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第三章
19 下山から東へ
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フッと意識が浮上する。横になったまま目を閉じて辺りの気配を探るのはザイの習い性だ。
妙な気配はないことに安心して大きく伸びをしながらザイは体の調子を確かめる。濃い霧の中目覚めたザイの体調は元どおりだった。
昔から、熱を出しても一晩眠れば大抵ケロリとしているザイである。この頑丈さは間違いなく父譲りだろう。宰相はどこでも寝られるという特技があるが、ザイもそうだ。だからこんな山の上でも寝られる。ありがたいことだともう一度伸びをして、ザイはふと思い出して呼びかける。
「縹?」
呼びかけるが答えるものはいない。
山を吹き上がってくる風に木がざわざわと揺れる以外には、なんの音もない。
昨日縹に連れられて頂上に登る間、たくさんのおそらく精霊の気配に囲まれていたのが、今日は何の気配も捕まえられない。
濃い霧に閉ざされた中でザイは独りきりだと知る。
一人になりたいと思ったことは何度もある。宮の煩わしさは言うまでもなく、宰相邸で父母に気遣われるのさえ重荷だったこともある。
「でもやっぱり堪えるね」
本当の一人きりというのは、辛い。
それでも結局カイルのことは、ザイ自身で折り合いをつけていくしかない。
カイルと係わりの深かったザイ一家であったが、盟友──と呼ぶにはなんだか色々差し障りがあるようでもあるようなのだが──であった父、いもうとであった母、そして弟子であった自分はやはりそれぞれ立場が違うのだから。
カイルについて話題に上ることは宰相邸でも少ない。ザイを気遣う父母の方から話を振ってくることはまずない。
もっと話したいと思うザイだが、話した結果また自分がひどい状態になるのではないだろうかと思うとザイはなかなか切り出せないのだった。
それにもしかしたら、ザイ以上に父や母の方が傷ついているかもしれないのだ。
父母はザイが生まれるより前からカイルと共にいたのだから。
最近まで我が子のザイから目を離せなかった分、彼らはザイほど十分にカイルの死を悲しむことができなかったのではないか? 今更ながら、ザイは両親に対してすまなく思う。
「縹?」
ザイはもう一度呼びかけてみるが、返事はない。
縹は大丈夫だろうか。もっと話を聞けば良かった。
そして縹に話された分だけ自分もカイルの話を聞いて欲しかった、というのは勝手な言い分だろうか?
ザイは思う。主人や侍従筆頭は、先帝侍従としてのカイルしか知らない。父母がこの世を去ってしまったら、僕は誰とカイルさんの話をすればいいんだろう?
ただ一人、ザイの話を飽きることなく聞いてくれそうな人がいるけれど。
──まあそういう道もあるということだ。
いざとなったら東の港経由で王妃の元へ駆け込めと言った主人の言葉を、ザイは苦く思い出す。
もし、ザイが王妃のもとに奔ったとしても、皇帝は「自分がザイを遣いにやったのだ」と説明して臣民を納得させるだろう。
ザイに逃げろと言った宰相である父も、様々に工作をしてなんの差し障りもないようにしてくれるだろう。
戦のない今、ザイが帝国を出ても何も困ったことがない。
── それは宰相、先にも話した通り、私には、あの国に居場所がないからだ。
だから戦の最中に亡命を企てたのだ、と言った第四王子をザイは内心軽蔑していたが、あの王子と自分に何の違いがあるだろうか。
※
カイルとの思い出を嬉しそうに話した王妃の顔を振り払うようにザイは顔を洗い、身の周りを整える。雨でダメになった荷物を干そうかと考えるが、やめる。
「この天気じゃね」
独りごちるザイは天を仰ぐ。昨日の夕焼けが嘘のようなどんよりとした曇り空。周りは霧に囲まれ視界はすこぶる悪い。ザイは簡単に朝食を済ませてすぐに下山を始めた。
カイルのこと以外に精霊の話も縹に聞いてみたかったのだが、縹は全く姿を現さない。曇り空からわずかに感じられる日の位置を確かめながらザイは慎重に山を下る。
不思議なことに、行きにあれだけいた魔物は今日は全く現れない。縹は「魔物は帰り道を狙う」と言っていたから、ザイは行きよりも魔物に襲われると覚悟していたのだが、拍子抜けである。
「弱ったな」
帰りの魔物相手に精霊の力を試してみたかったのだが、これでは仕方がない。
しかし、精霊の力を試さないまま都に入るのは避けたい。難なく麓まで着いてしまって、ザイは困ってしまった。さてどこで試すか?
思案したザイは東へ向かった。
※────
・まあそういう道もあるということだ。
→第二章 16話「筆頭も埋め隊派のようなので」
・ザイに逃げろと言った宰相の父
→ 第二章 12話「虫干しの向こう」
→ 第二章 14話「外野にて・父の心子知らず」
・亡命を企てた第四王子
→ 第一章 22話「護衛二日目の夜 聞き上手の最終決定を止める役」
・カイルとの思い出を嬉しそうに話した王妃
→第一章 17話「護衛二日目 侍従」
妙な気配はないことに安心して大きく伸びをしながらザイは体の調子を確かめる。濃い霧の中目覚めたザイの体調は元どおりだった。
昔から、熱を出しても一晩眠れば大抵ケロリとしているザイである。この頑丈さは間違いなく父譲りだろう。宰相はどこでも寝られるという特技があるが、ザイもそうだ。だからこんな山の上でも寝られる。ありがたいことだともう一度伸びをして、ザイはふと思い出して呼びかける。
「縹?」
呼びかけるが答えるものはいない。
山を吹き上がってくる風に木がざわざわと揺れる以外には、なんの音もない。
昨日縹に連れられて頂上に登る間、たくさんのおそらく精霊の気配に囲まれていたのが、今日は何の気配も捕まえられない。
濃い霧に閉ざされた中でザイは独りきりだと知る。
一人になりたいと思ったことは何度もある。宮の煩わしさは言うまでもなく、宰相邸で父母に気遣われるのさえ重荷だったこともある。
「でもやっぱり堪えるね」
本当の一人きりというのは、辛い。
それでも結局カイルのことは、ザイ自身で折り合いをつけていくしかない。
カイルと係わりの深かったザイ一家であったが、盟友──と呼ぶにはなんだか色々差し障りがあるようでもあるようなのだが──であった父、いもうとであった母、そして弟子であった自分はやはりそれぞれ立場が違うのだから。
カイルについて話題に上ることは宰相邸でも少ない。ザイを気遣う父母の方から話を振ってくることはまずない。
もっと話したいと思うザイだが、話した結果また自分がひどい状態になるのではないだろうかと思うとザイはなかなか切り出せないのだった。
それにもしかしたら、ザイ以上に父や母の方が傷ついているかもしれないのだ。
父母はザイが生まれるより前からカイルと共にいたのだから。
最近まで我が子のザイから目を離せなかった分、彼らはザイほど十分にカイルの死を悲しむことができなかったのではないか? 今更ながら、ザイは両親に対してすまなく思う。
「縹?」
ザイはもう一度呼びかけてみるが、返事はない。
縹は大丈夫だろうか。もっと話を聞けば良かった。
そして縹に話された分だけ自分もカイルの話を聞いて欲しかった、というのは勝手な言い分だろうか?
ザイは思う。主人や侍従筆頭は、先帝侍従としてのカイルしか知らない。父母がこの世を去ってしまったら、僕は誰とカイルさんの話をすればいいんだろう?
ただ一人、ザイの話を飽きることなく聞いてくれそうな人がいるけれど。
──まあそういう道もあるということだ。
いざとなったら東の港経由で王妃の元へ駆け込めと言った主人の言葉を、ザイは苦く思い出す。
もし、ザイが王妃のもとに奔ったとしても、皇帝は「自分がザイを遣いにやったのだ」と説明して臣民を納得させるだろう。
ザイに逃げろと言った宰相である父も、様々に工作をしてなんの差し障りもないようにしてくれるだろう。
戦のない今、ザイが帝国を出ても何も困ったことがない。
── それは宰相、先にも話した通り、私には、あの国に居場所がないからだ。
だから戦の最中に亡命を企てたのだ、と言った第四王子をザイは内心軽蔑していたが、あの王子と自分に何の違いがあるだろうか。
※
カイルとの思い出を嬉しそうに話した王妃の顔を振り払うようにザイは顔を洗い、身の周りを整える。雨でダメになった荷物を干そうかと考えるが、やめる。
「この天気じゃね」
独りごちるザイは天を仰ぐ。昨日の夕焼けが嘘のようなどんよりとした曇り空。周りは霧に囲まれ視界はすこぶる悪い。ザイは簡単に朝食を済ませてすぐに下山を始めた。
カイルのこと以外に精霊の話も縹に聞いてみたかったのだが、縹は全く姿を現さない。曇り空からわずかに感じられる日の位置を確かめながらザイは慎重に山を下る。
不思議なことに、行きにあれだけいた魔物は今日は全く現れない。縹は「魔物は帰り道を狙う」と言っていたから、ザイは行きよりも魔物に襲われると覚悟していたのだが、拍子抜けである。
「弱ったな」
帰りの魔物相手に精霊の力を試してみたかったのだが、これでは仕方がない。
しかし、精霊の力を試さないまま都に入るのは避けたい。難なく麓まで着いてしまって、ザイは困ってしまった。さてどこで試すか?
思案したザイは東へ向かった。
※────
・まあそういう道もあるということだ。
→第二章 16話「筆頭も埋め隊派のようなので」
・ザイに逃げろと言った宰相の父
→ 第二章 12話「虫干しの向こう」
→ 第二章 14話「外野にて・父の心子知らず」
・亡命を企てた第四王子
→ 第一章 22話「護衛二日目の夜 聞き上手の最終決定を止める役」
・カイルとの思い出を嬉しそうに話した王妃
→第一章 17話「護衛二日目 侍従」
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