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本編別視点

夜の森にて 1(キース)

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 小さなおててに、まるで宝石の様にキラキラ輝く黒い瞳。そしてその艶やかな絹のような黒い髪。
 そんなあの方のほんとうの姿を見られるのは、お屋敷でも本当に一部の使用人だけだった。

 そもそも、お嬢さまが本来黒髪黒目であることを知る者からして非常に少ない。
 そして俺、キース・バートレイは、その数少ないひとりでいられることを誇りに思っていた。

「お嬢さま、今日のおやつはクリームたっぷりのプディングですよ」
「わあああ!」

 きゃっきゃと可愛い歓声があがる。
 その日はその髪に魔法を重ねがけした日だから、お嬢さまのおやつもいっそう豪華だ。

 当時まだ7歳だったお嬢さまが唯一覚えることを認められた魔法。それが髪と目の色を変える魔法だった。

 俺はお嬢さま以外に魔法使いという存在に出会ったことはなかったけれど、幼い魔法使いは魔力を使うとすごくお腹が減るらしい。
 成長の妨げになるから、あまり魔法は使わない方が良いのだとか、いやいやむしろ、しっかり魔法を使ってご飯をたくさん食べるようにした方が良いのだとかいろいろ聞くけれど、正しい情報は誰にもわからない。

 ただ、お嬢さまは髪と目を染める以外の魔法をけっしてお使いにならないようにと旦那さまにも奥様にも口酸っぱく言われていた。
 お嬢さまだって、なんの魔法を覚えているわけでもなかったけれど、普段から魔力を揺らさないように気をつける本当に素直なお子にお育ちになっていた。
 ――――はずなのに。


 ああ、俺のお嬢さま。
 小さい頃は俺がどこに行こうとしても、後ろからぱたぱたとついてこられて、一緒に遊ぼうと声をかけてくださっていた。
 キース、キースと甘えるその声に、逆らえたことなど一度もなかったな。

 お嬢さまは一般の学校へ通うことも許されていなかったから、お屋敷の中、他の使用人と比べたら比較的歳の近かった俺を友達のように感じていたのかもしれない。
 俺だってお嬢さまの境遇は良くわかっていたつもりだったから、大勢のご学友の代わりをどうにかこなしたくて、たくさん遊んだ。
 それこそ、ままごとにだってつきあったさ。お嬢さまが奥さま役で――俺は、なぜかペットの犬役だったけどな!

 ああそうだ。あのときからずっと、お嬢さまの隣は空白のままで。
 けれども、10歳になったころ。とうとう揺るぎない相手を見つけてしまわれた。



 ……。
 …………。
 ちら、と俺はくだんの男に視線を投げかける。

 俺よりもさらに長身で、長年奴隷として扱われ、満足な生活もできてなかっただろうに、しっかりとした筋肉を残した男――レオルド・ヘルゲン。

 出会った当初はくたびれていた風貌も、髭を剃り、髪を整え、身体を綺麗にしただけでちゃんと年相応か少し上程度に見えるようになった、精悍な顔つきの男。
 そんな男がいま、俺の可愛いお嬢さまを抱いて、目を閉じている。

 この男の存在のせいで、この日は皆で野宿になった。
 お嬢さまはそれも咎める様子などなく、レオルドのことばかり気にしている。

 9年前。あの男を見つけてから、ずっとそうだ。
 レオルドレオルドレオルドレオルド。
 くだんの〈赤獅子〉の記事を集めるために隣国にあった支部に手配したり、その男の肖像画を描かせて集め、ほうっと見とれる。
 実力はあっても、マナーすらままならない乱暴者で、ろくでもない男だという噂は絶えなかったのに、あの男は下町の者たちには人気があった。
 そしてお嬢さまも、ヤツのとりこになったひとりだ。

『お父さま、わたし、魔法使いになります』

 はじめてご家族の前でそう宣言されたときから、お嬢さまの瞳の色は変わらない。
 真っ直ぐ、未来を見つめる聡明な瞳。でも、その向こうにはただひとりの男がいた。
 こんなロクデナシのどこがいいのかさっぱり理解ができないが、それでも、お嬢さまはレオルドに出会ってから明らかに変わられた。


 すうすうと、すっかり夢の中にいるらしいお嬢さまはレオルドの胸に顔を埋めている。
 こうしてふたりが一緒に眠る様を見るのは初めてだ。
 レオルドに潜った夜、俺は、お嬢さまに近づくことを許されていなかったから。

「…………」

 その幸せそうな横顔に、胸がぎゅっと苦しくなる。

 お嬢さまのお顔はまだ少し火照っている。
 夜な夜なレオルドがお嬢さまにどのようなことをしているのか、俺は深く想像することを自分で禁じている。けれども、予想はできる。
 あの清らかで純粋なお嬢さまの身体を弄んで、きっとこの男は、自分の欲も満たしているのだろう。
 そして、お嬢さまの純粋な想いを踏みにじり、いつか、お嬢さまを捨てるに違いない――。

 俺だって、お嬢さまがどれほど真剣にヤツを探してきたのかは知っている。
 そしてアンナをはじめとした屋敷のヤツらも、レオルドがお嬢さまのそばにいてくれるように、できうる限りの協力をしようとしていることも知っている。
 だが、それでいいのか?
 こんな、お嬢さまの気持ちを無碍にして、身体だけ好き勝手している男に、本当にお嬢さまを捧げて良いのか?
 それでお嬢さまは幸せになれるのか?

 ――いや、あの食事をしなくて良くなっただけでも、喜ばしいことなのはわかるよ。
 でも、俺は今でも、そもそもお嬢さまが一切の魔法を使うこと自体をやめればいいんじゃないかって……そう思う瞬間もあるんだ。

 そのことでお嬢さまは、いろんなものを失われるかもしれない。
 それでも、俺やアンナがお嬢さまをちゃんと護って、穏やかに生きられるのが一番良いのではと、今でも俺はそう思っている。…………はず、だったんだがな。


 だから、衝撃だった。
 アンナも同じように、少し驚いた様に顔を上げていた。

 おそらく、レオルドは無意識なのだと思う。
 目を閉じたまま、さらさらのお嬢さまの髪を撫でて、頭のてっぺんにそっと口づけを落とす――。
 そこにはたしかに慈しみの感情が乗せられていて、普段抱きかかえておきながらお嬢さまを適当に扱うヤツの態度からは想像もできないほどに、甘い空気が滲んでいた。
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