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1.趣味の悪い出版社
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僕が天野社長に初めて会ったのは、寂れた映画館に併設された、古めかしい喫茶店の中だった。思えば最初から不思議な人だった。
その日は授業が休講になったので、前から見たかった映画を観るために家から三駅離れた街の小さな映画館に来ていた。大きな映画館では上映されていない、マニアックなサスペンス映画。
バイトしていた定食屋が二週間前に潰れて以来収入が途絶えているので、入場料がちょっと痛かったけれど、好きな監督の作品なので仕方ない。きっちりパンフレットも買って映画館を出た。
併設の喫茶店に入り、奥のテーブルに腰掛ける。一番安いアイスコーヒーを飲みながら買ったばかりのパンフレットに目を通していると、席の前で黒いスーツを着た髪の長い女性が立ち止まった。
年齢は20代後半から30代前半に見える。首元で淡く光る、スーツと同じ真っ黒な飾りのついたネックレスがやけに印象的だった。
何か用だろうか、とその人の顔を見る。
「ねぇ。そういうの興味あるの?」
女性は、僕の持っているパンフレットを指さして言った。少し戸惑いながらも答える。
「この映画ですか?はい、今観てきたところなんです」
「へぇ。犯罪物に好きなの?」
「いや、監督が好きで」
「そうなんだ」
答えると、女性は少し残念そうな顔をした。なぜその反応になるのかわからなくて首を傾げる。
「じゃあ、こういうジャンルはあまり好きじゃない?」
「好きじゃないわけじゃないですけど、積極的に見ようとは思ったことはないですね。気分が重くなるので……。あ、でもこの映画は最後に全てが明らかになって、救いがあるラストだったのでよかったです」
「うんうん、やっぱり最後には真実が明らかになるべきだよね!」
僕の言葉の何が気に入ったのか、女性は急に明るい顔になって言った。真っ黒な服を着て切れ長の鋭い目をしていて、一見近寄りがたそうな雰囲気なのに、随分屈託なく笑う人だと思った。
「君、雑誌記者のバイトに興味ない?私、出版社をやっていて新しい記者を探してるんだ。あ、出版社っていっても、個人事業主と大して変わらない社員二人の会社なんだけど」
「え、記者って取材とかするやつですか?なんで僕?」
「普通の子を探してたの。普通の価値観で物事を見てくれそうな子。君、見た目から話し方までぴったり」
女性はにこにこ笑いながら言う。あまり嬉しくないので、はぁ、と曖昧に返事をした。
「今、場所書くから。気が向いたら来て」
女性はそう言うと、返事も聞かずに手帳にさらさらと何か書いて渡してきた。『株式会社 アイト』という文字と、住所が書かれている。
「じゃあ、いつでも待ってるね」
「え、ちょっと!」
「嫌だったら無視してくれて構わないから」
女性は言うだけ言って風のように去って行った。なんだったんだろう、あの人。そういえば名前すら聞いていない。
あっけにとられながら渡されたメモを眺め、迷いつつも鞄のポケットにしまった。
その日は授業が休講になったので、前から見たかった映画を観るために家から三駅離れた街の小さな映画館に来ていた。大きな映画館では上映されていない、マニアックなサスペンス映画。
バイトしていた定食屋が二週間前に潰れて以来収入が途絶えているので、入場料がちょっと痛かったけれど、好きな監督の作品なので仕方ない。きっちりパンフレットも買って映画館を出た。
併設の喫茶店に入り、奥のテーブルに腰掛ける。一番安いアイスコーヒーを飲みながら買ったばかりのパンフレットに目を通していると、席の前で黒いスーツを着た髪の長い女性が立ち止まった。
年齢は20代後半から30代前半に見える。首元で淡く光る、スーツと同じ真っ黒な飾りのついたネックレスがやけに印象的だった。
何か用だろうか、とその人の顔を見る。
「ねぇ。そういうの興味あるの?」
女性は、僕の持っているパンフレットを指さして言った。少し戸惑いながらも答える。
「この映画ですか?はい、今観てきたところなんです」
「へぇ。犯罪物に好きなの?」
「いや、監督が好きで」
「そうなんだ」
答えると、女性は少し残念そうな顔をした。なぜその反応になるのかわからなくて首を傾げる。
「じゃあ、こういうジャンルはあまり好きじゃない?」
「好きじゃないわけじゃないですけど、積極的に見ようとは思ったことはないですね。気分が重くなるので……。あ、でもこの映画は最後に全てが明らかになって、救いがあるラストだったのでよかったです」
「うんうん、やっぱり最後には真実が明らかになるべきだよね!」
僕の言葉の何が気に入ったのか、女性は急に明るい顔になって言った。真っ黒な服を着て切れ長の鋭い目をしていて、一見近寄りがたそうな雰囲気なのに、随分屈託なく笑う人だと思った。
「君、雑誌記者のバイトに興味ない?私、出版社をやっていて新しい記者を探してるんだ。あ、出版社っていっても、個人事業主と大して変わらない社員二人の会社なんだけど」
「え、記者って取材とかするやつですか?なんで僕?」
「普通の子を探してたの。普通の価値観で物事を見てくれそうな子。君、見た目から話し方までぴったり」
女性はにこにこ笑いながら言う。あまり嬉しくないので、はぁ、と曖昧に返事をした。
「今、場所書くから。気が向いたら来て」
女性はそう言うと、返事も聞かずに手帳にさらさらと何か書いて渡してきた。『株式会社 アイト』という文字と、住所が書かれている。
「じゃあ、いつでも待ってるね」
「え、ちょっと!」
「嫌だったら無視してくれて構わないから」
女性は言うだけ言って風のように去って行った。なんだったんだろう、あの人。そういえば名前すら聞いていない。
あっけにとられながら渡されたメモを眺め、迷いつつも鞄のポケットにしまった。
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