61 / 75
19.星井の知らない話(5)
2
しおりを挟む
***
「あの、もしかして烏丸さんですか?」
会社の設立準備に追われて一日中歩き回り、休憩にと入ったカフェで突然近くの席に座っていた男性から声をかけられた。少しウェーブの入った黒髪の、背の高い青年だ。
烏丸は母が玲佳の父と結婚していた時期の名前だから、学生時代の知り合いだろうと思って眺めるけれど、見覚えがない。
「すみません。誰でしたっけ?」
尋ねると、青年は覚えてませんよね、と言って苦笑いした。
「長洲誠司です。名前知らないかもしれないけれど」
「ええっと、思い出せなくて。すみません」
頭の中で中学高校時代のクラスメートの顔を順々に思い浮かべていくが、当てはまる人物は見つからない。
「中学の時は、カラス女とか失礼なこと言ってすみませんでした」
「ああ!あの子ね!?」
その一言でやっと正体がわかった。私が放課後本を読んでいると、邪魔しに来た中等部の少年だ。随分印象が変わっているからわからなかった。私は目の前でぺこりと頭を下げる青年が、あの生意気な中学生と本当に同一人物なのかと、にわかには信じがたい気持ちで眺めた。
「烏丸さんはお仕事中ですか」
長洲君はテーブルに置いてあるパソコンと資料の束をちらりと見て言う。
「いや、仕事って言うか、会社を作ろうと思って。その準備中」
「へぇ。起業するんですか?すごいな」
長洲君はテーブルの上にある資料を勝手に手に取り、パラパラめくった。
「こじんまりした会社にするつもりだけどね。それと、私、今は烏丸じゃないの。天野って名前」
「ああ、結婚してたんですね。天野日鞠さんか」
長洲君は資料から目を離し、意外そうな顔で言った。本当は天野になる前に鳩羽姓に戻っていたけれど、話がややこしくなるから言わないでおいた。
「驚いたな。結婚とかしない人かと思ってた」
「私も自分が結婚するなんて思ってもみなかったよ」
「随分印象が変わりましたね。天野さん。前は俺が話しかけても全然取り合ってくれなかったのに」
「さすがに大人になったからね。というか、長洲君に関しては私は悪くないよね?話しかけるというより、暴言吐かれた記憶しかないんだけど」
「それは、本当すみません」
長洲君は気まずそうに目を逸らした。
「別にいいよ。小さな子が何か言ってるなくらいにしか思ってなかったから」
「なんかそれはそれで悲しいな……。あの、天野さんが作りたい会社って出版関係なんですか?」
長洲君は話題を変えたかったのか、資料の一つを指さして言う。
「そう。雑誌を作りたいの。色んな未解決事件や凶悪犯罪を扱う」
そう言うと、長洲君の目が輝いた。
「へぇ。昔からそんな本ばかり読んでましたもんね。おもしろそうじゃないですか」
「おもしろいとかおもしろくないとかじゃないんだけどね」
私は何も好き好んで残酷な事件を調べているわけではない。ただ、知らなければならないだけなのだ。
「好きでやってたんじゃないんですか?」
「うーん、うん。あ、よかったら座って」
ずっと立ったまま話させていたことに気づき、私は前の席を勧めた。長洲君が意外と興味を示してくれたので、計画を話してみたくなったからだ。それに、友好的な関係ではなかったとはいえ、懐かしい人物に会って少し高揚していた。
「失礼します。それで、どうして」
「うん。長洲君も知ってるよね?私の父は、小学生のとき、デパートで突然刃物を振り回して襲ってきた不審者に殺されてるの。それで、昔からなんで犯人はそんなことをしたのか知りたくて、犯罪に関する本を読み漁ってた」
「やっぱりそういう理由だったんですか。多分そうだろうとは思ってました。そりゃあ、知りたくもなるよなぁ。……病死とか事故死とかも死の辛さは変わらないだろうけれど、……人の意思が加わっている死って、別のやるせなさがありますよね」
長洲君は遠い目をしてそう言った。その言葉で記憶が蘇る。学生の頃、放課後の階段でこの子は確か、父親が自殺したと言っていた。
「……うん。でも、犯人は結局勝手に首を吊って、私の行動は無意味なものになってしまった」
私がそう告げると、長洲君は言葉に窮しているようだった。私は返事を待たずに続ける。
「長洲君、群馬県で起こった殺人事件知ってる?メイドが雇い主の娘の友人を殺したっていう」
「はい、知ってます。メイドKの事件ですよね。その後、一家が全員焼死してさらに話題になったやつ。不気味な事件だったからよく覚えてます」
「あのメイドKって、私の姉なの」
私は周りに聞こえないよう、声を潜めて言った。長洲君は目を見開く。
「あの、もしかして烏丸さんですか?」
会社の設立準備に追われて一日中歩き回り、休憩にと入ったカフェで突然近くの席に座っていた男性から声をかけられた。少しウェーブの入った黒髪の、背の高い青年だ。
烏丸は母が玲佳の父と結婚していた時期の名前だから、学生時代の知り合いだろうと思って眺めるけれど、見覚えがない。
「すみません。誰でしたっけ?」
尋ねると、青年は覚えてませんよね、と言って苦笑いした。
「長洲誠司です。名前知らないかもしれないけれど」
「ええっと、思い出せなくて。すみません」
頭の中で中学高校時代のクラスメートの顔を順々に思い浮かべていくが、当てはまる人物は見つからない。
「中学の時は、カラス女とか失礼なこと言ってすみませんでした」
「ああ!あの子ね!?」
その一言でやっと正体がわかった。私が放課後本を読んでいると、邪魔しに来た中等部の少年だ。随分印象が変わっているからわからなかった。私は目の前でぺこりと頭を下げる青年が、あの生意気な中学生と本当に同一人物なのかと、にわかには信じがたい気持ちで眺めた。
「烏丸さんはお仕事中ですか」
長洲君はテーブルに置いてあるパソコンと資料の束をちらりと見て言う。
「いや、仕事って言うか、会社を作ろうと思って。その準備中」
「へぇ。起業するんですか?すごいな」
長洲君はテーブルの上にある資料を勝手に手に取り、パラパラめくった。
「こじんまりした会社にするつもりだけどね。それと、私、今は烏丸じゃないの。天野って名前」
「ああ、結婚してたんですね。天野日鞠さんか」
長洲君は資料から目を離し、意外そうな顔で言った。本当は天野になる前に鳩羽姓に戻っていたけれど、話がややこしくなるから言わないでおいた。
「驚いたな。結婚とかしない人かと思ってた」
「私も自分が結婚するなんて思ってもみなかったよ」
「随分印象が変わりましたね。天野さん。前は俺が話しかけても全然取り合ってくれなかったのに」
「さすがに大人になったからね。というか、長洲君に関しては私は悪くないよね?話しかけるというより、暴言吐かれた記憶しかないんだけど」
「それは、本当すみません」
長洲君は気まずそうに目を逸らした。
「別にいいよ。小さな子が何か言ってるなくらいにしか思ってなかったから」
「なんかそれはそれで悲しいな……。あの、天野さんが作りたい会社って出版関係なんですか?」
長洲君は話題を変えたかったのか、資料の一つを指さして言う。
「そう。雑誌を作りたいの。色んな未解決事件や凶悪犯罪を扱う」
そう言うと、長洲君の目が輝いた。
「へぇ。昔からそんな本ばかり読んでましたもんね。おもしろそうじゃないですか」
「おもしろいとかおもしろくないとかじゃないんだけどね」
私は何も好き好んで残酷な事件を調べているわけではない。ただ、知らなければならないだけなのだ。
「好きでやってたんじゃないんですか?」
「うーん、うん。あ、よかったら座って」
ずっと立ったまま話させていたことに気づき、私は前の席を勧めた。長洲君が意外と興味を示してくれたので、計画を話してみたくなったからだ。それに、友好的な関係ではなかったとはいえ、懐かしい人物に会って少し高揚していた。
「失礼します。それで、どうして」
「うん。長洲君も知ってるよね?私の父は、小学生のとき、デパートで突然刃物を振り回して襲ってきた不審者に殺されてるの。それで、昔からなんで犯人はそんなことをしたのか知りたくて、犯罪に関する本を読み漁ってた」
「やっぱりそういう理由だったんですか。多分そうだろうとは思ってました。そりゃあ、知りたくもなるよなぁ。……病死とか事故死とかも死の辛さは変わらないだろうけれど、……人の意思が加わっている死って、別のやるせなさがありますよね」
長洲君は遠い目をしてそう言った。その言葉で記憶が蘇る。学生の頃、放課後の階段でこの子は確か、父親が自殺したと言っていた。
「……うん。でも、犯人は結局勝手に首を吊って、私の行動は無意味なものになってしまった」
私がそう告げると、長洲君は言葉に窮しているようだった。私は返事を待たずに続ける。
「長洲君、群馬県で起こった殺人事件知ってる?メイドが雇い主の娘の友人を殺したっていう」
「はい、知ってます。メイドKの事件ですよね。その後、一家が全員焼死してさらに話題になったやつ。不気味な事件だったからよく覚えてます」
「あのメイドKって、私の姉なの」
私は周りに聞こえないよう、声を潜めて言った。長洲君は目を見開く。
0
お気に入りに追加
53
あなたにおすすめの小説
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
夫の不貞現場を目撃してしまいました
秋月乃衣
恋愛
伯爵夫人ミレーユは、夫との間に子供が授からないまま、閨を共にしなくなって一年。
何故か夫から閨を拒否されてしまっているが、理由が分からない。
そんな時に夜会中の庭園で、夫と未亡人のマデリーンが、情事に耽っている場面を目撃してしまう。
なろう様でも掲載しております。
ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました
宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。
ーーそれではお幸せに。
以前書いていたお話です。
投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと…
十話完結で既に書き終えてます。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話
ラララキヲ
恋愛
長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。
しかし寝室に居た妻は……
希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──
一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……──
<【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました>
◇テンプレ浮気クソ男女。
◇軽い触れ合い表現があるのでR15に
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇ご都合展開。矛盾は察して下さい…
◇なろうにも上げてます。
※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)
【完】あの、……どなたでしょうか?
桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー
爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」
見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は………
「あの、……どなたのことでしょうか?」
まさかの意味不明発言!!
今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!!
結末やいかに!!
*******************
執筆終了済みです。
ピエロの嘲笑が消えない
葉羽
ミステリー
天才高校生・神藤葉羽は、幼馴染の望月彩由美から奇妙な相談を受ける。彼女の叔母が入院している精神科診療所「クロウ・ハウス」で、不可解な現象が続いているというのだ。患者たちは一様に「ピエロを見た」と怯え、精神を病んでいく。葉羽は、彩由美と共に診療所を訪れ、調査を開始する。だが、そこは常識では計り知れない恐怖が支配する場所だった。患者たちの証言、院長の怪しい行動、そして診療所に隠された秘密。葉羽は持ち前の推理力で謎に挑むが、見えない敵は彼の想像を遥かに超える狡猾さで迫ってくる。ピエロの正体は何なのか? 診療所で何が行われているのか? そして、葉羽は愛する彩由美を守り抜き、この悪夢を終わらせることができるのか? 深層心理に潜む恐怖を暴き出す、戦慄の本格推理ホラー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる