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呼び合う先に

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 あれは顔合わせの場だったのだろう。

 その頃から皇后の容姿の整ったことといったらなかった。子どものガレスなどは、真剣にきれいな人形だと思い込んでいたくらいである。

 だからガレスは驚いて後ずさった。

「お前、動くのか⁉︎」

 うっかりガレスが叫ぶと、そのお人形さんはガレスの態度と大声に驚いたらしい。大きな目に見る見るうちに涙が盛り上がる。

 ──ああ、面倒くさい、泣くのかよ!

 ガレスは嫌な顔をしたが、お人形さんは涙は浮かべたものの、泣かなかった。

 そのまま、にこりと笑って言う。

「はい。いっしょにたくさん遊びましょう。お話もいたしましょう。よろしくおねがいいたします」

 そう言ってもう一度礼をする。
 流石にこの頃には、ガレスも相手が人形ではなく自分と同じ年くらいの女の子だと理解していた。

 女の子が礼をしたはずみに零れた涙がパタリと床に音を立てたのに、ガレスはとんでもない罪悪感に駆られる。

 それを認めたくないガレスはすぐさま逃亡を図る。「また今度な!」と言うや否や駆け出した。

 ところが、すぐに大きな拳骨がガレスに落ちる。そのままグリグリと拳でガレスを押さえつける東の宮が言う。

「ははは、姫よ、とんだ無作法者で申し訳ない」

 痛ってえぇぇぇっ! とここぞと叫ぶガレスは、いきなり子どもに拳骨を落とす無作法者を涙目で睨みあげ、そしてすぐ目をそらす。

 ──やべえ。これ許してくれないヤツだ。

 硬直したガレスは、東の宮にヒョイと掴み上げられて元の場所に戻された。

 そっと前を見ると、お人形さん、もとい女の子は一連の出来事にびっくりしたらしい。涙もすっかり引っ込んで、目をぱちぱちとさせている。

「ほれ、名前くらい言え」

 東の宮に促されてしぶしぶ名乗る。

「……ガレス」

 むすっとして名乗るガレスに、女の子の顔にぱあっと花が開くように笑顔が広がる。

「ガレスさま」

 うれしそうに名を口にする女の子に、ガレスはなぜか顔が真っ赤になった。

 ※

 小さくて、かわいらしくて、柔らかくて、ふわふわしている。転んだりなんかしたら、きっと壊れてしまう。

 だから、後ろを向いてガレスは怒る。

「ついてくるなって!」

 大切に扱わないとすぐダメになってしまうような、繊細なもの。そういう類の物を注意していても汚したり壊したりしてしまうガレスは、きれいなものが苦手だった。

 顔合わせの席を早々に抜け出したガレスの後を、恐る恐る女の子が付いてくる。

 抜け出す時に女の子と目があってしまい、大人たちに知らされるよりましだと一緒に連れ出したものの、はっきり言って足手まといだ。

 ここから別行動! とガレスは屋敷を出た所で身勝手にも告げたのだが、女の子はずっとガレスの後をついてきていた。
 
「ごめんなさい」

 あ、また泣く、と思ったが、女の子は泣かなかった。涙をこらえ、でも声が震えている。

「わたし帰り道がわからなくなってしまったの」
「知るかよそんなの」

 きれいなものが壊れるのは嫌だ。
 すぐに「また壊した!」と誰かから叱られる。それにガレス自身もきれいなものが台無しになってしまうのは、やっぱり嫌なのだった。

 だからこんなごちゃごちゃした屋敷の裏道なんかついてこないで欲しい。

 見れば、女の子のか細い腕には、薄いが擦り傷がもう何本も赤い線になっている。

 子供二人が抜け出したことが知れて、今頃供の者達は大騒ぎだろう。その上、この子がこんな傷を作ったなんて分かったら、ガレスはまた拳骨を食らう。

「かせ!」

 相手の返事も待たずに腕を引っ張る。女の子はびくりとしたが、構わずガレスは治癒魔法をかける。
 あっという間に元のするするしたきれいな腕に戻った。

「あ、ありがとうございます」

 女の子が礼を言うが、ガレスは逆にイライラしてきた。

「あのな、俺についてくるなら治癒魔法の一つくらい覚えとけ! そもそもそんなヒラヒラの服で来るな! 低級の魔物なら五体をまとめて一撃で倒せるくらいになったら一緒に連れてってやる!」

 無茶苦茶なことを怒鳴ってから、ガレスはしまったと思う。女の子はすぐ泣くんだった。

 男なら泣くなと言われ、女を泣かすなと言われることに辟易していたガレスは、うんざりと女の子を見る。

しかし、女の子は顔を輝かせて言う。

「それができたら、連れて行って下さるのですか?」

 予想に反してうれしそうに言うのに、今度はガレスがびくりとする。うろたえてしまったことが恥ずかしくて、それを打ち消すようにガレスは言う。

「お、おう。それぐらいの奴になったら、おれがどこでも一緒に連れてってやる」

 そして、女の子は中級の魔物なら五体を一撃で倒せる魔導師になった。

 その名をアルマと言う。


 その後何度か設けられた席でも、ろくすっぽ話を聞いていなかったガレスは彼女の名を覚えられらず、その次は、アマルかアルマかどっちだったかと一々考えるのが面倒で、ずっと「お前」で済ませていた。

 ようやく覚えた頃には、今更名前で呼ぶのが気恥ずかしく、なんとなく呼ばずにいた。

 ガレスがそうしているうちに、アルマの名はあっという間に世に広まった。

 どんな花に例えようともその美しさは決して言い表せない。などとどこかの有名な詩人が嘆いたとかなんとか、アルマは大陸一の美姫に成長した。

 許婚がいようとも言い寄る男は数知れず、それなのに、アルマはガレス以外に嫁がぬと言う。

 ──殿下の大切な方をご正室になさいませ。私は側室でも妾でも構いません。ガレスさまが娶って下さらないなら、私は生涯、どなたへも嫁ぎません。

 ついに根負けして、ガレスはアルマを正室とした。政の思惑もあった。しかし、一番は皇族としてこれ以上なく完璧な姫への敬意を示すためだった。

 ガレスがアルマにしてやれるのは、それくらいしかない。

 ※

 婚礼の夜、落とした明かりの中でさえ浮かび上がるように見える腕を手に取る。

 びくりと震えたのに構わず腕に唇を落とし、そのまま辿ってその滑らかな肩に口付ける。

 そうしてガレスが目だけで見やれば、羞恥に染め上げられて、上気した面をわずかに伏せた、この世のものと思えぬ美しい女がいる。

 昔、このきれいな腕にわずかにでも傷などがつくのを嫌がったガレスだったが、今は、腕と言わずどこと言わず思う様に口付けて、赤いあざを散らしてやりたいと思う。

 もし、他の男がそうしたなら、ガレスはその男を叩き斬るだろう。

 それは嫉妬ではなく、愛情などではなく、ただの独占欲だ。それを知ってなおガレスの側にあることだけを望むこのアルマは、ただしくガレスの人形だ。

 そんなものはきっとそのうち壊してしまう。ガレスには扱えない。

 だが、腕を取ってその身に引き寄せれば、確かに熱を伝えてくる人形を、ガレスはもう手放す気は無かった。

「アルマ」

 名を呼ぶ。ガレスが自分の名を口にしたのに、アルマは力が抜けてしまったように、ガレスに身を預けてきた。

 昔、アルマが「ガレスさま」と言った時、ガレスは落ち着かなくて仕方がなかった。それでいて確かに嬉しかった。

 今は名を呼ぶだけでは足りない。それはお互い分かっていて、そうしてその意味はそれぞれに異なっていることも嫌という程分かっている。

「ガレス様」

 それでも名を呼び合い続ける先に、二人は進む。そうして何度体を重ねようとも思いは決して交わらないだろう未来に、二人は共に手を取り合って歩みだした。

《終わり》
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