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しおりを挟むあまりに低いその声。
腹の底から響き渡るような声に、セレスティナは顔を上げた。
ああ、と思う。
背を向けていても、ひと目で分かる。鮮やかな赤髪を揺らし、ラルフレットに相対している男性。
――リカルド。
あまりに震えすぎて、その呼びかけが声になったのかどうかもあやふやだ。
ただ、ラルフレットが荷台の壁にめり込む音と、カランカランと焼き印が転がる音が聞こえてきた。
荷馬車は、まるで大きな刃物で断ち切ったかのように、真っ二つに裂かれている。
荷台の底が地面に落ち、切断された車輪はカラカラとその場で空回りをしているだけ。
ハーネスを断ちきられているのか、馬が一目散に逃げていく。ぼんやりとした中、御者の悲鳴が上がると同時に、足音が遠のいていくのもわかった。
外は薄暗かった。
雲間から光が差し込み、それがリカルドの赤い髪を照らす。
まるで絵画のように美しいその後ろ姿に、セレスティナはうっとりと見とれてしまった。
「――ティナ」
名前を呼ばれるも、ただただ呆けるだけ。
頭はまともに動かない。ただ、大好きなあの人が助けに来てくれて、それが震えるほどに格好よくて、身体の芯まで全部リカルドでいっぱいになったような心地だ。
彼が手を差し出してくれたから、セレスティナも身体を起こそうとするも、彼はすぐに横からの殺気に反応する。
一瞬にして身体を反転。
黒い魔導衣を着た男――つまり、ユァンだ。一度リカルドに吹き飛ばされていたらしい彼が、体勢を整えてこちらに向かってくる。
ぶわりと視界が遮られた。
霧か何かの魔法らしいが、リカルドにそのような小細工は通じない。
風を召喚し、あっという間に吹き飛ばす。微かに残った甘い香りで、ユァンが再びこちらを眠りに誘おうとしていたことを知った。
あっという間にその姿を晒すことになったユァンも、さすがにマズイと思ったのか懐から魔石を取り出す。
先ほどかざしていたセレスティナの魔力が込められたものだ。
それを使用し、再び視界を封じようとするも、リカルドの方が早かった。
「――その魔石は、ティナのものだ」
パンッ! と相手の手首を蹴り上げ、弾かれた魔石をキャッチする。かと思えばそのまま宙で一転、くるりと体勢を入れ替えるかと思いきや、そのままの勢いでユァンの身体を蹴り飛ばす。
ユァンは何ひとつできず、ただただ馬車の外へと吹き飛ばされた。
かと思えば、遠くの地面が一気に隆起し、壁となったそこにぶち当たる。
たった一撃で、もはや意識は失っていたようだが、念には念を。
くいっとリカルドが軽く手を上げると、地面からいくつもの岩が浮き上がる。それらが鋼鉄のように強化され、壁にぶち当たったままのユァンを追撃した。
釘を打つかのようにユァンの服を貫通させ、壁に彼を磔にする。
「ティナの前だ。命拾いしたことに感謝するんだな」
そう冷たく言い放ち、今度はラルフレットを一瞥する。
しかしすぐに興味を失ったのか、次の瞬間にはセレスティナに向きなおり、目の前で膝を折った。
「ティナ」
彼の声は暗い。
プツン、プツン、と手足を縛っていた縄を断ちきり、次に魔封じの腕輪に手をかける。いとも簡単にそれを粉砕するも、彼の表情は沈んだまま。
静かに腕を伸ばし、強く、強く抱きしめてくれる。
リカルドの身体は震えていた。
いつもだ。いつもセレスティナは、彼を震えさせてばかり。
だからそれを宥めるように、彼のことを抱きしめ返すも、後からセレスティナ自身にも震えがやって来た。
互いの存在を確かめ合うように抱き合っていると、リカルドの背後から音が聞こえる。
ギシ、ギシ、とボロボロの床が軋み、誰かが何かを拾った。ゆらりと身体を揺らしながら、その誰かがこちらに近付いてくる。
「このお! 死ねえ!!」
大きく腕を振り上げ、全力でその何かを振りおろすも、パンッ! と何かに弾き飛ばされのけ反った。
ラルフレットだ。
全身ボロボロになりながらも、先ほど転がっていた焼き印を武器に、報復しようとしたらしい。
「邪魔だ。黙れ」
しかし、リカルドの結界に阻まれてしまっては、身動きが取れない。
その場に崩れ落ちたまま、恐怖で顔を引きつらせている。
「ティナ」
リカルドの意識はすぐにこちらに戻っていた。呼びかけに応えるように顔を上げると、すぐに彼のキスが降ってくる。
カラカラに乾いた唇。かさついた肌が引っかかり、少しだけ痛い。
でも、今はどうでもいい。早く彼の熱がほしくて、セレスティナも必死で彼を求めた。
何度も何度も唇を重ねながら、それはどんどん深くなっていく。
「迎えに来るのが遅くなった」
「ううん。――来てくれるって、信じてたわ」
「ん」
名残惜しそうにキスをするも、彼の心は晴れない様子だ。むき出しになったセレスティナの肌。ナイフでビリビリに引き裂かれたドレスを見るなり、くしゃりと目を細める。
苦しそうに唇を噛むのが痛々しくて、セレスティナはそっと、その細い指で彼の唇をなぞった。
「大丈夫。何もされてないわ」
「何もされてないはずがないだろう」
リカルドは己のコートをさっと脱ぎ、セレスティナをぐるぐる巻きにする。
これでは彼を抱きしめ返せないとわずかに笑みを漏らし、セレスティナは改めて袖を通した。
「ふふ、リカルドの匂いがする」
そう言ってコートの匂いを嗅いだところで、ようやくリカルドの表情が緩んだ。
まさか匂いを嗅がれるとは思っていなかったらしく、どう反応していいのかわからないらしい。
「これで安心ね。助けに来てくれてありがとう、リカルド」
セレスティナの方から彼にキスを贈ると、リカルドは相変わらず言葉に詰まったまま、いや……と溢した。
「やはり、あんな茶番には出なければよかった。あなたの気配が消えたにもかかわらず、俺は――」
全然納得できていないのだろう。
でも、仕方がない。会場は完全に霧で覆われ、舞台と客席は切り離されていた。
セレスティナの身に何が起こったかなんて、戦いながらでは見えなかっただろう。
「大丈夫よ。大丈夫――」
彼を安心させるように何度もぽんぽんと背中を叩くと、背後にいたラルフレットがまたもゆらりと立ち上がる。目を真っ赤にして、もう一度転がった焼き印に手を伸ばした。
「私を、無視するな……!!」
無我夢中で、リカルドの背中に向かって焼き印を振り下ろす。
しかし、リカルドの結界が広がるよりも先に、セレスティナが手を前にかざした。
瞬間、手の平から爆風が押し寄せ、ラルフレットの身体を吹き飛ばす。
同時に彼が持っていた焼き印が手から離れ、遅れて彼に向けて吹き飛んだ。それが彼の頬をかすめたらしい。
「あっちぃ……っ!!」
壁に背中を打ちつけた痛みと、金属の棒が当たった痛み。さらに遅れて、熱した金属に頬が焼かれ、床に転がってはのたうち回る。
ある程度は熱が冷めているはずだが、それでもクッキリと痕が残るくらいには皮膚を焼いたのだろう。
だが、謝るつもりなどない。
あの男は、それをセレスティナに焼き付けようとしていたのだから。
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