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19.星井の知らない話(5)
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19歳になった私は石鷲見家にメイドとして働きに行った。そうして、半年程で実家に戻ってきた。玲佳の真相を明らかにするつもりだったのに、結果的に何もできなかった。私はただ5人を火事で死なせただけだ。
私は何をしているんだろう。
生前の玲佳と仲がよかったわけでもないくせに。玲佳のためになにかしたかったのなら、生きているときにカードに返事でも出してあげればよかったのだ。
なんだかとても虚しかった。
それから私は石鷲見家に行く前まで働いていた家事代行の会社に戻った。ある程度お金を貯めてから上京し、契約社員として出版社に入った。その会社を選んだのは、事件や犯罪をよく扱う、比較的質のいい雑誌を発行していたからだ。
しかし、駄目だった。一年ほど経って正社員に上げてもらい、企画を任せられるようになったのはいいけれど、提案した石鷲見の事件についてはことごとく却下されてしまった。
何もできずにあがいているとき、天野智彦さんと出会った。智彦さんは文芸部の編集者で、私よりも5歳年上の人だった。
智彦さんと初めてちゃんと話した日、私は企画が全く通らなくて、自分は一体何をやっているんだと誰もいない休憩室でふさぎ込んでいた。すると、何も知らずに部屋に入ってきた智彦さんは、私に気づいて声をかけ、どうでもいいことをぺらぺらとしゃべり出した。とてもじゃないけど楽しくお話する気分になれなかった私は、早く行ってくれないかと思いながら話を聞いていた。
智彦さんは話の途中、唐突にタルトが有名なカフェに一緒に行ってくれないかと頼んできた。何でも今度担当作家を連れていく予定で下見に行きたいのだが、男一人で入るのが気まずいらしい。
普段の私ならやんわりと断っていたけれど、その日の私は弱っていて、彼の笑顔がやけに眩しく見えた。言われるままについて行ったカフェは、意外と楽しかった。
その後も、智彦さんは担当作家が気になると言っていたと言っては、レストランやら居酒屋やらに私を連れだした。何度目かの外出のときにつきあって欲しいと言われた。
付き合って一年後、結婚をした。名前が鳩羽日鞠から天野日鞠に変わった。名前が変わるのはもう4回目だ。
智彦さんは穏やかな人で、一緒にいると私の心まで安らかになる気がした。あの頃は、私の人生には珍しく、誰に対しても憎しみを抱いていなかった。
けれど、そんな生活は一年も持たなかった。ある秋の土曜日、自宅で夕食の支度をしていると、電話がかかってきて夫が信号無視で飛び出してきた車に轢かれたと告げた。私は上着も着ないまま、搬送先の病院まで駆けだした。
夫は目を覚ますことなく、事故から三日後に亡くなった。
彼が亡くなってからのしばらくの間は何も考えられなかった。頭にもやがかかっているようで、何を見ても、何を聞いても、まるで感情が動かなかった。
そんなある日、突然感情が動き出した。おそらく、悪い方向に。
何もする気が起きなくて鈍った頭でネットサーフィンをしていたら、ふと、以前書いたブログの存在を思い出したのだ。石鷲見家から戻ってから、起こったことを吐き出すために書いたブログ。置いて来てしまった紙の日記はいつか誰かに読ませれば、石鷲見家で起こったことを伝えられるかもしれないという思いで書いたけれど、ブログの方は完全な自己満足のために書いた。
誰にも教えるつもりのないパスワードは、玲佳とのせめてもの繋がりが欲しくて、『karasumareika』に設定した。
ブログを読んでいたら、当時の思いがふつふつ蘇ってきた。そして、自分が結局何もできなかったことを思い出した。
もう一度、やってみようか。今度こそ私の手で石鷲見家の嘘を暴いて玲佳を解放する。
そう思ったら、動かす気になれなかった体に力が入った。
企画を認めてもらえないなら、自分で会社を作ればいいのではないか。貯金ならある。小さな事務所なら借りられるはずだ。一人でも出版社は作れるのだろうか。調べなくては。次々にやらなければならないことが浮かんでくる。
興奮する気持ちの裏に、冷めた感情も隠れていた。
私は結局、暗い感情を糧にしないと生きる気力が湧かないのか。子供の頃は、父を殺した犯人を憎み続けてきた。犯人が死んだとわかると、茫然と立ち尽くした。玲佳が亡くなったとわかると、今度は石鷲見家に敵意を向けた。そうして、今また石鷲見家への憤りを糧に立ち上がろうとしている。
私は目を閉じて、自分に言い聞かせた。
それでもいい。それが私の人生なんだ。責任なら最後にちゃんと取る。
私はクローゼットの奥にしまい込んであった箱を取り出した。生前の玲佳から送られてきたネックレス。今まで一度もつけたことがなかった。送られてきた当初は気恥ずかしくて、玲佳が死んだ後は見たくなくて。
初めてつけた黒いガラスのネックレスは、愛嬌も温かみもなくて、なるほど私にぴったりだった。
私は何をしているんだろう。
生前の玲佳と仲がよかったわけでもないくせに。玲佳のためになにかしたかったのなら、生きているときにカードに返事でも出してあげればよかったのだ。
なんだかとても虚しかった。
それから私は石鷲見家に行く前まで働いていた家事代行の会社に戻った。ある程度お金を貯めてから上京し、契約社員として出版社に入った。その会社を選んだのは、事件や犯罪をよく扱う、比較的質のいい雑誌を発行していたからだ。
しかし、駄目だった。一年ほど経って正社員に上げてもらい、企画を任せられるようになったのはいいけれど、提案した石鷲見の事件についてはことごとく却下されてしまった。
何もできずにあがいているとき、天野智彦さんと出会った。智彦さんは文芸部の編集者で、私よりも5歳年上の人だった。
智彦さんと初めてちゃんと話した日、私は企画が全く通らなくて、自分は一体何をやっているんだと誰もいない休憩室でふさぎ込んでいた。すると、何も知らずに部屋に入ってきた智彦さんは、私に気づいて声をかけ、どうでもいいことをぺらぺらとしゃべり出した。とてもじゃないけど楽しくお話する気分になれなかった私は、早く行ってくれないかと思いながら話を聞いていた。
智彦さんは話の途中、唐突にタルトが有名なカフェに一緒に行ってくれないかと頼んできた。何でも今度担当作家を連れていく予定で下見に行きたいのだが、男一人で入るのが気まずいらしい。
普段の私ならやんわりと断っていたけれど、その日の私は弱っていて、彼の笑顔がやけに眩しく見えた。言われるままについて行ったカフェは、意外と楽しかった。
その後も、智彦さんは担当作家が気になると言っていたと言っては、レストランやら居酒屋やらに私を連れだした。何度目かの外出のときにつきあって欲しいと言われた。
付き合って一年後、結婚をした。名前が鳩羽日鞠から天野日鞠に変わった。名前が変わるのはもう4回目だ。
智彦さんは穏やかな人で、一緒にいると私の心まで安らかになる気がした。あの頃は、私の人生には珍しく、誰に対しても憎しみを抱いていなかった。
けれど、そんな生活は一年も持たなかった。ある秋の土曜日、自宅で夕食の支度をしていると、電話がかかってきて夫が信号無視で飛び出してきた車に轢かれたと告げた。私は上着も着ないまま、搬送先の病院まで駆けだした。
夫は目を覚ますことなく、事故から三日後に亡くなった。
彼が亡くなってからのしばらくの間は何も考えられなかった。頭にもやがかかっているようで、何を見ても、何を聞いても、まるで感情が動かなかった。
そんなある日、突然感情が動き出した。おそらく、悪い方向に。
何もする気が起きなくて鈍った頭でネットサーフィンをしていたら、ふと、以前書いたブログの存在を思い出したのだ。石鷲見家から戻ってから、起こったことを吐き出すために書いたブログ。置いて来てしまった紙の日記はいつか誰かに読ませれば、石鷲見家で起こったことを伝えられるかもしれないという思いで書いたけれど、ブログの方は完全な自己満足のために書いた。
誰にも教えるつもりのないパスワードは、玲佳とのせめてもの繋がりが欲しくて、『karasumareika』に設定した。
ブログを読んでいたら、当時の思いがふつふつ蘇ってきた。そして、自分が結局何もできなかったことを思い出した。
もう一度、やってみようか。今度こそ私の手で石鷲見家の嘘を暴いて玲佳を解放する。
そう思ったら、動かす気になれなかった体に力が入った。
企画を認めてもらえないなら、自分で会社を作ればいいのではないか。貯金ならある。小さな事務所なら借りられるはずだ。一人でも出版社は作れるのだろうか。調べなくては。次々にやらなければならないことが浮かんでくる。
興奮する気持ちの裏に、冷めた感情も隠れていた。
私は結局、暗い感情を糧にしないと生きる気力が湧かないのか。子供の頃は、父を殺した犯人を憎み続けてきた。犯人が死んだとわかると、茫然と立ち尽くした。玲佳が亡くなったとわかると、今度は石鷲見家に敵意を向けた。そうして、今また石鷲見家への憤りを糧に立ち上がろうとしている。
私は目を閉じて、自分に言い聞かせた。
それでもいい。それが私の人生なんだ。責任なら最後にちゃんと取る。
私はクローゼットの奥にしまい込んであった箱を取り出した。生前の玲佳から送られてきたネックレス。今まで一度もつけたことがなかった。送られてきた当初は気恥ずかしくて、玲佳が死んだ後は見たくなくて。
初めてつけた黒いガラスのネックレスは、愛嬌も温かみもなくて、なるほど私にぴったりだった。
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