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第一章 学園編
36.彼女の知らないアデル・クルシュルージュ2
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特別な拘束具に囚われたまま、ガクッと項垂れたアデルを怪訝に見下ろす偽理事長は、ある変化を感じ、ぴくっと眉を動かす。
変化とは、アデル――ルルの身体から発せられる空気が、別人のものに感じられたことである。先刻まで、身震いする程精悍なオーラを放っていたというのに、再び生気を感じたかと思うと、冷たい人形のような雰囲気に変貌していたのだ。
(一体、何が起きた?)
ふと顔を上げると、ルルの瞼が徐に開かれ、抹茶色の瞳が露わになる。どこか機械めいたその瞳に、先刻までとはまた違った冷たさを感じ、偽理事長は眉を顰めた。
一方のルルは、ジッと彼を見上げたものの、すぐに興味を失くした様に辺りをぐるっと見回し始めた。
「……お前、何者だ?アデル・クルシュルージュはどこに行った」
偽理事長は直感的に理解した。今目の前にいる存在が、アデル・クルシュルージュでは無いということを。思わず、ドスの利いた声で彼は尋ねてしまう。
途端、目の前のルルは信じられない程目を泳がせ、その声を震わせ始めた。
「…………な、ナニヲイッテイルノカ、ヨク……分からないの、ダ」
あまりにも片言な上、アデルの真似が下手すぎるせいで、思わず彼は茫然自失としてしまう。声は同じだが、口調も話し方も態度も。何もかもがアデルとは違い、必死に誤魔化そうとした彼女の努力は水の泡となってしまった。
「下手な芝居はよせ」
「……冗談なの。ヒメはヒメ。……ヒメは、マスターの物なの」
「っ……どういうことだ。何故レディバグの構成員がその身体に入っている?」
偽理事長も当然、ヒメの名前を知っている為、現在交戦中のはずの彼女が、この場にいるという事実だけで彼は当惑した。その上、中身だけが別人になるなど、見たことも聞いたことも無い現象で、理解の範疇を超える事態に彼は目を回した。
尋ねられたヒメは、一切表情を変えることなく、キョトンと首を傾げる。
「色々、勘違いをしているの」
「なに?」
「さっきも言ったの。ヒメは、マスターの物なの。ヒメはマスターの物で、ヒメはマスターで、マスターはヒメなの」
「……何を言っている、お前」
要領を得ないヒメの説明に、偽理事長は顔を顰めつつ彼女を睨み据えた。偽理事長の求めるものは、この理解不能な状況を把握できるだけの情報だが、ヒメは真面に取り合うつもりがないのか、鋭い眼光にも怯むことなくケロッとしている。
「ヒメのことがそんなに気になるの?随分と余裕なの。……仮面の子たち、負けちゃうのに」
「何だと?」
聞き捨てならない台詞に、彼の睨みが更に強まった。仲間の勝利を確信している彼にとって、つい先刻までその仲間と戦っていた彼女の意見は、とても強がりと聞き流せるものでは無かった。
まるで、それが摂理であるかのように。当たり前の様に言ってのけたヒメに、偽理事長は尋ね返した。
「まだ分からないの?ヒメがここにいるんだから……マスターの方は、さっきまでヒメがいた場所にいるに決まっているの」
「っ!」
コテンと首を傾けながらヒメが言った途端、彼の目が衝撃で見開かれる。同時に、先の発言の意味を漸く彼は理解した。
理解した以上、こんな所で尋問し続ける訳にもいかず、偽理事長は酷く焦った様子でその場を後にした。
バタンっと、勢いよく閉められた扉に向けて、ヒメは酷く冷めた一瞥をくれる。
「行っちゃった……馬鹿な人なの。どうせ行ったところで、リオ様や勇者様より弱い人が、マスターに勝てるわけないのに……」
ボソッと呟くヒメの声が、冷たい空気に溶けていく。一人取り残されたヒメは、特にすることも無かった為、静かに瞼を閉じ、休息を取り始めるのだった。
********
一方その頃。ティンベルたちの治療を終えたアデルは、跪いたまま動けずにいる五人を見下ろしていた。
対する彼らは、一体何をされてしまうのかという恐怖で、声も出せないまま小刻みに震えている。
無機質な瞳で見下ろすまま、発する声にジルを乗せて、アデルは言い放った。
『――眠れ』
「「っ……」」
言い放った刹那、五人は催眠術にかかったかのように意識を手放し、その場に倒れこんでしまった。操り人形の糸で操られているかのように、一瞬の内に眠り、一向に起きる気配の無い彼らを目の当たりにしたティンベルは、衝撃で目を見開いた。
そしてそのまま、困惑の視線をアデルに移す。
「アデル兄様……」
「ん?」
「先程も思っていたのですが、その力は一体……」
命ずるだけで力を振るうことの出来る術。命じれば命じた通りの現象が起こる力など、ティンベルは見たことも聞いたことも無い。当に人知を超えた力を前に、ティンベルは疑問を呈した。
「あぁ……これは我の仲間が得意とする術なのだが、少々行使するのが難しいのでな。広まっていないのは当然であろう。特殊で便利な術ではあるが、ティンベルのように頭の良い者には効かないのだ」
「……?……っ!洗脳のようなものでしょうか?」
アデルの発言を反芻し、思考したティンベルは一つの結論に辿り着き、ハッと顔を上げた。
頭のいい者には効かないということは、ティンベルのような脳の能力者には効かないと言い換えることもできる。脳に対するジルの許容量の多い、脳の能力者は頭脳明晰なだけでなく、物理的な脳の強度が他の人間と一線を画している。
そして、あの脳に響くような、ジルを感じる特徴的な声を踏まえて考えた結果、ティンベルは洗脳という結論に行きついたのだ。
「流石はティンベル。よく分かったな。……やはり聡い子なのだ」
「い、いえっ……」
アデルはニッコリと破顔すると、ティンベルの頭を優しく撫でた。思わずティンベルは頬を朱に染め、俯いてしまう。
ティンベルがモジモジと身体をよじらせていたその時――。
途轍もない殺気を感じ、アデルたちは目を見開いた。即座に殺気の感じる方向を振り向くと、彼らの見知った人物がそこにはいた。
――ナオヤ・コモリ。妹を仮面の組織に殺され、悪魔とその愛し子に恨みを持つ、学園の副生徒会長である。
アデルたちを睨むその瞳は、憎悪と殺気に塗れていて、仮面に描かれた赤い瞳のようだった。
「……何故、お主がここにいるのだ?」
ナオヤとは対照的に、冷静な眼差しを向けつつアデルは尋ねた。
「っ、決まっているだろう……悪魔の愛し子の指揮するレディバグは、この世界を汚染するクズの集まりだ……ユヅキを殺した悪魔の愛し子は、兄である私が必ず地獄に落とすっ……貴様らレディバグもな」
「冷静になりなさい、副生徒会長」
ピシャリと、凍てつくようなティンベルの声が降り注がれる。
普段の丁寧な口調では無く、粗暴な話し方をしていることから、ナオヤが冷静で無いことは明らかであった。自らを戒めるような彼女の声を辿り、ナオヤは鋭い睨みを向ける。
「この状況が見えていないのですか?あなたの妹さん、ユヅキさんも被害者の一人である通り魔事件を起こしているのは、仮面を被った連中です。悪魔の愛し子が関わっていることは否定しませんが、実行犯である仮面の連中は、今ここに倒れているではありませんか。レディバグの皆様が……そして、長である悪魔の愛し子が倒してくれたからです。そんなレディバグの彼らが、通り魔事件に関わっているわけが無いでしょう?」
「っ……黙れっ!悪魔というだけでっ、悪魔に力を分け与えられた愛し子というだけでっ、クズ共は既に罪を犯しているんだっ!悪魔や愛し子は、生まれること自体が間違っているんだっ!ユヅキを殺したのはっ、悪魔の愛し子だ……別人だったとしても、悪魔の愛し子は皆悪だっ!私が絶対に、殺すっ……」
聞くに堪えないナオヤの主張を前に、ティンベルは絶句してしまう。怒りのあまり、握られた拳も、唇も、瞼でさえも、わなわなと震えていた。感情のままにぶちまけてしまいたいのを、必死に抑え込んでいるのが犇々と伝わってくる。
途轍もない憤りで涙を滲ませると、ティンベルは震える口を開いた。
「ふざけないでください……悪魔や、悪魔の愛し子が……生まれた時点で絶対悪だなんて……そんなこと、あるわけ無いじゃないですか。
赤子は、何もできません。何も選べません。親も、産まれる土地も、髪の色も、瞳の色も、生まれ持った才もっ……誰一人として、抗うことなど出来はしないんです。
悪魔の愛し子も同じです。悪魔の愛し子として生まれたかったわけじゃない。生まれたら、偶々悪魔の愛し子だっただけです。何も悪いことなんてしていないのに、蔑まれて、迫害されてっ、怯えられて……」
「……それはっ、悪魔の恐ろしい力を持っているのだから当然のっ」
涙声で、嘆くように零したティンベルを目の当たりにし、ナオヤは僅かに罪悪感を覚えた。だが、妹の為にも自身の意志を曲げることなど出来ず、咄嗟に反論しようとした。
だが、ナオヤの言葉が最後まで紡がれることは無かった。先刻まで取り乱していたとは思えない程、穏やか且つ神妙な眼差しで、ティンベルがナオヤを見つめていたから。
「……あなたは、妹のユヅキさんが悪魔の愛し子に生まれたとしても、同じことが言えるのですか?」
「っ……!」
刹那、ナオヤの顔がかぁっと熱くなり、ティンベルを睨む瞳孔にぐちゃぐちゃの殺意が込められる。
愛する妹と、嫌悪する悪魔の愛し子を並べられたことに対する怒り。そして、哀れな愚者を見下ろすような瞳で、穏やかに尋ねてきたティンベルに対する苛立ち。にも拘らず、一切の反論が思いつかなかった自分自身への失望で、ナオヤの頭は真っ白になる。まるで、感情の波――爆弾によって、全てがかき消されてしまったかのように。
「ティンベル」
「っ」
咎めるようなアデルの重い声によって、ナオヤはハッと正気を取り戻し、ティンベルはほんの少し唇を噛みしめた。
「よい。少し、心を落ち着かせるのだ」
「……はい」
アデルはティンベルの頭にポンと手を乗せると、彼女の怒りを鎮めるように言った。ティンベルが自分の為に怒ってくれたことを理解しているからこそ、そのせいで彼女が恨みを買うことは避けたかったのだ。
渋々といった感じでティンベルが頷いたのを確認すると、アデルはナオヤの方に向き直る。思わず、ナオヤは警戒心を露わにした。
「我らを殺したいと言っていたな」
「っ」
「今はこんな姿ではあるが……我は、悪魔の愛し子である」
「っ!?」
アデルの告白に、ナオヤは衝撃で目を見開く。
悪魔の愛し子は例外なく、黒髪に赤い瞳を持って生まれてくる。それを知っているからこそ、茶髪にエメラルドの瞳をしたヒメの外見と、悪魔の愛し子が結びつかず、ナオヤは困惑を露わにした。
姿を偽っているのか、はたまた別の理由からか。そんなことを考える余裕はナオヤには無かった。分かっているのは、ただ一つ。
目の前に、憎くて憎くて仕方の無い、悪魔の愛し子がいるという事実だけ。
「殺したいのならかかってくるとよい……我が、全力で相手をしよう」
「っ……」
毅然としたその態度を前に、ナオヤは悔し気に歯噛みする。
全てを見透かされているような。自分一人が殺意を向けたところで、損にも得にもならないと言われているようで、何とも言えない屈辱感が彼を襲った。悔しくてたまらないというのに、ナオヤに残された選択肢など一つしか無かった。
意を決するように固唾をのむと、ナオヤはキッとアデルを睨み据え、昂る感情のまま駆け出した。
「うあああああああああああっっ!!」
『止まれ』
「っ……!」
アデルがそう命じた瞬間、ナオヤの身体はピタッと停止し、それ以上進むことは無かった。最初から分かっていたことではあるが、まさかこんなにも成す術なく身体の自由を奪われるとは思ってもおらず、ナオヤは動揺を隠しきれていない。
そして答えを求めるように、絶望に染まった眼差しをアデルに向けた。
「な、何をしたっ……」
「これで分かったであろう?お主に我を殺すことは出来ぬ」
「っ、何が言いたい……私の復讐など、何の意味も成さないと……下らないとでもっ?
お前に私の気持ちなど、分からないだろうな……。たった一人のっ、大事な妹を……私が苦しい時、誰よりも傍で励ましてくれた、心優しい妹をっ……ある日突然、理不尽にっ、殺された私の怒りが、どれほど深いかなどっ……」
穢れなき、純粋で、あまりにも深い、行き場の無い怒りであった。憎悪であった。
その怒りを、復讐心を爆発させているナオヤは、堪え切れなくなったように悔し涙を浮かべた。動けないはずなのに、ナオヤのいる空間だけが地響きを立てているようで、今にもナオヤが一歩を踏み出しそうな勢いである。
その気迫に、感情の波を前に、ティンベルは目を奪われる。ティンベルの目に映るのは、妹を思う兄の姿でしかなく、それ以上でもそれ以下でも無かった。
(そうか……。この人も、本質的な所はアデル兄様と同じ……。
ただ、妹のことを大事に思っていただけの、ただ一人の兄でしか無いのでしょうね)
もし、兄であるアデルが理不尽に殺されたら――。そんなこと、ティンベルにとっては、想像するのもおぞましい仮定だ。同時に、それが現実に起きてしまったナオヤの気持ちになると、ティンベルは胸が締め付けられ、彼から目を離すことが出来なくなってしまう。
変化とは、アデル――ルルの身体から発せられる空気が、別人のものに感じられたことである。先刻まで、身震いする程精悍なオーラを放っていたというのに、再び生気を感じたかと思うと、冷たい人形のような雰囲気に変貌していたのだ。
(一体、何が起きた?)
ふと顔を上げると、ルルの瞼が徐に開かれ、抹茶色の瞳が露わになる。どこか機械めいたその瞳に、先刻までとはまた違った冷たさを感じ、偽理事長は眉を顰めた。
一方のルルは、ジッと彼を見上げたものの、すぐに興味を失くした様に辺りをぐるっと見回し始めた。
「……お前、何者だ?アデル・クルシュルージュはどこに行った」
偽理事長は直感的に理解した。今目の前にいる存在が、アデル・クルシュルージュでは無いということを。思わず、ドスの利いた声で彼は尋ねてしまう。
途端、目の前のルルは信じられない程目を泳がせ、その声を震わせ始めた。
「…………な、ナニヲイッテイルノカ、ヨク……分からないの、ダ」
あまりにも片言な上、アデルの真似が下手すぎるせいで、思わず彼は茫然自失としてしまう。声は同じだが、口調も話し方も態度も。何もかもがアデルとは違い、必死に誤魔化そうとした彼女の努力は水の泡となってしまった。
「下手な芝居はよせ」
「……冗談なの。ヒメはヒメ。……ヒメは、マスターの物なの」
「っ……どういうことだ。何故レディバグの構成員がその身体に入っている?」
偽理事長も当然、ヒメの名前を知っている為、現在交戦中のはずの彼女が、この場にいるという事実だけで彼は当惑した。その上、中身だけが別人になるなど、見たことも聞いたことも無い現象で、理解の範疇を超える事態に彼は目を回した。
尋ねられたヒメは、一切表情を変えることなく、キョトンと首を傾げる。
「色々、勘違いをしているの」
「なに?」
「さっきも言ったの。ヒメは、マスターの物なの。ヒメはマスターの物で、ヒメはマスターで、マスターはヒメなの」
「……何を言っている、お前」
要領を得ないヒメの説明に、偽理事長は顔を顰めつつ彼女を睨み据えた。偽理事長の求めるものは、この理解不能な状況を把握できるだけの情報だが、ヒメは真面に取り合うつもりがないのか、鋭い眼光にも怯むことなくケロッとしている。
「ヒメのことがそんなに気になるの?随分と余裕なの。……仮面の子たち、負けちゃうのに」
「何だと?」
聞き捨てならない台詞に、彼の睨みが更に強まった。仲間の勝利を確信している彼にとって、つい先刻までその仲間と戦っていた彼女の意見は、とても強がりと聞き流せるものでは無かった。
まるで、それが摂理であるかのように。当たり前の様に言ってのけたヒメに、偽理事長は尋ね返した。
「まだ分からないの?ヒメがここにいるんだから……マスターの方は、さっきまでヒメがいた場所にいるに決まっているの」
「っ!」
コテンと首を傾けながらヒメが言った途端、彼の目が衝撃で見開かれる。同時に、先の発言の意味を漸く彼は理解した。
理解した以上、こんな所で尋問し続ける訳にもいかず、偽理事長は酷く焦った様子でその場を後にした。
バタンっと、勢いよく閉められた扉に向けて、ヒメは酷く冷めた一瞥をくれる。
「行っちゃった……馬鹿な人なの。どうせ行ったところで、リオ様や勇者様より弱い人が、マスターに勝てるわけないのに……」
ボソッと呟くヒメの声が、冷たい空気に溶けていく。一人取り残されたヒメは、特にすることも無かった為、静かに瞼を閉じ、休息を取り始めるのだった。
********
一方その頃。ティンベルたちの治療を終えたアデルは、跪いたまま動けずにいる五人を見下ろしていた。
対する彼らは、一体何をされてしまうのかという恐怖で、声も出せないまま小刻みに震えている。
無機質な瞳で見下ろすまま、発する声にジルを乗せて、アデルは言い放った。
『――眠れ』
「「っ……」」
言い放った刹那、五人は催眠術にかかったかのように意識を手放し、その場に倒れこんでしまった。操り人形の糸で操られているかのように、一瞬の内に眠り、一向に起きる気配の無い彼らを目の当たりにしたティンベルは、衝撃で目を見開いた。
そしてそのまま、困惑の視線をアデルに移す。
「アデル兄様……」
「ん?」
「先程も思っていたのですが、その力は一体……」
命ずるだけで力を振るうことの出来る術。命じれば命じた通りの現象が起こる力など、ティンベルは見たことも聞いたことも無い。当に人知を超えた力を前に、ティンベルは疑問を呈した。
「あぁ……これは我の仲間が得意とする術なのだが、少々行使するのが難しいのでな。広まっていないのは当然であろう。特殊で便利な術ではあるが、ティンベルのように頭の良い者には効かないのだ」
「……?……っ!洗脳のようなものでしょうか?」
アデルの発言を反芻し、思考したティンベルは一つの結論に辿り着き、ハッと顔を上げた。
頭のいい者には効かないということは、ティンベルのような脳の能力者には効かないと言い換えることもできる。脳に対するジルの許容量の多い、脳の能力者は頭脳明晰なだけでなく、物理的な脳の強度が他の人間と一線を画している。
そして、あの脳に響くような、ジルを感じる特徴的な声を踏まえて考えた結果、ティンベルは洗脳という結論に行きついたのだ。
「流石はティンベル。よく分かったな。……やはり聡い子なのだ」
「い、いえっ……」
アデルはニッコリと破顔すると、ティンベルの頭を優しく撫でた。思わずティンベルは頬を朱に染め、俯いてしまう。
ティンベルがモジモジと身体をよじらせていたその時――。
途轍もない殺気を感じ、アデルたちは目を見開いた。即座に殺気の感じる方向を振り向くと、彼らの見知った人物がそこにはいた。
――ナオヤ・コモリ。妹を仮面の組織に殺され、悪魔とその愛し子に恨みを持つ、学園の副生徒会長である。
アデルたちを睨むその瞳は、憎悪と殺気に塗れていて、仮面に描かれた赤い瞳のようだった。
「……何故、お主がここにいるのだ?」
ナオヤとは対照的に、冷静な眼差しを向けつつアデルは尋ねた。
「っ、決まっているだろう……悪魔の愛し子の指揮するレディバグは、この世界を汚染するクズの集まりだ……ユヅキを殺した悪魔の愛し子は、兄である私が必ず地獄に落とすっ……貴様らレディバグもな」
「冷静になりなさい、副生徒会長」
ピシャリと、凍てつくようなティンベルの声が降り注がれる。
普段の丁寧な口調では無く、粗暴な話し方をしていることから、ナオヤが冷静で無いことは明らかであった。自らを戒めるような彼女の声を辿り、ナオヤは鋭い睨みを向ける。
「この状況が見えていないのですか?あなたの妹さん、ユヅキさんも被害者の一人である通り魔事件を起こしているのは、仮面を被った連中です。悪魔の愛し子が関わっていることは否定しませんが、実行犯である仮面の連中は、今ここに倒れているではありませんか。レディバグの皆様が……そして、長である悪魔の愛し子が倒してくれたからです。そんなレディバグの彼らが、通り魔事件に関わっているわけが無いでしょう?」
「っ……黙れっ!悪魔というだけでっ、悪魔に力を分け与えられた愛し子というだけでっ、クズ共は既に罪を犯しているんだっ!悪魔や愛し子は、生まれること自体が間違っているんだっ!ユヅキを殺したのはっ、悪魔の愛し子だ……別人だったとしても、悪魔の愛し子は皆悪だっ!私が絶対に、殺すっ……」
聞くに堪えないナオヤの主張を前に、ティンベルは絶句してしまう。怒りのあまり、握られた拳も、唇も、瞼でさえも、わなわなと震えていた。感情のままにぶちまけてしまいたいのを、必死に抑え込んでいるのが犇々と伝わってくる。
途轍もない憤りで涙を滲ませると、ティンベルは震える口を開いた。
「ふざけないでください……悪魔や、悪魔の愛し子が……生まれた時点で絶対悪だなんて……そんなこと、あるわけ無いじゃないですか。
赤子は、何もできません。何も選べません。親も、産まれる土地も、髪の色も、瞳の色も、生まれ持った才もっ……誰一人として、抗うことなど出来はしないんです。
悪魔の愛し子も同じです。悪魔の愛し子として生まれたかったわけじゃない。生まれたら、偶々悪魔の愛し子だっただけです。何も悪いことなんてしていないのに、蔑まれて、迫害されてっ、怯えられて……」
「……それはっ、悪魔の恐ろしい力を持っているのだから当然のっ」
涙声で、嘆くように零したティンベルを目の当たりにし、ナオヤは僅かに罪悪感を覚えた。だが、妹の為にも自身の意志を曲げることなど出来ず、咄嗟に反論しようとした。
だが、ナオヤの言葉が最後まで紡がれることは無かった。先刻まで取り乱していたとは思えない程、穏やか且つ神妙な眼差しで、ティンベルがナオヤを見つめていたから。
「……あなたは、妹のユヅキさんが悪魔の愛し子に生まれたとしても、同じことが言えるのですか?」
「っ……!」
刹那、ナオヤの顔がかぁっと熱くなり、ティンベルを睨む瞳孔にぐちゃぐちゃの殺意が込められる。
愛する妹と、嫌悪する悪魔の愛し子を並べられたことに対する怒り。そして、哀れな愚者を見下ろすような瞳で、穏やかに尋ねてきたティンベルに対する苛立ち。にも拘らず、一切の反論が思いつかなかった自分自身への失望で、ナオヤの頭は真っ白になる。まるで、感情の波――爆弾によって、全てがかき消されてしまったかのように。
「ティンベル」
「っ」
咎めるようなアデルの重い声によって、ナオヤはハッと正気を取り戻し、ティンベルはほんの少し唇を噛みしめた。
「よい。少し、心を落ち着かせるのだ」
「……はい」
アデルはティンベルの頭にポンと手を乗せると、彼女の怒りを鎮めるように言った。ティンベルが自分の為に怒ってくれたことを理解しているからこそ、そのせいで彼女が恨みを買うことは避けたかったのだ。
渋々といった感じでティンベルが頷いたのを確認すると、アデルはナオヤの方に向き直る。思わず、ナオヤは警戒心を露わにした。
「我らを殺したいと言っていたな」
「っ」
「今はこんな姿ではあるが……我は、悪魔の愛し子である」
「っ!?」
アデルの告白に、ナオヤは衝撃で目を見開く。
悪魔の愛し子は例外なく、黒髪に赤い瞳を持って生まれてくる。それを知っているからこそ、茶髪にエメラルドの瞳をしたヒメの外見と、悪魔の愛し子が結びつかず、ナオヤは困惑を露わにした。
姿を偽っているのか、はたまた別の理由からか。そんなことを考える余裕はナオヤには無かった。分かっているのは、ただ一つ。
目の前に、憎くて憎くて仕方の無い、悪魔の愛し子がいるという事実だけ。
「殺したいのならかかってくるとよい……我が、全力で相手をしよう」
「っ……」
毅然としたその態度を前に、ナオヤは悔し気に歯噛みする。
全てを見透かされているような。自分一人が殺意を向けたところで、損にも得にもならないと言われているようで、何とも言えない屈辱感が彼を襲った。悔しくてたまらないというのに、ナオヤに残された選択肢など一つしか無かった。
意を決するように固唾をのむと、ナオヤはキッとアデルを睨み据え、昂る感情のまま駆け出した。
「うあああああああああああっっ!!」
『止まれ』
「っ……!」
アデルがそう命じた瞬間、ナオヤの身体はピタッと停止し、それ以上進むことは無かった。最初から分かっていたことではあるが、まさかこんなにも成す術なく身体の自由を奪われるとは思ってもおらず、ナオヤは動揺を隠しきれていない。
そして答えを求めるように、絶望に染まった眼差しをアデルに向けた。
「な、何をしたっ……」
「これで分かったであろう?お主に我を殺すことは出来ぬ」
「っ、何が言いたい……私の復讐など、何の意味も成さないと……下らないとでもっ?
お前に私の気持ちなど、分からないだろうな……。たった一人のっ、大事な妹を……私が苦しい時、誰よりも傍で励ましてくれた、心優しい妹をっ……ある日突然、理不尽にっ、殺された私の怒りが、どれほど深いかなどっ……」
穢れなき、純粋で、あまりにも深い、行き場の無い怒りであった。憎悪であった。
その怒りを、復讐心を爆発させているナオヤは、堪え切れなくなったように悔し涙を浮かべた。動けないはずなのに、ナオヤのいる空間だけが地響きを立てているようで、今にもナオヤが一歩を踏み出しそうな勢いである。
その気迫に、感情の波を前に、ティンベルは目を奪われる。ティンベルの目に映るのは、妹を思う兄の姿でしかなく、それ以上でもそれ以下でも無かった。
(そうか……。この人も、本質的な所はアデル兄様と同じ……。
ただ、妹のことを大事に思っていただけの、ただ一人の兄でしか無いのでしょうね)
もし、兄であるアデルが理不尽に殺されたら――。そんなこと、ティンベルにとっては、想像するのもおぞましい仮定だ。同時に、それが現実に起きてしまったナオヤの気持ちになると、ティンベルは胸が締め付けられ、彼から目を離すことが出来なくなってしまう。
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そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
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