8 / 65
3−1 疎まれた花嫁
しおりを挟む花婿が逃げた、という声が漏れ聞こえた瞬間、セレスティナは凍りついた。
それは麗らかな陽差しが心地よい春の良き日。待ちに待った結婚式前の出来事だった。
この後、結婚式の会場で、セレスティナはリカルドと改めて顔を合わせる。
最後に彼の顔を見たのは先の国際会議以来だから、実に4年ぶりの再会となる。
今の何も持たないセレスティナ自身を望み、何度も婚約の打診をくれた新しい旦那様。
どんな方であっても、誠心誠意尽くそう。セレスティナはそう心に決めて、このフォルヴィオン帝国までやって来たのに。
(逃げた……ですって?)
いや、でも、空耳かもしれない。
ここは花嫁の控え室。扉は閉ざされており、外の声などわずかにしか聞こえない。
きっと空耳か何かであるはずだ。
震える身体を抱きしめながら、セレスティナは結婚式を待ち――――。
バージンロードを歩くとき、その道の向こうにリカルドが立っていたことにホッとした。
やはり逃げたというのは幻聴だったのだ。
感情の見えない無の表情だが、ちゃんとセレスティナを出迎えてくれる。
久しぶりに会うリカルドは、すっかり大人の男性になっていた。
セレスティナよりも3つ年上だから、今は25歳だったはず。
英雄と呼ばれるからには、ガッチリとした筋肉の体格のいい男性をイメージするが、彼の場合は全然違う。
魔法騎士だからだろう。どちらかといえば細身で、長身だ。猫背だった印象もあるが、今は背筋を伸ばしてビシッとして、そこに立っている。
大きなステンドグラスから溢れる光が、彼の赤髪を照らした。
紅蓮の髪とも呼ばれる濃い赤の髪は長く、後ろでひとつに纏めている。
シャープで端整な顔だちだ。冷たい印象ではあるが、顎のラインはくっきりしており、すっと通った鼻筋は高い。
ややつり目な黒曜石の瞳は、左側が前髪で隠れて見えないが、神秘的な輝きを宿してセレスティナを見つめていた。
ただ、どうも表情が硬い気がする。
いや、元々の彼の性質から、ニコニコ出迎えられるようなことは期待していなかったけれども、それでも絶対零度の瞳と言うべきか。
まるでこちらに対して怒っているかのように、ギロリと睨みつけられているのだ。眉間の皺を隠そうともしない。
その鋭い視線にセレスティナも緊張し、背筋が伸びる。
でも――。
(なんだか、綺麗……)
やはり黒騎士と呼ばれるだけの存在なのだろう。
一度目があうと釘付けになり、目を離せない独特の雰囲気がある。
この日も彼は黒い正装に身を包み、凜と立っている。ステンドグラスからの光は、まるで神の祝福のよう。
誰も寄せ付けない孤高の存在。
そんな特別な彼の元へ、セレスティナはお嫁に行くのだ。
どくん、と胸が高鳴った。
自分でも、この惚れっぽさはどうかと思う。
でも、わざわざ半神の加護持ちでしかない自分を選んでくれたというだけで、相手に対して好感を持つのは当然だと思う。
この孤高の黒騎士様が、どうしても結婚したいと、何度も打診をくれたのだ。それだけで、彼のことを好いてしまうのは仕方がないようにも思える。
正直、結婚はまだ怖い。
だって、かつてセレスティナは裏切られた。
結婚式ではどれだけ甘くとも、初夜になって夫の態度が一変した。
だから今も、この胸の奥に湧き起こる幸せの予感に浸っていていいのか悩ましくもある。
結局は怖いのだ。
でも――。
(わたしは、リカルド様を信じたい)
この人なら。
いや、この人となら、幸せな未来を築いていけるかもしれない。
そう思えるから――。
厳かな雰囲気の中、司祭が式を進めていく間も、セレスティナはリカルドのことばかり考えていた。
もしかしたらリカルドもなのかもしれない。
先ほどから何度も、彼の視線が突き刺さるから。
(甘い視線ではないけれど……)
さすがに孤高の黒騎士様から、いきなりそのような態度をとってもらえるだなんて思えない。
そもそも、セレスティナはまだ、この結婚の本当の意図も知らない。勝手に、自分を好いてくれていたらいいなという甘い願望を抱いているだけ。
だから、期待しすぎるな。
がっかりするのは嫌だ。
どんな理由でも、セレスティナは彼に尽くすと決めた。
そう自分に言い聞かせながら、式の進行を見守っていく。
そうして、互いに誓いの言葉を交わし合い、向かい合う。
いよいよこの時が来た。
皆の前で口づけを交わし合う時が。
真正面から見ると、やはり彼は随分と長身のようだ。
セレスティナとは頭ひとつ分以上も違う。
ひょろりとしているが、そのシャープな身体つきこそまさに冥王である〈糸の神〉の印象そのものだ。
見とれていると、彼がくしゃりと目を細めた。
眉間にギュウギュウに皺を寄せ、大きく息を吐いた。
少しだけ嫌な感じがする。
……これがため息ではない、と思いたい。
嫌々セレスティナと結婚する、なんてことはないと信じたい。
お願い。
お願いだから。
少しでもいいから。
甘い心の欠片を見せてと思うのに。
リカルドが手を伸ばすことはない。触れて、抱き寄せてくれることもない。
彼は嫌々といった様子で、セレスティナの額に微かに唇を落としただけだった。
まともに口づけすらしてもらえない。
そのことがひどく惨めで、セレスティナは涙が溢れぬようにぐっと堪えた。
――大丈夫。
額へのキスだって、よくあること。
皆の前で口づけをするのが気恥ずかしかっただけ。
孤高の黒騎士様なら、そう考えてもおかしくない。
そう、自分に何度も、何度も、何度も、何度も言い聞かせたのに。
「いい加減にしてくれ! こんな結婚、最悪だ!」
――夜。
彼の屋敷に迎えられて早々。
リカルドが、誰かに向かって激怒している言葉を聞いてしまった。
685
お気に入りに追加
2,264
あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて
アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。
二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話
よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。
「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる