魔女の虚像

睦月

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19.星井の知らない話(5)

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「あの、もしかして烏丸さんですか?」

会社の設立準備に追われて一日中歩き回り、休憩にと入ったカフェで突然近くの席に座っていた男性から声をかけられた。少しウェーブの入った黒髪の、背の高い青年だ。

烏丸は母が玲佳の父と結婚していた時期の名前だから、学生時代の知り合いだろうと思って眺めるけれど、見覚えがない。

「すみません。誰でしたっけ?」

尋ねると、青年は覚えてませんよね、と言って苦笑いした。

長洲誠司ながすせいじです。名前知らないかもしれないけれど」

「ええっと、思い出せなくて。すみません」

頭の中で中学高校時代のクラスメートの顔を順々に思い浮かべていくが、当てはまる人物は見つからない。

「中学の時は、カラス女とか失礼なこと言ってすみませんでした」

「ああ!あの子ね!?」

その一言でやっと正体がわかった。私が放課後本を読んでいると、邪魔しに来た中等部の少年だ。随分印象が変わっているからわからなかった。私は目の前でぺこりと頭を下げる青年が、あの生意気な中学生と本当に同一人物なのかと、にわかには信じがたい気持ちで眺めた。


「烏丸さんはお仕事中ですか」

長洲君はテーブルに置いてあるパソコンと資料の束をちらりと見て言う。

「いや、仕事って言うか、会社を作ろうと思って。その準備中」

「へぇ。起業するんですか?すごいな」

長洲君はテーブルの上にある資料を勝手に手に取り、パラパラめくった。

「こじんまりした会社にするつもりだけどね。それと、私、今は烏丸じゃないの。天野って名前」

「ああ、結婚してたんですね。天野日鞠あまのひまりさんか」

長洲君は資料から目を離し、意外そうな顔で言った。本当は天野になる前に鳩羽姓に戻っていたけれど、話がややこしくなるから言わないでおいた。

「驚いたな。結婚とかしない人かと思ってた」

「私も自分が結婚するなんて思ってもみなかったよ」

「随分印象が変わりましたね。天野さん。前は俺が話しかけても全然取り合ってくれなかったのに」

「さすがに大人になったからね。というか、長洲君に関しては私は悪くないよね?話しかけるというより、暴言吐かれた記憶しかないんだけど」

「それは、本当すみません」

長洲君は気まずそうに目を逸らした。

「別にいいよ。小さな子が何か言ってるなくらいにしか思ってなかったから」

「なんかそれはそれで悲しいな……。あの、天野さんが作りたい会社って出版関係なんですか?」

長洲君は話題を変えたかったのか、資料の一つを指さして言う。

「そう。雑誌を作りたいの。色んな未解決事件や凶悪犯罪を扱う」

そう言うと、長洲君の目が輝いた。

「へぇ。昔からそんな本ばかり読んでましたもんね。おもしろそうじゃないですか」

「おもしろいとかおもしろくないとかじゃないんだけどね」

私は何も好き好んで残酷な事件を調べているわけではない。ただ、知らなければならないだけなのだ。

「好きでやってたんじゃないんですか?」

「うーん、うん。あ、よかったら座って」

ずっと立ったまま話させていたことに気づき、私は前の席を勧めた。長洲君が意外と興味を示してくれたので、計画を話してみたくなったからだ。それに、友好的な関係ではなかったとはいえ、懐かしい人物に会って少し高揚していた。


「失礼します。それで、どうして」

「うん。長洲君も知ってるよね?私の父は、小学生のとき、デパートで突然刃物を振り回して襲ってきた不審者に殺されてるの。それで、昔からなんで犯人はそんなことをしたのか知りたくて、犯罪に関する本を読み漁ってた」

「やっぱりそういう理由だったんですか。多分そうだろうとは思ってました。そりゃあ、知りたくもなるよなぁ。……病死とか事故死とかも死の辛さは変わらないだろうけれど、……人の意思が加わっている死って、別のやるせなさがありますよね」

長洲君は遠い目をしてそう言った。その言葉で記憶が蘇る。学生の頃、放課後の階段でこの子は確か、父親が自殺したと言っていた。

「……うん。でも、犯人は結局勝手に首を吊って、私の行動は無意味なものになってしまった」

私がそう告げると、長洲君は言葉に窮しているようだった。私は返事を待たずに続ける。

「長洲君、群馬県で起こった殺人事件知ってる?メイドが雇い主の娘の友人を殺したっていう」

「はい、知ってます。メイドKの事件ですよね。その後、一家が全員焼死してさらに話題になったやつ。不気味な事件だったからよく覚えてます」

「あのメイドKって、私の姉なの」

私は周りに聞こえないよう、声を潜めて言った。長洲君は目を見開く。
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