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第三章
24 きょうわかったこと
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東の先代について、ザイがカイルから聞いていたことがある。
──あの方は考えに沈まれると、その後大抵、突然大暴れなさる。
リヒトが近くに控えている時はその率が上がる、ともカイルは言っていた。愚痴っていたと言ってもいいかもしれない。
だから、カイルのことを考えているだろう先代を見て、始めこそ切なくカイルを思い出していたザイであるが、ふと思い当たる。
──この沈黙、まずくないだろうか?
そう思ってザイがリヒトを見れば、リヒトはコソコソと荷物をまとめ始めているではないか。
次の瞬間、間近で膨れ上がった大きな力にザイの体は勝手に動いた。
咄嗟に打った砂礫の向こうに見える大上段の守りはガラ空きだが、そこを狙えば思う壺だろう。
瞬時に後退を決めたザイの判断は正解で、次の一太刀は横一閃。転がって避けるだけでは足りず、懐刀で防いでいなす。
まともに受ければ皇帝以上の重い剣に、ザイは近寄るのは危険だと距離を取る。これは偶然だったが、その先で幸運にも自分の槍に辿りついたザイは、とりあえずホッとする。
そして自分がお行儀悪く、パンをくわえたままであるのに気づく。
しかし、「食べ物を粗末にするな」という父のしつけ、「口に一度入れたものは毒でない限り吐き出してはなりません」という母のしつけが身に染み込んでいるザイだ。「食える時に食っとけ」とはザイが初陣で世話になった将軍の教え。
目の前にいる凶悪なクマの次の一手を読みかねるザイは慌ててパンを飲み下す。息が詰まるのは避けたものの、砂の味に顔をしかめるザイに先代は大笑いする。
先代様は上機嫌だ。つまりすこぶる調子が良くて、それに槍を持って対面するザイには危険が迫っているということだ。
「俺は面白そうな事をやるだけだ。ザイよ、隠居の暇つぶしに暫し付き合え」
先代がニヤリと笑ってザイに言う。
隠居とは思えぬ力技に、命のやり取りを暇つぶしと宣い、自分を老いぼれだと称する凶悪なクマがザイを遊びに誘う。お相手を務めるのは大変そうである。
だがザイはあっさりそれに乗る。
強い相手と戦うのは楽しい。こういうところは母や師匠に似たかもしれない。
ザイは砂を蹴って飛び出した。
※
ザイの精霊について今日わかったこと。
一つ、火、雷の魔法はザイが命じずとも精霊が勝手に防ぐ。
一つ、ザイが精霊への命令を出さない限り、火、雷の魔法防御を除いて精霊の力は働かない。
精霊の加護の力を知りながらの先代の怒涛の魔法攻撃は、ザイをねらったものではない。先代の炎の魔法で、あたりの泥はすっかり乾いてしまった。
足場の悪さは解消され、こうなれば土地勘のある先代の有利である。
それでもザイは先代の猛攻をなんとか自力で防ぎ切った。宮で皇帝の剣の相手を務めていたからできたことである。
しかし、精霊に命令をする暇さえない。そろそろ精霊に力を使わせてみたい。
そう考えていたザイだったが、戦闘は、リヒトの声によって突然終わった。
「失礼しますー、ザイ殿にお届けものですよー」
その痩せた体のどこにそんな力があるのか、小脇に抱えた男をリヒトは投げて寄越す。
投げ飛ばされてズサーっと砂を滑って来たのは侍従筆頭のお使いの一人だった。
それにザイと先代はピタリと動きを止める。さすがに宮の者の使いを斬るわけにはいかない先代が剣を収め、ザイも槍を収めるのだった。
※
「懐妊か……」
ふーん、と東の先代が腕を組む。その傍らで、一通りの報告を終えた使いは、ザイとリヒトに手伝われながら身体中の砂を落としていた。
「第三王子は死んだ、と。残るは二番目と末か。二番目はあっちがやるとして、四番目は帝国がやるのか?」
王国王太子の正室に子ができた。無事生まれてくれば、王位継承者。第二王子達は「用無し」である。国王は退位する前に王太子以外の息子達を処分するつもりではないか、というのが先代の見立てだ。
「いえ、王にも王太子にもその意向はないと」
パタパタと服から砂をはたかれながら使いが言う。
「ほう。王子達は生かすのか? 第四王子は帝国に留め置き、ザイを遣る……」
東の先代はザイを気の毒そうに見る。
「俺よりお前の方が先に死にそうだな」
やはりコイツとは今回が最後か、あと二十試合くらいはやるかと独りごちる先代に、それじゃあザイ殿は王国に行く前にここで逝っちまいますよとリヒトが呆れる。
使いはザイに向かって言う。
「恐れながら、この度のザイ様はあくまでお祝いの使者でございます」
「ええと、つまり行った先で僕は人質にはならない?」
「はい、今回はそうでございます。もしザイ様が王国へ長期赴かれることになるなら、ご結婚の後、ご令閨とご一緒に王国へお渡り頂く方が良いだろうとのことです」
……ご令閨て。
直ぐに、ではないのは陛下がどうにか頑張ってくださったのだろう。「今回は」ってのがアレだけど。
ま、まだ猶予はある……。
虚空を見つめるザイの肩を先代とリヒトがそれぞれぽんと叩く。
「その気になれば宰相は早いな」
「納め時ってやつも近そうですね」
諦めろ、と言わんばかりの東の主従二人に、ザイは乾いた笑いを返した。
──あの方は考えに沈まれると、その後大抵、突然大暴れなさる。
リヒトが近くに控えている時はその率が上がる、ともカイルは言っていた。愚痴っていたと言ってもいいかもしれない。
だから、カイルのことを考えているだろう先代を見て、始めこそ切なくカイルを思い出していたザイであるが、ふと思い当たる。
──この沈黙、まずくないだろうか?
そう思ってザイがリヒトを見れば、リヒトはコソコソと荷物をまとめ始めているではないか。
次の瞬間、間近で膨れ上がった大きな力にザイの体は勝手に動いた。
咄嗟に打った砂礫の向こうに見える大上段の守りはガラ空きだが、そこを狙えば思う壺だろう。
瞬時に後退を決めたザイの判断は正解で、次の一太刀は横一閃。転がって避けるだけでは足りず、懐刀で防いでいなす。
まともに受ければ皇帝以上の重い剣に、ザイは近寄るのは危険だと距離を取る。これは偶然だったが、その先で幸運にも自分の槍に辿りついたザイは、とりあえずホッとする。
そして自分がお行儀悪く、パンをくわえたままであるのに気づく。
しかし、「食べ物を粗末にするな」という父のしつけ、「口に一度入れたものは毒でない限り吐き出してはなりません」という母のしつけが身に染み込んでいるザイだ。「食える時に食っとけ」とはザイが初陣で世話になった将軍の教え。
目の前にいる凶悪なクマの次の一手を読みかねるザイは慌ててパンを飲み下す。息が詰まるのは避けたものの、砂の味に顔をしかめるザイに先代は大笑いする。
先代様は上機嫌だ。つまりすこぶる調子が良くて、それに槍を持って対面するザイには危険が迫っているということだ。
「俺は面白そうな事をやるだけだ。ザイよ、隠居の暇つぶしに暫し付き合え」
先代がニヤリと笑ってザイに言う。
隠居とは思えぬ力技に、命のやり取りを暇つぶしと宣い、自分を老いぼれだと称する凶悪なクマがザイを遊びに誘う。お相手を務めるのは大変そうである。
だがザイはあっさりそれに乗る。
強い相手と戦うのは楽しい。こういうところは母や師匠に似たかもしれない。
ザイは砂を蹴って飛び出した。
※
ザイの精霊について今日わかったこと。
一つ、火、雷の魔法はザイが命じずとも精霊が勝手に防ぐ。
一つ、ザイが精霊への命令を出さない限り、火、雷の魔法防御を除いて精霊の力は働かない。
精霊の加護の力を知りながらの先代の怒涛の魔法攻撃は、ザイをねらったものではない。先代の炎の魔法で、あたりの泥はすっかり乾いてしまった。
足場の悪さは解消され、こうなれば土地勘のある先代の有利である。
それでもザイは先代の猛攻をなんとか自力で防ぎ切った。宮で皇帝の剣の相手を務めていたからできたことである。
しかし、精霊に命令をする暇さえない。そろそろ精霊に力を使わせてみたい。
そう考えていたザイだったが、戦闘は、リヒトの声によって突然終わった。
「失礼しますー、ザイ殿にお届けものですよー」
その痩せた体のどこにそんな力があるのか、小脇に抱えた男をリヒトは投げて寄越す。
投げ飛ばされてズサーっと砂を滑って来たのは侍従筆頭のお使いの一人だった。
それにザイと先代はピタリと動きを止める。さすがに宮の者の使いを斬るわけにはいかない先代が剣を収め、ザイも槍を収めるのだった。
※
「懐妊か……」
ふーん、と東の先代が腕を組む。その傍らで、一通りの報告を終えた使いは、ザイとリヒトに手伝われながら身体中の砂を落としていた。
「第三王子は死んだ、と。残るは二番目と末か。二番目はあっちがやるとして、四番目は帝国がやるのか?」
王国王太子の正室に子ができた。無事生まれてくれば、王位継承者。第二王子達は「用無し」である。国王は退位する前に王太子以外の息子達を処分するつもりではないか、というのが先代の見立てだ。
「いえ、王にも王太子にもその意向はないと」
パタパタと服から砂をはたかれながら使いが言う。
「ほう。王子達は生かすのか? 第四王子は帝国に留め置き、ザイを遣る……」
東の先代はザイを気の毒そうに見る。
「俺よりお前の方が先に死にそうだな」
やはりコイツとは今回が最後か、あと二十試合くらいはやるかと独りごちる先代に、それじゃあザイ殿は王国に行く前にここで逝っちまいますよとリヒトが呆れる。
使いはザイに向かって言う。
「恐れながら、この度のザイ様はあくまでお祝いの使者でございます」
「ええと、つまり行った先で僕は人質にはならない?」
「はい、今回はそうでございます。もしザイ様が王国へ長期赴かれることになるなら、ご結婚の後、ご令閨とご一緒に王国へお渡り頂く方が良いだろうとのことです」
……ご令閨て。
直ぐに、ではないのは陛下がどうにか頑張ってくださったのだろう。「今回は」ってのがアレだけど。
ま、まだ猶予はある……。
虚空を見つめるザイの肩を先代とリヒトがそれぞれぽんと叩く。
「その気になれば宰相は早いな」
「納め時ってやつも近そうですね」
諦めろ、と言わんばかりの東の主従二人に、ザイは乾いた笑いを返した。
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