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 セレスティナとはじめて出会ったのはもう4年も前だ。
 先の国際会議の場。成人した第一降神格エン・ローダは必ず参加しないといけないからと、皇帝とフィーガに強制連行された。

 しかし、ルヴォイア王国の土地に流れる清浄な気のせいか、あるいはその場に第一降神格エン・ローダが大勢集っていたせいか――リカルドの中に流れる暗い感情と魔力が、いつも以上に暴れに暴れた。
 身体中が痛みで悲鳴を上げる。その場に立っていることも難しく、気分が悪くなって夜会の会場を離れようかと思ったとき、声をかけてくれたのが彼女だった。

『大勢がいらっしゃるところは苦手ですか?』
『……っ、あ、いや……』

 彼女のことは当然知っていた。
 神話上で〈糸の神〉を冥王に堕とした要因ともなった、元人間の半身〈処女神〉セレス。
 世界でたったひとり、何もできない半神の加護を授かってしまった第一降神格エン・ローダが、ルヴォイア王国に存在すると。

 正直、会いたくなかった。
 力を持った代償に、生涯自分を苦しめ続けるであろう〈糸の神〉。リカルドは、この〈糸の神〉の加護を心底憎んでいる。
 そして、それに関わる神々のことも避けたくなるのは当然だ。

 互いに、望まぬ神に魅入られた存在同士、関わらずに生きていった方がいいだろう。
 そう思っていたのに――。

 目を奪われた。
 銀に近いプラチナブロンドは艶々で、儚げな印象ながら、そのアメジストの瞳にはしっかりと強い意志を宿した凜とした姫君。
 女性に見とれることなどはじめてで、自分でも困惑するしかない。

(どうして? 彼女が〈処女神〉の加護を授かっているからか?)

 何か、予感めいたものを感じ、リカルドは怯えた。
 駄目だ。彼女に近付いてはいけない。彼女に触れてはいけない。逃げろと、心の中で警鐘が鳴る。

『大丈夫ですか? 医官を呼びましょうか?』
『いや。不要、です。気に、しないでください――』

 もともと人と話すことは苦手だ。いや、声を出すことすら億劫なのだ。
 相手が他国の王女だなんて、とんでもない。

 ああ、いい香りがする。クラクラする。触れたい。駄目だ。
 まともに動けなくなり、膝から崩れ落ちる。その瞬間、彼女が慌てて腕を伸ばしてきた。


 そのとき。
 彼女が、リカルドの身体に触れた瞬間。

 ――――世界が塗り変わった。


(これは――彼女の魔力か?)

 清浄な気だった。身体全体に爽やかな風が吹きつけ、ドロドロとした何かを吹き飛ばしてしまうかというほどの衝撃。
 これまで体内に溜め込んでいた澱みも、苦痛も全て一瞬にして取り払われてしまった。

 何が起こったのかわからない。
 ただ、目の前で心配そうに瞳を揺らす彼女の姿が、本物の女神のように見えた。
 いや、リカルドは神のことは毛嫌いしている。〈糸の神〉だけでない。全ての神を、この身体が、心が、拒否している。
 けれど、目の前のセレスティナにだけは本物の救いを感じた。

(欲しい……!)

 同時に沸き起こる欲望にゾッとする。
 バッと後ろに飛び退いた。顔が熱い。見られたくないと片手で口元を抑えるも、不器用なリカルドはここからどう逃げたらいいのかわからない。

 モゴモゴとひとことふたこと、頭が真っ白ながらも話したと思う。そうしてようやく、この場から逃げ去る話題が思いつく。

『単に、人に酔っただけで。その――どこか、ひとりになれる場所は――』

 そうして彼女は教えてくれたのだ。
 彼女のとびきりのお気に入りの、見晴らしのいい場所を。



 セレスティナを迎え入れなければならなくなったとき、フィーガはまずは家を用意しろと言った。だってリカルドはこの地下室に住み着いていたから。
 同居するつもりは毛頭なかったし、異国の姫君だ。下手な屋敷には住まわせられない。
 だから、あのとき見せてもらった景色のお返しに、あの眺望のよい屋敷をプレゼントしたつもりだ。

 イオス王国で、見ていられないほどに酷い目にあっていた彼女が少しでも心穏やかに過ごせるように、リカルドの精一杯で選んだ屋敷。
 侍女や使用人たちも、フィーガの協力で身元のしっかりした信頼できる者たちを採用して、何不自由なく暮らせるように配慮した。
 あとはリカルドさえ近づかなかったら完璧だ。

 だって、リカルドの本能が訴えている。
 彼女を逃がすなと。
 捕らえて、この腕の中に抱きしめて、一生離すなと。
 誰の目にも触れさせるな。リカルドだけを見るように、捕まえて、閉じ込めて、束縛して――どんな手段を使ってでも彼女を奪えと叫んでいる。

 だからこそ、リカルドは恐れた。
 心優しく、太陽の光が似合う彼女にそんな仕打ちをしてはいけないと、理性を総動員して必死に押しとどめた。
 それほどまでにリカルドの心を揺らすたったひとりの存在。


 かつて、イオス王国の地下牢で、鎖に繋がれた彼女の姿を思い出す。
 彼女を救出するためにルヴォイア王国に手を貸したが、あの時、あの地下牢で、ボロボロになった彼女を見たときに思ったのだ。

 ――自分も、こうして彼女を閉じ込めてしまいたかったと。

 恐ろしいほどの欲望を、制御できるとは思わなかった。
 だから、この結婚では彼女を幸せにできない。
 リカルドは、彼女を閉じ込めたくない。この衝動のままに奪いたくない。

 今、リカルドにできることは、可能なかぎり彼女から離れることだけだったはずなのに――。



「まあ、強がってあの方を突き放すのも、勝手に死ぬのもアナタの選択ではあるんですけどね。その結果くらい、知っておいてほしいなって」

 嘲笑するようにフィーガは言う。
 なんだ、と低い声で返すと、フィーガは肩をすくめて教えてくれた。

「昨夜。あのあと。あの方、倒れられたそうですよ?」
「え?」

 リカルドの頭は真っ白になった。

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