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第四章 王国へ
16 第四王子ののぞみ
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ザイが王国へ発った日のことだった。
王子の自分とは違って彼は王宮で歓迎されるのだろうなとぼんやり考えに沈んでいた第四王子の所に、宰相夫人がやって来た。
夫人が邸を空ける、と言う。どこへやらは言わぬが、魔物退治に行くのだそうだ。
「わたくしが留守の間は、この者らが殿下のお世話を致します。なんなりとお申し付けくださいまし」
「……そうか分かった。夫人、無事を祈る」
なぜ、一国の宰相の夫人が魔物退治に出掛けるのか。
疑問に思わないでもない第四王子であったが、この邸に来てそれなりの期間過ごした彼は、この夫人のすることに口を挟むのは愚行であると悟っていた。
※
「帝国の女人というのは皆強いのか?」
夫人を見送った後、第四王子は、新しく世話係になった者に尋ねてみる。
「皆、それぞれにございます」
「夫人は特別強いのか」
「そうでもございません。例えば西の宮は当代は女宮さまであらせられますが、たいそうなお力をお持ちです」
「夫人よりもか?」
「はい」
「あの夫人よりも、つよい?」
「さようでございます」
「……夫人よりも強い女人は帝国にまだいるのか?」
「はい。今上皇后陛下、皇妃様、また東の宮の四人の姫様方は、いずれ劣らぬ魔導師でいらっしゃいます」
いずれ劣らぬ華と王国で噂される彼女らの意外な側面に、第四王子は驚く。
「皇族の方々は、生まれながらに膨大な魔力を有する方が多くいらっしゃいますので、そう珍しいことでもございません。また、過去には東の宮として一生を戦場に捧げられた女宮様も帝国に幾人もおられます」
「そうか」
帝国とはそういうものか。となれば、宰相夫人が魔物退治に出ることもあるだろう……。
例によって、いつの間にやら現れている大きな白い狼、いや、普通の犬二頭にじっと見られているのに気付いた第四王子は、自身を無理やり納得させた。
※
夫人が出かけた日、第四王子は宰相と夕食を共にした。これは時折あることで、どうやら宰相は第四王子の様子を王に伝える役目も引き受けているらしい。
元々口数は多くなさそうな宰相だが、夫人がいない今夜はいよいよ話さない。どうにも塞ぎ込んでいるように見える。
この男にそんな一面があったのか、またそれを隠しもしないのかと、第四王子は意外に思う。
人質とはいえ、一つ屋根の下に暮らせば、この宰相一家の様子も見えてくる。世間で言われているほど、彼らの仲は悪くない。むしろ、第四王子からすれば羨ましく思えるほどの「家族」だ。
当初、この一家を妬ましくも思った第四王子である。自分には決して得られないものを得ている彼らに嫉妬していたのだ。
──どうにかして滅茶苦茶にしてやりたい。
第三王子の謀反の報に触れ、促されるままにとりとめない話をし、そうして明けて朝、どういう訳か、かつてないほどの怒りに突き動かされて、王子は本当にそう思った。
宰相を殺してやる。例え殺せなくとも、預かった他国の王子に傷つけられた、そのことだけで、宰相は面目を失う。
──そうすれば、この家族は終わりだ。
「殺してやる……」
思わず第四王子がこぼした途端、彼は「白い番犬」たちに囲まれる。普段になく歯を剥き出しにする獣に対しても、この時の王子の足はすくまなかった。
やがて、夫人が王子の部屋に現れる。
「いかがなさいましたか?」
普段と変わらずゆるゆると掛けられた声に、第四王子は食ってかかる。
「殺してやる! 宰相を殺してやる! そうすれば終わりだ! お前たちは終わりだ!」
「まあ、殿下、夢見がお悪うございましたか? お静まりくださいませ」
人払いはされているらしい。用意周到なことだとそれにも腹を立てる第四王子は、めちゃくちゃに叫ぶ。
しかし、どんなに叫んでも夫人の顔色は変わらない。王子が叫び疲れて肩で息をするほどになっても。
罵倒の言葉も尽きた頃、夫人からの意外な言葉が王子の耳に入る。
「それもよろしゅうございましょう」
「何?」
それとはどれか? 王子が怪訝な顔をするのに夫人が言う。
「夫もそれなりの心得はございますから死ぬこともありますまい。殿下が仰るように夫は殿下に恐れ多くも失礼を働いたのですから、良い薬となるでしょう」
「は?」
「王族の方々は殺生をなさらないそうですが、お心得はあると存じております。
殿下は剣をお好みでございましょうか? 今はございませんが、匕首でしたら、お待ちいただければ伝手で軽いものが手に入ります。
しかし、後のことを考えればその辺の壺を割ってお使いになる方が良いかもしれません。その場合は、布でも一巻きすれば、御身も損なわれませぬゆえ」
やたら物騒で妙に具体的な提案をしてくる夫人を、つまりは我が夫を刺せと唆し、その後の王子の保身にも気を回してくれる宰相夫人を、王子はまじまじと見る。
「お前たち夫妻は、本当は、やはり仲が悪いのか?」
伝え聞くそのままを述べる王子に、夫人はスラスラと答える。
「良いか悪いかで申しますと、良い時も悪い時もございます」
「良い時も悪い時も?」
「はい。今までも様々にございました。恥ずかしながら、世の噂もまるきりの噂ばかりと言うわけではございません」
では、どの噂が本当なのか。気になる王子ではあったが、それ以上に気になることを聞く。
「良い時も悪い時もあるなら、それでは、今は?」
「はい。今は悪うございますね」
「それはその……」
その「今」とは、いつからのことを指すのか。……自分がこの屋敷に来てからだろうか。
この時、王子は夫人から向けられる嫌悪に初めて気付いた。
面と向かってお前は邪魔だと言われた方がまだマシだと王子は思った。王宮で向けられる白い目よりも居た堪れない思いがする。
殺気も苛立ちも、急激に霧散したのが自分でもわかる。
「……騒いですまなかった。夢見が悪く、寝ぼけていたようだ。夕食まで休む。部屋からは出ないと思うが、大事ない。気にしないでくれ」
気まずげな王子に対し、夫人はいつも通りだった。
「かしこまりました。お食事はこちらへ運ばせます。ご気分でなければ、そのままに」
夫人は来た時と同じく静かに退出した。扉が閉められ、夫人の気配が遠ざかる。いつの間にやら、あの犬たちもいない。
王子はふらふらと意味もなくしばらく部屋を歩き回っていたが、やがて、ボフリと音を立てて寝台に沈み込む。
そこには普段使う枕とは別に、以前癇癪を起こしたときに夫人から渡された殴っても痛くないという大きな枕がまだあった。
「……」
試しに殴ってみようかと思う第四王子だったが、なんとも億劫であった。ようよう拳を作ってノロノロと持ち上げ、そのまま落とす。
ぽふ。
随分と可愛らしく小さな音がした。
やはり上等のものであるらしいその枕は、第四王子の拳など柔らかく受け止めて、いなしてしまう。
ゆっくりと沈んだ自分の拳を見、王子は宰相邸に来てから一番長くて細いため息をつく。
「一体、どこまでふざけているのか、あの夫妻は」
一人で悪態をつきながらも、その言葉は弱々しい。
宰相を殺してなんになる。この自分には何の益もない。それどころか、いよいよ王国には帰れなくなるだろう。
王国を、父王を憎みながら、いざ切り捨てられるとなったら縋りたくなる。それに気付いた王子は悔し涙を流す。
自分が本当に望むものは、王妃ではない。それ以上に絶対に手に入らないもの。
そうしてその日、王子はそのまま部屋から出ずに、寝台の上で大人しく過ごしてしまった。
※
それから、夫人や宰相とは何事もなく過ごし、今日の夕食に至る。
会食の礼儀にギリギリ反しない程度の頻度で、ポツリポツリとした世間話が王子と宰相二人の間で交わされる。
こんな気詰まりな会食は、帝国に来て初めてだ。
──夫人よ、いや、ザイ殿でもいい、早く帰ってきてくれ!
少し前にこの一家の破滅を望んだ第四王子は、今はこの家族の平安を願った。
※
夫人は出かけて半月、ようやく宰相邸に戻った。ほっとしたのは邸の秘書官や使用人たちだけでなく、王子も同様だった。
しかし、宰相夫妻の「不仲」は続き、その原因だとうっすら自覚する第四王子は、自分でも意外なことに、人知れず胃を痛くするのだった。
※────
・第三王子の謀反の報に触れ、促されるままにとりとめない話をし、
→ 第二章25話「慟哭の王子(2/2)」~27話「向き合う(2/2)」
・以前癇癪を起こしたときに夫人から渡された殴っても痛くないという大きな枕
→ 第二章09話「目を逸らす無視する見て見ぬふりをする」
王子の自分とは違って彼は王宮で歓迎されるのだろうなとぼんやり考えに沈んでいた第四王子の所に、宰相夫人がやって来た。
夫人が邸を空ける、と言う。どこへやらは言わぬが、魔物退治に行くのだそうだ。
「わたくしが留守の間は、この者らが殿下のお世話を致します。なんなりとお申し付けくださいまし」
「……そうか分かった。夫人、無事を祈る」
なぜ、一国の宰相の夫人が魔物退治に出掛けるのか。
疑問に思わないでもない第四王子であったが、この邸に来てそれなりの期間過ごした彼は、この夫人のすることに口を挟むのは愚行であると悟っていた。
※
「帝国の女人というのは皆強いのか?」
夫人を見送った後、第四王子は、新しく世話係になった者に尋ねてみる。
「皆、それぞれにございます」
「夫人は特別強いのか」
「そうでもございません。例えば西の宮は当代は女宮さまであらせられますが、たいそうなお力をお持ちです」
「夫人よりもか?」
「はい」
「あの夫人よりも、つよい?」
「さようでございます」
「……夫人よりも強い女人は帝国にまだいるのか?」
「はい。今上皇后陛下、皇妃様、また東の宮の四人の姫様方は、いずれ劣らぬ魔導師でいらっしゃいます」
いずれ劣らぬ華と王国で噂される彼女らの意外な側面に、第四王子は驚く。
「皇族の方々は、生まれながらに膨大な魔力を有する方が多くいらっしゃいますので、そう珍しいことでもございません。また、過去には東の宮として一生を戦場に捧げられた女宮様も帝国に幾人もおられます」
「そうか」
帝国とはそういうものか。となれば、宰相夫人が魔物退治に出ることもあるだろう……。
例によって、いつの間にやら現れている大きな白い狼、いや、普通の犬二頭にじっと見られているのに気付いた第四王子は、自身を無理やり納得させた。
※
夫人が出かけた日、第四王子は宰相と夕食を共にした。これは時折あることで、どうやら宰相は第四王子の様子を王に伝える役目も引き受けているらしい。
元々口数は多くなさそうな宰相だが、夫人がいない今夜はいよいよ話さない。どうにも塞ぎ込んでいるように見える。
この男にそんな一面があったのか、またそれを隠しもしないのかと、第四王子は意外に思う。
人質とはいえ、一つ屋根の下に暮らせば、この宰相一家の様子も見えてくる。世間で言われているほど、彼らの仲は悪くない。むしろ、第四王子からすれば羨ましく思えるほどの「家族」だ。
当初、この一家を妬ましくも思った第四王子である。自分には決して得られないものを得ている彼らに嫉妬していたのだ。
──どうにかして滅茶苦茶にしてやりたい。
第三王子の謀反の報に触れ、促されるままにとりとめない話をし、そうして明けて朝、どういう訳か、かつてないほどの怒りに突き動かされて、王子は本当にそう思った。
宰相を殺してやる。例え殺せなくとも、預かった他国の王子に傷つけられた、そのことだけで、宰相は面目を失う。
──そうすれば、この家族は終わりだ。
「殺してやる……」
思わず第四王子がこぼした途端、彼は「白い番犬」たちに囲まれる。普段になく歯を剥き出しにする獣に対しても、この時の王子の足はすくまなかった。
やがて、夫人が王子の部屋に現れる。
「いかがなさいましたか?」
普段と変わらずゆるゆると掛けられた声に、第四王子は食ってかかる。
「殺してやる! 宰相を殺してやる! そうすれば終わりだ! お前たちは終わりだ!」
「まあ、殿下、夢見がお悪うございましたか? お静まりくださいませ」
人払いはされているらしい。用意周到なことだとそれにも腹を立てる第四王子は、めちゃくちゃに叫ぶ。
しかし、どんなに叫んでも夫人の顔色は変わらない。王子が叫び疲れて肩で息をするほどになっても。
罵倒の言葉も尽きた頃、夫人からの意外な言葉が王子の耳に入る。
「それもよろしゅうございましょう」
「何?」
それとはどれか? 王子が怪訝な顔をするのに夫人が言う。
「夫もそれなりの心得はございますから死ぬこともありますまい。殿下が仰るように夫は殿下に恐れ多くも失礼を働いたのですから、良い薬となるでしょう」
「は?」
「王族の方々は殺生をなさらないそうですが、お心得はあると存じております。
殿下は剣をお好みでございましょうか? 今はございませんが、匕首でしたら、お待ちいただければ伝手で軽いものが手に入ります。
しかし、後のことを考えればその辺の壺を割ってお使いになる方が良いかもしれません。その場合は、布でも一巻きすれば、御身も損なわれませぬゆえ」
やたら物騒で妙に具体的な提案をしてくる夫人を、つまりは我が夫を刺せと唆し、その後の王子の保身にも気を回してくれる宰相夫人を、王子はまじまじと見る。
「お前たち夫妻は、本当は、やはり仲が悪いのか?」
伝え聞くそのままを述べる王子に、夫人はスラスラと答える。
「良いか悪いかで申しますと、良い時も悪い時もございます」
「良い時も悪い時も?」
「はい。今までも様々にございました。恥ずかしながら、世の噂もまるきりの噂ばかりと言うわけではございません」
では、どの噂が本当なのか。気になる王子ではあったが、それ以上に気になることを聞く。
「良い時も悪い時もあるなら、それでは、今は?」
「はい。今は悪うございますね」
「それはその……」
その「今」とは、いつからのことを指すのか。……自分がこの屋敷に来てからだろうか。
この時、王子は夫人から向けられる嫌悪に初めて気付いた。
面と向かってお前は邪魔だと言われた方がまだマシだと王子は思った。王宮で向けられる白い目よりも居た堪れない思いがする。
殺気も苛立ちも、急激に霧散したのが自分でもわかる。
「……騒いですまなかった。夢見が悪く、寝ぼけていたようだ。夕食まで休む。部屋からは出ないと思うが、大事ない。気にしないでくれ」
気まずげな王子に対し、夫人はいつも通りだった。
「かしこまりました。お食事はこちらへ運ばせます。ご気分でなければ、そのままに」
夫人は来た時と同じく静かに退出した。扉が閉められ、夫人の気配が遠ざかる。いつの間にやら、あの犬たちもいない。
王子はふらふらと意味もなくしばらく部屋を歩き回っていたが、やがて、ボフリと音を立てて寝台に沈み込む。
そこには普段使う枕とは別に、以前癇癪を起こしたときに夫人から渡された殴っても痛くないという大きな枕がまだあった。
「……」
試しに殴ってみようかと思う第四王子だったが、なんとも億劫であった。ようよう拳を作ってノロノロと持ち上げ、そのまま落とす。
ぽふ。
随分と可愛らしく小さな音がした。
やはり上等のものであるらしいその枕は、第四王子の拳など柔らかく受け止めて、いなしてしまう。
ゆっくりと沈んだ自分の拳を見、王子は宰相邸に来てから一番長くて細いため息をつく。
「一体、どこまでふざけているのか、あの夫妻は」
一人で悪態をつきながらも、その言葉は弱々しい。
宰相を殺してなんになる。この自分には何の益もない。それどころか、いよいよ王国には帰れなくなるだろう。
王国を、父王を憎みながら、いざ切り捨てられるとなったら縋りたくなる。それに気付いた王子は悔し涙を流す。
自分が本当に望むものは、王妃ではない。それ以上に絶対に手に入らないもの。
そうしてその日、王子はそのまま部屋から出ずに、寝台の上で大人しく過ごしてしまった。
※
それから、夫人や宰相とは何事もなく過ごし、今日の夕食に至る。
会食の礼儀にギリギリ反しない程度の頻度で、ポツリポツリとした世間話が王子と宰相二人の間で交わされる。
こんな気詰まりな会食は、帝国に来て初めてだ。
──夫人よ、いや、ザイ殿でもいい、早く帰ってきてくれ!
少し前にこの一家の破滅を望んだ第四王子は、今はこの家族の平安を願った。
※
夫人は出かけて半月、ようやく宰相邸に戻った。ほっとしたのは邸の秘書官や使用人たちだけでなく、王子も同様だった。
しかし、宰相夫妻の「不仲」は続き、その原因だとうっすら自覚する第四王子は、自分でも意外なことに、人知れず胃を痛くするのだった。
※────
・第三王子の謀反の報に触れ、促されるままにとりとめない話をし、
→ 第二章25話「慟哭の王子(2/2)」~27話「向き合う(2/2)」
・以前癇癪を起こしたときに夫人から渡された殴っても痛くないという大きな枕
→ 第二章09話「目を逸らす無視する見て見ぬふりをする」
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