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しおりを挟むリカルドは絶対零度の瞳で、ラルフレットを睨みつけていた。
一切の温度も感情も浮かべぬ冷ややかな表情。そして滲み出る魔力に、ラルフレットは気圧された。
「――お前か! お前が、大事な証拠を!」
「さて」
腹の底から絞り出すような低い声。
リカルドが一歩前へ踏み出すだけで、ラルフレットはヒィッ! と後ろに引いた。
「何のことでしょう? 先ほどの炎の魔法が、俺がやったと、どこに証拠が?」
なんの詠唱も予備動作もなかった。
それほどの芸当のできる者は多くはないが、ここには各国の第一降神格が集っている。いくら魔力抑制の結界があれど、あの程度の炎の魔法なら扱える者も多かろう。
「私に! セレスティナを取られたくないと焦っているのだろう!? セレスティナ、そんな凶暴な男はやめて、私の所に――――ヒイイッ!?」
ギンッ! とリカルドの眼光が鋭くなり、ラルフレットは飛び上がる。
(リカルド、我慢してくれている)
背後から彼を見守りながら、セレスティナは息を呑んだ。そうして、彼の握りしめている拳を見た瞬間、息を呑む。
(違う……!)
ふるふるふると震える彼の拳。黒い手袋をはめているからわかりにくいが、一部、さらに黒く変色しているように見えた。
――血だ。
我慢のあまり、彼は強く拳を握りしめすぎているらしい。
胸が軋み、セレスティナは前に出た。
リカルドに守られているけれど、それだけでは駄目だ。
「リカルド――」
だからセレスティナは手を伸ばす。
彼の腕に己の腕を絡め、身体を寄せると、リカルドはハッとしたようにこちらを向く。
そんな彼に顔を寄せ、甘えた仕草を見せてようやく、リカルドがわずかに表情を緩めた。
そしてセレスティナは真っ直ぐ前を向く。背筋を伸ばして、誰よりも気高き王女の顔をして。
「――ラルフレット様」
もう、声は震えなかった。
またこうして、昔の夫の名前を呼ぶ日が来るだなんて思わなかった。
でも大丈夫。隣にはリカルドがいるから、怖くない。
「どのように主張なさったとしても、わたしの答えは変わりません。わたしは、リカルドの。フォルヴィオン帝国の黒騎士リカルド・ジグレル・エン・マゼラの妻です! あなたの元へは戻りません」
「――――っ!」
ラルフレットは息を呑んだ。
まさか、セレスティナがこうも真っ直ぐ拒絶の意を示すだなんて思っていなかったのだろう。
彼にとって、セレスティナはかつて自分が捨てた惨めな妃でしかないのだから。少し可愛がってやれば、すぐにまた媚びてくるとでも思ったのだろうか。
でも、残念。そんな感情はこれっぽっちもない。
「わたしは、リカルドを愛していますから」
そう言ってリカルドの顔を見上げる。
リカルドは呆けるように口を開けて、すぐにきゅっと表情を引き締めた。しかし、その頬も、耳も赤い。
公衆の面前で宣言するのは刺激が強すぎただろうか。
でも、彼も普段から似たようなことはするのだから、お互いさまだ。
「っ、っ、っ――! ルヴォイア国王!? これはいいのか!? そもそも! 貴国の王女は第一降神格の元へ嫁げないのではなかったのか!?」
リカルド、セレスティナを相手にできないとわかったからか、彼の矛先はディオラルの方へ向く。
しかしディオラルも厳しい表情を浮かべたまま、冷たく言い放つだけだ。
「――貴国から戻ったとき、セレスティナはすべての魔力を失っていた。誰かに、搾取されつくしたようでな」
「っ!」
「魔力がなければ、加護も使えない。――まあ、セレスティナの加護は〈処女神〉。そもそも、あってないような加護であることくらい、貴殿は承知の上だったろう?」
「それは、そうだが。しかし今は、その魔力も回復しているだろう!?」
「――――はて。なぜ貴殿がそれを知っている」
ぎろりと、リカルドの視線が厳しくなる。
そしてその指摘に、セレスティナ自身もハッとした。
確かにそうだ。セレスティナが魔力を取り戻したことなど、リカルドや騎士団の者たち以外誰も知らないはず。
「そ……それは! こ、これだけ時間が経ったんだ! 回復していても、おかしくない、と思い…………! そもそも! 加護も、魔力もない娘を娶ろうなど、酔狂な男が――」
「ここにいる」
はっきりと言い切り、リカルドはセレスティナを抱き寄せた。
「むしろ、彼女にあんな扱いをした貴様の方が酔狂だがな。加護や魔力がなくたって、俺は――彼女を、愛しているから」
各国の代表たちの前で、一切物怖じせず、こうもはっきりと愛の言葉をもらえるとは思わなかった。それだけで、セレスティナの胸は熱くなり、こくりと頷く。
さらに、追い打ちをかけてくれるのはツォンテーヌだ。
「こうも愛し合うふたりを引き裂こうだなんて、イオス王国の王太子殿下って懐が狭いですわ」
さらに父ディオラルが続く。
「リカルド殿に嫁いだとき、セレスティナは加護なしも同然の状態だった。そんな娘がどこへ嫁ごうと、我が国としては問題ないと判断した」
「しかし、法は――!? きちんとした取り決めがあるはずだ――!」
「ルヴォイア王女は第一降神格のいない国に嫁ぐ。それは、あくまで我が国の不文律だ」
「不文律……?」
きちんと歴史と各国の情勢を勉強している者なら知っているはずのことだ。
ルヴォイアは中立国としての立場を果たそうとしているだけ。国民が穏やかに暮らせるように整え、慎ましく生きる。それがルヴォイア王国の在り方だ。
昔と異なり、今は弱小国に成り果てていると言われているが、正確には少し異なる。別に、国力を持とうとしていないだけ。
その気になれば――。
「そのような当たり前のこともご存じなくって?」
「イオス王国の王太子ともあろうお方が? 東の代表格が、まさか、そんな――ねえ?」
「ラルフレット殿、何か勘違いしておいでだが、我が国の王女は、各国のバランスを整えるためだけに与えられる生贄ではない」
ザッと、家族の皆が前に出る。
それに呼応するかのように、姉の嫁ぎ先の王族、かつて婚姻を結んできた関係性の深い国々の代表たち、それからルヴァイア王族の傍系――すなわち、第一降神格の面々が前に出た。
「わたくしたちが、誰よりも血族を大切にするのをご存じなくって?」
「よくも2年間も、セレスティナを閉じ込めてくれましたね」
「あなたはその事実を否定なさるが、我々はあなたの言葉を信用できない。ひいては、イオス王国のことも――」
そう言って、イオス王国の使節団を睨みつける。
ルヴォイア王国だけでは力が足りずとも、これまで、長い歴史の中で築いてきたかずかずの繋がりがある。
第一降神格がそろい踏み、さらに各国の代表者たちに睨みつけられ、いよいよラルフレットは追い詰められた。
「くっ……! セレスティナ! どういうことだ!?」
「どうもこうも。わたしの夫はリカルドただひとりです」
「こっちへ来い! ――お前、その男に脅されているんだろう!? だから、心にもないことを」
あまりに心外な言葉に、普段笑顔を絶やさないセレスティナでさえ表情を引きつらせる。
キッとラルフレットを睨みつけると、いよいよラルフレットは口を閉ざす。
「――っ、っ、っ、気分が悪い! 本日はこれにて失礼する!」
やがて顔を真っ赤にしてそっぽ向いたかと思えば、ズンズンと会場を退場していった。
出口をくぐる前に一度振り返り、セレスティナを睨みつけて。
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