよう誓わせたのだ。あれだけ痛い思いをしておいて、また凝りもせず我に手を出すとは、少々考えにくくてな」
「まぁあれ、結構馬鹿だったから完全に否定はできないけど、アデルの言うように可能性はかなり低いよね」
「そうでしたか……」
約十年前の出来事を一緒に思い出したエルが補足するように言うと、ティンベルは納得の声を漏らした。
約十年前、ルークスは突如、アデルとエルの住む家に現れ、アデルを実家へ連れ帰ろうとしたことがある。彼の目的は、アデルの悪魔の愛し子としての力を手中に収めることであったが、アデルが憤慨した理由はそこではない。
彼にとって我慢ならなかったのは、ルークスが無性の亜人であったエルを貶したことである。その為、ルークスが今後一切エルに関わらないよう、釘を刺したという訳である。
「ってか、お前が腹立ててお灸据えるって……伯爵に一体何したんだよ」
「うむ。まず……」
「いや。絶対に聞かない方がいいよ」
その手順を語ろうとしたアデルの声を遮ったのは、事情を知るエルだった。一方、何故エルが自身の説明を阻止しようとしているのか分からないアデルは、キョトンと首を傾げてしまう。
「?聞いても構わぬのだ」
「君はそうだろうね!
……君の妹の情操教育上良くないからやめときな」
「お前マジで何したんだよ」
「……我にしたことを、返しただけなのだ」
「「……」」
ユウタロウに再度尋ねられたアデルが言葉を選んで答えた瞬間、その場に奇妙な沈黙が流れてしまった。そしてそれは、アデルの勘違いが主な原因で起こっている。
ユウタロウたちはティンベルと初めて会った日、アデルが過去父親から虐待されていた事実を聞かされていた。故にアデルの答えだけで、どんなお灸の据え方をしたのか、彼らは何となく察してしまったのだ。
だがアデルの場合、ティンベルは虐待の事実を知らないと思い込んでいるので、先の答えだけで全てを把握することは出来ないと考えている。
因みにティンベルは、アデルと別れたかなり後に、実家の地下から拷問室を見つけ出したことをきっかけに、虐待の事実を知ったのだが、アデルはその事情を知らない。
故に、アデルが何をしたのか大体把握してしまったティンベルたちと、バレていないと思い込んでいるアデルによる、何とも言えない沈黙が流れ、蚊帳の外にいるレディバグ面々は困惑顔を頻りに動かし、双方に視線を送っていた。
「んぅん!!……えぇっと、まぁとにかく。クルシュルージュ家が事件に関わっている可能性はあるけど、その理由までは不明ってことでいいのかな?」
激しい咳払いで無理矢理話の流れを変えたエルは、若干の冷や汗を流しながら尋ねた。
「え、えぇ……。そこで、一つご報告があるのですが……」
「「?」」
「私……近いうちに、本家に帰ろうかと考えています」
「……ゼルド王国に帰るのであるか?」
ティンベルの報告を聞いたアデルは、咄嗟にそう尋ねた。それはアデルの生まれ故郷であり、クルシュルージュ伯爵家本邸のある国でもある。
「えぇ。別邸にいるのは使用人ばかりなので、通信機器を抜き取ったのは、上からの指示という可能性もあります。その指示を下した者が本邸にいるのなら、その者を探り、動機を知る必要があります。なので、少し調査をしようと思っているのです」
「危険ではないか?犯人がいるのであれば、その者はティンベルが攫われることも躊躇わないような人間なのだろう?そんな人間のいる場所に行くなど……」
レディバグの戦力を削る為、人質に相応しい人間――ティンベルとアデルの関係を教えたということは、ティンベルの身にもしものことがあろうと構わないと考えているのと同義。故に、アデルが危惧するのも無理はなかった。
「そんなに心配なら護衛でも付ければいいだろ。……俺のクレハ貸してやるよ」
ガタッ――。
ユウタロウが発言した刹那、二階から妙な物音がし、彼らは一斉に天井を見上げてしまう。思わず全員が困惑でパチクリと目を瞬きさせるが、ユウタロウとチサトの二人だけは、思いきり顔を引き攣らせている。唯一ロクヤだけが、困ったように眉尻を下げつつ、柔らかい笑みを零していた。
「……アイツ……まぁたストーカーかよ」
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