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第三章
22 東の地
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脱力した先代と、何だか居た堪れないでいるザイの横で、リヒトは何やら唱える。
すると、リヒトの周りの地面はからりと乾き、元の砂漠の砂となった。
魔法で器用に砂を動かし整えて、その上に持ってきた布を敷いたリヒトは、どーぞ、と主人とその客人に座るよう勧める。
自分も座りながら、リヒトはどこからか出してきたパンを頬張る。毒味をして見せたリヒトは、ザイと先代にもポイポイとパンと水を投げ渡す。
はぐはぐとパンを食べるリヒトが言う。
「しっかし、相変わらずで」
「口にものを入れたまま喋るな。しかし、まあ、そうだなあ」
何というか、なあ、と言って東の先代もパンを食べ始める。
この御仁はやることなすこと豪快であるが、ものを食べるときだけは決して大口を開けたりしない。肉など丸かじりしそうな厳つい巨体がパンを小さくちぎって丁寧に口に運ぶ姿は、この上なく品がある。
高貴な野生のクマ。
ザイはそんな失礼なことを考えながら、二人に釣られるようにパンを食べ始めた。
※
塩っけの多い硬めのパンは、炎天下の試合で大量の汗をかいたザイには食べ応えがあって美味しい。
ザイがしみじみとパンを味わっているうちにも、主従の会話は進む。
「ま、良いんじゃないですか? 野郎も安心でしょう」
「どうだかな」
あいつはあいつで面倒くさいやつだった、と先代が言う。
ザイは二人が話す「野郎」がカイルのことだと気付き、嬉しいような、苦しいような、全く違う二つの感情に引き裂かれる。
「さて、お前の母は変わらず、か」
クッと笑って先代が言う。
「そりゃあ、どこぞのひよっこなど歯牙にも掛けぬわなあ」
先代の言う「どこぞのひよっこ」は今上のことだ。主人がひよっこ呼ばわりされるのにまさか同意を示すわけにもいかず、かといって先代の宮さまに異を唱える訳にもいかないザイは、澄ました顔をしておく。
先帝も今上もザイの母を召し抱えたがったが、ザイの母は固辞した。宰相夫人としても滅多に宮に顔を見せないザイの母は、ザイ出産後の肥立が悪く体調を崩したままである、ということになっている。
夫の就任の初めにも宮にあがらなかった宰相夫人について、非難がないわけではなかった。
しかし、宰相が「妻は病弱でして」と、しらーっと臆面もなく申し上げ、それに先帝が「残念だがそれは仕方がないことだ。療養に専念するよう」と、これまた、しらーっと返したので、宮の者は誰も突っ込めなかった。
また、先々帝に仕えた元女官は、宮の様々な事情を把握しているため、上層部のお歴々が下手に突つきたくない、ということもあるらしい。
「それで、宰相は変わりないか?」
幸せな奴め、と言いながら、先代がザイに聞く。
「はい。変わりなく」
「そうか。しかし、あいつもそれなりの歳になってきたからなあ、労ってやれ。ああいう体が頑丈なのが取り柄と思っているやつは、案外、急に倒れるぞ」
「はい。心得ます」
この三年の間、確かに父は老いたと思う。
代替わりを支える宰相としての重責に加えて、並大抵でない心労の多くを占めるのがザイの不調であることを、ザイは済まなく思う。
といっても、ザイはあの父が倒れるのは想像がつかない。
「俺もいつくたばるやら。お前とやれるのはこれが最後かも知れん」
「そのようなことは」
この御仁が倒れるのも想像がつかないザイは、つい、意外そうな顔をしてしまう。
「そう言ったあいつは俺より先に逝きやがったが」
「先代様」
あの日までのカイルの足跡を丁寧に辿っていたザイは、先代がカイルに会った最後の日も把握していた。
カイルの名を、東の宮では出してもいいだろうか?
※
一瞬だけザイは迷う。だが、すぐに口を閉ざす。僕は侍従だから。そうザイは自身を戒める。カイルさんだったら迷いもしなかっただろうと思いながら。
「リヒト」
先代の呼びかけに、リヒトが結界を張る。周りには誰もいないが念のために、だろう。
リヒトの結界の中に、さらに先代が結界を張る。
何事かと身構えるザイは、先代の次の言葉を聞きたいような、逃げてしまいたいような。
一つため息をついて、先代が言う。
「俺はな、初め今上が先帝侍従を斬ったのだと思った」
そう言って確かめる目をする先代に、ザイは、はっきり申し上げる。
「それは、ございません」
「そうか」
目を伏せ、先代は少し考えるようだったが、ニヤリと笑って言う。
「そうだ。それはない。俺の甥でもカイルは斬れん」
そっすね、とリヒトも深く頷いている。
「奴は病で死んだ。誰に殺されたのでもない」
「はい」
先代が言うのに、ザイは静かに答える。
ザイはぐっと腹に力を入れる。
あの日、ザイはカイルの言葉を「信じない」と言った。
父も主人も受け入れた事実を、ザイは嫌だと言って拒否した。それを受けて、「ならば証明する」そう言ってザイの前で毒を飲んだカイルだ。
ザイがカイルを信じたのなら、いや、せめて事実は事実としてを受け止めることができていたなら、カイルは死ななかったのではないか?
自分がカイルを追いやったのではないか?
──いや違う。
ザイは思う。全てはカイルの思い通りに事は運んだ。きっと、陛下の崩御からあの日まで。あの場でザイが何を言ったってカイルの選択は変わらなかった。
「誰に殺されたのでもない」
先代は苦い顔で言う。
再度肯定しようとザイが口を開きかけたのを、先代が遮る。
「ああ、ザイ、隠居のおいぼれジジイの戯言だ。聞き流せ」
ザイは黙って目を伏せる。
仕方のないこととは言え、全く最期まで面倒くさい奴だ、と言う先代は続ける。
「俺が斬れなかった奴をガレスのクソガキが斬れたとしたら腹が立つからな、それを確かめたかっただけだ」
「ほんっと若様に張り合いますよね。あなた様こそ、もう歳なんですから。それなりの年じゃなくて隠居のおいぼれジジイの年ですよ?」
大人気ない、とリヒトが呆れて言うのに、先代がお前こそ、と言う。
「ならリヒト、お前、自分がガレスに投げ飛ばされると考えてみろ」
「あー、そりゃムカつきますね」
この主従にとって、ザイの主人はあくまでひよっこであるらしい。ザイは侍従らしい曖昧な顔で微笑んでおいた。
すると、リヒトの周りの地面はからりと乾き、元の砂漠の砂となった。
魔法で器用に砂を動かし整えて、その上に持ってきた布を敷いたリヒトは、どーぞ、と主人とその客人に座るよう勧める。
自分も座りながら、リヒトはどこからか出してきたパンを頬張る。毒味をして見せたリヒトは、ザイと先代にもポイポイとパンと水を投げ渡す。
はぐはぐとパンを食べるリヒトが言う。
「しっかし、相変わらずで」
「口にものを入れたまま喋るな。しかし、まあ、そうだなあ」
何というか、なあ、と言って東の先代もパンを食べ始める。
この御仁はやることなすこと豪快であるが、ものを食べるときだけは決して大口を開けたりしない。肉など丸かじりしそうな厳つい巨体がパンを小さくちぎって丁寧に口に運ぶ姿は、この上なく品がある。
高貴な野生のクマ。
ザイはそんな失礼なことを考えながら、二人に釣られるようにパンを食べ始めた。
※
塩っけの多い硬めのパンは、炎天下の試合で大量の汗をかいたザイには食べ応えがあって美味しい。
ザイがしみじみとパンを味わっているうちにも、主従の会話は進む。
「ま、良いんじゃないですか? 野郎も安心でしょう」
「どうだかな」
あいつはあいつで面倒くさいやつだった、と先代が言う。
ザイは二人が話す「野郎」がカイルのことだと気付き、嬉しいような、苦しいような、全く違う二つの感情に引き裂かれる。
「さて、お前の母は変わらず、か」
クッと笑って先代が言う。
「そりゃあ、どこぞのひよっこなど歯牙にも掛けぬわなあ」
先代の言う「どこぞのひよっこ」は今上のことだ。主人がひよっこ呼ばわりされるのにまさか同意を示すわけにもいかず、かといって先代の宮さまに異を唱える訳にもいかないザイは、澄ました顔をしておく。
先帝も今上もザイの母を召し抱えたがったが、ザイの母は固辞した。宰相夫人としても滅多に宮に顔を見せないザイの母は、ザイ出産後の肥立が悪く体調を崩したままである、ということになっている。
夫の就任の初めにも宮にあがらなかった宰相夫人について、非難がないわけではなかった。
しかし、宰相が「妻は病弱でして」と、しらーっと臆面もなく申し上げ、それに先帝が「残念だがそれは仕方がないことだ。療養に専念するよう」と、これまた、しらーっと返したので、宮の者は誰も突っ込めなかった。
また、先々帝に仕えた元女官は、宮の様々な事情を把握しているため、上層部のお歴々が下手に突つきたくない、ということもあるらしい。
「それで、宰相は変わりないか?」
幸せな奴め、と言いながら、先代がザイに聞く。
「はい。変わりなく」
「そうか。しかし、あいつもそれなりの歳になってきたからなあ、労ってやれ。ああいう体が頑丈なのが取り柄と思っているやつは、案外、急に倒れるぞ」
「はい。心得ます」
この三年の間、確かに父は老いたと思う。
代替わりを支える宰相としての重責に加えて、並大抵でない心労の多くを占めるのがザイの不調であることを、ザイは済まなく思う。
といっても、ザイはあの父が倒れるのは想像がつかない。
「俺もいつくたばるやら。お前とやれるのはこれが最後かも知れん」
「そのようなことは」
この御仁が倒れるのも想像がつかないザイは、つい、意外そうな顔をしてしまう。
「そう言ったあいつは俺より先に逝きやがったが」
「先代様」
あの日までのカイルの足跡を丁寧に辿っていたザイは、先代がカイルに会った最後の日も把握していた。
カイルの名を、東の宮では出してもいいだろうか?
※
一瞬だけザイは迷う。だが、すぐに口を閉ざす。僕は侍従だから。そうザイは自身を戒める。カイルさんだったら迷いもしなかっただろうと思いながら。
「リヒト」
先代の呼びかけに、リヒトが結界を張る。周りには誰もいないが念のために、だろう。
リヒトの結界の中に、さらに先代が結界を張る。
何事かと身構えるザイは、先代の次の言葉を聞きたいような、逃げてしまいたいような。
一つため息をついて、先代が言う。
「俺はな、初め今上が先帝侍従を斬ったのだと思った」
そう言って確かめる目をする先代に、ザイは、はっきり申し上げる。
「それは、ございません」
「そうか」
目を伏せ、先代は少し考えるようだったが、ニヤリと笑って言う。
「そうだ。それはない。俺の甥でもカイルは斬れん」
そっすね、とリヒトも深く頷いている。
「奴は病で死んだ。誰に殺されたのでもない」
「はい」
先代が言うのに、ザイは静かに答える。
ザイはぐっと腹に力を入れる。
あの日、ザイはカイルの言葉を「信じない」と言った。
父も主人も受け入れた事実を、ザイは嫌だと言って拒否した。それを受けて、「ならば証明する」そう言ってザイの前で毒を飲んだカイルだ。
ザイがカイルを信じたのなら、いや、せめて事実は事実としてを受け止めることができていたなら、カイルは死ななかったのではないか?
自分がカイルを追いやったのではないか?
──いや違う。
ザイは思う。全てはカイルの思い通りに事は運んだ。きっと、陛下の崩御からあの日まで。あの場でザイが何を言ったってカイルの選択は変わらなかった。
「誰に殺されたのでもない」
先代は苦い顔で言う。
再度肯定しようとザイが口を開きかけたのを、先代が遮る。
「ああ、ザイ、隠居のおいぼれジジイの戯言だ。聞き流せ」
ザイは黙って目を伏せる。
仕方のないこととは言え、全く最期まで面倒くさい奴だ、と言う先代は続ける。
「俺が斬れなかった奴をガレスのクソガキが斬れたとしたら腹が立つからな、それを確かめたかっただけだ」
「ほんっと若様に張り合いますよね。あなた様こそ、もう歳なんですから。それなりの年じゃなくて隠居のおいぼれジジイの年ですよ?」
大人気ない、とリヒトが呆れて言うのに、先代がお前こそ、と言う。
「ならリヒト、お前、自分がガレスに投げ飛ばされると考えてみろ」
「あー、そりゃムカつきますね」
この主従にとって、ザイの主人はあくまでひよっこであるらしい。ザイは侍従らしい曖昧な顔で微笑んでおいた。
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