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第四章 王国へ
19 王太子の決意
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王妃の補足というより呟きに近いものが一段落するのを見計らって王太子は進み出る。
「王妃様、先ほどのご下問は、その、この場にいる我々にとっては皆、その、立場上お答えいたしかねることでして、どうかご容赦を。父上ただお一人にお尋ねになってください」
何やら真剣に思案に沈んでいた王妃は、王太子の言葉にぱっと顔を上げて慌てたようにいう。
「は、はい。申し訳ございません……」
「いえ、神子様なればご存知なくとも当然のことです。私共の配慮が行き届きませず申し訳ございません。弟も心配のあまり言葉が過ぎたようでございます」
一体、何の立場だか配慮だか。
申し述べる王太子自身さっぱり分からないが、この場はとにかく第二王子を下がらせることが先決だ。
それに、このまま放って置いては色々妙な話が流れそうなのだ。王宮の雀たちがこぞって飛びつきそうな、そういう類の話が。
女官だの侍女だのというのは、この手のことにかけてはその辺の諜報より巧みであるように思う。
もっとも王妃付きの女官たちは普段は不用意なおしゃべりなど絶対にしない。
しかし他に臣下がいない場とはいえ、王妃を侮辱した第二王子や、それを見逃す王太子にはどう出てくるやら分かったものでないのだ。
──後のことは不用意に情報を漏らした父上に収めていただこう。
そもそも父王はなぜ第二王子にそんな話をしたのか。王太子は不満だ。父王と王妃の間に夫婦の情があるとは思っていないが、国王としてもっと神子と第二王子の間に立つべきではないか?
それはそれとして、王太子は第二王子を見る。第二王子は渋々引き下がることにしたようだ。
「出過ぎたことを申しました。お忘れください」
いや、違う。違うだろう。王太子はため息を堪えて王妃に申し上げる。
「失礼を申し上げましたこと、弟と共に私もお詫び申し上げます」
王太子は王妃に頭を下げる。それに不服ながらも第二王子も頭を下げた気配がした。
それを受け、王妃は消え入りそうな声で言う。
「わ、わたくしの方こそ無知故にご心配をおかけしまして申し訳ございません。その上、その、はしたないことを申し上げまして……、」
申し訳ございません。
耳まで真っ赤にして恥じ入る王妃。この若く美しい王妃が未だ正真正銘無垢の身であるとの証明は、それだけで十分であった。少なくともこの場にいる者たちにとっては。
なんとも言えず気まずい雰囲気の中、王妃の退出と相なった。ともかくこの騒ぎはこれで一旦終わりだ。後で改めて王妃の宮に謝罪に上がらねばなるまいが。
酷く疲れてしまった王太子である。
第二王子は変わらず厳しい目で王妃を見送りつつ、その姿が消えた時、刹那、ほっとした顔を見せる。だから王太子はさらに疲れた。
──お前、いい加減にしろ。
王位を狙うだけなら分かりやすいのに、これに王妃への邪な想いが絡むから、なんともやるせない。
その上悪いことに第二王子の恋心は、王妃の才への嫉妬とないまぜになってしまった。
生前の第三王子もまた、王妃に惹かれていた。しかし第三王子は王妃の自分にはない聡明さをやたら警戒していた。
第二王子と第三王子は、王妃に惹かれているのを否定するように王妃の排斥を試みた。神子は王国を帝国の傀儡にするつもりだろうと憂いて見せた。もちろん非公式の場で。
憧れの年上の女性として王妃に夢中になってしまった幼い第四王子は彼らに利用されたのだ。
王妃が王国に嫁いできた頃すでに想い人があった王太子にとって、王妃は神子でしかない。だから自分は弟たちより冷静に王妃のことを見てきたと思う王太子である。
確かに、この王妃はお飾りの神子となるには驚異的な力を持っている。
王の御幸先に突然やってきた竜を幼い少女の身で一人で追い払ったことがあった。
かと思えば先日の第三王子の襲撃の際、まるで王妃が呼び寄せたかのように竜が現れた。
その混乱の中、王妃は近衛たちを叱咤し、退却を始めた第三王子の武人たちを追撃させた。怪我を負った王太子をあっという間に癒し、王太子妃を安心させ、女官たちを差配し、退避を指示した。
魔力だけでない不思議な力を持ち、人を導く力もある。その力を自分たちの喉元に向けられはしないかと、第二王子たちは警戒したのだ。
さて王太子が即位すれば、国王補佐となる第二王子である。危険極まりないが、諸国と渡り合えるのはこの弟くらいしかいない。他は皆弟が潰しているからだ。
帝国の宰相は、弟に潰され帝国に逃れた者たちを帝国には受け入れず、王国の属国や周辺諸国へやってしまった。それを弟には帝国の宰相は自分に味方したと思わせているあたり、したたかなものである。
実際は、弟に恨みを持つ者たちに帝国への忠誠を誓わせた上で、周辺諸国へ送り込み、密かに支援を続けているのだ。
第二王子に内応すると思われている周辺諸国では、いざことが起これば第二王子の思わぬ事態があちこちで起こるだろう。
その事を知らせてきたのはあの帝国大使だ。
「ですから殿下はどうかご安心を」
そう言われて安心できる王太子がどこの国にいる。
王位を継いで弟の暴走を止められないのなら王国は滅ぶ。
その前に万一王位を奪われて、弟が王位に就いても王国は滅ぶ。
つまりは父王の神子の支持を得ながら王太子自身が国を導かねばならない。
自分には帝国今上ガレスのような武勇も覇気もない。帝国先帝や宰相のような老獪さも決断力もない。
そんな自分が一体どこまでやれるのか。
国内には病弱な王太子妃を廃して、再び帝国の神子を迎えてはどうかと言う声がある。
父王が老いるにつれ大きくなるその声は王太子妃を悩ませた。その王太子妃にようやく授かった命を、王太子は絶対に失いたくない。
──今が決断の時、だろうか?
第四王子は帝国にいる。今ならあの不憫な弟を巻き込まなくて済む。第三王子のような哀れな最期はもう見たくない。
王太子もまた、帝国に密かに遣いを送ることに決めた。
「王妃様、先ほどのご下問は、その、この場にいる我々にとっては皆、その、立場上お答えいたしかねることでして、どうかご容赦を。父上ただお一人にお尋ねになってください」
何やら真剣に思案に沈んでいた王妃は、王太子の言葉にぱっと顔を上げて慌てたようにいう。
「は、はい。申し訳ございません……」
「いえ、神子様なればご存知なくとも当然のことです。私共の配慮が行き届きませず申し訳ございません。弟も心配のあまり言葉が過ぎたようでございます」
一体、何の立場だか配慮だか。
申し述べる王太子自身さっぱり分からないが、この場はとにかく第二王子を下がらせることが先決だ。
それに、このまま放って置いては色々妙な話が流れそうなのだ。王宮の雀たちがこぞって飛びつきそうな、そういう類の話が。
女官だの侍女だのというのは、この手のことにかけてはその辺の諜報より巧みであるように思う。
もっとも王妃付きの女官たちは普段は不用意なおしゃべりなど絶対にしない。
しかし他に臣下がいない場とはいえ、王妃を侮辱した第二王子や、それを見逃す王太子にはどう出てくるやら分かったものでないのだ。
──後のことは不用意に情報を漏らした父上に収めていただこう。
そもそも父王はなぜ第二王子にそんな話をしたのか。王太子は不満だ。父王と王妃の間に夫婦の情があるとは思っていないが、国王としてもっと神子と第二王子の間に立つべきではないか?
それはそれとして、王太子は第二王子を見る。第二王子は渋々引き下がることにしたようだ。
「出過ぎたことを申しました。お忘れください」
いや、違う。違うだろう。王太子はため息を堪えて王妃に申し上げる。
「失礼を申し上げましたこと、弟と共に私もお詫び申し上げます」
王太子は王妃に頭を下げる。それに不服ながらも第二王子も頭を下げた気配がした。
それを受け、王妃は消え入りそうな声で言う。
「わ、わたくしの方こそ無知故にご心配をおかけしまして申し訳ございません。その上、その、はしたないことを申し上げまして……、」
申し訳ございません。
耳まで真っ赤にして恥じ入る王妃。この若く美しい王妃が未だ正真正銘無垢の身であるとの証明は、それだけで十分であった。少なくともこの場にいる者たちにとっては。
なんとも言えず気まずい雰囲気の中、王妃の退出と相なった。ともかくこの騒ぎはこれで一旦終わりだ。後で改めて王妃の宮に謝罪に上がらねばなるまいが。
酷く疲れてしまった王太子である。
第二王子は変わらず厳しい目で王妃を見送りつつ、その姿が消えた時、刹那、ほっとした顔を見せる。だから王太子はさらに疲れた。
──お前、いい加減にしろ。
王位を狙うだけなら分かりやすいのに、これに王妃への邪な想いが絡むから、なんともやるせない。
その上悪いことに第二王子の恋心は、王妃の才への嫉妬とないまぜになってしまった。
生前の第三王子もまた、王妃に惹かれていた。しかし第三王子は王妃の自分にはない聡明さをやたら警戒していた。
第二王子と第三王子は、王妃に惹かれているのを否定するように王妃の排斥を試みた。神子は王国を帝国の傀儡にするつもりだろうと憂いて見せた。もちろん非公式の場で。
憧れの年上の女性として王妃に夢中になってしまった幼い第四王子は彼らに利用されたのだ。
王妃が王国に嫁いできた頃すでに想い人があった王太子にとって、王妃は神子でしかない。だから自分は弟たちより冷静に王妃のことを見てきたと思う王太子である。
確かに、この王妃はお飾りの神子となるには驚異的な力を持っている。
王の御幸先に突然やってきた竜を幼い少女の身で一人で追い払ったことがあった。
かと思えば先日の第三王子の襲撃の際、まるで王妃が呼び寄せたかのように竜が現れた。
その混乱の中、王妃は近衛たちを叱咤し、退却を始めた第三王子の武人たちを追撃させた。怪我を負った王太子をあっという間に癒し、王太子妃を安心させ、女官たちを差配し、退避を指示した。
魔力だけでない不思議な力を持ち、人を導く力もある。その力を自分たちの喉元に向けられはしないかと、第二王子たちは警戒したのだ。
さて王太子が即位すれば、国王補佐となる第二王子である。危険極まりないが、諸国と渡り合えるのはこの弟くらいしかいない。他は皆弟が潰しているからだ。
帝国の宰相は、弟に潰され帝国に逃れた者たちを帝国には受け入れず、王国の属国や周辺諸国へやってしまった。それを弟には帝国の宰相は自分に味方したと思わせているあたり、したたかなものである。
実際は、弟に恨みを持つ者たちに帝国への忠誠を誓わせた上で、周辺諸国へ送り込み、密かに支援を続けているのだ。
第二王子に内応すると思われている周辺諸国では、いざことが起これば第二王子の思わぬ事態があちこちで起こるだろう。
その事を知らせてきたのはあの帝国大使だ。
「ですから殿下はどうかご安心を」
そう言われて安心できる王太子がどこの国にいる。
王位を継いで弟の暴走を止められないのなら王国は滅ぶ。
その前に万一王位を奪われて、弟が王位に就いても王国は滅ぶ。
つまりは父王の神子の支持を得ながら王太子自身が国を導かねばならない。
自分には帝国今上ガレスのような武勇も覇気もない。帝国先帝や宰相のような老獪さも決断力もない。
そんな自分が一体どこまでやれるのか。
国内には病弱な王太子妃を廃して、再び帝国の神子を迎えてはどうかと言う声がある。
父王が老いるにつれ大きくなるその声は王太子妃を悩ませた。その王太子妃にようやく授かった命を、王太子は絶対に失いたくない。
──今が決断の時、だろうか?
第四王子は帝国にいる。今ならあの不憫な弟を巻き込まなくて済む。第三王子のような哀れな最期はもう見たくない。
王太子もまた、帝国に密かに遣いを送ることに決めた。
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